第五話:クレイ・フォン・アーデルハイト
エリカとクレイの間に漂う緊張感は解けることなく、決闘が翌日に決まってしまった。
「明日、我が屋敷で決着をつけよう。」
そう言い残し、クレイはその場を後にした。エリカは勝利を確信したように、満足げな笑みを浮かべていた。
翌朝、エリカとクラウスはクレイ・フォン・アーデルハイトの屋敷へ向かう馬車の中にいた。
馬車の揺れに身を任せながら、クラウスは不安そうな顔でエリカに尋ねる。
「エリカ様、決闘のご経験は……あるのでしょうか?」
エリカは笑いながらあっさりと言い放つ。
「あるわけないじゃない。元の世界では、私に逆らう人なんて一人もいなかったんだから」
クラウスは深いため息をつく。
「そうですか……。では、どのように戦うつもりなのですか?」
エリカは窓の外を眺めながら、悠々と答える。
「簡単な話よ。最強魔法で屋敷ごと吹き飛ばせば、それで私の勝ちでしょ」
その軽率な発言に、クラウスは驚き目を見開いた。
「エリカ様、それはさすがに……。確かにエリカ様の魔力量と、ミリア様の身体の魔力コントロールの才能を合わせれば、そんなこともできてしまうかもしれませんが……それはあまりにも常識を超える行為です! 大問題になります!」
エリカはクラウスの言葉を気にも留めず、胸を張る。
「この世界の理は“強い者が偉い”でしょ? 私が圧倒的な力を見せつければ、誰も逆らえなくなるのよ」
クラウスは頭を抱えるが、彼女を止める手段は見つからなかった。
やがて馬車が貴族街の中でもひときわ目を引く豪華な屋敷の前に到着した。
門の前に並ぶ使用人たちが一斉に深々と頭を下げて出迎える。その光景に、エリカの目が輝いた。
「そうよ! 私はこういうのが好きなの! 豪華絢爛な生活こそ私にふさわしい!」
ワクワクした様子で馬車から降りるエリカを見て、クラウスは苦笑するしかなかった。
出迎えもそこそこに、エリカとクラウスはすぐに決闘の会場へと案内された。屋敷内の広大な訓練場のような庭園には、すでにクレイ・フォン・アーデルハイトが待っていた。
クレイは冷たい目でエリカを見つめ、無駄を嫌うような口調で言う。
「来たか。早速始めよう」
エリカは薄く笑い、余裕を見せながら応じる。
「話が早くて助かるわ。じゃあ、さっさと決着をつけましょう」
「これより、クレイ・フォン・アーデルハイト様とミリア・フォン・エルステッド様の決闘を開始いたします!」
審判の使用人が合図をすると同時に、二人は魔法を発動させた。
クレイが一歩先んじる。
彼の手から放たれたのは、中級炎系魔法「フレイムストーム」。赤い炎が激しく渦巻き、エリカへと迫る。その完成度の高さに、クラウスは思わず声を上げた。
「さすが最上位貴族……あれは本物の実力だ……!」
しかし、エリカは全く動じる様子を見せない。彼女は小さく息を吐き、笑みを浮かべながら言った。
「問題ないわ。見てなさい!」
「クリムゾンフレア!」
エリカが呪文を唱えると、地面に鮮やかな魔法陣が描かれ、眩い赤と金の炎が彼女の手元からクレイに向かって噴き出しった。その炎はクレイの「フレイムストーム」を一瞬でかき消し、さらにその余波でクレイ自身を飲み込みそうになる。
クレイはとっさに防御魔法を展開し、何とか衝撃を和らげる。だが、エリカの魔法の威力には驚きを隠せない。
「この魔力……一体何者だ?」
クレイの表情がわずかに険しくなる一方、エリカは勝ち誇ったように胸を張り、口元に笑みを浮かべた。
「どう? 最上位貴族様が本気を出しても、この程度なの?」
クラウスは心の中で叫んでいた。
(やはり、最上級魔法なんて教えるんじゃなかった!)
「覚悟なさい、最上位貴族!」
エリカは胸を張って叫び、再び最強魔法「クリムゾンフレア」の詠唱を始めた。その魔力が空気を震わせ、周囲にいる使用人たちの息を呑ませる。
クレイは冷静な表情を崩さない。
「確かに膨大な魔力だな。だが、それを扱うにはただ詠唱するだけでは足りない。」
彼は素早く詠唱を開始し、中級魔法「フレイムバースト」を発動。エリカに向かって燃え盛る炎が迫る。
「そんなもの!」
エリカは嘲笑するように手を振り払い、「クリムゾンフレア」でその攻撃を一瞬でかき消した。巨大な炎の柱が立ち上がり、決闘場全体を包み込む勢いだ。
「どう?これが本当の力よ!」
エリカは自信満々に笑みを浮かべた。しかしその瞬間、クレイが素早く動いた。
「力任せに最強魔法を放つだけでは、隙だらけだ。」
クレイはエリカの背後を取ると、低級ながらも精密に制御された「エアカッター」を放った。小さな風の刃がエリカの腕をかすめ、彼女の集中を乱した。
「えっ……!」
エリカは動揺し、一瞬魔力のコントロールが乱れる。
その隙を見逃さず、クレイはさらに攻撃を重ねた。
「サンドストーム!」
地面から舞い上がる砂がエリカの視界を塞ぎ、彼女の動きを封じ込める。
「痛っ!」
エリカは驚きながら声を荒げる。
「卑怯よこんなの!」
「卑怯ではない。隙を見逃さないのは戦いの基本だ」
クレイの声は冷静そのものだった。
だが、エリカは負けじと最後の力を振り絞り、もう一度「クリムゾンフレア」を放つ準備に入った。しかし連続した最強魔法の発動によりコントロールが乱れ、魔力が暴走を始めてしまう。コントロールできていない炎が辺りにが広がり始める。
「危ない!」
クラウスが叫ぶ。
「その力、お前にはまだ扱えない!」
クレイは素早く「アクアウォール」を発動させ、エリカの暴走する魔法を相殺した。エリカは反動で膝をつき、息を切らす。
「くっ……こんな、はずじゃ……!」悔しそうに呟くエリカ。
クレイはエリカの前に歩み寄り、静かに言った。
「勝負ありだ。」
彼はふと、エリカの腕にかすり傷があるのを見て、わずかに眉を寄せた。「……怪我をさせてしまったようだな。申し訳ない、決闘とはいえ乙女の肌に傷をつけてしまうとは、紳士として失態だ。」
その言葉にエリカは一瞬驚き、思わず口を開いた。「なによ急に……」
クレイはエリカに冷静な声で告げた。
「君の力、確かに見事だ。だが、その未熟さが命取りになる。もっと鍛錬が必要だな」
「負けたからって、あんたの説教なんて聞きたくないわよ……!」
エリカは顔を上げて睨みつけるが、クレイは軽く笑った。
「よし、その力を僕が利用させてもらう」
「……は?」
エリカは驚き、目を見開いた。
クレイは続けた。
「君の魔力は特別だ。この力を上手く扱えればフォン・アーデルハイトの家門にとって大きな武器になるだろう。だから、僕の屋敷で暮らし、僕のためにその力を磨け」
「……はぁ?誰があんたなんかのために……」
エリカはあっけに取られたが、すぐに思い直した。
「待ちなさい、要するに最上位貴族の暮らしを体験しろってこと?」
「なにか違う気もするが、だいたいそんなところだ」
クレイは微笑む。
「だが勘違いするな。これはお前を甘やかすためではない。お前の力を利用するためだ」
エリカは内心で計算を巡らせる。
「なるほどね。それなら私もこのチャンスを利用してやるわ!」
エリカは立ち上がり、再び胸を張った。
「その申し出を受けてあげる。でも覚えてなさいよ!次は絶対、あんたをぶっ飛ばしてやるんだから!」
負け推しに近い宣戦布告をしたエリカは両親への報告と準備を行うため、クラウスと共に一度自分の屋敷へ戻る。
──決闘の後、クレイは屋敷の廊下をゆっくりと歩いていた。隣を歩く老齢の使用人が、心配そうに口を開く。
「坊ちゃま、本当にあの者を屋敷に住まわせるおつもりですか?先ほどの決闘をご覧になってお分かりの通り、彼女は未熟で、時に予測不能な行動を取ります。そのような者を側に置くのは……危険かと」
クレイは一瞬足を止めたが、すぐに歩き出しながら静かに答える。「確かに彼女は未熟だし、礼儀や振る舞いにも問題がある。しかし……あの魔力、そして気の強さは、ただの無力族には見られないものだ」
使用人は眉をひそめる。
「気の強さ……ですか?」
クレイはふと、決闘中のエリカの姿を思い出した。炎に包まれる中でも堂々と胸を張り、自信に満ちた声で自分を煽ってきた彼女。どんな状況でも怯まず、自らの勝利を信じていたあの瞳。
「そうだ。あの目……あれほど強い意志を持つ者は滅多にいない。正直、あの場面であそこまで自信満々に最強魔法を使うなんて、普通の人間にはできないことだ」
使用人は少し驚いたようにクレイを見つめた。「坊ちゃま、もしかして……彼女に何か惹かれるものを感じておられるのですか?」
クレイは一瞬だけ目を細めたが、すぐに冷静な表情に戻り、無言で廊下の窓から外を眺める。
「……彼女がどう成長するかは分からない。しかし、あの魔力と強い意志が正しい方向に向かえば、この国にとっても得るものが大きいはずだ」
使用人は納得しかねる表情で頭を下げた。「坊ちゃまがそうおっしゃるなら……しかし、彼女は何をしでかすかわかりません。坊ちゃまに危害を加える可能性もあります。くれぐれもお気をつけください」
クレイは微かに笑い、窓の外で広がる庭を見つめた。「僕に歯向かってくるなら、その時はその時だ。……それに、あれだけ自分を曲げない者を見ていると、少し面白いと感じるのも事実だ。」
使用人はその言葉に驚きながらも、主の考えを理解しようと無言で付き従った。
クレイの脳裏には、あの気の強い少女が悔しそうに歯を食いしばりながらも負けを認めた姿が浮かんでいた。そして、その中に隠れていた次への闘志も――。
「まあ、これから彼女がどう動くか、少し見てみるとしよう」
そう呟くクレイの瞳には、どこか楽しげな色が宿っていた。