これは突拍子もない彼女の物語
ミミルの放った桜色の魔法は、ワイバーンの周りに浮く火の粉へ触れて、小規模な爆発を生み出した。
「うわあっ! バンッて言ったよ! バンッて!」
小鹿の様に震える膝を片手で支えながら、彼は必死の形相で杖を構えている。
そんな彼の正面、ワイバーンの面前に立つマゼンタは、侵食する呪いによって疼く傷口を押さえて、妖刀をモンスターへ向けていた。
――――――――――――――――――――
2人は宙で翼を羽ばたかせ、その場に留まるモンスターを地上から見上げた。
対峙したモンスター『ワイバーン』は、竜種の中でも小柄な生き物だ。
飛竜の翼からは、鱗粉と思しき火の粉が大量に発生している。
羽ばたく翼がその鱗粉へ触れ、小さな爆発を起こした。
――バンッ!バンッ!バババババ!――
「あわあっ! こっち来てる!」
「溶解の炎!」
ワイバーンの周りから連なる火の粉が連鎖的に爆発し、素早く彼等の身を焦がした。
咄嗟に魔法を発動したマゼンタは、魔力欠乏で気を失いそうになるも、気合で意識を持ち堪える。
溶解の炎で無力化された炎は形を変え、真っ赤なマゼンタの髪に淡い光を混ぜた。
妖刀の一振りで、周りを取り囲んでいた煙が彼の意志に従ってその身を引く。
帯電した武器の切っ先から漏れた雷が、地面へ触れる事で彼を中心に地を割った。
驚きで再び腰を抜かしたミミルは、振り返る彼の横顔に懐かしさを覚える。
「ゆう……しゃ……さま」
8番目の世界は勇者発祥の地。
勇者の冒険物語を子守唄代わりに聞いて育った青年は、目の前の剣士に憧憬の眼差しで手を伸ばした。
「え? わっ!」
刹那、「ドカーン」と内側から外へ広がる重低音が、地面を強く揺らした。
伸ばした手が強く引っ張られ、訳も分からず背中を地面へ打ったミミルは、「くぅ」と小さく呻きながら両手で背骨を摩る。
「すまねぇ。流石にアレを防ぐのは無理だった」
マゼンタは後方を親指で指しながら、ミミルの腕を掴んで立ち上がらせた。
蹌踉けたミミルが2歩前に進んだ先。
そこは断崖絶壁だった。
「…………!」
絶句したミミルは蒼褪めた表情で、クレーターの中心に飛ぶワイバーンを凝視した。
ワイバーンの口から垂れたマグマの涎が地面へと落ちて、市松模様の異空間を溶かす。
顔を上げたモンスターは、煙草の煙を吐く様に口を窄めて、腹に残った炎を噴いた。
そして、窪んだ地形の中央に降り立ったワイバーンは、鳥の求愛行動の如く翼を上下に振った。
暫くそれを眺めていたマゼンタは、モンスターが動かない事を確認してミミルへと向き直る。
「ミミル、使える属性を教えてくれ。さっき放ってた魔法は念属性だよな。水が使えれば……いや、この戦力差じゃ文字通り焼け石に水か。なら、風で威力を分散させた方が……」
「まっ! 待ってよ! どうして戦う前提で動いてるの? ワイバーンが休んでる内に逃げようよ!」
戦闘前提で考え込んだマゼンタの裾を引っ張ったミミルだったが、ビクともしないマゼンタの体幹に完全敗北した。
焼け焦げた裾の切れ端を握って膝を付いたミミルは、項垂れた状態で「シクシク」と泣き始める。
「ああ、悪い。お前の事考えてやれてなかったな」
後頭部を掻いて「ニカッ」と笑ったマゼンタは、自身の胸に拳を当てて「安心しろ」と優しく言った。
「ミミルをこの空間から解放する。絶対助けるって約束するぜ」
「ほんと? 絶対の絶対だよ?」
顔を上げたミミルは涙を拭いながら立ち上がると、今度はキョトンとした表情でマゼンタの顔を見つめた。
妖刀に付いた灰を振り払ったマゼンタは、「うん?」と彼へ向かって首を傾げる。
「その痣?ってさ。似てるよね、勇者様の入れ墨に。魔法で輝くところなんか特に」
「マジで!? あっ、あれだ! 俺の固有魔法、勇者と一緒らしくてさ――」
目を輝かせたマゼンタは、嬉しそうに口角を持ち上げる。
世にも珍しい固有魔法『集約』を有する青年が、勇者と同じ理由を明かそうと前のめりになった。
――その時だった。
――ドンッ!――
マゼンタの体は無抵抗に、ワイバーンの生み出したクレーターへと落下する。
彼を横から蹴り倒した娘は、結び目の高いツインテールを手で払うと腕を組んで仁王立ちでマゼンタを見下ろした。
「バッカじゃないの! 勇者伝説なんてまやかしに決まってるわ!」
前触れもなく横槍を入れた娘は「ふんっ」と鼻を鳴らして、焼け焦げたベルトの先を指差す。
「あんたの所為で燃えちゃったじゃない! 責任取りなさいよ!」
「知らねぇよ! テメェ何処から現れやがった! 俺じゃなきゃ死んでる高さだぞ!」
足蹴にされたマゼンタが怒るのは当然の感情。
だが、怒りを向けられた側の娘は、「ねぇあいつ何で怒ってんの?」とミミルへ疑問を向けた。
「ギャンギャン」怒るマゼンタと高飛車な娘の板挟みにあったミミルは、困り顔で「ヘラヘラ」と笑う。
娘はその態度が気に食わなかったのだろう。
「ムッ」と表情を変えた彼女は、ミミルとマゼンタの方を交互に指差して「降りなさい」と命令した。
「あんたみたいな陰気な奴が、私の隣に立ってて良いと思ってるの?」
「……ああ、はい。すみません」
娘に威圧されたミミルは「ヘコヘコ」と頭を下げながら、垂直に近い地面を滑り降りた。
「はぁ!? あんな奴の言葉真に受けてんじゃねぇよミミル! つうかお前誰だよ!」
喧嘩腰にツインテールの娘を指したマゼンタは、憤慨で肩を震わせている。
厚底の登山靴に、体のラインが強く出るホットパンツ。
丈の長い薄めの上着の隙間から太腿を覗かせる娘は、冒険者と呼ぶには軽装過ぎた。
「うっさいわね! あんたが先に名乗りなさい!」
「あっう……ミミルです。こっちはクラウ君」
馬鹿にした態度で踏ん反り返った娘に委縮しながら、ミミルはそう言った。
「何で言っちまうんだよ」と、マゼンタがミミルの両肩を揺さぶる。
一方、ミミル以上に肩を「わなわな」と震わせた娘は、「ビシッ」とマゼンタを指して大声を上げた。
「クラウゥ!? 私が世界で2番目に嫌いな名前よ! 改名しなさい!」
「はぁ!? ざけんじゃねぇぞ!」
理不尽な怒りを露わにした娘へ「ズカズカ」と近寄ったマゼンタは、崖を駆け上がって彼女と目線を揃えた。
隣に並んだマゼンタと娘の背丈は殆ど同じだ。
マゼンタのキツイ猫目と、娘の薄っすらと縦に長い瞳孔が「バチバチ」と火花を散らす。
「お前の好みに合わせる義理はねぇ! 気に食わねぇなら真名で呼びゃいいだろ! 俺はマゼンタだ――」
「ドンッ!」と再び鈍い音がする。
今度は蹴りでなく、両手でマゼンタを突き飛ばした娘。
彼女は口角を極限まで下げながら、綺麗に整った顔を酷く歪ませた。
「マゼンタは私が1番嫌いな名前よ!」
「めんどくせぇな! 無礼娘!」
遠方で「バサバサ」と風を掻き分ける音が、徐々に彼等へと近寄る。
魔力の変化を察知したマゼンタは「スッ」と冷静な表情へ戻ると、ミミルへ耳打ちをしてワイバーンの死角に当たる場所を顎で示した。
彼の指示に従って移動し始めたミミルを不服そうに見ていた娘は、浮き上がった両足に驚いて「キャッ」と小さく悲鳴を上げる。
「ちょっ何処触ってんのよ! 降ろしなさい!」
「うっせぇ背中殴んな。ワイバーンが攻撃態勢入ったからさっさと逃げるぞ」
マゼンタに担ぎ上げられた娘は存外肝が据わっているのか、「ふーん」と興味無さそうにモンスターへジト目を向ける。
「あんなの簡単に倒せるわよ。さっさとその気味悪い剣を構えなさい」
「馬鹿言うな。戦うならミミルの安全確保した後だ」
ミミルの救助を優先したマゼンタは、ワイバーンから放出される魔力を避けながら距離を取った。
「どっか出口見つけねぇとな。お前知ってっか?」
「知らないわよ。ダンジョンなんて大っ嫌いだもの。でも――」
マゼンタの腕から解放された娘は、円柱の影で瓦礫を寄せるミミルへ視線を移した。
「――ダンジョンはエリアボスを倒せば攻略よ。こんな歪な空間で、倒す以外に選択肢があるのかしら?」
ミミルの助かりたい一心は、逃げに転じて活路を見出せていない。
彼の見窄らしい装備を見れば、出口が見付からない事は明白だった。
「やっぱ、正面突破しかねぇか」
溜め息交じりにそう言ったマゼンタの前には、有り合わせの瓦礫で快適な部屋を作るミミルの背中があった。
――――――――――――――――――――
即席の椅子に座った娘は、脚を組んで肩に掛かった髪を掻き上げた。
「私は『超絶カワイイ最強しーちゃん』よ」
「「超絶カワイイ最強しーちゃん????」」
マゼンタとミミルが怪訝な声を揃えると、「そうよ」と娘が自慢げに胸へ手を当てた。
ダンジョン内で使われる名前は、本人の登録で行われる。
本名を語る事は禁止されているが、それ以外の名称は基本的にどんな名でも許された。
だからと言って、よくそんな珍妙な名前を役所が通したものだ。
「ええっと、しーちゃんさんは何処からこの空間に入ったんですか?」
ワイバーン討伐に意見を傾けた2人に対抗すべく、彼女の移動経路から出口を探そうと試みるミミル。
しーちゃんは「んー」と顎に手を当てて考え込んだ後、「興味ないわ」と質問を一蹴した。
「はぁ……自分の行動も覚えてねぇのか? ここ来る直前何してたんだよ」
「あんたを探してたのよ。じゃなきゃこんな田舎町に来たりしないわ」
「あんた」と、しーちゃんが指したのはマゼンタだった。
脈絡の無い言葉に「ストーカーか?」と返したマゼンタは、しーちゃんの長い爪で顔を引っ掻かれる。
「いってぇ!」
「あんたみたいな芋顔興味ないわ! 自惚れんじゃないわよ」
随分と態度の悪い娘だったが、ここまで来ると怒りより同情が勝るのだろう。
未見のしーちゃん家族へ同情の心を向けたマゼンタは、一向に進まない話の舵を戻した。
「もうお前いいよ。出口知らねぇならそれで。……俺1人でワイバーンと戦って来っから」
3人の歳の差は殆ど無いように見える。
だからこそ、人より成熟したマゼンタは率先して貧乏くじを引いた。
目を泳がせて言葉を探すミミルに、「気にすんな」と笑い掛けたマゼンタ。
踵を返したマゼンタの手首を、しーちゃんが強く掴む。
「座んなさいよ、死にたがり。こいつの魔法無くして勝てる相手じゃないわよ」
ワイバーンの討伐を「簡単」と言ったかと思えば、今度は「ミミルが居なけりゃ勝てない」と言う。
何処か確証めいた彼女の声音を拾ったマゼンタは、「根拠は?」と問いながら彼女へ向き直った。
「だって私がそう思うから」
「あっそ」
彼女に聞いたのが間違いだったと後悔したマゼンタは、手を振り払って妖刀へ炎を纏わせた。
一方、手を振り解かれた拍子に地面へと倒れたしーちゃんは、真っ赤に腫れた鼻を両手で抑えながら「フルフル」と肩を震わせる。
「怒鳴るんだろうな」と思い、苦笑いをしーちゃんに向けていたミミルは、振り返った彼女の鋭い瞳に魅入られて「ヒッ」と息を呑んだ。
「あれがあんたの為に無茶してるのに何嗤ってんの? あんたの我儘であいつが死んだら責任取れるの?」
しーちゃんの強い口調に怯んだミミルは、図星を指された事で体を強張らせた。
マゼンタが1人で戦うと言った時、ミミルは内心喜んでいた。
自分に被害が及ばず、リスクを負わずに帰れるかもしれない。
そんな邪な気持ちを見透かされた彼は、真実から目を逸らす様にしーちゃんから顔を背けた。
「……わ、私は……一緒に戦っても足手纏いだろうし、邪魔になっちゃうから。それで仲間から見放されて……親からも期待されてないし……」
――パシーン!――
「モゴモゴ」と言い淀んだミミルの頬に、強い衝撃が加わった。
しーちゃんから平手打ちを食らったと気付いたミミルは、「ジンジン」と痛む頬と眩む視界に驚いて口をあんぐりと開けた。
「無い物ねだりして馬鹿言わないで! ……あんたがそんなんじゃ、私がもっと惨めじゃない」
目頭に涙を溜めたしーちゃんは、マゼンタの背を追う様にその場から逃げ去った。
「……だって、怖いものは怖いよ」
膝を抱えて座り込んだミミルは、遠くから聞こえる爆発音と微かに揺れる地面に意識を割いた。
こうして蹲ってる間も、マゼンタは勇敢にワイバーンへ立ち向かっている。
ミミルの脳裏に過ったのは、幼い頃の読み聞かせ。
「勇者様は決して仲間を見捨てなかった……!」
震える手が杖を「カラン」と地面へ落とす。
それを拾い上げたミミルは、二度と杖を離せない様に、破れた布で手と杖をグルグル巻きにした。
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これは突拍子もない彼女の物語。
再び炎を纏ったワイバーンの口端からは、黒と赤の混じった炎が噴き上げた。
次回更新は2026/03/15を予定しています
2026/03/08訂正:桃色→桜色




