表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/21

第8話:「※サイレント・クラリネット」

西村(にしむら) 美鈴(みすず)

高校一年

吹奏楽部所属・クラリネット担当


皆の前では、ほどほどに明るく、話しかけられれば、普通に返す。

でも本当は――人の心の“揺れ”を、少しだけ深く受け取りすぎてしまう。

そのせいで、気づかなくていいことにまで、気づいてしまう。

それが、ちょっとだけ、疲れる。


今、私は音楽室の隅でクラリネットを構えていた。

音を出している間だけは、何も考えずにいられるから。

指先と、息遣いと、音色だけに意識を集中する。

けれど今日は、なぜか指が少しだけ重かった。

朝のホームルーム。

近くの席で交わされた会話が、ずっと耳に残っていた。


「野中って、最近ちょっと雰囲気変わったよね」

「涼子ちゃんと、話してるとこ見た」


たったそれだけの言葉に、胸の奥がふわりと波紋を描いた。

別に、特別気にしてたわけじゃない。そう思っていたはずなのに。

クラリネットをそっとケースにしまいながら、窓の外を見る。


昇降口の前。涼子さんが、蓮くんと話していた。

距離、表情、姿勢。音は聞こえなくても、それだけで伝わってくるものがあった


――きっと、あの二人は、前に進んでいるんだ。


私は何も言わずに、音楽室を出た。


翌日、昼休み。購買前の踊り場で、偶然目にした光景。

拓真くんが涼子さんにスマホを返している。


「今のセリフ、センスなさすぎ」

「じゃあ、黒歴史にしとこっか?」


軽口を交わしながら笑い合うふたり。……あれは、もう“ただの友達”の距離じゃない。

私はまだ、あんなふうに笑える相手がいない。


でも、羨ましいとは――あまり思わない。ただ。

人って、こうやって変わっていくんだな。

そんなことを、静かに見つめていた。


夕方、昇降口前。部活を終えて靴箱へ向かう途中、階段の影にふたりの姿が見えた。

ひとりは、野中 蓮くん。

その向かいに立っていたのは――山本 結衣さん。


ふたりの声は小さくて、何を話しているのかは分からない。

けれど、蓮くんの肩がかすかに揺れ、結衣さんの視線が鋭く、どこか切りつけるようだったのが分かった。

まるで、“何かの裁定”が下されているかのような、静かな緊張感。


誰かが何かを手放して

誰かが何かを、受け止めようとしていて

そして、誰かが――そのすべてを、黙って見届けていた。


私はただ、踊り場からその光景を見つめる

踏み込むことも、声をかけることもできずに

たぶん、この夕焼けの色だけが、あの瞬間の感情を知っている。


帰り道。クラリネットケースを背負いながら、私はふと思った。

私は、誰かに恋をしているわけじゃない

だけど、人の想いに触れるたびに――音が変わるのを、自分で感じている


今日の音は、少しだけ切なくて

少しだけ、温かかった。


言葉がなくても、想いは伝わる。

クラリネットは、きっと、そういう楽器だ。


そして私は、また今日も

誰かの気持ちに気づいてしまったまま、

静かに、その音を吹き続けている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ