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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第3章ー傲慢奇襲編ー
55/64

これは正しい彼の物語


 彼女は暖かさが好きだった。

 体を巡る氷属性の冷気が、彼女の指先を冷やして孤独を浮き彫りにする。

 遠い昔、雪の降り積もる大地で、胎児の様に身を包まれていた記憶は、彼女にとっての初めての暖だった。


 ――――――――――――――――――――


 

「身を焦ぐ炎に旧来の灯。先を閉ざして融解の魂を燃やせ。烈火(コンフラグレーション)


 人型の獣――ユスフの灰色の毛が、炎に包まれて焦げた匂いを漂わせる。

 最大火力の炎魔法は、術者を燃やしながら「メラメラ」と立ち昇っていた。


『……寒い』


 敵対するグレンは、意識と無意識の境界で過去の夢を見ている。

 顔を覆うベールの隙間から漏れた氷を含む白い吐息が、ユスフの炎へ触れて蒸発した。


『……ねぇ、どうして私を1人にしたの?ずっと一緒だって……言ったのに……』


 愛おし気にユスフへ手を伸ばしたグレンは、彼の頬へと娼婦(しょうふ)みたく縋り付こうとする。

 だが、俊敏な獣は誘惑に屈さず、力任せに彼女の頬を殴り飛ばした。

 「ガン!」という鈍い音と共に、蝿達が一斉に宿主を護ろうと忙しなく動いた。

 力無く倒れたグレンを起こした蝿は、各々が意志を持っているのか、彼女の命令無しに隊列を変えた。

 ある蝿は、主を護る盾に。

 ある蝿は、敵を食い殺す武器に。

 グレンの体を離れた蝿は、ユスフの烈火に燃やされようとも、攻撃の手を止めなかった。

 数を減らした蝿が次第に、ベールへ包まれた暴食の悪魔の素顔を曝け出す。

 悪魔特有の赤い瞳に黒い肌。

 だが、その表情は悪魔らしくない不安と後悔に満ちていた。


「正当性の芝居。後ろめたさがあれば、罪を犯しても良いと考えているのでしょうが、お門違いにも程があります。貴女こそ正しく『悪魔』そのもの」


 (うれ)う女性に手を差し伸べる優しさは、現状彼の命取りとなる。

 爪を立てる獣の動きを「ケタケタ」と笑いながら眺める悪魔は、策を見破られた事に大層満足気だった。

 蝿を操り巨大な鎌を作った彼女は、スカートの裾を持ち上げて挨拶でもするかの様に「クルリ」と回った。

 振り下ろされた鎌がユスフを直撃したが、防御が間に合った事で彼は一命を取り留めている。


「強烈な打撃。貴女がこれ程なら、そちらの悪魔の底が知れませんね――」


 ユスフが兄さんへと視線を向ける。

 彼は濡れた肌が気に食わないのか、相変わらず汚れたハンカチでずっと胸を擦っていた。

 

 「――貴女は私に正しさを求めました。最後ですから、お教えしましょう」


 ユスフの言葉を遮る様に、グレンから伸びた複数の蝿が彼を包み込み、体を締め上げた。

 回避の遅れた彼は一瞬苦い表情を見せるも、瞬時にオオカミへと変化する。

 姿の変わった敵を取り(こぼ)した蝿は、統率を失って空中で霧散した。

 それを隙と捉えた獣は、四足で蝿の女王へと突進する。

 悪魔の力を操れど、彼女の本体は人間の体。

 光と(まが)う速度の彼を見失ったグレンは、強力な打撃で呼吸を忘れる。

 顎が外れる程口を広げて「ぜぇはぁ」と息をするグレンの口の中へと、蝿が次々と潜り込んだ。


『がぼっ、がぱっ……』


 おおよそ言葉ではない呻き声を漏らした彼女は、飲み込んだ蝿を惜しむ様に舌なめずりをする。


「無知に笑止。……どこまでも化け物ですね」


 グレンが内臓を再生する間に、ユスフは彼女を囲う魔法陣を炎の軌跡で描く。

 その魔法陣の紋様は、通常より細微で純度の高い魔力で練り上げられていた。

 完成を間近に迎えた魔法の効力で、周囲が神域に近い澄んだ空気で包み込まれる。

 

「『極地魔法ポウラーマジック』かぁ。ハハッ、いくら獣人が神に愛されていると言っても、1人で補うには負荷が有り過ぎて、発動前に死んじゃうよー」


 傍観を決め込んでいた兄さんが、ユスフへと忠告をした。

 彼の言う通り、魔法を練り上げただけの獣は、今にも死んでしまいそうだ。

 オオカミの割れた肌からは神聖な光が漏れ出し、吐いた血が地面へ届く前に粒子へと姿を変える。

 だが、命の前借をした獣は、満足そうに「ニヤリ」と笑っていた。


「望むは有終の美。私の戦果で悪魔の息の根が止まるなら本望です。さあ、悪魔共々死にましょう」


 残す者も惜しむ過去もない。

 ユスフの割れた脚が、体を地面へと投げ出した。

 彼の視界の端に映るのは、「ボタボタ」と涎を垂らして獣の腹を貪る女王の姿だった。

 2体の悪魔を閉じ込めた魔法陣は、発動の時を今か今かと待ち侘びている。


「……貴女に正当を。意志も無く臓物を貪る悪魔よ。世界の正しさは貴女ありで語れません――」


 ユスフの言葉の端々から、『極地魔法ポウラーマジック』に必要な魔力が漏れ出す。

 口から溢れた泡は魔法陣の五芒星の頂点へと移動し、満ちる時を迎えた。


「――正しくありたくば死になさい。どうか……世界に平和を……『主神の導テトラグラマトン・ヘルフェン』」


 強力な魔法へ魔力を回した事で、火属性の魔法が徐々に力を収めていく。

 悪魔から遠ざけた丘がユスフ見つめる先に在り、頂上から覗く柏の葉が足元の2人を想起させた。

 ――強い光が世界を白く染め上げる。

 楽しかった思い出がユスフの脳内に駆け巡り、死へと向かう幻覚が彼を見下ろしていた。

 体の軽くなった獣は、両手を愛する人に預けた。

 右手を握った従姉は、「よく頑張ったわね」と彼の勇姿を称えていた。

 左手を握った若君は、「お前は優秀な神官だ」と力強く頷いた。

 涙で「ぐしゃぐしゃ」になったユスフは、「お役に立てて光栄です」と静かに呟いた。


 ――――――――――――――――――――

 

 グレンよりも短い人生を生きた彼は、最後の手向(たむ)けに消えない言葉を残した。

 マグマが「グツグツ」と燃える地下から這い上がった兄さんは、擦り剥いた肘の汚れを払いながら、大穴の中央で羽ばたく蝿の女王へと振り返った。

 ユスフが命と引き換えに発動した『極地魔法ポウラーマジック』は、奇しくも悪魔を仕留め切れなかった。

 だが、()()()()()()()()()が、その規模の大きさを物語っている。

 ユスフも規格外の戦力を誇っていたが、それを上回る強さが憤怒と暴食の悪魔にあった。


「あ、落ちちゃう」


 大穴の縁に座り込んだ兄さんが、頭から空洞を目指すグレンを猿の尾で絡め取った。

 「ズシャッ」と大雑把に柏の木方向へグレンを投げた兄さんは、彼女の様子を確かめようと歩み出す。


「わだしが……ぐずっ……またっ……全部っ壊して……」


 「ズズズ」と鼻を(すす)って大粒の涙を流すグレンは、右腕を目元に被せて嗚咽(おえつ)を漏らす。

 左腕は肘から先が無く、両足は3度熱傷で完全に壊死していた。

 彼女が致命傷を負おうとも決して死なないのは、内にある悪魔が体を生かしているから。

 空腹で悲鳴を上げる蝿が、近場にある2体の獣を喫食し始めた頃、足を引き()った兄さんが上向きで倒れる彼女に覆い被さった。


「アハッ、アハハ。楽しかったね。(たま)には獣人で遊ぶのも良いかも。どうせすぐに繁殖するんだし、外界から戻った獣が増えた頃に、またデートしよ?」


 可愛らしく首を傾げた兄さんは、泣く事で精一杯なグレンへ少しずつ腹を立てる。

 忙しなく動く喉を両手で締め上げた彼は、恨めしそうに彼女の瞳を覗き込んだ。

 「うっ」と息を詰まらせたグレンが、反射的に兄の腕を掴むも、片腕だけでは抵抗も(まま)ならない。


「隠しちゃダメだよ。君が苦しむ姿は僕だけのものなんだから。……なんっで分かんないかなー。僕がこーんっなに君を愛してるのに……」


 怒りに任せて力を籠めた兄さんは、思いついた様子で彼女から手を離した。

 咳き込んで起き上がろうとするグレンの体を押さえた彼は、熱で「ボロボロ」になった彼女の服を破り始める。


「そっかー愛情だよねー。僕も……に習って純粋に君を愛してみよっかなー。人間はこれが1番好きなんだよね?」


 一通り彼女の服を脱がした兄さんは、己の下半身へと手を伸ばす。

 その意味を察したグレンが片腕で抵抗するも、にこやかな彼に足首を掴まれ、強制的に体の自由を奪われた。

 グレンが恐怖で浅い呼吸を繰り返すも、その悲劇を止める手立てはない。

 

「悪魔同士の子供は悪魔になるのかな?ちゃんと確かめてからレヴィを壊せば良かった。……でも、君はすぐに壊れないよね?アハッ!何回殺せば壊れるか実験しよう!」


 「ニコッ」と笑った兄さんは、そこで「カクン」と頭を前に倒した。

 次の瞬間、普段は狐目に隠している黒い瞳が、一瞬だけ世界を覗き込む。

 寝覚めの悪い人の様に、「ううー」と低く唸りながら整えた髪を搔き乱すと、両手で顔を覆って舌打ちをした。

 実の兄も、憤怒の悪魔(サタン)も見せない不機嫌そうな様子に、グレンは意味も分からず唖然としている。


「僕は胸の大きい女性が好きなの!なのに()はそんなのお構いなしでさ!温厚な僕でも怒っちゃ……いてっ!いててて!はぁ!?足折れてるし、なんか顔攣る……破傷風?あー呼吸もし辛い、絶対犬から病気貰ってるじゃん!もー!これだから()はさー!」

 

 憤怒の悪魔(サタン)へ一通りの文句を言い終えた兄さんは、苦しそうにその場へ倒れ込んだ。

 グレンは本当に彼が兄さんへ戻ったのか確かめる為に、彼の瞼を摘まんで上げる。

 そうすると、()()()()彼女の爪が兄さんの目玉を裂いて、彼に激痛を(もたら)した。


「うーいったぁ……ねぇ、良ければ一気に殺してくれないかな。ボロボロで嫌になっちゃう」


 悪魔を閉じ込めた兄さんは、グレンにとって命の恩人と相違ないが、彼女は溜まりに溜まった怒りを彼へぶつける事にした。


「良くないから殺さない。そこで苦しんでて」


 彼女自身も、そう簡単には動けない。

 大穴から湧き出したマグマが草原に火を灯し、次第に2人を熱で追い詰める。


「ごほっ……ねぇー怒ってるのー?お友達が死んだ事?それとも胸が小さいって言った事?」


 熱風に肺をやられた兄さんは、過度に咳き込んで命を失いつつある。

 それでも尚、減らず口を叩けるのは、彼が自分の生を確信しているから。

 死なない生き物に、死を持つ生き物の考えは伝わらない。

 妹から無視を決め込まれた兄は、彼女よりも先に人生の終わりを迎えて、森へと還って行った。

 燃え(たぎ)る地上と轟轟(ごうごう)と鳴る地響きを身近に感じたグレンは、再生の終わった両足で地面を踏み締めた。


「……ああ、私は何処までも化け物だな」


 眼前に広がるユスフの爪痕をしかと覚えた彼女は、帰路へ就く為に唯一の光を目指した。


 ――――――――――――――――――――


 第一声。

 心身共に限界を迎えたグレンに暴言を吐いたのは、彼女が悪魔に踊らされてまで救おうとした少年だった。


「寄るな!ああああ!死ね!消えろ!ああああ!」


 敵意を(あら)わにして喚くマゼンタは、キーツに腕を押さえられても尚、グレンへ襲い掛かろうと前傾姿勢になる。

 理性を介さない少年の力は圧倒的で、次第にキーツの拘束が緩まり、終ぞ彼はグレンを殴り倒した。

 少年は何度も何度も彼女の顔面を殴り、奇声を上げながら血塗れの拳を振り下ろした。


「記号!シロさん呼んで!このままじゃグレンさんが……!」


 腰を抜かして満足に歩けない記号は、這いずりながらも廊下へ勢いよく飛び出し、「シロシロォ!」と叫び声を上げた。

 シロは「探知範囲に脅威は無いから」と、怠そうな態度で彼女の元へ寄ったが、そこで見た少年の異様さに(おのの)いた。

 怒りで目を血走らせたマゼンタが、執拗にグレンへ暴力を振り続けている。

 (かざ)した手の平から水流を作り出した白猫は、有無を言わさず少年を拘束した。

 両腕を後ろで縛って口を塞ぐも、彼は両足で無抵抗なグレンを蹴り付ける。


「マゼンタに何言ったの?グレン」


 麻布を被って血の匂いを漂わせた見窄(みすぼ)らしい主より、少年を優先したシロ。

 彼の含みあるセリフで、彼女はますます心を閉ざして、状況を解そうとしない。


「違うんです……マゼンタさんがグレンさんを見るなり叫び出して……と、とにかく怪我の治療を……!」


 目尻に涙を溜めたキーツは、グレンを介抱しながら退室を急ぐ。

 そこに、颯爽(さっそう)と現れたヤミが、キーツの手をグレンから「パッ」と振り払った。

 赤子をあやす様にグレンを抱き上げた仕人は、主を愛おしそうに見つめながら、キーツやシロの制止を聞かずに踵を返した。

 その後、「ふーっ!ふーっ!」とマゼンタの荒い呼吸が響く部屋で、記号が「ボタボタ」と涙を流し始める。


「ごめっんなさい!記号さんは笑顔が必要なのに……!グレグレとマゼマゼが……元気が欲しいのに……!」


 脈絡の無い言葉で嗚咽を繰り返す記号の肩をそっと抱いたシロは、興奮状態のマゼンタに念魔法の治療を試みる。

 桃色の魔力に頭を包まれた少年がその場に倒れ込むのを、キーツがしっかりと支えてソファへ横たわらせた。


「……っ!私、タオル取って来ます!」


 重い空気に耐え兼ねたキーツが、汚れた床の掃除を率先して行う。

 放心状態のシロは記号をマゼンタの傍へと連れて、2人の頭を軽く撫でた。


 ――――――――――――――――――――


 これは正しい彼の物語。

 天上(ヒメル)へ還れないユスフの魂は、世界の裏側で靄となって漂い始めた。

次回更新は2025/11/24を予定しています

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