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第一章:となりのサクラちゃん

第一章:となりのサクラちゃん


 俺がこの古いアパートに越してきたのは、一年ちょっと前のことだ。高校二年のくせに一人暮らしなんて、なかなかの事情ありっぽく聞こえるだろ? まあ実際そうなんだけど、それは置いておいて。


 アパートは築三十年の木造二階建て、家賃は格安、風呂は狭いが静かな場所にある。俺の部屋は二階の端、隣はずっと空き部屋だった……はずなんだけど。


「こんにちはー」


 ある日、そんな高めの声とともに、隣に誰かが越してきた。引っ越しのトラックなんて見てなかったし、物音もしなかったから驚いた。


 出てきたのは、五十代くらいの無愛想な男と、小学校高学年くらいの小柄な女の子だった。女の子はくしゃくしゃの長袖シャツに、スカート、そして白いタイツという、どこか季節外れな格好をしていた。


 名前は知らない。ただ、男はサクラ、と呼んでいた。


 その日以来、朝の階段ですれ違ったり、夕方にゴミ捨て場で鉢合わせたりすることが増えた。サクラちゃんは、俺を見かけると小さく頭を下げる。恥ずかしがり屋なのか、声は出さない。でも、俺はそれが妙に気になっていた。


 いや、誤解しないでほしい。俺は確かに――ちっちゃい子、けっこう好きだ。でも「好き」と「ヤバいやつ」は違う。俺の信条はただ一つ。YESロリータ、NOタッチ。 この一線は、絶対に越えない。


 ある夕方、学校から帰ると、サクラちゃんが隣の部屋の前でしゃがんでいた。カバンを抱きしめて、扉に背をもたれ、膝をかかえている。顔は伏せていて、髪の毛のせいで表情は読めなかった。


「……どうしたの?」


 声をかけると、ぴくりと肩が動いた。だけど返事はない。


 俺はそっと、コンビニの袋からドーナツを取り出して、ビニール越しに差し出した。


「これ、よかったら食べる? 夕飯前にはちょっとアレだけど」


 しばらくして、サクラちゃんは黙ってそれを受け取り、ゆっくりと一口かじった。


「……おじさん、いなくなったの」


 その声は、驚くほど静かで、でもはっきりと響いた。


 おじさん――あの男のことだろう。いなくなったって、まさか……。


「どこに行ったの?」


「わかんない。昨日、変な電話してた。そのあと、朝から帰ってこない」


 それって、放置ってことじゃないのか?


 俺は携帯を握りしめたが、すぐには動けなかった。警察に通報すべきだろうか。でも、何も証拠がないし、下手に首を突っ込んだら、俺が通報されかねない。


「親戚とか、他に頼れる人は?」


 サクラちゃんは、こくんと首を振った。


「おじさん、ほんとのお父さんじゃないの。どこから来たかも……よく覚えてない」


 なにそれ。そんな話、あるか?


 そのとき、ふと思い出した。このアパート、昔“ちょっと変な噂”があった。行方不明者が出たとか、部屋が時間ごと消えるとか――くだらない都市伝説だと思ってたけど。


 翌日、俺は学校を早退し、サクラちゃんの部屋を訪ねた。


「……鍵、開いてる」


 中は、想像よりも整っていた。布団は畳まれ、洗濯物も干されている。ただ、一つだけおかしい。


 ――鏡。


 部屋の奥に、やたらと大きな姿見が置かれていた。古びた木枠に、煤けたガラス。明らかに場違いだった。


「ねえ、それって……」


「朝、見たら、ここにあったの」


 サクラちゃんがそっと指差した。


 鏡の奥。うっすらと、何かが動いている気がした。男の影……いや、影じゃない。向こう側に“別の部屋”がある。


「この鏡、おじさんが入ってったの」


「は?」


「ほんとだよ。昨日の夜、ここに立って、電話しながら……そのままスッと吸い込まれてったの」


 ぞわっと背中を寒気が走った。


 逃げるべきか。けど、そのとき――鏡の中から、サクラちゃんの名前が聞こえた。


 「サクラ……サクラ……戻ってこい……」


 低く、かすれた声。でも、確かにあの男の声だった。


「……行っちゃダメ!」


 思わずサクラちゃんの腕をつかんだ。彼女はびくっとして俺を見た。


「もう一人になりたくないの……」


 俺は唇を噛んだ。どうする? ここから逃げれば、俺の“平凡な日常”は守られる。でも――


「……わかった。じゃあ、行こう。俺も一緒に行くよ」


 気づけば、俺は彼女の手を握っていた。


 YESロリータ、NOタッチ。


 でもこれはきっと、タッチじゃない。手をつなぐだけなら、ただの約束だ。


 鏡の表面が、ふっと波打った。


 まるで水面のように揺らめきながら、俺たちを、飲み込んでいった――。


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