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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第1章ー始動編ー
6/55

これは幼い彼の物語

 少年にはただ1人、愛すべき幼馴染が居る。

 ――俺が必ずリアスを護るから――

 途方も無い約束を守るために彼は敵に立ち向かう。その手は強大な炎に包まれていた。




「このおっきいのが記号さんの取り分だね!」


 記号は咲き誇る笑顔を携えて、身の丈に合わないサイズの芋を頬張った。

 そんな彼女の隣に座るグレンは、焼き芋を食べながら一通の手紙を読んでる。


「あれ、全部燃やしたんじゃなかったの?」


 不要な手紙を仕分けたのは、他ならぬシロである。

 そのため彼は、グレンが手にした「装飾の少ない手紙」に見覚えがあった。

 シロが興味を示すものと言えば魔法関連であり、これも例によってその類の代物だった。

 薄っすらと残った魔力は、その手紙が魔法で届けられた事を如実に示している。

 シロは興味本位で読んだ手紙の内容に、東の魔女に対しての言及が含まれていたなと思い返す。

 さりとて、「もう自分には関係のないことだ」と彼は魔法によって生成した氷で、芋を冷ました。

 グレンは手紙を読み終えたのか、視線を遠くへと運んだ。

 視線の先に居る人物は背を向けている為、彼女の視線に気が付くことはない。


「ヤーミー」


 グレンは、いつまでも背を向けてシクシクと泣いている仕人に適当な声を掛けた。

 大好きな主人に呼ばれては、振り向かざるを得ない。

 大きく息を吸って気分を上げた長身の彼は、袖で涙を拭って笑顔で振り向く。

 が、すぐさまその取り繕われた表情は、みるみると沈んでいった。


「あ、あかん。返して主さん」


「知らん。なんでこれをすぐに私に渡さなかった」


 ヤミはグレンの手元にある手紙を見て、驚愕している。

 第三者が見れば気づくことは無かっただろう。

 平常通りだと思えるグレンの表情に、怒りが滲み出ている事を仕人だけが感づいた。

 そんな彼らの様子に「不貞以上の秘密があったのか」と気になったシロだが、それより芋を冷ますのが先決だと風を起こす。

 芯まで熱のこもった焼き芋を前に、彼は悪戦苦闘していた。


「もしかして熱いの苦手?」


「そんなはずないよ。猫じゃあるまいし」


 更に熱を下げるべく氷の量を増やしたシロは、熱い芋を頬張る記号に対して強気な返事をした。

 シロは「問題ない」と冷や汗を掻きながら、まだ湯気の立ち込める芋を一気に頬張った。

 そして舌へ触れた熱に驚いた彼は、涙を浮かべながら焼き芋を空高く放り投げた。


「ホームラン!勝者シロシロ!」


 口を拭うシロの手首を無理やり掴み上げて、記号が宣言する。

 彼女に呼応する様に何故かシロも得意気にキリッとした横顔を見せる。


「ちゃんと拾えよ」


 いつの間にか、いつものように仕人を足蹴にしているグレンは、彼らの保護者として一応礼儀を教えるのであった。

 



 グレンは草1つ生えていない岩壁を、重力に逆らいながら勢いよく登る。

 飛んでしまえば楽なのだろうが、それをしないのはヤミにペースを合わせる為だ。

 刀を背にした仕人は、飛び出した岩を掴み、自身の体を軽々と持ち上げている。


「本当にこの先に村があるのか?」


 蠍を腕に這わせながら、岩の上に立つグレンは言う。


「小規模の集落やから位置知らんと見つからんやろな」


 グレンは壁の先に魔力を集中させて人の気配を伺うが、魔力を感知できない。

 「この男が虚言を呈してるのでは」とヤミを見下すが、彼が自分に不利益を(もたら)すはずがないと思い、首を横に振った。

 しかしながら「ヤミの壁を登るペースが遅い」とグレンは口角を下げてため息をついた。

 彼女は暇を持て余して仕方がないので、蠍をヤミの頭部に添えて遊ぶことにする。

 「ぎゃあ」と悲鳴を上げて遠く離れた地面に落下していった仕人を見た彼女は、だらしがないと頭を抱えた。

 ヤミの移動が遅い原因は、彼女による遅延行為の所為であったが、そのことに自覚を持っていないグレンは鼻歌を歌いながら、ヤミが戻ってくるまで次に頭に乗せる獲物を探し始めた。

 しかし、閑散とした岩壁に生き物の気配はない。

 グレンは「先程ヤミに添えた蠍はいつから自分の手元にあったのか」と疑問に思いつつ、遠く離れた仕人の大きさを指で測る。

 第一関節ほどのサイズに落ち着いた彼は、文句ひとつ言わずに黙々とグレンの方へと移動していた。

 忠義的な彼を前に冷酷な彼女の心が動くはずもなく、飽きを覚えたグレンは、短気を露わにして岩から足を浮かせた。

 「鳥の様に美しく飛んでいる」とは言い難いが、不自然さもなく彼女は宙へと浮かぶ。

 彼女は段差を登る様に宙を蹴って上空へ向かい、呆気なく岩壁を超えた先の景色を見た。


 「うわー酔いそう」


 景色を見た彼女の反応は、この一言に尽きる。

 壁と同じく、殺風景な岩肌が目の前に広がっていた。

 寸分の狂いもないその景色は、まるで自分が岩壁に立って居るかの様な錯覚を与えて彼女の三半規管を刺激した。


「うん?あれは……」


 彼女がそんな変哲もない空間でふと目にしたのは、地面に浮かび上がった魔法陣の一部だった。

 それは無限に続く透明な壁を作り上げている。

 余りにも巨大な壁は現実味が無く、距離を測る事は難しい。

 その為、グレンは暗闇で光を探す如く、何もない空間に手を伸ばした。

 フラフラと数十歩進んだ先で、彼女の全身に鋭い痛みが走る。

 反射的に腕を下げたグレンは、身を低くして痛みの残る指先を睨み付ける。


「気に食わねぇ真似しやがって」


 眉間に皺を寄せたグレンは、拳に魔力を集中させた。

 瞬間、水色の光が放たれた空間に、鈍い音が響き渡る。

 予想に反した低い打音にグレンが首を傾げていると、土煙の中から声がした。


「穏便に行きましょう主さん」


 いつの間にか壁を登りきったヤミが、彼女の正面に跪いていた。

 その両手には刀の鞘が握られており、その刀身の中央部には、結界に向けたグレンの拳が重なっている。


「邪魔すんじゃねぇよ」


 口を尖らせて睨みつける主人を「可愛い」と嗜めた仕人の体は、地面へと崩れ落ちた。

 それは行き場を失ったグレンの拳が軌道を変え、彼の鳩尾に突き刺さった事が原因だろう。

 グレンは足元で蹲る彼の黒い髪を掴んで、顔を覗き込む。

 息巻きながら魔法陣を指差した彼女は、相当ご立腹の様だ。


「人の事を呼び出しておいていい身分じゃねぇか。博愛は自分が困ってるから私を呼んだんだろうが」


 手紙の受取人であったヤミは「呼ばれたのは俺です」とは決して口にしない。

 主人の間違いを正す気の無い彼は、ただひたすらニコニコと貼り付けた笑顔で、停止していた。

 物言わぬ彼に痺れを切らしたグレンは、肩を落としながら腕を組む。

 飽き性な彼女がこうして諦めることも、承知の上だろうか。

 ヤミは土を払いながら立ち上がると、彼女の次の行動を見守った。


「なんとかしろヤミ」


 グレンは駄々を捏ねる子供のように頬を膨らませて、彼に全てを任せた。

 「主人の命令なら喜んで従いましょう」と警戒心もなく結界に触れるヤミ。

 結界に弾かれた痛みで大袈裟に声を上げるのだろうと予想していたグレンは、ヤミの動きを見て呆気にとられた。

 彼の体は何の抵抗もなく、結界の中へと抜けたのだ。

 それを見た2人は、互いに目を合わせて意思疎通をする。

 共有魔法(テレパス)を使用する必要もなく、彼らの意見は一致していた。


怨霊(ギフト)対策やな」


「入れん、早くしろ」 


 どうやって主人を結界内に入れようかと考えるヤミをグレンは急かした。

 拳を握りしめた彼女は、今にも結界を破壊しそうだ。

 ヤミは一歩下がって結界を観察する。

 手紙には「森の方面に怨霊が現れた」と書いてあったはずだと彼は思い出した。

 ほぼ一直線に見える魔法陣は、僅かながらに湾曲している。

 となると、村全体を円状に囲っているこの結界を破壊してしまえば、怨霊を村に招き入れることになるだろう。

 「となると主人に破壊させるのは危険極まりないな」とヤミは冷静に判断した。

 何かに納得した様に頷いたヤミは刀を抜き、主人に向かって縦に構えた。

 グレンはその行動に驚きもせず次手を見守る。

 勢いを調節して振り下ろされた切先は、グレンの数㎝手前の空気を切り裂いた。

 結界に彼女が通れるサイズの裂傷を作ったヤミは、グレンを招き入れようと手を差し伸べる。

 手を差し伸べられた当人は彼に構わず、結界の傷が治りきる前に中へと足を踏み入れた。

 縦に裂かれた結界は彼女が通った後、何事も無かったかのように素早く修復を始めた。

 被害を最小限に抑えた優秀な剣士は、自分に構わず歩みを進める主人の後ろを付いて行く。

 グレンは景色の変わらぬ広大な土地を、迷うことなく一直線に進む。

 一か所に固まった魔力の気配に、集落はすぐ傍に在るのだと確信しての事だった。

 



 突然の来訪者に村人は警戒を強めた。

 「気を遣って正面入り口に回り込んだのが裏目に出たのか」とグレンは思う。

 彼女らの視界に映った木材で作られた罠と堀は、その村の武力の足りなさを物語っていた。

 距離を置いてこちらを伺う村人たちに事情を説明しようとグレンが口を動かしたタイミングで、彼らの後ろから年老いた男性が慌てて駆け寄ってきた。


「リリィ様より事情は伺っております。どうぞこちらへ」


 皺だらけの手を細い道に示すと、彼はゆっくりと歩き始めた。

 グレンは好奇の目に晒されるよりマシだろうと老人の指示に従う事にした。

 ハウサトレスの建物は主にレンガで作られていたが、この村は木造建築が主流の様だ。

 ほとんどの家が平屋で、玄関は低い。

 開け放たれた出入り口から飛び出そうとした子供達は、その親らに堰き止められていた。

 外を知らない村人たちは、見覚えのない顔に不安を抱いているのだろう。

 専ら彼らは背の高く目つきの悪い男を警戒していた。

 それもそのはず、ヤミが主人の敵になりそうな者を炙り出そうと構えていたからだ。

 殺意を撒き散らすヤミが居れば自分は目立たない。そう判断したグレンは暑苦しいフードを脱いだ。

 光を吸収した頭髪が黒に朱色を混ぜる。

 その美しい女性を見た彼らは、ヤミを警戒する事を忘れて、グレンに目を奪われた。

 彼らの視線を察したグレンは「しまった」とフードを深く被り直し下を向いた。

 グレンの魔力の操作はシロより上手であるが、一点苦手な分野が存在した。

 それは記号と同じく固有魔法の出力調整だ。

 可愛らしい友人と同じく魅了(チャーム)を持つグレンは、溜息を漏らす。


 「今日はダメな日なのかな」


 グレンの魅了は記号と違ってムラのある魔法であった。

 極端に人に好かれることがあれば逆に、極端に嫌われることもある。

 「嫌われないだけマシな日なのだろう」とグレンは視線を上に戻した。

 先を行く老人が、住宅地から外れた緩やかな坂を登り始めたので彼女は足早にその背中を追いかけた。

 坂の上には他と違い背の高い建物が聳え立っている。

 おそらくここが村で一番大きな建造物であろうとグレンは考えた。

 全体を見渡していた彼女の視界に、建物の傍へ立つ齢十程の少年が映った。

 猫目を協調する真ん中分けの前髪に、右頬に書かれた牙の紋様。

 素朴な衣服は他の村人たちより見窄(みすぼ)らしく感じられたが、その瞳は下人とは思えない程力強く輝いていた。

 グレンと目が合った少年は、一目散に逃げ出す。

 そんな彼女の視線を追う仕人は、逃げ去る子供を注意深く観察した。

 ヤミは少年の手のひらが血豆だらけなことに気付いたが、それ以外変わった様子はない事に安堵する。

 彼が主人にとって脅威にはならないと判断したヤミは、すぐに興味を失い外方(そっぽ)を向いた。



 

「おや、東の魔女自ら出向くとは予想外ですね」


 優しい口調で話す女性は、床からの挨拶に対する非礼を詫びながら力無く微笑んだ。

 グレンはそんな彼女の正面に勢いよく胡座を描き、態度悪く肘を付いた後に不敵な笑みを浮かべた。


「ざまあねぇな博愛の巫女」


 息も絶え絶えな彼女を見て、グレンは上機嫌だ。

 リリィの体を巡る魔力は頗る弱っていた。彼女の命が長く無い事は、誰が見ても察せるだろう。

 ヤミは部屋の出口警備をする為に、入り口を背に刀を抱えて座り込む。

 室内には魔女と巫女。まともな感性の人間が居合わせれば卒倒するであろう空間だ。


「お恥ずかしい限り、何も成せずに引き継ぎを終えてしまいました。私リリィは、器の前任者にあたります」


 数日前に娘へ力を移したと言うリリィに「面白くない」とグレンは顔を歪めた。


「じゃあそいつに怨霊を倒させればいいだろう。ヤミは私の道具だ。勝手に持ち出さないでくれ」


 グレンは彼女からの手紙に「村を囲む怨霊を倒してくれ」と記されていた為、弱った博愛の巫女が拝めるのだろうと期待していた。

 しかし、力ある巫女がいるなら話は別だ。

 そもそも自分の従者を勝手に使われることに、苛立ちすら感じていた。

 リリィはそんなグレンの思考を読み取ったのか、下から覗き込み慈しむ様な目線を送る。


「そんなにヤミさんが大事ですか?」


「バカ言え。預かり知らぬところで巫女に手を貸すのが許せねぇだけだ」


 「こんな下らない世間話を仕人に聞かせるべきではない」とグレンは彼の方へと振り向いたが、小声で話す内容はヤミの耳には届いていないのか、彼が動く様子はなかった。

 「なーんだ面白くないな」と親しい友人の如くリリィが手を上げた。

 馴れ馴れしいその様相に付き合いきれないと感じたグレンは、この場を去る理由を探す。

「現任の巫女に会わせろ。怨霊のことで話がしたい」

 前任者が何を思おうと、女神の意志の前では通用しない。

 グレンが知るべきは女神本人が今後どう動きたいかだ。

 魔女の言葉を聞いたリリィは、顎に手を当てて暫く思案した。


「貴方と会う前にヤミさんと話をさせてください」


 リリィの言葉の意味を模索したグレンは「ああ」と納得した。

 グレンは彼女が本来呼びたかった相手はヤミであることを承知している。

 床に伏せてはいるが彼女が若く美しい女性に変わりない為に、いつもの面倒な痴話だとグレンは予想した。

 それくらいなら構わないとグレンはヤミに声を掛けようとしたが、リリィがそれを遮った。


「違います。現任の娘リアスとヤミさんが話す時間を設けたいのです」


「こ……子供に手を出したのか彼奴は!?」


「ちゃいます!俺は主さん一筋です!」


 グレンの震え慄く声を前に、真面目に警備をしていたヤミが素早く振り返り弁明した。

 言葉選びが不適切だったのか「一筋」などと言うあり得ない回答に、グレンは冷たい目をヤミに向ける。


「まあ、好きにしなよ。私を巻き込まないならそれでいいから」


 ちゃいますと涙ながらに訴えるヤミを置いて、グレンはリリィの寝室から立ち去った。


 


 幾許か暇な時間を得たグレンは、玄関口から坂を見下ろす。

 閉鎖的な村の住民は、娯楽に飢えているのだろう。噂好きな彼らが遠くでこちらを伺っていた。

 グレンは「まいったな」と頭を掻き、自分の居場所を探すことにした。

 わざわざリリィが自分に席を外させたのだから、よっぽど耳に入れたくない話なのだろう。

 となれば室内には居られない。正面を見物人に塞がれたグレンの足は、自然と建物の裏に向かった。

 建造物の影になった場所はさぞかし静かなのだろうと思っていたが、予想を裏切る様に「ブンブン」と繰り返す音が耳に付いた。

 「あれは先程の少年だ」とグレンは思う。

 燃えるような頭髪の彼は、一点を見つめて修行に励んでいた。

 木刀を構えた少年を観察するべくグレンが身を乗り出すと、「ガサッ」と彼女のローブが手入れされていない雑草に触れた。

 少年の揺れる瞳がすぐさまグレンの方へと向く。

 突然の事で驚いたのか、少年は一言も発さずにグレンを見続けた。

 サラサラと木の葉を撫でる風の音だけがこだましている。

 時間で表せば数秒の刻であったが、お互いを観察するには十分な時間だろう。

 少年はその歳に似合わぬ程の隈を、目の周りに携えていた。

 そして素振りの為に荒れた手は言わずもがな、膝小僧にも沢山の痣と擦り傷が目立っている。

 何故幼い彼がそこまで追い詰められた様子なのか、グレンはその答えに覚えがあった。

 百年前に自分を断罪した博愛の巫女には、専属の護衛が付いていた。

 そしてそれは百年前だけではない。どの時代においても、博愛の巫女は必ず人間を護衛に置いていた。

 グレンは「器と年の近い男を侍らせるのが博愛の巫女の性格なのだろう」と1人納得する。

 さすれば引き継ぎを終えた新たな巫女が、怨霊を野放しにしている理由に合点がいった。

 彼と似通った歳ならば、巫女としてその使命を全うすのは難しいだろう。

 引き継ぎで万事解決したと思っていたが、事はそう簡単ではなさそうだ。


「いつまで見てんだよ!クソババア!」


 黙りこくった空気に痺れを切らした少年が、叫び声を上げる。

 静けさが辺りを占めていた空間にピシッと亀裂が入った。


「ほぉーん、そう。誰に喧嘩売ってんのか分かってんのかクソガキ」


 怒りを腕組みで抑えつつ、グレンは静かに答えた。

 長年生きてきた彼女にも、それなりの美意識が残っているのだろうか。

 いや、彼女はきっと人に喧嘩を売られたことで怒っているのだろう。


「お前、なんか気味悪くて嫌いだ」


「んなボロボロで木刀振ってるテメェの方が不気味だろうが」


 口の悪い女性を前に、少年――マゼンタはより一層近寄り難さを感じた。

 彼が今まで関わってきた異性といえば、リリィやリアスといった大人しく柔らかい態度の人ばかりであった。

 それ故に、男の様に無作法なグレンが嫌で堪らなかった。

 そしてこの女は村を脅かす存在だと確信したマゼンタは、尚もグレンに強く当たる。


「怨霊の討伐くらいゼノさん1人で事足りるんだ。さっさと帰れよババア」


 グレンは再び自分を「ババア」と呼んだ少年に腹を立てた。

 しかし、彼の発言に気になる点あったので、会話を続けようと怒りを抑えた。

 震えて言葉を飲み込んでいるグレンを見た少年は、何も言い返してこないと判断して、勝ち誇ったようにニヤリと彼女を見下した。

 突如少年の視界は揺らぎ、その場に倒れこむ。

 マゼンタは地面と体が衝突した時に、自分の頭部が殴られたのだと気付いた。

 我慢も虚しく、グレンの短気は抑えられなかた様だ。


「暴力女!さっさと帰れよ!」


 痛む頭を摩りながら、マゼンタは空いた手で砂利を掴み取りグレンへと投げる。

 彼女は嫌そうにその砂を振り落とし、キリがないと少年と距離を置いた。

 彼女はそのまま裏庭から立ち去ろうとしたが、一言彼に伝えなければならない思い、立ち止まった。


「その男もう死んでるだろうぜ」


 グレンの言葉は推量ではなく推測。

 確信に至るまでの経緯が読めないマゼンタは、絶句し目を見開いたまま項垂れる。

 態度の悪い子供に一矢報いたグレンは、そろそろヤミたちの話を盗み聞いてもバレない頃合いだろうと浮き足だって進む。

 すると突然、何かが彼女の後頭部を強く打った。

 カランと音を立てて地面に落ちたのは、マゼンタが握っていた木刀だ。


「テメェも暴力振ってんじゃねぇか!打ちどころが悪かったら死ぬだろうが」


「ババアが死んでも俺には関係ねぇよ!」


 裏返った声が響き渡り、彼らは再び対峙した。

 意地を張った子供の体は、小刻みに揺れ動き今にも倒れそうだ。


「ゼノさんはなあ、ずっとリリィ様を1人で護ってきたんだ。盗賊に襲われた時も返り討ちにしてかっこ良かったんだぜ。そんなゼノさんが死ぬ訳ねぇ。出鱈目言って俺たちの邪魔すんじゃねぇよ!」


 歯を食いしばって涙を堪える少年に、グレンは冷たい視線を投げかける。

 彼がどのような過去を生きてきたかなんて、興味がない。

 ただ許せないのは、自分に危害を喰わえたことだけだった。

 彼女は木刀を拾い上げて少年の足元に投げると、手のひらを裏返して挑発する。


「勝手なこと言われたくないなら掛かって来いよ」


 久々の暴力に血が疼くのを感じた魔女は楽しそうだ。

 マゼンタは彼女の様子から目を離さずに、武器を握り直すと一気に地面を蹴った。

 リーチの短い小さな体を物ともせず、その切先をグレンの腰に押し当てる。

 彼女はその攻撃を横に流して、マゼンタの肩にそっと触れた。

 重心を崩された少年は、勢いのまま地面へと転がる。


「おんやーその程度か。魔法くらい使えよガキ」


 子供相手に容赦などするつもりのない魔女は、さらに彼を(けしか)けた。

 マゼンタは負けじと木刀を地面に突き立てて素早く立ち上がると、作法もなくそれを振る。

 勢いのない木刀は容易に躱せるだろうが、グレンはわざとそれを握りしめた。

 武器を封じられた少年は、それを剥がそうと必死に力を込めるがビクともしない。


「こんの怪力女が……」


 マゼンタは自身の腕の血管が浮かび上がる程の力で(つか)を握るが、事態は好転しない。

 グレンは腕を手前に引き、少年に顔を近づける。


「……その魔力、使わないなら無理やり外してやろう」


 グレンは空いた手でマゼンタの頬にある紋様をなぞった。

 紋様は微かな光を帯びて、マゼンタに激痛を与える。


「……ぐあっ」


 痛みに転げる彼の瞳は、魔力の質量に押されて赤く変色し始めた。


「俺の体に何しやがった!」


 意識を失いそうな程の痛みの中、マゼンタは彼女のローブを握り締めて抵抗の意を示す。

 魔女は高笑いすると「枷を外しただけだ」と楽しそうに呟いた。


「ほら!もう一度武器を振ってみろよ」


 奪った武器を再び彼の目の前に差し出したグレンは、少年に背を向けて岩壁を眺める。

 マゼンタはこれみよがしに隙を作った彼女に向かって、覚束無い走り込みで木刀を縦に振った。

 刀身が届かない距離で振ったにも関わらず、マゼンタの一撃は彼女を貫通して、岩の一部に亀裂を入れた。

 その亀裂はマゼンタが振った向きに等しく、攻撃の余波がそこまで到達したことを表している。


「へぇそれなりに使えそうだ」


 魔女は無傷のまま、興味深そうに岩壁を眺めている。

 その背中を見ていたマゼンタは、感じた事のない感覚に襲われた。

 それは「内面から湧き出す熱」が全身を包む違和感だった。

 風邪を引いた時のようなボヤッとした頭痛に似た症状は、腕へと伝播していく。

 マゼンタは自身の右腕から刀の先まで真っ赤な炎が燃え上がっているのを見て、熱の正体を知る。


「俺の魔力なのか?」


 少年は膨大な量の魔力に驚いた。

 それと同時に、マゼンタは無理だと塞ぎ込んでいた欲を駆り立てる。

 

 ――この力があれば、俺も怨霊と戦えるのではないか――

 

 そう思った少年は、不慣れな量の魔力を操作して木刀へと集中させる。


溶解の炎(フュージョンフレイム)


 直感的に詠唱を省略して技名を叫んだマゼンタ。

 斬撃は炎を乗せて、グレン含めた辺り一帯を襲うと、「ドゴン」と重量のある音と共に噴煙が立ち込めた。

 熱を帯びた一撃は、建物を超えて坂を下り、方々に散って悲鳴を生み出す。

 岩壁を燃やすどころが人へ被害を(もたら)したそれを前に、双方気まずそうに目配せした。


「おいこれお前の所為だからな!」


「ええっ!私関係ないじゃん!」


「ってかなんでお前無傷なんだよ!!」


 マゼンタは裂傷を受けたはずの魔女が、何食わぬ顔でそこに立っているのが許せなかった。

 しかしながら、今はそれどころじゃない。

 村の被害状況を把握しようと、顔を真っ青に染めたマゼンタは走り始めた。

 少年は建物のすぐ横を通り過ぎようとした時、目を腫らしたリアスが外の様子を伺っているのに気が付いた。


「リアス!どうしたんだよその目」


 村は気になるが、それより優先すべきは自身の主人だ。

 小さな手を胸の前で握りしめる彼女は、いつも以上に幼く感じられた。


「母様が先程息を引き取りました」


 リアスは震える全身を誤魔化すように胸を張った。

 いつかは訪れると覚悟していた結末でも、悲しさは誤魔化せない。

 腫れた目に再び涙を溜めたリアスは、マゼンタにまだ伝える事があると息を整える。

 必死に言葉を吐き出そうとする彼女の様子を見たマゼンタは、その小さな肩にそっと触れた。


「村の結界が無くなったんだな」


 キツく下を向いていたリアスの眉が広がった。

 自身が言うべき言葉を肩代わりしてくれた幼馴染を前に、抑えていたはずの涙が溢れ出た。


「大丈夫!俺が必ずリアスを護るから」


 リリィやゼノが打ち倒せなかった強大な敵――怨霊。

 勝ち目のない戦いに挑むマゼンタには、今にも消えそうな希望が握られていた。

 魔女に無理やりこじ開けられた魔力が、未だ腕全体に宿り続けている。

 この力があれば怨霊に立ち向かえるはずだ。

 依然ゼノの行方はわからず、結界の要であるリリィも居ない。

 武力の無いこの村で戦えるのは、自分だけだと覚悟を決めた。




 これは幼い彼の物語。幼馴染を護る為なら彼は悪魔にだって負けはしないだろう。

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