これは幼い彼女の物語
リアスはナイフを手にして目を泳がせる。
――こんな能力望んでいない――
自身の髪を掴む手に、より一層力が入る。
鋭利な爪が手のひらに食い込み、流れた血が手首を這っていた。
「神が概念を創造した。白紙に大地を生み出し、私達の暮らす世界を形成した。想像の意を脱さない世界に物足りなさを感じた神は、女神に助言を促す。女神等は神のために意志を創り出した。神はその意志に器が必要だと判断し、人形を用意した。そうして生まれた人々を管理する役目は、女神に託された」
とある集落の最奥に位置した家屋には、母と娘が居た。
聖典を語る母の言葉には、力がない。
床に伏せた彼女は、神を敬愛するでもなく淡々と続ける。
「異界に居る女神は、人と関わるために触媒を必要とした。『人々に崇拝されるためには、同じ器が好都合だ』と女神等は語り合った。神に愛されたいと願う女神等は、容姿の整った若い娘を器にしようと決めた。そうして4人の女神たちが現世に舞い降りた」
母の足元まで伸びる癖の強い髪は、白い布団に広がっている。
神力を秘めた金色の頭髪は、女神の器である巫女の証であった。
「私達巫女は、神の為に尽くさなければなりません。その為に器として生まれて来たのだから」
語り終わった母は、先程までの強い視線とは打って変わり、悲し気に愛する娘を見ていた。
母の感情を理解出来ない娘――リアスは返すべき言葉が見つからない。
「私は母様が元気になることを望みます」
自分の感情を伝える事に留めたリアスは、その幼さが残る小さな手で母の腕に触れる。
元気に外を走り回る年頃の少女に、母の語る全てを理解する能力は無かったのだろう。
それを察した母は、娘が巻き込まれる運命を知っているが故に、一層口調を強める。
「貴方が信じる意志を貫きなさい」
母は娘が自分の様に人生を後悔しない事を切に願った。
「手紙を書きます。道具を持ってきてリアス」
ゆっくりと頷いたリアスは、身動きの取れない母に変わって、小さな歩幅で部屋を立ち去った。
彼女らの住む家は、2人で暮らすには広いが、大き過ぎると感じる事はない。
リアスが慣れ親しんだ木目の扉を開けて書庫へと入ると、先客と目が合った。少女はその先客の横を通り、棚の上へと手を伸ばす。
本棚に片手を掛けながら重心を前に傾けて、つま先立ちをしたリアス。しかし、頭より遥か上にある棚には手が届かなかった。
「ゼノ様。棚の上にある筆を取ってください」
手が届かなかったリアスは、素直にバンダナの男に声を掛けた。
背の高い男はそれを取り出して、少女と目線を合わせようとしゃがみ込む。
彼の頭上の飾りが、カラカラと音を立てて揺れた。
「ありがとう存じます」
必要以上に丁寧な言葉を使うリアスに、困ったような表情を見せたのは覗き込む彼だった。
「貴方は巫女になるお方なのですから敬語は必要ないですよ」
リアスは優しく微笑むゼノに対して、頬を膨らませた。
少女は腹を立てているのだ。リアスは自分と距離を取ろうとするゼノに反論した。
「ゼノ様は家族です。上も下もありませんよ」
物心ついた頃から父のいないリアスにとって、その戦士は父性を感じるただ唯一の人だった。
巫女を守る役目を担った戦士は、大きな手のひらをリアスの肩に置く。
「上に立つ者の威厳を持たねばなりません」
「肩ではなく頭を撫でて欲しかった」とリアスは顔を歪ませて我儘を言う。
ゼノはそんな彼女を嗜めながら、嬉しそうにそっと頭に手を移した。
執筆道具を胸の前で握りしめたリアスが満足そうに微笑んでいると、ドダドタと慌ただしい足音が部屋中に響く。その音と同時に外へと繋がる裏口がギィと鳴った。
足音を鳴らした主は、部屋の隅にいる2人を見つけて「ああっ」と大きな声を出して指を突き出す。
「……ッズルい!」
拳を握りしめて口惜しそうに食いしばったのは、リアスの幼馴染であるマゼンタ。
彼の様子を見たリアスは、ゼノの腕を掴んでマゼンタの正面へと連れて行った。
何をしているのかとゼノが不思議そうに少女を見ていると「どうぞ頭を撫でてやってください」と勧められた。
「ゼノ様の独り占めはよくないですからね」
にこりと微笑んだリアスは、母のいる寝室へと駆け足で戻っていった。
残された男性2人は、目を合わせて笑い合う。
リアスの見当違いな行動が、可愛らしいと思っての事だろう。
「暇なら稽古を付けてやろう」
気を抜いていたマゼンタに、ゼノからの言葉が突き刺さる。
一気に表情を強張らせた少年は、脱兎のごとく一目散に逃げ出してしまった。
ゼノはいつも通りの少年の様子に、やれやれと頭を掻きながら小さな背中を追いかけることにした。
シインフットと呼ばれる百人にも満たない小さな村は、後ろを崖に、正面を森で囲まれた自然豊かな立地に位置していた。
この森で長年過ごしたマゼンタにとって、不揃いに生えた木々は馴染み深く、全力で走っても足を取られることはなかった。
しかし、それはゼノにとっても同じことで、明らかに歩幅の有利な彼の方が距離を詰めてきている。
「やばいぞ」
策を講じなければ捕まるのは時間の問題。
獣道に正解はないと判断したマゼンタは、大人達に禁じられている、瘴気の漂う草地に足を踏み入れた。
だが、それは後方からの強い力に阻止される。
「それはダメだぞマゼンタ」
親猫が子を咥えるように、襟元を掴まれたマゼンタの体は宙に浮く。
幸い首元の広い服であった為に、マゼンタの首に締まる感覚は無かった。
少年は暫くバタバタと暴れたが、そんな僅かな抵抗では力の強い大人に通用しなかった。
体の力を抜き、諦めの境地へと至った彼は項垂れて「ううっ」と唸る。
「嫌だー。まだ手豆が痛むんだよー」
目尻に涙を浮かべながら、少年は力無く呟く。
「これも全て巫女を護る為だぞ」
そう言ったゼノは、マゼンタにとって剣術の師だ。
マゼンタは嘗て捨て子だった。
川渕で泣く赤子を拾ったゼノは、自分の後継者としてマゼンタを育てることを決意した。だからこそ、ゼノはしきりに少年を鍛えたがる。
しかしながら、そんな厳しい修行に耐え兼ねたマゼンタは、日常的にゼノから逃げる日々を送っている。
ゼノが幼い少年を無理に指導するのには理由があったが、マゼンタはそれを知らない。
厳しい指導の元凶は、踏み入れてはならない土地と密接に関わっていた。
「この先には怨霊が犇めいている」
生い茂る葉に光を遮断された森は、時間を忘れる程暗い闇に包まれていた。
その闇に抵抗する様に、カーブを描いた線が淡く光りながら地面を撫でている。
村を囲う魔法陣は、リアスの母であるリリィが形成したものだった。
「リリィ様の神力が尽きようとしている今、俺たちは戦う力をつけなければならない。これは俺たちを匿ってくれた民に報いる為だ」
「その話は何度も聞いている」とマゼンタが反論する。
「ゼノさんは強いんだから怨霊なんて怖くないだろ!」
マゼンタは、一度も怨霊と対峙した経験はない。
しかしながら、ゼノを心から信用している少年は、彼の強さを信じて疑わなかった。
その考えはこの村に住む全ての住民と類似していた。
怨霊の脅威を知っているゼノは、そんな彼らの態度に心労を募らせる一方だ。
リリィを頼れない以上、この問題を責任もって解決しなければならないのは自分だと、ゼノは魔法陣の奥にある気配を目で追っていた。
リリィは書き終えた手紙を丁寧に折り畳み、その表紙に魔法陣を描く。
そんな母の様子を、リアスが興味深そうに覗き込んでいた。
小さな文様をハッキリ見ようとした少女は、体を前に出す。
「何を為さってるのですか」
手紙を届けようと意気込んでいたリアスは、書き終わった手紙を離さない母の行動に疑問を抱いた。
「遥か東の友人に渡すものだから転送します」
目を瞑り小声で詠唱を始めたリリィ。
彼女の邪魔にならない様にと、リアスは距離を取って詠唱の終わりを待つ。
「――その翼を意志の宿る友に与え風の使徒とならん。隙綾の息吹」
白と緑の魔力が部屋中を漂い、母の傍らにある小物が、その流れに沿って浮き上がる。
リアスは顔に触れた横髪を耳に掛けて、手紙の様子を伺った。
手紙は次第に粒子となって、窓から飛び立つ。
リアスが幻想的なその光を追いかけて外を覗くと、既に粒子は空に溶けて消えていた。
「ゲホッゴホッ」
痰の絡んだ咳に、リアスが急いで振り返ると、母が苦しそうに胸元を押さえて血を吐き出していた。
「母様!」
額に汗を滲ませたリリィは、震える手で壁際に飾られた羽衣を指差す。
「女神の引き継ぎをします。羽衣を纏いなさい」
もう長くないと悟った母は、慌てた様子で娘に命令を下す。
いつになく弱った母の態度に、リアスは恐怖で全身を震わせていた。
責務を終えたら、母を繋ぎ止めるものがなくなってしまう。
そう思ったリアスは俯くリリィを残したまま、その場から後退った。
「待ちなさい!リアス!」
リアスは母の叫ぶ声を遮断する為に、耳を塞いで人気のない場所へと足を進めていく。
枝が顔を割くのも構わず、ただひたすらに真っ直ぐ森を走った。
平静さを失ったリアスは、木の根に足を取られて盛大に転んだ。だが彼女は走ることを止めない。
涙と砂に覆われた視界では、自分がどこに進んでいるのか判別がつかなかった。
そのため、濃い瘴気に包まれていると気付くのが遅れてしまった。
手の届く場所で怨霊が溶けた体を動かしている。
禁断の森へと足を踏み入れたリアスは、心臓の高鳴る音と乱れた呼吸だけを耳にした。
「ああ……」
人の形を取らないそれらを見たリアスは、その場へ座り込んだ。
腰に力が入らないのか、恐怖に支配された少女は小刻みに震えている。
幸いにも怨霊は彼女に興味がない様子で、意味もなく蠢いていた。
怨霊の意識がこちらを向くより先に逃げ出そうと、リアスは呼吸を整えて脚を僅かに動かす。
すると、その音に反応した怨霊がぐるりとリアスへと向いた。
標的を見つけた怨霊が、唸りにも満たない音を荒げている。
「このままではやられてしまう」と固く目を閉ざしたリアスの耳に、大きな破壊音が届く。
「ゼノ様……?」
リアスは頼れる戦士の名を呼びながら希望を胸に目を開けるが、土埃の中現れたのは先程より異質さを増した怨霊だけだった。
図体の大きくなった化け物は、靄から人の形へと移り変わる。
リアスは闇を纏った瞳と目が合った。
「リアス!」
聞き馴染みのある声の方へ振り返ると、魔法陣を挟んだ場所に猫目の幼馴染が立っていた。
その隣に立つ戦士が、怒り狂った様子で、体勢を低くして強く地面を蹴り上げる。
腰に提げた刀を抜くと、その刀身が真っ赤な炎で包み込まれた。
「溶解の炎」
ゼノが縦に刀を振ると、炎が風に乗って怨霊を切り裂く。
しかし、その威力が足りなかったのか、怨霊は裂けた体をすぐさま修復し始めた。
怨霊は自身の治癒が終わるまで、動きを鈍らせる。
その知識を持ってるゼノは、怨霊の足元で蹲っているリアスを抱え上げ、魔法陣の中へと素早く退避する。
標的を奪われた怨霊が、地鳴りに近しい雄叫びを上げた。
「奴から離れるぞ」
リアスを片腕で抱え上げ、刀を構え続けているゼノがマゼンタに言う。
「あれが怨霊……」
マゼンタはゼノを最強の剣士と信じて疑わなかった。
しかしながら、そんな彼が怨霊との戦闘を放棄した。
敵はそれだけ強い存在なのだと知ったマゼンタは、絶望を感じながらゼノの背中を追い、森から走り去った。
「……素振りして来ます」
落ち込んだ様子のマゼンタは、その身に合わない丈の木刀を手に、家の裏へと移動した。
ゼノはリリィが血で汚した布団を、新しいものと差し替えている。
戦士の行動を扉の外から体を覗かせて伺うのは、逃げ出した少女だった。
リリィはそんな娘に小さく笑いかける。
「こっちへ来なさいリアス」
リリィは怒ってはいないことを表現するために、腕を多く広げて少女を迎え入れる。
腕の高さが安定しないのは、彼女がそれだけ弱っているからだろう。
しかし、リアスは頑なにその場から動かなかった。
「ごめんなさいね。焦ってしまって」
リリィは自身の行動を省みて、反省の色を見せる。
「いいえ、怨霊に会ってその脅威を理解しました。私はあれを止めなければならないのですね」
弱々しい容姿と声音に似つかわしくないセリフが、リアスの口から漏れ出す。
十にも満たない娘に背負わせるべきではない運命。
しかし、彼女等はそれを回避する術を持ち合わせていなかった。
「羽衣を受け継いでくれますね」
リリィが改めて女神の引継ぎを切り出した。
その言葉を聞いたリアスの視界が揺らぐ。
自身の為すべき使命を遂行するには、避けては通れない道だとリアスは理解していた。
だが、少女の足取りは重たい。
羽衣との距離は二畳程であったが、その道のりは永遠に続く程長かった。
女神を受け継いだら、母は苦しまなくていいのだろうか。
それとも生きる理由を失った彼女は、自身の元から去ってしまうのだろうか。
結果はどうあれ、リアスの成すべき事は変わらない。
人生で一番長い時間を過ごした彼女の手には、半透明な羽衣が握られていた。
「引き継ぎをお願いします」
娘と同じ様に涙ぐんだ母が、歯を食いしばって笑っていた。
引き継ぎの儀式は2人だけで行われた。
世界の秩序を管理する巫女の内情は、外に漏れてはいけない。
本当はゼノとマゼンタに付いていて欲しかったが、そんなリアスの我儘は許されなかった。
「貴方が内包するのは博愛の女神。全ての人類を愛するのが巫女の使命」
母の全身が神力に包まれる。
魔力より軽いその物質は、羽衣を優しく巻き込む。
母が羽衣に重ねた手を真似るように指示するので、娘はそれに従う。
重ねた手を起点に、神力がリリィからリアスへと動いた。
痛みを感じることもなければ温かみもない神力の無機質さに、リアスは拍子抜けした。
確かに神力が移っているが、それ以外の感覚はない。
そんな力を不思議に思っていると、リアスの視界が暗転した。
戦乱の記憶と狂愛の使命。
時空を超えて繰り返された悲劇が、リアスの全身を駆け巡る。
怒号渦巻く戦の地に、逃げ惑う人々。
崩れた建物から、猿が手を伸ばす。
闇を纏った長い腕が人々を飲み込み、その場に大量の血液だけが残された。
怒りに満ちた猿が、悍ましい雄叫びを上げる。
猿は癇癪を起し、何度も地面を叩きつけて地面を割った。
その割けた地面に吸い込まれた。
落下する暗闇の中で、虫の羽音が全身を蝕んでいた。
リアスは自分ではない体の感覚に、魘されながら手を握りしめる。
いつの間にか、自室に戻っていたらしい。
立ち竦んだリアスは、日の落ちた外の様子に不安を感じた。
今の記憶は過去のものだろうか。
それとも未来のものだろうか。
自分は眠っていたのだろうか。
自分は誰なのだろうか。
女神の引継ぎを終えたリアスは、数千年の歴史の知識を断片的に得ていた。
――そして女神の本当の使命を知ってしまった――
「こんな能力……望んでいない!」
自身の心の声と吐き出した声が重なり、リアスの耳に一際大きく響いた。
握りしめた拳から手首に垂れる血液が、嫌で堪らなかった。
その血液だけではない。
リアスは自身の体の全てが、嫌で嫌で仕方なかった。
こんな体なくなってしまえばいい。
自分なんて生まれて来なければ良かったんだと、意識が混濁する。
「やめろリアス!ナイフを離せ!」
物音を聞いたマゼンタは、取り乱すリアスを見つけてその体を押さえた。
マゼンタはこれ程までに感情の乱れた幼馴染を初めて見た。
リアスの足元では、無理やり切り裂かれた髪が散らばっていた。
少女の髪色が、美しい金色から橙に移り変わっていく。
虚ろな表情でブツブツとものを言う、異質なリアス。
その様子を見かねたマゼンタは、助けを呼ぼうと扉を見る。
彼女が傷つかない事を優先したマゼンタは、手始めにリアスからナイフを取り上げた。
少年がナイフ片手にリアスから視線を外すと、部屋の空気が一変した。
「誰だ……?」
彼の傍に居るのは、リアスだけだ。
マゼンタはリアスへ敵意を抱いた自分の感覚を疑った。
だが、その感覚は正しいと本能が警告を鳴らす。
細目の彼女の瞳を見たのは、いつ以来だろうか。
金色の眼が不敵に弧を描き、リアスはふらふらと森へと向いた。
傍に転がっていたはずの羽衣は、いつの間にか彼女の腕に収まっている。
リアスの姿をした誰かは、何もない壁をじっと見つめて、尚も微笑む。
『あれは消してしまおう』
重なった声の1つは幼い彼女のものだろうか。
透き通る美しい声の持ち主を、マゼンタは知らない。
「大丈夫か……リアス?」
マゼンタがリアスであるかも疑わしい少女に軽く声を掛けると、羽衣の少女はニコリと笑った。
幼馴染の彼女は笑う時に、首を傾ける癖がある。
それを知っているマゼンタは、正面を向いて笑顔を向ける誰かに対しての不信感が増した。
少年は彼女が何かを語るのかと構えていたが、リアスは力無くその場に崩れ落ちる。
慌てて彼女を抱き上げたマゼンタは、リアスが小さく寝息を立て始めた事に安堵する。
マゼンタは彼女の見つめていた壁を凝視し続けたが、その壁が変化することはなかった。
彼女の見つめた先、森の奥地ではバンダナを血で濡らしたゼノが、荒い息を立てて跪いていた。
雄叫びを上げ続ける怨霊は、過去に戦ったそれらと比べものにならないほど強い。
しかし、ここでこの思念体を逃せば、リリィが結界を維持出来なくなった時、この一際強い個体も村に攻め入るだろう。
ゼノは「自分には人々を護る使命がある」と膝に力を入れた。
再び立ち上がった彼を嘲笑うかのように、怨霊が仲間を踏み倒す。
同族を殺した怨霊は、より一層濃い闇に包まれた。
質量を増したそれの魔力が、倍に膨れ上がった。
強い絶望感を得ながら、ゼノは刀を構える。
戦闘を繰り返したことにより、村から大分離れてしまった様だ。
リリィの住まう家から遠く離れたこの位置では、女神の加護は得られない。
怨霊を屠るのに必要な力を失ったゼノは、自身の命運が尽きたのだと悟った。
「看取れなくてごめんな」
ゼノは尊敬すべき主人の元気な頃を思い出す。
巫女の名前が似つかわしくない程、彼女は破天荒に走り回る女性だった。
世界の全てに目を輝かせて、当然の様にゼノの手を引く美しい彼女。
ゼノは真っ直ぐな瞳で自分を見るリリィを、心の底から愛していた。
怨霊の毒がゼノの体を巡り、その内面に溶け込んでいく。
生き物の気配のない森で、彼の苦痛な声だけがこだましていた。
これは幼い彼女の物語。博愛の巫女は世界をどう変えるのだろうか。