これは添えない彼の物語
誇り高い獣人は、暴食の悪魔に負けじと、噛む顎に力を込めた。
肉を噛み切り、地面へと着地したユスフは、負傷した足を庇いながら態勢を立て直す。
一方、彼の命を狙う悪魔は、「クスクス」と笑いながら血塗られた口元を歪ませていた。
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目覚めた意識を確認する様に、瞬きを何度か繰り返したグレンは、傍で丸まったオオカミへと目を遣った。
「おはよーございます」
グレンは彼に淡白な挨拶を向け、怠い体に鞭を打って手を振った。
深手を負ったオオカミ――獣人族のユスフは、視界の端でチラつくその腕へ衝動的に噛み付いた。
「いって!いてて!なんだよ!噛むなよ!」
肘に付いた獣を叩くグレンだったが、獣は腕を離そうとはしない。
そして、抵抗する気力を無くした彼女が、制止を諦めて腕を下ろすと、獣も満足した様子で鼻息を鳴らした。
深淵では相も変わらず、暗闇の中を怨霊達が右往左往と彷徨っている。
ユスフの作った結界の中で束の間の休息をとるグレンは、食事の足りていない腹を「グー」と鳴らした。
「お腹空いたー」
そんなグレンの呑気な言葉にブチ切れたユスフは、体を人型へ変えて彼女を指差した。
「笑えぬ戯言を。何度お前に襲われたか……。長は怨霊を倒せと命ぜられたと言うのに、何故お前はそんな簡単な事も為せないのですか。な・ん・ど、私を襲えば気が済むのです」
笑顔の奥に憎悪を滲ませた彼は、指でグレンの頭を何度も小突いた。
だが、そんな彼の人間めいた発言は、グレンを委縮させるどころか逆に、彼女の態度を肥大させる。
「ハッ」と小馬鹿に笑った彼女は、自信有り気に口角を上げた。
「私が闇魔法を操れるとでも思っていたのか?自慢じゃないが、生まれて一度も制御出来た事など無い!」
「ホントに自慢じゃねぇですよ……?馬鹿なのですか?人間はそこまで愚かなのですか?」
外界を知らぬ箱入り息子のユスフは、人間相手に困惑を隠せない。
「全人類を管理する必要がありますね」と、ぶつくさ言い始めたユスフを他所に、グレンは自分の服を千切って、流血の止まらない腕を縛り上げた。
「お前さ、もしかして12番目の世界から出た事無いのか?あーそういや、円卓ん時に見掛けた側近は、もっと図体のデカい奴だったな」
グレンの始めた世間話に、「うっ」と喉を詰まらせたユスフ。
左右の暗闇を確認した彼は、声を潜めて「そうです」と答えた。
「盟約と忠義。私には外界へ出る権利がありません。長の側近は叔父上が務めていますし、彼の後任は従姉のミラ姉様と決まっています」
「ふーん。んでさ、建前抜きでどうなんだ?四六時中仕事に縛られてる訳じゃ無いだろ?」
いたずらっぽく奥歯を見せて笑ったグレンに対して、ユスフは「コホン」と咳払いをした。
そして、彼は「チラチラ」とグレンを横目で見て、やっぱり止めたとそっぽを向いた。
彼が幾度も同じ動作を繰り返すので、グレンは呆れて後頭部を掻いた。
「何だよー何求めてんか知らねぇぞ?……あ、でも聞きたい事あったんだわ。こんな感じの子、知らない?」
まともに会話の出来ない状況ばかりで忘れていた質問。
マゼンタを戻す事が1番の目的だったが、せっかく獣人の世界に来たのだからと、グレンは獣人に纏わる彼の話を聞きたがった。
シロの人相書きを彼女から受け取ったユスフは、侮蔑の視線をそれに置き、ビリビリと破り始めた。
「目が汚れる故。『半獣』は獣人族の恥です。人間の血と混じった不良品は、この世界には必要ありません」
ユスフの毅然とした態度に驚いたグレンは、口をまごつかせて胡坐を掻いた膝に肘を置いた。
そして、彼女は悲し気に俯いて目を閉じると、「はー」と大きく息を吐いた。
「あーなるほど、そーか。シロの事ちょっと理解したかも。……ウチの子は可哀そうだなー」
奴隷身分を払拭すべく故郷から旅立った彼が、何故通り道である12番目の世界を素通りして13番目の世界へ訪れたのか。
人間より魔力の多い獣人族を味方に付ければ、彼の野望である国家転覆は容易に達成出来ただろう。
だが、半獣のシロは同族であるはずの彼等から、仲間だとは認められなかった。
グレンはシロの気持ちを汲み取って唇を噛むと、ユスフから顔を背ける様に後ろを向いた。
「駆除に戻る。お前はここで休んでろ」
「高飛車な娘。次は気が狂う前に戻って来なさい」
厳しい口調でそう言うユスフに、「はいはい」と適当な返事で手を振ったグレン。
この10時間後、グレンは再び黒い靄を纏ってユスフへと襲い掛かるのだった。
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グレンが固い地面で目を覚ますのは、酷い空腹が少し満たされた時。
彼女が視線を上げると、負傷した腕を庇うユスフの姿があった。
「おはよーございます」
「だ・か・ら、何度私を襲えば気が済むのですか!」
こればっかりはグレンの生理現象だから仕方が無い。
氷属性の魔力を削がれて悪魔の魔力のみが残った彼女は、空腹を覚えると簡単に正気を失えた。
そして、暴食の悪魔は腹を満たす為に、目の前の餌へと跳び付いたに過ぎない。
自分の責任ではないと開き直った彼女は、正しく無敵の人だった。
「休憩がてら外界の話でもしようか。まあ、私は引きこもりだから、知らん事のが多いけどな」
「私を見縊らぬ様。興味など、ない、です……よ?」
ユスフが言い淀むのを見届けたグレンは、「クスリ」と笑って見知った世界の話を始めた。
「私の故郷は一面雪景色の寒い所だったよ。建物も何もない所で……あったのかもしれないけど、私は覚えていない。……あーうん、つまらんな、次行こ次」
グレンは故郷に殆ど思い出を持っていない。
世界を1から辿ろうとしていた彼女は早々に諦めて、ユスフの興味を惹きそうな世界の話へと飛躍した。
「そうだ!3番目の世界の話なんてどうだ?精霊族が王位を持ち、人間と共生する世界。少し寒かったが、気候も落ち着いていて過ごしやすい場所だったぞ」
「見聞のある事柄。精霊族は手の平に収まる体躯と書物に在りましたが、真実でしょうか?」
岩場に腰掛けたグレンの足元で、大人しく座り込んだオオカミはとても愛らしい。
尻尾を振りながら、つぶらな瞳を覗かせるユスフに、思わず手を出し掛けたグレンは「グッ」と自分の手を抑えた。
可愛いもの好きのグレンは、ユスフの誘惑に耐えながらも続きを語る。
「うん。あいつ等小さい癖に、個々が幹部クラスの魔法を扱えてさ。嫉妬の悪魔ですら苦戦してたよ。それに、母后が強いのなんのって……滅茶苦茶倒すのに苦労した」
グレンの話に違和感を覚えたユスフは、「ん?」と疑問の声を上げた。
「苦戦」や「倒す」などの言葉は、不穏極まりない。
「語りを詳らかに。貴女は精霊族を屠ったのですか?」
「あっうん。絶滅させたよ」
「ヘラヘラ」と笑うグレンへ思いっ切り頭突きを繰り出したユスフは、「ジンジン」と痛む頭を前足で庇いつつ、鬼のような形相で彼女を踏み台にした。
「神の創造した生物を滅する悪魔め。罪の意識も無く、よく言葉を話せますね」
「うーん、まあ、当時はあんま考えてなかったし……。今ではちょっと後悔してんだよ……」
うつ伏せ状態のグレンは、後頭部を両腕で庇いながら苦笑いをした。
「全く、貴女という方は……」と、ユスフはグレンから飛び降りる。
彼は何日もグレンと過ごして居る内に、彼女のどうしようもなさを諦める様になっていた。
「不可解、もしくは不条理。貴女の言葉や行動は一貫性がありません。『後悔』と言葉を口にしながらも、その実、何も感じていない。長が貴女を警戒する意がよく分かります」
冷静さを取り戻したユスフは、グレンから距離を取りながらそう語る。
図星を突かれたグレンは、反論せずに彼の言葉を飲み込んだ。
「ご明察ー。私には私がよく分からないし、私の周りはそれを正そうともしない。ハハッ、他責にするのは中身が無いからだろうねー」
自傷めいた発言で他所を見る彼女に、ユスフは同情の声など掛けはしない。
暫くして、ユスフの冷めた瞳を上目で覗いたグレンは、人の悪い笑みを浮かべて彼を指差した。
嫌な予感がしたユスフは、「ゴクリ」と唾を飲み込んだ。
「君さ、外の世界に興味あんだろ?ならさ、これが終わったら私に付いて来いよ。悪魔状態の私を抑えられる奴は貴重だし。正しくない私を正すのは世界にとって利益があるから、君の大好きな国王も喜んで君を差し出すだろうね」
グレンの仲間は、悪魔に呑まれた彼女を止められない。
戦闘力の足りないマゼンタと記号は言わずもがな、制止に有力なシロは奴隷契約で彼女に攻撃が出来ない。
そして、唯一彼女を屠る実力を持つヤミは、彼女に心酔し切って手加減をする。
従って、外界へ興味のあるユスフを逃す手は無かった。
グレンからの唐突な提案に、驚きの表情を見せたユスフは、前足で耳を掻いて誤魔化しに掛る。
「ブルブル」と顔を振って、感情をリセットした彼は、努めて冷静に彼女を見つめ返した。
「……呆れた妙案。私には貴女の様な自由はありません。ですが、それを悔いた事など一度もありません。興味深い提案ですがお断りします」
「ただ」と言葉を区切ったユスフは、獣らしからぬ「ニカッ」と奥歯を見せる笑顔を作った。
「土産話くらいは聞いてあげますよ。ついでに貴女の汚い言葉も矯正しましょう」
それは彼なりの譲歩だったのだろう。
グレンは「そっか」と一言だけ返して、彼へ向けていた手を下げた。
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――ボトッ――
会話に一区切り付けた2人の丁度真ん中に、重たい音を立てて落下したのは、拳サイズの小さな肉塊だった。
その塊は次々と落ちる。
夕立を想起させる勢いで、それは次々と深淵の底へと降り注いだ。
「異変!貴女の仕業ですか?」
「へ?知らないって!この世界の事はお前の方が詳しいだろ!?」
ユスフはグレンが犯人だと信じて疑わないが、彼女はそれを断固として否定した。
岩陰に避難した2人が地上を見上げるも、光の届かない奥地からでは何1つ状況を判断できない。
「現状の把握と対処を。地上で何が起ころうとも、結界が深淵を分かちます。……あるとすれば、結界の術者が魔法を絶たれた状況に。いえ、そんなはずは……」
「結界内にやべー生き物とか生息してないよな?ぶつくさ言うなよ。不安になんだろ?」
俯いて思考を整理するユスフの腕を掴んで揺さぶるグレン。
危機感の無い文句を垂れる彼女を無視したユスフは、物音のする方向へ魔法陣を伸ばした。
彼の属性は炎。
発光した魔法陣が、灯篭の代わりに道を照らして1つの道を作った。
「その先になんかあんの?」
暗闇へ目を凝らすグレンは、彼に遅れてようやく人の足音を認識した。
彼女等の視線の先で、「コツ……コツ……」と規則正しい音を奏でる男は、ゆったりとした足取りで姿を現した。
彼は血で汚れた袖を気にしながら、何処で拾ったかも分からない傘を差して彼女等へと近寄る。
「……どっちだ?」
グレンの発した低い声に驚いたユスフは、目の前の異常を差し置いて彼女へと振り返った。
彼はグレンの別人の様な綺麗な横顔に、緊張とは異なる鼓動を覚えた。
空気の張り付きに身震いしたユスフを庇う為に立ち塞がったグレンは、来訪者へと嘲笑めいた言葉を投げかける。
「珍しいな、お前が傘を差すなんて。……刺されるの間違いじゃ無いのか?」
妹からの暴言を受けた兄は「クスクス」と笑いながら、汚れの落ちない上着を丁寧に畳んで雨の中へと置いた。
『フフッ。駄目だね。僕の綺麗好きは治らないや』
観念した様子で重なる声を発した兄さんは、真っ赤に染まった瞳で2人を視認した。
その妖艶な瞳と同じ色の目を向けて警戒をするグレンに、兄は弁明する様に言葉を連ねた。
『でもね、君達が無関心すぎる節もあるんじゃないかな。たとえ愛する妹だとしても、そんなに汚れてちゃ抱き締められないでしょ?何で?僕に嫌がらせをしたいのかな……。僕はこんなにも君を愛してるのに……」
憤怒の悪魔は兄さんと違って、粘着めいた愛憎をグレンへ向ける。
声帯の重なりを収めた彼は、兄さんと悪魔の境目から、悪魔単体の感情で妹を恋慕した。
先手を打たれた現状は、余りにも分が悪い。
精神が不安定になっていく彼を前にして、グレンはユスフへ「逃げろ」と小声で命令した。
だが彼女の意に反して、ユスフは悪魔を迎え撃つ態勢に入った。
「その魔力は悪魔の者か。誰の手先かは知りませんが、我が国に仇を成すなら容赦は――」
ユスフは彼が最強の悪魔だと気付いていない。
強気に出た獣の口を咄嗟に両手で抑えたグレンは、怒りで震える兄さんを恐る恐る見上げた。
「僕を差し置いてその男と仲良くするの?僕を愛してくれるって約束だよね?僕と約束したんだよね?僕は僕に嘘を付かないんだよ?じゃあ嘘付いたのは君で……。アハ……アッハハ!愛する妹が嘘を吐く訳無いよね。だって大切な家族だもん。……あ!分かった!僕に嫉妬して欲しくて意地悪してるんだ!フフフッ、君は僕の事が大好きだもんね。そうだよね、フフ……そうに違いない」
「コロコロ」と変わる表情と感情。
彼を知らぬユスフでも、兄さんが正常ではないと簡単に理解できた。
両手を傘の柄に添えた兄さんは、清楚なフリをして綺麗に姿勢を整えると、傘を持ち上げて上方向を差した。
「じゃ、デート始めようか」
「「はぁ!?」」
異質な異物。
世界で最も恐るべき彼は、「ニコニコ」と笑いながら嬉しそうにはしゃいでいた。
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これは添えない彼の物語。
兄さんの指し示した方角からは、尚も肉塊が降り注いでいる。
次回更新は2025/11/16を予定しています
執筆中にPCがフリーズして悲しい思いをしました。
とても悲しかったです。




