これは複製された彼の物語
ぐぅと鳴る腹を抑えた少年は、今にも気を失いそうな少女の隣に座り込んだ。
少年の肩に凭れた少女の両腕から、本が落ちる。
――ガンッ――
静かな部屋に響く一際大きな落下音で、少女は慌てて本を拾った。
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腹を護る様に世界約款を抱えたリアスは、三角座りで縮こまる少年を見た。
彼の表情には覇気が無く、疲れた様子で目を擦っている。
子供らしい態度の彼への警戒心を解きかけたリアスは、奥歯を強く噛んで口をキツく結んだ。
リアスと少年は今、管理世界の円卓会議場の隅の方で座り込んでいる。
「「…………」」
両者共に何も話さない。
両開きの入り口は開け放たれていたが、2人共そこから外へ出ようとはしなかった。
遠くに見える使者の清掃風景だけが、時間の流れを知らせる。
「また1日が過ぎてしまった」と、リアスが溜め息を吐いた。
「……ボクは結局、器でしかないんです……」
沈黙に耐え兼ねた少年は、リアスの吐いた息を合図に語り始める――。
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――少年の本当の名を憶えている者は存在しない。
彼が物心付いた時には、作り物の雲が天井を舞っていた。
水色に着色された空と影の濃い雨雲が、クッションに埋もれた少年達の世界の全てだった。
「あ……壊れちゃった」
お気に入りのぬいぐるみの糸が解れて、綿が覗いていた。
この部屋に裁縫道具が無いのは百も承知。
だが、涙ぐむ少年は「どうにかして修繕しよう」と、部屋中の物を漁った。
角に纏められていたぬいぐるみ達で、少年の膝丈より上が埋もれる。
ぬいぐるみを手探りで掻き分けた少年の腕が、何かに掴まれて中へと引き摺り込まれた。
「おやー?新顔だねー……良い顔してるー」
おっとりとした年上の胸に包まれた少年は、身動きが取れない事に苛立って体を捩る。
「んーんー!」と暴れる彼の腕を離した年上は、いたずらっ子の様に歯を見せて笑った。
「しー。静かにしないとー連れてかれるよー」
部屋の明かりがぬいぐるみの隙間から差し込み、少年は相手が自分より随分背が高いと知った。
そして、その存在は閉鎖空間で生まれ育った彼の目に神秘的に映る。
「おっきい人!凄い!男でも姉さんみたいにおっきくなれるんだ!」
「ううーうるさいなー」
両耳を塞ぐ年上に、目を輝かせる少年。
この時の出会いが、2人の人生を大きく狂わせる事となる。
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――ガシャン!――
仰々しい破壊音に迎えられた少年は慄き、自分の首綱を引く黒子と体をぶつけた。
少年は、黒衣の隙間から正面の様子を薄目で見る。
彼の視界を埋めたのは、黒い布越しで「モゾモゾ」と動く影だけだった。
レッドカーペットの先に真っ赤な玉座があり、その傍には花瓶を地面に蹴った張本人が不愉快そうに立っている。
20歳前後の童顔に小さな王冠を乗せた彼は、可愛らしい見た目とは裏腹に、歪んだ表情で頭を掻き毟った。
『早く次の器を用意しろ!もっともっともっとボクより可愛い器を!』
乱心の男は荒んだ足取りで、黒子の後ろで怯える少年達を1人ずつ吟味した。
『目が小さい!鼻が丸すぎる!こんな薄い唇でボクに喋れって言うの!?』
一列に並んだ少年達が、頬を叩かれて蹲る。
その場から逃げ出そうにも、首綱が彼等をこの恐怖から離さない。
そして、「コツコツ」と鳴る足音が、件の少年の前で止まった。
『ふーん……まあ、いいじゃん。これ保存しといて』
「自分も叩かれる」と思っていた少年は、呆気に取られた。
そして、瞑っていた目を開けた少年は、驚きのあまり息を呑む。
「……大人の人……」
ぬいぐるみに埋もれた年上とは、一線を画す存在。
大人の男性を初めて見た少年は浮かれ気分で、彼の言葉を背景の様に聞き流していた。
『――お前の名前はオーブリーだ』
そう言われた瞬間、少年は後ろに倒れ込み、黒子によって部屋から運び出された。
その日から、彼には6人部屋の寝室が用意された。
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布だらけの部屋で雑魚寝をしていた少年は、初めて見るベッドに感動して涙を流す。
シーツを濡らす入居者を笑顔で出迎えたのは、彼に負けず劣らない美少年達だった。
「顔を汚すとールシファー様に怒られるよー?」
「……!おっきい人!」
その内の一人は少年の顔見知りだった。
言うまでも無く、ぬいぐるみに囲まれていた年上だ。
「まずはーおめでとー。良かったねーオーブリー。彼に見初められてー」
「えっうん、なんでボクの名前……」
少年達はお互いの目を見合わせて「クスクス」と笑う。
「だってボク等は皆オーブリーだから。ボク達はルシファー様に選ばれた『世界一幸せな人間』だよ」
綺麗な顔立ちの彼等はそう言うと、お互いの容姿を褒め合いながら「キャッキャ」と会話を始めた。
新顔のオーブリーも、彼等の空気に呑まれて歓談に「フラフラ」と寄る。
そんな彼を止めたのは年長の少年で、背後から両腕を掴まれたオーブリーは、見上げた頭を横に傾げた。
「ボクにーもっと顔を見せてー」
「えっと……うん」
幼さの中に大人っぽさを混ぜた綺麗な笑みを前に、頬を染めた少年は手を引かれるままに彼のベッドへ腰掛けた。
少年の首元に、年上の冷たい指先が触れる。
その指は、彼の顎を撫でて口元で止まった。
「奥二重は治せるか……八重歯は少し削って……もっと明るい金髪の方が……輪郭も丸く……」
ブツブツと独り言を呟いた彼は、自分に見惚れる新顔へ「ニコッ」と笑い掛けて、小さな体を抱き締めた。
「ボクがー君を一番にするからねー」
2人の姿を見た周りの少年達が「ズルい!ボク達も!」と、抱き合う彼等に割って入る。
潰された少年達は「ケタケタ」と笑いながら、彼等を歓迎した。
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2畳の部屋を1畳ずつ分かつガラスは、長年の使用で白く曇っている。
1か月ぶりに会うガラス越しの姉は、憔悴した顔で少年に手を伸ばした。
触れる事の出来ない弟の顔を凝視して記憶に残そうとする姉は、ふと彼の変化に気付く。
「違う……私っの……へ?あ……わた、しの……」
「ヨレイン姉さん?」
いつもなら自分の名を呼んでくれる優しい姉が、酷く動揺して座り込んでいる。
ヨレインは浅い息を吐きながら「え?え?」と、言葉を繰り返す。
そして、思考を終えた彼女は天を仰ぎながら、悲痛な叫び声を上げた。
「いやああああっあっ私は、違うっ、私に、私は違うんです嫌だ嫌だ嫌だ!」
「どうしたの姉さん!?誰か!姉さんを助けて!」
ガラス越しの弟の声を掻き消そうと、ヨレインは更に叫び声を上げる。
だが、絶叫を聞いた黒子達がヨレインの背後にある扉から現れ、彼女の腕を引いて外へと連れ去ってしまった。
遠ざかる姉の声を聴きながら、立ち竦む少年は自分の無力さを嘆く。
「ボクがもっと大人だったら、姉さんを助けられたのかな……」
「大丈夫ー君なら大人になれるよー」
独り言に返事を受けた少年は「ハッ」として、背後に立つ年上を見る。
年上は右手のハサミを「カチカチ」と鳴らしながら、おっとりとした態度のまま小さく笑った。
「準備が終わったからーこっちおいでー」
姉を助けたい少年は、彼に導かれるままぬいぐるみだらけの部屋へと歩みを進めた。
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重なったぬいぐるみは、バラバラの手足を縫合されている。
その縫い目は見るからに素人の所業だった。
そして、その拙い業が少年の顔面に深い傷を付ける。
熱を感じた少年は、姉の様に絶叫の声を上げた。
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『これだ……!これがボクの求めてた完璧な顔だ!』
「キラキラ」と目を輝かせた青年は、赤みの残る少年の頬に両手を添えて喜んでいる。
その光景を見た黒子達はホッと胸を撫で下ろし、平然とした顔で少年の隣に居座る年上は、作り笑顔をルシファーに向けていた。
「ルシファー様の理想の顔はボクが作りました!是非ボクをルシファー様の側近に!必ずお役に立ってみせます!」
虚ろな目の少年を押し退けた年上は、ルシファーの前に立ってアピールをする。
だが、自慢気な彼を見たルシファーは首を傾げると、顎に手を当てて不思議そうに言った。
『何で?もう他の器は捨てるに決まってんじゃん』
「……え?」
ルシファーの純粋な言葉を聞いた少年は、後退った。
「コテン」と、尻餅を付いて悪魔を見上げる少年。
虎視眈々と自分が生き残る道を作った少年は、その道の先にあった絶望を前にして言葉を失う。
『あ!そうだ!どうせ捨てるなら全部混ぜようぜ!ボクってば天才じゃん。へへっ、頭はお前のを残してやるよ。功労者って言うんだろ?ボクに感謝しろよな』
見下す目と視線を交わした少年は、ポケットに仕舞っていたハサミを取り出して自分の首へと向ける。
悪魔に殺されるか、自分で命を絶つか。
最悪の2択に追い込まれた年上は、震える手で喉元に刃をゆっくりと押し当てた。
『は?誰が勝手に死んでいいって言ったの?ボクの命令聞けよ』
「…………!?……はい」
悪魔に魅入られた少年は、操り人形の様な人間味の無い動きで、「トボトボ」と歩き始める。
『はーめんど。体変えよ』
成り行きを無言で見ていた少年の意識は、そこで途切れた。
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――凄惨な過去を語る少年に、恨みなど一切ない。
ただ、そこにあるのは空虚な感情だけだった。
「ボクが意識を取り戻すと、年上はツギハギだらけの太った体で、ボクを睨んでいました。ヨレイン姉さんは赤子を抱えて、目も合わせてくれませんでした。あの日以降……いえ、生まれて来てから一度も、ボクは何者でも無いんです」
意志の無い虚ろな目をした少年――オーブリーは、リアスの手を握って問い掛けた。
「……ボクは、何の為に生まれて来たんでしょう……」
リアスは本を手放して、少年の手を取った。
彼女はオーブリーの言葉に共感して表情を崩すと、「ポツポツ」と話し始める。
「私も……何も憶えていないのです。シインフットを離れた事も、ニケがルシファーと何を話していたのかも。人間の意識は劣後されるのですから……辛い、ですよね……」
リアスは、9番目の世界に旅立った幼馴染を想って肩を落とした。
そんな少女の涙に驚いた少年の表情が固まる。
そして、「あ……」と声を漏らしながら、少年も同じように大粒の涙を流した。
地面に落ちた世界約款を見た少年は慌てて後退り、気まずそうに彼女から離れた。
「ボ、クは……また……間違えっ……」
嗚咽で言葉を詰まらせた少年は、机の柱に頭を強打した。
背中に垂れる血で背筋を凍らせた彼は、衝動的に言葉を発す。
「め、女神様は憤怒の悪魔の勝敗が見えないって……だから、ルシファー様は東の魔女さんを倒そうと、ボクは貴女の足止めを……」
リアスは咄嗟に少年へ詰め寄った。
聞き捨てならない言葉に、少年の裾を掴んだ少女は厳しい目を彼に向ける。
「足止めって!?貴方は……ルシファーは私に世界約款を書き換えさせたいのでしょう!?」
ルシファーは世界約款で得た地位に慢心していた。
だが、彼は王より優位に立とうとも、女神やサタンには勝てない。
それに苛立ちを感じた悪魔は、世界約款の書き換えを今一度起こそうと考えた。
しかし、理を変えるには神の力が必要だった。
そこで目を付けられたのは、女神の器として未熟なリアス。
自分を無理矢理従わせようとするルシファーに追われたリアスは、全ての戦闘を拒絶する円卓会議場に逃げ込んだ。
彼の思惑通りに事が運ばぬ様、数日に渡って引き籠った少女は、少年の発言に理解が追い付かない。
「ルシファー様は今、ボクの中には居ません。戦闘はボクより年上の方が得意だから……」
「て、手袋を脱いでください」
露わになった少年の手先は、日に焼けていない透き通るような色だった。
当然そこに、悪魔の痕跡は残っていない。
「……ニケが、邪魔なのですね。では、狙われているのはあの人?」
「ボソボソ」と呟いたリアスの言葉を拾ったオーブリーは、あの人がマゼンタだと解釈した。
少年は自分を気遣ってくれた戦士を思い出し、心が揺れた。
泣いてばかりいた自分に、初めて手を差し伸べてくれた存在。
マゼンタは彼にとって初めての良心だった。
そして、王都へ向かう馬車での時間は、オーブリーにとっては何事にも代え難い綺麗な記憶として残っている。
「今なら!……今ならまだ間に合うかもしれません!ボクは――」
オーブリーは肺を空気で満たした。
「ボクはボクの意志で、大切な人を護りたい!」
大きく宣言した少年を眩しそうに眺める少女は、重い腰を上げて震える足を叩く。
「私も……護りたかったなぁ……」
寂しそうにそう呟いた少女は、弓を手にして円卓会議場を後にする。
そして、その後ろを弱気な少年が追い掛けた。
――――――――――――――――――――
これは複製された彼の物語。
すれ違う思惑が彼等を更に不幸にする。
次回更新は2025/09/28を予定しています




