商店街の噂
「ユウナちゃん、ちょっと相談があるんだけど……」
皆瀬探偵事務所を訪れたのは、商店街で喫茶店「花音」を営む山田花音さんだった。60代前半の上品な女性で、商店街では顔役的存在として知られている。
「花音さん、どうされたんですか?」
ユウナは兄の椅子に座り、メモ帳を取り出した。第1話の田中夫妻の件以来、ユウナの探偵としての評判は商店街でも少しずつ広まっていた。
「実は……隣の『桜屋』さんのことなんです」
花音さんは心配そうな表情を見せた。
「桜屋さんといえば、老舗の和菓子店ですよね」
「そうです。でも最近、ひどい嫌がらせを受けているんです。店主の桜井おじいちゃんが困り果てて……」
ユウナは興味深く話を聞いた。桜屋は創業80年の老舗和菓子店で、商店街でも特に歴史のある店だった。
「どんな嫌がらせですか?」
「夜中にシャッターに落書きをされたり、店の前にゴミを捨てられたり……それに、変な噂を流されているんです」
「噂?」
「『桜屋の和菓子は古臭い』とか『時代遅れ』とか……インターネットの口コミサイトにも悪い評価ばかり書かれて」
花音さんは続けた。
「桜井おじいちゃんは70歳を超えているし、孫の桜井健太くんが店を手伝っているんですが、二人とも参ってしまって……」
「警察には相談されましたか?」
「軽微な嫌がらせだから、なかなか真剣に取り合ってもらえないんです。でも、このままじゃ桜屋さんが潰れてしまう」
花音さんの目に涙が浮かんだ。
「商店街から桜屋さんがなくなるなんて、考えられません。あの店の和菓子を食べて育った人がどれだけいることか……」
ユウナは立ち上がった。
「分かりました。桜屋さんの件、調べてみます」
翌日の放課後、ユウナは桜屋を訪れた。昔ながらの和菓子店で、ガラスケースには美しい和菓子が並んでいる。しかし、店内は静まり返っており、客の姿は見えなかった。
「いらっしゃいませ」
奥から70代の男性が出てきた。桜井金蔵さん、桜屋の三代目店主だった。
「あの……皆瀬探偵事務所の皆瀬ユウナです。花音さんからお話を伺って……」
「ああ、花音ちゃんが。でも、探偵さんって……ずいぶんお若いのね」
金蔵さんは困ったような顔をした。
「私はまだ高校生ですが、お役に立てることがあるかもしれません」
その時、店の奥から20代前半の青年が現れた。
「おじいちゃん、どなた?」
「健太、この子は探偵さんだって」
健太は驚いたような顔をした。
「探偵?でも……」
「桜井健太です。祖父の店を手伝っています」
健太は礼儀正しく頭を下げた。
「最近の嫌がらせについて、詳しく教えてください」
金蔵さんは重い口を開いた。
「一ヶ月ほど前から始まったんです。最初は店の前にゴミを捨てられるくらいだったんですが……」
「だんだんエスカレートしてきて」健太が続けた。「シャッターに『時代遅れ』って落書きされたり、ネットに悪い口コミを書かれたり」
「心当たりはありませんか?」
祖父と孫は顔を見合わせた。
「実は……」健太が躊躇いがちに言った。「向かいに新しいケーキ店ができたんです。『スイートドリーム』って店で……」
「健太」金蔵さんが制した。「憶測で物を言うもんじゃない」
「でも、おじいちゃん!あの店ができてから嫌がらせが始まったんですよ」
ユウナは興味深く聞いていた。
「そのケーキ店はいつ頃オープンしたんですか?」
「先月の初めです」健太が答えた。「若い夫婦がやってる店で、すごく流行ってるんです」
ユウナは桜屋を出て、向かいのケーキ店を見に行った。「スイートドリーム」は確かに新しく、モダンな外観で多くの客で賑わっていた。
店内を覗くと、色とりどりのケーキが並び、若いカップルや家族連れで満席だった。
「いらっしゃいませ」
30代前半の女性店主が笑顔で迎えてくれた。
「あの……この辺りのお店について聞きたいことがあって」
「ああ、商店街の調査ですか?私、店主の田村美由紀です」
ユウナは適当に相槌を打ちながら、店の様子を観察した。確かに繁盛しているが、嫌がらせをするような雰囲気は感じられない。
「向かいの和菓子店はご存知ですか?」
「桜屋さんですね。歴史のある立派なお店ですよ」
美由紀さんの答えは自然で、特に敵意は感じられなかった。
その夜、ユウナは商店街を歩き回って情報収集をした。いくつかの店を回って話を聞いてみると、意外な事実が判明した。
「確かに桜屋さんには嫌がらせがあるみたいだけど……」
八百屋の店主が小声で話した。
「犯人はケーキ店じゃないと思うよ。むしろ、美由紀ちゃんは桜屋さんを心配してたくらいだから」
「心配してた?」
「ああ。『老舗の和菓子店と新しいケーキ店が共存できればいいのに』って言ってたよ」
別の店でも同様の証言が得られた。どうやら田村美由紀さんは、桜屋に対して敵意を持っていないようだった。
翌日、ユウナは再び桜屋を訪れた。しかし、今度は異なる角度から調査を始めた。
「健太さん、お店の経営状況はいかがですか?」
健太は困ったような顔をした。
「正直、厳しいです。お客さんも減ってきて……でも、嫌がらせが始まる前からでした」
「前から?」
「ええ。商店街全体にお客さんが減ってるんです。駅前に大型ショッピングモールができてから……」
金蔵さんが口を開いた。
「時代の流れだと分かってはいるんですが……80年続いた店を、自分の代で終わらせるのは辛くて」
ユウナは新たな視点で事件を見直した。もしかすると、嫌がらせの真の目的は別のところにあるのかもしれない。
その日の夕方、ユウナは商店街で張り込みをすることにした。桜屋の周辺で何が起こるのか、直接確認してみよう。
午後10時頃、商店街は人通りがほとんどなくなった。ユウナは喫茶店花音の前に隠れて、桜屋の様子を見守った。
午後11時を過ぎた頃、一人の男性が桜屋に近づいてきた。手には何かの袋を持っている。
男性はキョロキョロと辺りを見回し、桜屋の前にゴミ袋を置いた。そして、スプレー缶を取り出してシャッターに何かを書こうとした。
「あの……何をされているんですか?」
ユウナが声をかけると、男性は驚いて振り返った。
「君は……何でこんな時間に?」
男性は40代前半で、スーツを着ている。商店街の関係者ではなさそうだった。
「私、探偵をしています。桜屋さんの嫌がらせについて調べているんです」
男性の顔が青ざめた。
「探偵……?」
「どうして桜屋さんに嫌がらせをするんですか?」
男性は観念したような表情を見せた。
「僕は……不動産会社の営業をしています」
「不動産会社?」
「桜屋さんの土地を買い取りたい依頼者がいるんです。でも、桜井さんは売却を断固として拒否していて……」
ユウナは状況を理解した。
「それで、嫌がらせをして店の経営を悪化させ、売却せざるを得ない状況に追い込もうとしたんですね」
「そのつもりは……でも、結果的にはそうなってしまって」
男性は頭を下げた。
「土地を買い取りたいという依頼者は、どちらの方ですか?」
「大手デベロッパーです。この商店街を再開発して、大型商業施設を建設する計画があるんです」
ユウナは驚いた。商店街の再開発——それは桜屋だけの問題ではない。
「桜井さんの土地は再開発の要の位置にあるんです。あの土地が買収できなければ、計画全体が頓挫してしまう」
「それで嫌がらせを?」
「会社から『何とかして売却させろ』と圧力をかけられて……でも、こんなやり方は間違ってました」
男性は深く頭を下げた。
「桜井さんに謝罪したいと思います。そして、会社にも正直に報告します」
翌日、ユウナは桜屋に事件の真相を報告した。金蔵さんと健太は驚いていたが、同時に安堵の表情も見せた。
「再開発の話……実は以前から噂はあったんです」金蔵さんが言った。
「でも、僕たちはこの場所を離れたくないんです」健太が続けた。「おじいちゃんが築き上げてきた店を、ここで続けていきたい」
「分かります」ユウナは微笑んだ。「でも、お客さんを増やすためには、何か工夫が必要かもしれませんね」
その時、店のドアが開いた。田村美由紀さんが入ってきた。
「桜井さん、お疲れ様です」
「美由紀ちゃん、いらっしゃい」
「実は……相談があるんです」美由紀さんは少し恥ずかしそうに言った。「うちの店でも和菓子を扱えないかなって思って」
「和菓子を?」
「ケーキも好きだけど、やっぱり日本の伝統的な和菓子も大切にしたいんです。桜屋さんの和菓子をうちの店でも販売させてもらえませんか?」
金蔵さんと健太は目を見開いた。
「それに」美由紀さんは続けた。「和菓子とケーキのセットメニューとか、コラボ商品とか作れたら面白いと思うんです」
健太の顔が明るくなった。
「それ、面白いアイデアですね!」
「でも……競合店同士なのに、いいんですか?」金蔵さんが心配そうに尋ねた。
「競合じゃありません」美由紀さんは笑顔で答えた。「お互いに商店街を盛り上げるパートナーです」
その後、商店街では「和洋スイーツフェア」が開催された。桜屋の伝統的な和菓子とスイートドリームのモダンなケーキが一緒に楽しめるイベントで、多くの客で賑わった。
また、嫌がらせをしていた不動産会社の営業マンは、正式に桜井さんに謝罪し、会社も不適切な営業方法を改めることを約束した。
一週間後、花音さんが探偵事務所を訪れた。
「ユウナちゃん、本当にありがとう。桜屋さんもすっかり元気になって、お客さんも戻ってきたわ」
「良かったです」ユウナは微笑んだ。「でも、一番頑張ったのは桜井さん親子と美由紀さんですよ」
「そうね。みんなで協力すれば、どんな困難も乗り越えられるのね」
花音さんが帰った後、ユウナは事件をファイルにまとめた。
『桜屋嫌がらせ事件 解決』
『真相:不動産会社による土地買収のための営業妨害』
『結果:商店街の結束深化、新たな協力関係構築』
「お兄ちゃん、また一つ事件を解決できたよ」
ユウナは窓の外を見た。商店街では桜屋とスイートドリームの前に行列ができている。
クロベエが膝の上に飛び乗り、満足そうに鳴いた。
「そうだね、クロベエ。みんなが幸せになるのが一番だよね」
皆瀬探偵事務所には、今日も温かい午後の光が差し込んでいた。そして、次の依頼者を待つユウナの元に、新たな物語が訪れようとしていた。