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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第3章ー傲慢奇襲編ー
54/64

これは思い返す彼の物語


 地上に戻ったユスフは、指球(しきゅう)と爪の隙間に溜まった土を低木の葉で拭った。

 茶色く染まった葉緑(ようりょく)から、小石が「バラバラ」と落下する。

 彼が見上げた樹木では、口からだらしなく舌を出した彼の友人が、枝へ串刺しになった状態で絶命していた。


 ――小石ではなく、割れた牙でしたか――


 取り乱す様子もなく、彼はそんな感想を抱いていた。


 ――――――――――――――――――――


 ユスフがこの世に生を受けて、22年の月日が流れた。

 その間、彼が獣人族の住む世界――『12番目の世界(ティア)』から離れた事は一度もない。

 両親から蝶よ花よと愛され、親族から無償の愛を受けて育った彼は、獣人を代表する神官として立派に成長した。

 兼ねてより評判の良い家系に生まれた事もあり、出会った獣人達は彼に好意的で、理不尽に陥った事など無かった。


「風邪引く前に着替えてね。これなんてどうだろう?フフッ、僕の愛する素敵な妹は何を着ても綺麗だけど、たまには花柄の服を着てる所を見たいな」


 ボタニカル模様のワンピースを、グレンの体に合わせて吟味(ぎんみ)する兄さん(サタン)が、頬を僅かに染めて楽しそうに笑う。

 差し出された服を嫌そうに受け取ったグレンは、溜め息を吐きながらも袖を通した。

 そんな仲の良い兄妹の足元には、悪魔の干渉によって死に絶えた獣の死骸が散乱している。

 賑わいを見せる大通りは今や、閑散(かんさん)としていた。

 彼女等を後方から見るユスフは、2人の会話を背景に福屋の店主を思い返していた。

 女性物の衣服を扱う店の主は、そそっかしいアルマジロの女性が務めていた。

 倉庫と店舗を繋ぐ狭い階段を滑り落ちた彼女が、通りの真ん中まで転がって来る光景は大通りの日常だった。

 「私がアルマジロに生まれたのは、怪我をしない為よ」などと冗談めいて言う彼女に、「(しか)り。貴女の性格を神はご存じなのでしょう」と冗談を返したら、皆が一様に笑っていた。

 恥ずかしさで頬を紅潮させた(かつ)ての店主は今、血色の悪い肌で店の前に項垂(うな)れている。

 硬度の高い土魔法が焚火の閉じ傘の様にお互いを支え合い、防御力の高い彼女の体を貫通していた。

 ユスフは二度と彼女のお転婆な様子を見られない事を悔いながら、店主の亡骸の前に生前好きだった花を手向(たむ)ける。

 自由な悪魔達を追って駆け足でその場を去る彼を、大通りの亡骸達が見送っていた。


 ――――――――――――――――――――


 食事処は運動好きな獣人と、体の大きな獣人に合わせて広大な土地を誇っている。

 客と店主サイズがマチマチな事もあり、獣人達の出店に規則性は無く、その場その場で出会いを楽しめる広場となっていた。

 ユスフは、日の当たる大地の中央で目を細めた。

 かんかん照りの下で、野蛮な友人と暑さの限界に挑んだ事を思い返し、浅い呼吸を繰り返しながら木陰へと移動をする。

 整備された10㎝幅の砂利道の先に、彼が最も愛した店――大木の幹に隠れたリス達の焼き菓子店があった。

 目を閉じれば簡単に、当時の彼等が瞼の裏に浮かぶ。

 忙しなくドングリを集める可愛らしい生物を目で追うのも一興で、焦る余りに自分の背中を経由して木を登る彼等が愛おしくて堪らなかった。

 小さな指で繊細な細工を成したクッキーを「勿体ない」と、食べずに眺めているとよく怒られたものだ。

 思い出に「クスリ」と笑ったユスフは、現実へ戻る為に目をそっと開いた。

 日除けの為に枝へ掛けられた垂れ幕が、リス達の住処を隠している。

 その中央に染み付いた赤黒い汚れの正体を想像して、彼は中を覗くのを躊躇(ためら)った。

 一方、横たわったキリンの胴体から内臓を取り出した兄さんが、キラキラした笑顔でそれをグレンへ差し出している。


「……それ、マジで食べねぇと駄目か……?」

 

 後退りしたグレンは、にじり寄る兄さんから逃げた先で、横たわるカバの胴体に足を掛けて転んだ。

 「バチャ」と水溜りに尻餅を付いた彼女は、両手で糸を引く血液を不快そうに眺める。


「アッハハ!君は本当に不注意だね。せっかく着替えたのに血みどろじゃないか。あー僕にも散ってる……綺麗な布残ってたかなぁ」


 手袋を脱ぎ、血飛沫で汚れたズボンの裾を丸めた兄さんは、気落ちしながら周りを「キョロキョロ」と見る。

 「あっ」と声を上げた彼は、木の枝に掛けられていた垂れ幕を地面へと引き摺り下ろした。

 ユスフが取り払うのを躊躇した垂れ幕が、悪魔の手によって呆気なく()(にじ)られる。

 幹に空いた穴から漏れ出す大量の肉塊。

 それが、そこに勤めていた住民だと知っているユスフは、締め付けられた胸の感覚を咄嗟に両手で抑える。

 過呼吸になる自分を客観視した彼は、大きく息を吸って平常心を保つ事で、冷静を取り繕った。

 緊張感の高まった彼の耳に「汚い」と、小声で呟いたグレンの声が届いた。


 ――――――――――――――――――――


 漆喰(しっくい)の壁に背を(もた)れた兄さんは、恥も無くグレンが体を洗う様子を覗いている。

 ユスフが節度の無い彼の顔を手の平で塞いだ事で、ここに来て初めて悪魔が彼を認識した。


「アッハハ~、君、まだ居たんだ」


 獣の指の隙間から狐目を覗かせた兄さんは、怒りで満ちているユスフを挑発する様に笑った。

 だが、ユスフは彼の安易な思惑に流されず、穏やかな口調で悪魔を見下すと、当然の疑問を彼へ投げ掛けた。


「根本的な動機を。同胞を殺した理由を言いなさい」


 彼の返答次第で、このまま悪魔と相殺(そうさつ)しようと考えるユスフは、血走る眼で彼を睨み付けている。

 兄さんは「うーん」と、物思いに(ふけ)る素振りを見せた後、両手を開いて何も無い事をアピールした。


()いて言えば『暇つぶし』かなぁ。怨霊が残ってる間は、妹に手を出すなって()から言われて暇だったし。長年勇者の監視が在って、思う様に動けなかった反動も有るかもー。フフッ、殺し合い見るのは、楽しくないなりに楽しかったよ」


 壁越しで湯浴みをするグレンへと再び目を遣った兄さんは、「そろそろ壊しても良いかなぁ」とうっとりとした様子で呟いた。

 話を終えた事で彼に居ないものとして扱われ始めたユスフは、怒りに任せて壁を殴る。

 「バンッ!」と空気が揺れ、驚いた様子のグレンが顔を覗かせた。


「なっに、してんの……?」


 動揺で強張(こわば)った彼女に「何でもないよー」と返したのは彼の兄で、毛を逆立てた獣は終始無言のままだった。


 ――――――――――――――――――――

 

 幼少期のユスフは、幼いながらに従姉が若君に恋をしていると知った。

 彼の従姉に当たる狐のミラは、次期国王と名高い鷹の若君と頻繁に逢引きをしていた。

 そして、そのカモフラージュに抜擢(ばってき)されたユスフは、2人に手を引かれて度々至る所へ連れ回された。

 普段は入室が許されない王室専用の書庫や、絶滅危惧種に指定された植物が保護される花園。

 2人が見せてくれる世界は全て、真新しく美しいものばかりだった。

 とりわけユスフが目を奪われたのは、お互いを見つめ合う恋人の仕草だった。

 家庭教師代わりに勉学を教えてくれる厳しい従姉は、若君の前では清楚な令嬢へと姿を変える。

 泥塗れで訓練場を闊歩する若君は、着慣れぬ正装を身に纏って彼女へと笑い掛けている。

 それを遠巻きに見上げるユスフは、物語から出て来た様な2人に心底見惚れていた。

 長年彼等を見守って来た彼は、2人の思い出の場所を熟知している。

 叔父上の別荘の裏庭から、崖を登った先にある静かな森林。

 その先には、木々の自生し辛い荒野を挟んで、広範(こうはん)に草地が広がっている。

 そして、更に丘を越えた所には、10m規模の柏の木が1本だけ存在した。

 その場所こそが2人の愛した土地。

 日頃の疲れを癒す場所も、若君が従姉に告白した場所も、悩みを打ち明けて泣き合った場所も、この柏の木の下だった。


「ねぇこっち!面白いもの見せてあげる!」


 笑顔でグレンの手を引く兄さんは、(くだん)の聖地に土足で踏み入った。

 ユスフは嫌な予感がして咄嗟(とっさ)に俯いた。

 柏の木へ向かう血の道から目を逸らしたいが、それよりも顔を上げる方が怖かった。

 彼は丘の先が見えない様に、獣形態で地面スレスレを「のそのそ」と歩く。

 影の濃くなった視界で、面前に柏の木を感じ取ったユスフは、歯を食い縛りながら恐る恐る正面を見た。


 ――息絶えた獣人が、寄り添う形で(みき)の前へと座っている。――


 兄さんは2人を指差して「変わってるよね」と、自慢気に話し始めた。


「この2人だけねー自殺なんだよ。僕の魔力は他者への怒りを糧にして増長するのに、変な生き物だよね彼等。()()()()()にも耐えきったし、地上の生物の中では強い方だったんだろうね。まっ、死んじゃったんだけどさー」


 何がそんなに楽しいのか。

 腹を抱えて笑う兄の隣で、聞き捨てならないセリフを拾ったグレンは、反射的に彼の腕を掴んだ。


「『暴食の空腹』……?いつ……そんな事……」


「あれ?フフッ。気付いて無いの?魔力の枯渇が暴食を肥大させた事。君がこの世界に来てからずーっと、彼等は空腹を感じていた。最高だったよ。いくら腹を満たしても空腹に侵される獣が、食料を奪い合って争い、同族を貪り食って生にしがみ付いていた。君は僕の怒りが霞んでしまう程、争いに影響を及ぼしていたんだから笑い物だね。ほんっっとうに、君は自慢の妹だ」


 深淵(アビス)から地上へ戻り、一度も生きた生物を見掛けなかった。

 ある者は折り重なる様に息絶え、ある者は枝に腸を干していた。

 地上の生物が死に絶えた原因は、憤怒の悪魔に違いないと確信していたグレンは、自分が当事者である事に動揺している。

 憤怒の怒りと暴食の空腹が、獣人達の正気を失わせ、生物を絶滅に追い遣った。

 事実を知ったグレンは口を押えるも、耐えきれず草原に吐き出した。


「嘘だよね……。へ?だって私、何も……」


 暴食の魔力の流れは、彼女自身が一番把握している。

 だからこそ、兄さんの言う事が正しい可能性に気付いてしまった。

 深淵(アビス)で時折正気を失っていた彼女が、たった1人との戦闘で正気へ戻っていた理由。

 それは、ユスフとの戦闘で消耗したからではなく、魔力に侵された眷属が彼女の腹を満たしていたからだった。

 胃液を大量に吐く彼女の傍へ「フラフラ」と歩み寄ったユスフは、限界を超えた悲しみと怒りの赴くままに、炎をその地に撒いた。

 自身に剣を刺した若君と、自決用の小瓶を傍らに転がす従姉を、「チリチリ」と燃える炎が照らす。

 炎のカーテンを背後に置いたユスフは、悪魔2体と対峙した。


「貴方達は忌むべき敵。最愛を殺し、12番目の世界(ティア)を滅ぼした罪人。……同胞の為に、私は戦いましょう」


 ユスフは形態を人型へ変えながら、前足でグレンを蹴り上げた。

 無防備に攻撃を受けた彼女は、数m飛ばされた後に地面へと体を打ち付けた。


「がはっ!……ま、待てユスフ。私達じゃこいつに勝てない。無駄死にするだけだぞ」


 腹を庇って立ち上がったグレンは、心配する素振りで駆け寄る兄さんを指差した。

 グレンはあくまでもユスフの味方であろうとしたが、当然の如く、彼はそれを拒絶する。

 

「私は神官。神の下で世界を管理する獣人の民です。悪魔に手を貸すなどあってはなりません」


 ユスフは数日の絆など無かったかのように、毅然(きぜん)と言い切った。

 瞳孔の狭まった瞳に熱を込めたユスフが、先手を取ろうと魔法陣を練り上げる。


「ユスフ!ここで戦っても意味無いだろ?憤怒の悪魔(サタン)を前にして生きてんだから、大人しくしてろよ。そんで、いつか訪れるチャンスを待て」


 苦々しい顔をしたグレンは「なあユスフ」と、彼へ親し気に言葉を投げる。


 「この際だ、私と一緒に13番目の世界(サィデタ)へ帰ろう。お前の見たい世界を見よう。もう死んだ奴等は生き返らないんだから……」


 死んだ生物は生き返らない。

 誰もが知っている常識を語る彼女はその実、マゼンタを蘇生する為にこの世界を訪れた。

 矛盾した自分の言葉に不安を覚え、ユスフから目を離したグレン。

 彼女からの視線が切れた事を機に、ユスフは天を仰ぐと(せつ)なげに詩を読むが如く呟いた。


「ああ無情。同胞の死を水に流して、自分だけノウノウと生き残れと?私を私たらしめるのは他者があってこそ。……私を知る記憶は何処にも無くなった……」


「……っだからって」


 言葉に詰まるグレンの斜め後ろでは、兄さんが呑気に傘を弄んでる。

 取っ手を逆さにし、手の平で回した傘を前へ突き出した兄さんの先には、勿論グレンの姿があった。


 ――ドスッ――


 肩に異物感を覚えたグレンは、ユスフと向き合ったまま硬直した。

 彼女の肩には、傘の先が刺さっている。

 そして、その傘が苦悩の梨の様に体内をズタズタに裂きながら花咲いた。


「――っは……!はぁ……ぐっ……」


 抉れた肩甲骨を抑えながら(もだ)えるグレンの体が、次第に黒色へと移り変わる。

 体内から湧いた蝿が彼女の患部(かんぶ)を飲み込んで、抵抗する両手を呆気なく包み込んだ。


「アッハハハー!苦しいんだよねー辛いんだよねー。安心して?僕は君のお兄ちゃんだから、ちゃんと苦しんでる所を見ててあげる」


 語尾を上げた兄さんは、蝿に集られたグレンを優しく抱き締めた。

 統率なく飛ぶ蝿がグレンの体に纏わり付いて、黒いドレスを練り上げる。

 それは、『3魔の戦火(ドライ・クリーク)』で見せた姿と同じ、ベールを被った花嫁衣裳(いしょう)だった。


「……なんと(おぞ)ましい。それが貴女の本性ですか」


 悪魔の魔力の圧にも臆さないユスフが、彼女の姿にだけは畏怖を感じた。

 「ダラン」と下がった両腕を地面に擦りながら立ち上がったグレンは、狂気と正気の狭間を彷徨っている。


『ごめん……ユスフ……逃げ……アハッ……だめ、嫌……殺したく……ない』


「えーうっそー!意識あるのー?成長したねぇ、わっ!危ないっ!」


 わざとらしく「アッ」と驚いた態度を見せた兄さんは、グレンの振り払った腕の魔力に侵され、肌を蝿に(むさぼ)られた。

 「うわっ、汚れたじゃないか」と、胸からの流血をハンカチで拭った彼は、止まらない汚れに嫌気が差して「はぁ」と溜息を付いた。

 血だらけのハンカチを傘の先に結んで、降参の意味を込めて左右に振った彼は、苦しむグレンから距離を取った。


「んま、意識下だろうが興味ないかなー。はーい!じゃ、僕の機嫌を取るために殺し合ってね!生き残った方を僕が殺すから」


 どう考えても、兄さんの思う壺だと2人は瞬時に理解した。

 だが、暴食の悪魔に呑まれつつあるグレンには、空腹に抵抗する術がない。

 加えて、ユスフの内心は、正常な判断が出来ない程の怒りに満ちていた。


 ――――――――――――――――――――


 これは思い返す彼の物語。

 過去を全て奪われたユスフは、差し違える覚悟で全身に炎を纏った。

次回更新は2025/11/23を予定しています

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