これは堕ちる彼等の物語
「ポコポコ」と溶岩の沸く音が、街の中心部から聞こえた。
「近くに山など無かったはずだ」と、人々は音のする方を探して光の柱を見上げる。
白い光の中で一際目立つ黒い靄。
それの意味を理解出来る人間は、この街にはいない。
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慣れ親しんだ土地に足を落としたグレンは、周りの騒動に気を取られてシロの転倒に気付くのが遅れた。
肩で息をする白猫の魔力は、未だ回復の兆しがない。
そんな彼は目の前の惨劇を見て、11番目の世界へ魔法を残した事を後悔した。
「……マゼンタだ。僕の魔法が消えてる」
「魔法?ああ、だからマモンの魔力気配がするのか」
マゼンタが怨霊から受けた裂傷の治癒法は、確立されていない。
怨霊に背中を浸食された彼の精神を維持していたのは、シロの時間停止魔法。
王都を破壊する目の前の化物は、マゼンタの成れの果てだった。
横長な建物の屋根で四つん這いになった化物は、辛うじて人型を維持している。
黒い靄に包まれた手足が屋根のタイルを「パリパリ」と破壊し、だらしなく舌が垂れた口元から「ボタボタ」と、滴る涎が硝酸のように屋根裏まで溶かしていた。
「どうしよー」
街を次々と破壊するマゼンタを眺めながら、間延びした声で他人事のように呟いたグレン。
彼女を「キッ」と睨み付けたシロは、物凄く嫌そうに口角を下げて現実的な提案をした。
「マゼンタが人を襲う前に君の忠犬を呼ぼう。頼りたくは無いが、今戦力になるのはあの馬鹿しか居ない」
「もう呼んでる。じゃなきゃこんな呑気してないって」
シロが「どうやって?」と聞くと、グレンは「共有魔法」と答えた。
「何言ってんの?君の属性は氷――」
――ドオオオオン!――
シロの言葉を掻き消した轟音は、マゼンタを捉えた一閃だった。
土煙が口に入ったグレンが「ペッぺッ」と、手のひらで舌を拭っている時、1つの影が彼女に重なった。
「うわああん!お帰りなさい主さん!俺寂しさで死んでまうとこやったわ!怪我の具合は?痛いとこは?ちゃんとご飯食べとったん?」
「うわっ!うるせぇ触んな!」
ヤミはグレンに頬を蹴られながらも、彼女へ跪いて幸せそうに笑っている。
それを見て無性に腹の立ったシロが、水魔法で彼の頭に大量の水を掛けた。
「頭冷やしなよ。君にマゼンタを止める以上の価値なんて求めてない」
喧嘩腰の白猫と対峙した仕人は、彼の非礼など痛くも痒くも無いらしい。
らしくない醜悪な笑みでシロを見下したヤミは、刀の柄でシロの肩を押して小さく耳打ちした。
「んなメンタルでよぉ主さんと居れるな。人殺せんなら、記号と仲良しごっこだけしとったらええねん」
「――!」
シロの図星を言い当てたヤミは、黒い気配を強めたマゼンタへ向き直った。
拳を握るシロに「どったの?」と、声を掛けたグレンは「黙って!」と一蹴されてしまう。
「少し見ぃひん間に人間味失うたな。マゼンタ」
「ギリギリ」と、不快な金切り音で削れる刀身。
ヤミの刀へ爪を立てた獣が、刀身に齧り付いて武器を溶かす。
刀が折れる寸前で獣を振り払ったヤミは、武器を鞘に戻してグレンへと問うた。
「とりあえず細切りにするで?闇属性やし死なんやろ」
「確証が無いだろ。拘束しろ」
主が無理難題を言うのは珍しくない。
姿勢を低くしたマゼンタの前で、伸びをしたヤミは「うーん」と、唸りながら首の骨を鳴らした。
「ま、最悪許して貰お。……拘束ですね!わかりましたよっと!」
前半を濁した男は、マゼンタの攻撃を右に避けて壁を蹴る。
長身に似合わぬ軽やかな動きで攻撃を避け続けるヤミは、無表情ながらもどこか楽しそうだ。
幸いにも、世界を繋ぐ光の柱の周辺には、一般市民の住宅は無い。
兵士の演習場を兼ね備えているそこには大量の兵が居たが、その殆どは市民の避難誘導へ回り、残っているのは一部の優秀な兵達のみだった。
そんな彼等は今、ヤミとマゼンタの戦いを遠巻きに見ている。
彼等の目が期待と羨望に満ちているのは、ヤミの戦闘を直に見るのが初めてだったから。
「離れてください。巻き込まれますよ」
そう、見当違いな発言をグレンとシロへ向けた兵士は、彼女等の腕を引いて安全な位置へと移動した。
自分が東の魔女だと悟られない様に、黙って指示に従ったグレンは、2人の戦いを「ヒヤヒヤ」しながら見守っている。
「大丈夫だろうか……」
グレンの呟きを拾った兵士は、握り拳を振り上げて元気な笑顔で「心配ないです」と言い切った。
「ヤミ様はこの世界を護り続けているお方ですよ!決してあの化物に負けません」
「そうですよ!うわー感激だな!ヤミ様の勇姿を見られるなんて!」
兵士にとって彼は尊敬すべき対象だった。
ヤミは表向きには『魔女を百年以上抑え続けて、世界の為に尽力する悲劇の人』だと思われている。
キラキラした瞳に気圧されたグレンは、そこでふとヤミの意思に気づいた。
――もしかしてヤミは本当に、マゼンタを殺そうとしているんじゃないか?――
ヤミの容赦の無い猛撃に、マゼンタの抵抗は追い付いていない。
ここでヤミがマゼンタを殺せば、彼は国の英雄として祭り上げられるだろう。
ヤミと付き合いの長いグレンは、彼が極端な行動を取る可能性の高さをよく知っている。
だが、ここでグレンが魔力を使えば、彼女が魔女だと兵士達に知られてしまう。
王都に更なる混乱を招く存在である彼女は、戦闘を止める術もなく黙って成り行きを見守るしか無かった。
「マゼンタ、攻撃の手ぇ止まって来とるで」
闇の魔力に飲み込まれて言葉も発せない少年は、どれだけ傷付こうともヤミを襲い続けている。
意思の無い獣の姿を見る殆どの目は冷たかったが、唯一シロだけが少年の思いを汲み取れた。
「……マゼンタには意志が残ってる。人を襲わない為に抗ってるんだ」
破壊された建物の崩壊具合に比べて、周りに立つ兵士の怪我の無さが不自然に目立つ。
マゼンタは明らかに、ヤミだけを狙って動いていた。
彼は関節の位置を無視して3つに折れた腕を、大きく薙いだ。
怨霊の呪いで無理やり骨格を変えられた彼の痛みは、想像を絶する。
涙と涎と血でベチャベチャの頭で、正義心の強い彼は必死に抵抗をしていた。
「止まってマゼンタ!君なら絶対負けない!ファライドの様に怨霊と共生して!」
怨霊との共存を選んだファライドと、目の前で苦しむマゼンタを重ねたシロは少年へと叫んだ。
――言葉を受けたマゼンタが、バランスを崩して屋根から落下した。
残酷な男は少年に生じた隙を逃さない。
鞘を投げた刀は、修復済みの新しい刀身でマゼンタの腹を貫いた。
「おお!」と上がる声援に、マゼンタへ駆け寄る2人の足音。
グレンとシロがマゼンタへ手を伸ばした時、強い魔力の風が少年の体から吹き上げた。
靄で竜巻を作り出した少年は立ち上がって、頭を抱えて喘ぐ。
靄に触れた見張り台が腐敗し、「ガラガラ」と音を立てながら崩れ落ちた。
ヤミは彼に止めを刺そうと、障害物を踏み締めながら歩み寄っている。
――ヒュン!――
風を切る音は、竜巻のものではなかった。
ましてや、グレンの制止で留まったヤミの攻撃でもない。
マゼンタの心臓を真っ直ぐ狙った一撃は、当初の予定通り彼の胴体を射抜いた。
渦中から100m以上離れた城壁で弓を構えた少女――リアスは、暫く見ない間に射手として劇的な成長を遂げていた。
羽衣の代わりに纏ったローブのフードを脱いだ彼女が叫ぶ。
「地を這う老醜な悪魔よ。教えに従いその身を捧げ、穢れを捨てて我に従え。戦線神託!」
女神の魔法で発光した矢尻が、マゼンタを中心に円盤状の光を放った。
少年の頭に現れた翼を備えた女神像が、石像の体を突き破ってその麗しき姿を露わにする。
その場に居合わせた一同は、この世のものではない身体を目撃して――いない。
多くの人が目撃したのは、雪の様にマゼンタへ降り注ぐ石像の欠片。
上位存在たる女神の虚像を視界に収めたのは、リアスとヤミだけだった。
女神の只ならぬ気配を察知したヤミは、グレンを抱え上げてマゼンタから遠ざける。
「おい!放――」
ヤミの背を殴っていた彼女は、目の前の光景に言葉を失った。
少年の上衣の隙間から覗く健康的な肌に、深く刻み込まれた刺青。
うつ伏せに倒れたマゼンタの背中には、悪魔の翼の様に『蜘蛛の足』が集約されていた。
「巫女姫様だ……本物の巫女姫様が帰還なされた!」
誰からともなくそんな声が上がった。
沸き立つ兵士は、城壁に立つ1人の少女を崇めて跪く。
桜色の気配を纏ったリアスは、踵を返して城壁の内側へ姿を消した。
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馬車の荷台で、目を覚ましたマゼンタが飛び起きる。
彼は両手を確認すると、物を探して辺りを触った。
慌てる少年の立てた音で、目を覚ましたシロは「暴れないで」と言った。
「今日はもうゆっくりさせてよ」
憔悴しきった白猫の声に、理解が追い付いていないマゼンタは「でも」と、言い淀んだ。
そこに一筋の月明りが差し込む。
御者台から乗り込んだグレンは、マゼンタの横に座って膝を抱えた。
「どこまで覚えてる?」
グレンの曖昧な質問に「ムッ」としたマゼンタだったが、淀んだ雰囲気を感じ取って素直に話し始める。
9番目の世界への行き帰りの記憶が無い事。
帰還後、王都で道に迷っている時、背後から気配を感じた事。
「誰かが後ろに居るんだと振り返ったら、夜が訪れて生き物の気配が無くなったんだ。クラウが「意識を強く持て」って言うから夜から逃げてずっと走ってた」
夜はマゼンタの精神世界に潜り込んだ怨霊の呪いだろう。
聞きなれない名前で疑問符を浮かべたグレンは、クラウの素性をマゼンタに問うた。
「俺が9番目の世界で手に入れた妖刀。俺の本能を元に作られた俺だけの武器――『火炎クラウ』」
マゼンタが名を呼ぶと、剣が炎を吹き上げながら彼の手に収まった。
炎は荷台の布へ触れるも、物質を燃やさずに波打っている。
「良かった!無くしたかと思った」
「魔導具?……いや、魔力そのものか?」
鑑定眼を持たないグレンでは、妖刀の本質を理解しきれなかった。
武器を手にして安堵したマゼンタは「いつ自分と合流したのか」と、グレンへ質問する。
ジト目でマゼンタを見るグレンに、キョトンとした表情で答える少年。
このまま本当の事を話して良いのかと悩むグレンに「いい加減静かにしてくれ」と、恨み込もったシロの低い声が届いた。
「朝にはハウサトレスに着くから、その後に話す」
真実から逃げる口実を得たグレンは、そそくさと御者席へ戻った。
足元に差す月明りへ目を落とした少年は、故郷を後にした時を思い出す。
「早くリアスに元気な姿見せないとな」
布団代わりの麻布を引っ張ったマゼンタは、血濡れた服に気付いた。
腕捲りをして腹を覗いた少年は、傷1つない体を不思議に思って、目の前で眠る白猫を見る。
そして、浅い寝息を立てるシロに手を伸ばしたマゼンタは、反射的に手を引いた。
「あっつ……!」
高熱に侵されたシロの体は、異様な熱を帯びている。
彼が自身を顧みず、治癒魔法を使用したのは目に見えていた。
「俺の師匠はヤミさんですが、貴方は俺の鑑です」
羨望に満ちた表情でシロを見た少年は、彼の熱が少しでも逃げる様に少量の魔力を明け渡した。
途端に覚えたのは強い眩暈と背中の熱。
「バッ」と背後を向いたマゼンタは、不安を感じて極限まで丸まる。
少年は嫌な気配を振り払う様に、自身の体を抱きながら無理矢理眠りに付いた。
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これは堕ちる彼の物語。
怨霊の呪いを宿したマゼンタと、人殺しの罪に苛まれるシロは双方に堕ちて行く。
彼等の進む先に光はあるのだろうか。
次回更新は2025/08/24を予定しています




