これは射る彼女の物語
時は、リアスがマゼンタを9番目の世界へ見送った後に遡る。
己の無力さで枕を濡らした彼女は、鏡に映る自分の姿を眺めていた。
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主が留守の家を木陰から覗く影が1つ。
矢筒が木の幹からはみ出している事に気付いているのは、彼の存在を察知した少女だけだった。
男の静観を確認した少女――リアスは、急いでマゼンタの部屋を目指した。
羽衣を脱ぎ捨て、クローゼットに入った色気の無い上着を手にした彼女は、それを頭から被って着用する。
学生服の様な黒い服がスカートを隠し、リアスの女性らしさを削ぐ。
ハンチング帽に髪を収納した彼女は、幼い見た目も伴って少年と遜色なかった。
「よし!」
小さく拳を握った彼女は、姿見に映る自分を見て態度を改めた。
わざとらしく大股で部屋を飛びだした少女の目的地は、木陰で溜め息を付く男の傍だ。
――ザッザッザッ――
「!?」
駆け足に警戒を強めた男は、弓を構えてリアスへと向かった。
その距離おおよそ50m。
慎重な男が「誰だ」と問うが、足を止めたリアスは返事をしない。
男の声を聞き逃した少女が、両手を上げて無抵抗を表しながら近寄るも、その頭上を矢が通過した。
驚きで縮こまったリアスと、手応えの無さに不信感を抱く男。
膠着状態にあった双方は、不意に聞こえた大声で空を見上げた。
「ああっ!不審者さんだ!ヤミヤミー!悪い人がまた来てるよー!」
屋上から響く記号の声を合図に、弓を持った男は直角に曲がると塀を飛び越えた。
「待て待てー!」と元気よく声を上げる記号は、発言とは裏腹に男を追いかける様子はない。
「まっ待ってくださ……待てっ!」
一目散に逃げだした男を追うリアスは、敬語を押し殺して塀をよじ登る。
彼女が塀の外に降り立つ頃には、男は食堂へ続く階段を段飛ばしで下っていた。
石造りの手摺を駆けたリアスは、バランスを崩して階段へと転げ落ちる。
「見失っちゃう……ごめんなさい」
逃げる男が角を曲がる直前に、彼女は固有魔法を発動した。
リアスの属性魔法は植物だが、固有魔法はその属性に依存しない。
『鑑定眼』を持つ少女は、目を見開いて男を視界に収めた。
「『感知』……だから盲目でも私の正確な位置を察知で来たんですね」
独り言を呟いたリアスは、彼を捕まえる為の作戦を始動した。
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リアスが射手を盲目だと判断したのは、包帯が彼の頬から上を覆っていたから。
そして、男の矢がリアスの頭上を通過したのは、対象を大人だと勘違いして起こった現象。
リアスは男の盲目を確信して、ダミーを町中に配置した。
人に見立てた木の幹を生成すれば、自ずと彼女の魔力が残留する。
「……恥ずかしい。すぐ消したい」
魔法知識の乏しいリアスが作った幹は、到底植物には見えない不格好な物だった。
魔力を残すという役目を鑑みれば十分であったが、「クスクス」と聞こえる町人の笑い声で頬を染めたリアス。
「はぁ……変装してて良かった」
男を嵌める準備を整えたリアスは、町の南側の門で対象を待ちながら安堵の息を漏らす。
人口の少ないハウサトレスの領土は狭く、門の上によじ登った少女の鑑定眼には、東西の門を出入りする人が視界に収まっていた。
霧の掛かった森へ姿を消されては成す術無いが、警戒心の強い男がわざわざそこへ逃げるとも思えない。
そして数刻後、リアスの予想通り男は南門へ姿を現した。
しかし、少女は男と接触する手段を考えあぐねて、結論をまだ出せてはいない。
「どうやって接触しようか」と機会を伺う少女に、男の方から声が掛かった。
「ここへ誘導して何を企んでいる」
掠れた声を出した男は、リアスのしゃがみ込む門の縁へ弓を放り投げた。
武器の放棄に驚いた少女は、唾を飲み込んで地面へ降り立つ。
膝で衝撃を殺したリアスが脚を伸ばすと、男の手の平に頭が当たった。
「なるほど、子供か」
「はい、うん。弓を返すよ」
リアスの歩み寄りは、初対面の男に僅かな信頼を築く。
受け取った弓をローブの内側に隠した男は「コ―ニール」と名乗った。
「わた、俺はリア……だ」
偽名を名乗る前提で動いていたリアスの口は、口調を変える事に気を取られて名前を区切った。
足の付かない名前にする予定だった彼女は、後悔しながら目眩に襲われる。
『真名を否定する言葉』は、リアスから大量の魔力を奪った。
「どうした、リア」と、男が心配そうに背中を摩る。
「問題ない。少し咳き込んだだけ」
辛そうに唇を噛む少女が大丈夫でない事は一目瞭然だったが、盲目の男は言葉に納得してしまう。
男から差し出された竹筒の中身を飲み干したリアスは、袖で水を拭って彼の裾を「ガッシリ」と掴んだ。
偽名の苦痛など些細な問題。
彼女は本来の目的を成すために、射手を逃す訳にはいかなかった。
「頼む!俺に弓を教えてくれ!」
リアスからの前振りの無い申し出に唖然とした男は、近寄る人の気配を察知して少女の背を押す。
「とにかく町を出よう」と、整備されていない林の奥を指差す男は、屋敷からの追跡者に怯えていた。
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盲目の男コ―ニールは、王都から東の魔女の暗殺依頼を受けた射手だった。
そして、標的の居ない屋敷で彼を待ち受けていたのは、めっぽう機嫌の悪いヤミだった。
仲間からの事前情報で門番の少年の実力を聞いていた刺客達は、容赦の無い剣士に蹂躙された。
「あれはダメだ。敵う筈もない」
ヤミの実力を肌で感じ取ったコ―ニールは、他の使者が返り討ちに遭う中、唯一生き残った暗殺者だった。
「だからと言って、王都にも戻れない」
頭を抱えた男は、成果無しで王都に戻れば処刑されると怯えている。
13番目の世界の西側に位置する王都――ユシルファでは、偽の国王が独裁的な王制を敷いていた。
博愛の巫女の後ろ盾を得ている王に逆らう者は少なく、コ―ニールも多数派の1人だった。
肩を落とした男の対面で焚火を囲むリアスは、身に覚えのない話に疑問を持った。
博愛の巫女当人であるリアスは田舎で育ち、王都に赴いたのはつい最近の事で、偽王との接点は無かった。
だが、コ―ニールが嘘を語る必要性は感じない。
「巫女は……王の政治に干渉しないのか?」
彼の話に合わせて少女が質問をすると、男は頷いて聖書を胸の前に掲げた。
「巫女姫様は魔女の封印に尽力なさってる。教会の地下で祈りを捧げているらしいが……いや、修行の為に王都を離れていると噂も流れていたな。巫女姫様の居場所は平民の知るところでは無いが、姫様は使命を全うされている。巫女姫様を裏切る様な行動は出来ない……が、しかし……」
巫女を敬愛するコーニールの言葉に、リアスは目を伏せた。
魔女の封印を崩した事実は、術者である女神しか知り得ない。
自分を信じている民の姿を前にして、少女は強く地面を握った。
「コーニールさんは王都に戻りたいのか?」
リアスの問いに、男は苦笑い交じりで「いや」と答えた。
しかし、王命を無視すれば自分を探す刺客が現れる。
「人の住む街にはもう近寄れない。巫女を裏切ってしまった」と、彼は頭を抱えて落胆していた。
落ち込む彼を見たリアスは、男の立場を改善する方法を考える。
そこで、リアスは「ハッ」と立ち上がって、コーニールの膝を握る拳に手を重ねた。
「シインフットに行こう!わた、俺の故郷は辺境にあるから見つからないはずだ!」
彼女の故郷はつい最近まで巫女の魔法で封鎖されていた。
森に囲まれた村を見つける事は極めて困難で、彼女の発案は的を射ている。
聞き慣れない村名に呆けていた男は、『感知』をリアスに向けて発動して笑みを作った。
「いいだろう、どの道潰える命だ。亡命先はお前を信じる。……その道中弓を教えてやってもいい」
喜びで跳び上がったリアスの高い声に、コーニールは「誰か居るのか?」と周りを見渡して第三者を探す。
急いで口を塞いだ少女は、少年のフリを続けて仁王立ちしたが、盲目の彼は「ポカン」としていた。
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「まずはあの小動物を狙ってみろ」
シインフットを目指す道中。
草陰からウサギを覗くコーニールは、作りたての木製の弓を構えたリアスの頭に手を置いた。
少女は深呼吸で手ブレを鎮めて、ウサギの頭上を目指して矢を放った。
――ヒュッ――
矢は放物線を描いて地面へと落下した。
その音でウサギは逃げ出し、近くに潜んでいた他の生き物も去ってしまった。
「と、届かなかった……」
落胆するリアスを他所に、矢を拾いに進んだコーニールは歩幅で距離を測る。
「非力だな。魔法で補えんか」
「魔力操作……俺、あんまり使った事無くて、苦手なんだ」
リアスには、巫女である事以外に特別な能力などない。
俯く少女の気配を察した男は、「ふむ」と溜息混じりに考え込む。
そこで彼が思い返したのは、ハウサトレスで彼女が自分を誘導した狡猾な策だった。
コーニールに「標的の魔力は見えるか?」と、問われたリアスは「ああ」と答える。
「ほう、その歳で……。ならば、あれは見えるか?」
「あ……うん。キツネだね」
彼の指差した方を見た少女は迷わず言う。
コーニールの示した先には一匹のキツネが居たが、重要なのはキツネの存在ではなく距離だった。
山の中腹で警戒心もなく眠るキツネとの距離は、おおよそ1km。
キツネを見るリアスの魔力を感じ取ったコーニールは、消費魔力の少なさに驚いた。
「そこまで正確に操れて操作が苦手だと?」
「いや、これは固有の『鑑定眼』。見た物の情報が分かるんだ」
不審がるコーニールを前に、申し訳なさそうに縮こまったリアス。
そして、彼女は無断で彼の属性と固有を盗み見た事を正直に謝った。
「視界に収めた物を無差別に鑑定するから、普段は目を瞑っているんだ」
リアスは固有魔法を恥じているが、コ―ニールは少女に才能感じた。
亡命の対価分だけ彼女を鍛えるつもりだった彼は、懐かしい感情に包まれたことで気変わりする。
男は少女の両肩をガッシリと掴むと、盲目で彼女を覗き込んだ。
「リリィ以来の大物だな!鍛え甲斐がありそうだ」
男は豪快に笑うが、リアスの心境はそれどころではない。
「リリィ……?」
「鑑定眼を常に発動し続けろ」とリアスに言った彼は、進路を変えてドンドン人里から離れて進む。
急な方向転換に驚いたリアスは、コ―ニールへと手を伸ばしたが、彼を掴むのを思い留まった。
リリィについて問えば、自分が巫女だとバレるかもしれない。
しかし、母を呼び捨てにする彼は、母が巫女だったとは知らないのでは?
そもそも、彼の言う人物は母ではない?
懐かしい母の名に胸を締め付けられたリアスは、感情を押し殺してコ―ニールの背中を追った。
射手の指示通りに『鑑定眼』を発動するリアスの視界は、彼女の思考を鈍らせるには十分だった。
雑草とひとつ括りに出来るの物でも、生息地や種類は様々。
両目を見開いた少女は、目を逸らし続けていた過度な情報に耐えきれず吐き出した。
「止めるな。見続けろ」
厳格になったコ―ニールの態度は、今のリアスにとっては有難いものだった。
朦朧とする意識の中で、「クスクス」と笑う女神の姿が浮かび上がった。
ニケが母の過去を知らないはずもなく、都合の良い部分だけの記憶を共有する女神を、リアスは好きになれなかった。
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胃の中の物は随分前に置いてきた。
腹を押さえて倒れ込んだ少女に見向きもせず、彼女の師匠はズンズンと先へと進む。
コーニールはわざと情報量の多い道を選んで、遠回りをしていた。
彼は時折矢を放っては、捕らえた獲物の情報をリアスに鑑定させる。
矢の速度・刺さった角度・獲物の傷と最後の行動。
何度も何度も情報を得る事で、リアスは等速で進む獲物を容易く射るようになっていた。
「やった!これで10匹目だ!」
ウサギの耳を掴んで自慢げに駆け寄ってきた無邪気な少女とは対照的に、難しい顔をしたコーニールは奥歯を噛んだ。
「流石に同じ動物を獲り過ぎだ。次は鹿を狙え」
狩猟のルールを重視する彼は、生態系を崩してしまうことを危惧したのだろう。
簡単に獲物を狩れるようになった少女には、小動物の狩猟は向いていない。
成果を腰へ括り付けたリアスは、師匠の意思を汲んで大きく頷いた。
「シインフットは殆ど人の手が加わっていないから、この程度は問題ないよ。それよりほら!村はすぐそこだ」
丸2日掛けて師弟が辿り着いた集落では、リアスの顔馴染みが村の柵を修理していた。
「ただいま」と駆け出した少女に置いていかれたコーニールは、気まずそうに伸ばした手を下げる。
彼は「コソコソ」と村人達と話をする少女を無礼だと感じながら、彼女に従う他ないと近場へ腰掛けた。
「巫女だってバレない様に男の子のフリしてるから、口裏合わせて欲しいんです。今の私はリアです」
マゼンタの姿が無い事に気付いた村人達は、リアスの申し出に困惑しつつも頷いた。
彼等は護衛を付けていない巫女の帰還を不思議に思いながらも、彼女の行動を尊重しようと素直に歓迎する。
「長旅でお疲れでしょうリア様。お連れもどうぞこちらへ」
村人から手招きを受けた男は、重い腰を上げてリアスの横へ並び立った。
身振り手振りの大きな少女は、自分の手を引いて村を案内するのだろうと予想して、自ら手を差し出したコーニール。
だが、その手は取られる事なく宙を掴んだ。
少女は「何故ここに……」と、小さく呟いて鋭い視線を前に向ける。
「……リア?」
「ううん……なんでもない」
横に首を振ったリアスは、師匠の袖を引いて懐かしい我が家を目指した。
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これは射る彼女の物語。
コ―ニールに村を案内し終わったリアスは、我が物顔で村を歩く少年に接触した。
次回更新は2025/09/07を予定しています




