第5話:「※地位協定違反の、代償」
地位協定
正式名称「オタク・イケメン間に関する地位協定」。
校則にも、生徒会規約にも載っておらず、署名も存在しない――
だけど、誰もが知っている“暗黙のルール”だった。
この学校では、無意識のうちに皆がその協定に従って生活している。
クラスで「イケメン」と認められるには、いくつかの条件がある。
部活や委員会に所属していること。成績優秀であること。容姿端麗であること。
どれか一つでも欠ければ、“オタク”側に分類される。
当然、オタク側の人間がイケメン側に属する者と
たとえば一緒に行動したり、食事をしたり、ましてや“恋愛”に関わることは、
授業や学校行事の一環を除き、基本的に許されない。
玲央は部活には入っていない。
だけど、その“話術”だけでイケメン認定された、例外的存在だ。
そして、協定に違反した場合。
罰を受けるのは、常に“オタク”側。
野中 蓮はその「違反者」となっていた。
風が冷たくなった放課後。
登下校の分岐点、いつもの交差点で、蓮はひとりで歩いていた。
昨日のやり取りが、何度も頭の中をよぎる。
「オタクとイケメンの位置って、もう決まってるんだから」
結衣先輩の冷ややかな声。
「まぁ、そういうことだからさ。次から気をつけなよ」
玲央の軽い笑顔の奥にある“圧力”。
思い出すたびに、胸が苦しくなる。
そのとき、背後から声がかかった。
「蓮くん、待って!」
振り返ると、涼子が少し息を切らして立っていた。
「どうしたの?」
蓮の問いかけに、彼女は伏し目がちに答える。
「昨日のこと……私、気にしてて……」
「蓮くんに告白してから、どうしていいか分からなくて」
「いや、俺の方こそ...」
頭をかきながら、なんとか言葉を探す。
「急でびっくりしちゃって……それに、結衣先輩たちのこともあって」
涼子は唇を噛んで、ぽつりとつぶやいた。
「私、あの人たちに負けたくなくて……でも、あんなふうに見下されるのは、もう嫌だった」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなった気がした。
事件が起きたのは、翌朝の登校中だった。
「おい、野中」
振り返ると、そこに立っていたのは玲央と結衣、そして見慣れない男子ひとり。
玲央は、相変わらずの軽い口調で言った。
「お前、どうしたんだよ? ちょっと目立ちすぎじゃね?」
結衣は腕を組んで、じっとこちらを見つめていた。
「ちょっとちょっと〜、なんで涼子ちゃんとそんなにベッタリしてんの〜?」
「マジで言ったよね? あんま目立たないほうがいいって。……ほんっと、オタクって空気読めなすぎじゃん?」
玲央の笑顔の裏には、いつもの“やんわりとした圧”があった。
蓮は、心の中で反発を覚えながらも、視線を外してつぶやく。
「……別に、好きで一緒にいたわけじゃないし」
そう言い残し、去ろうとした
すると、結衣が冷たい笑みを浮かべた。
「ふ〜ん? ま、ウチは好きにすればって思うけどさ〜」
「でも“ルール”破ったら……どーなるか、わかってんよね?」
彼女の指す先には、登校してくる生徒たち。
その視線が、徐々に蓮へと集まりはじめていた。
「もっかい言っとくね? 地位協定、破るってそういうことだから」
「“代償”……ちゃんと払ってもらうからさ。覚悟しときなよ?」
その言葉を境に、世界は変わった。
昼休みの食堂では、オタク友達ですら誰も蓮に話しかけてこない。
通学路では、数歩の距離を置かれる。
“無視”という名の制裁が、静かに始まった。
教室に戻ると、涼子が心配そうな顔で声をかけてきた。
「蓮くん、大丈夫……?」
蓮は、少しだけ笑ってみせる。
「ああ、大丈夫。玲央たちと、ちょっと世間話しただけだから」
――でも、それが嘘だってことくらい、蓮が一番よく分かっていた。