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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第2章ー海中世界救済編ー
30/58

これは降り積もる彼の物語


 和服の男は座して待つ。

 彼がやり残した最後の仕事を終える為に――。


 ――――――――――――――――――

 

 「トントン」と鳴る包丁の小気味良い音だけが、部屋全体を満たしている。

 主と白猫の居ない13番目の世界(ザィデタ)では、(すこぶ)る機嫌の悪いヤミが負のオーラをそこら中に漂わせていた。

 そんな(よど)んだ空気と、平静を装ったテンポを扉の外側から覗く少年が1人。

 廊下にしゃがみ込んで使い慣れた木刀を膝に置いたマゼンタは、冷や汗を掻きながら()()の様子を伺っている。

 王冠を携えた少年は上座に縮こまり、台所のテーブルの木目に目を落としながら、今にも泣きそうな表情で顎に皴を作っていた。


 ――トントントントン――


 可哀そうな少年を差し置いて、無心に果物を刻み続けるヤミは、一向に彼を気遣おうとはしない。


「……こんな状況でヤミさんに斬り掛かったら、マジで殺されるな。ってかあの子誰だよ、放置されて気の毒だな」


「あの方はルシファーですよ。マゼンタ」


 マゼンタの向かい側に正座するリアスは、彼と同じ様に部屋を覗き込んでいる。

 少女は自身の口元に人差し指を当てて、秘密事を話す調子で声の大きさを抑えた。


「今は闇の力を感じませんが、彼もグレン様と同じ悪魔の器です。そして、ルシファーはグレン様の敵ですから、絶対に近寄ってはなりません」


「そうは言っても……」


 「今の状態は余りにも可哀そうだ」と、マゼンタはルシファーと呼ばれた少年に同情の目を向けた。

 ルシファーの瞳からは、我慢しきれなかった大粒の涙が、「ポタポタ」と零れ落ちている。

 少年は口を「パクパク」とさせるも、一言も発せずに口をきつく結んだ。


「流石に放っとけねぇよ」


 リアスの制止する手を軽く掴んで放したマゼンタは、わざとらしく足音を立てて2人の間に立った。


「師匠!こいつの話を聞いてやって下さいよ!会話しなきゃ意志は伝わらないですから」


 ルシファーの肩を強く叩いて鼓舞したマゼンタは、ヤミに向かって意見を申し立てる。

 子供に楯突(たてつ)かれた男は、リズムを崩した包丁をまな板へ刺して、台所に背を(もた)れると、腕組をして子供達を睨み付けた。

 「ヒッ」と息を呑んだのは、マゼンタとルシファーのどちらかは分からない。

 同じ様に驚いた表情で固まった子供達であったが、持ち直すのはマゼンタの方が先だった。


「じょ、状況は分かんねーですけど、俺も話を聞きます」


 そう述べた通り、マゼンタには敵対する彼――ルシファーがここに居る理由が分からない。

 マゼンタは2人の会話を進めようと、自分の席に着いて背を正した。

 ヤミはジッとルシファーを睨み付けているだけで、何か行動を起こそうとはしない。

 目を泳がせる少年は唇を噛み締めると、唾を大きく飲み込んだ。


「ル、ルシファー様が、9番目の世界(アープ・エゲニス)の偵察に、東の魔女さんを指名したんです。でも、えっと、ボクじゃあどうしようもなくて」


 ルシファーの潤んだ瞳から絶えず濁流が押し寄せた。

 服に垂れる涙を抑えようと、両腕で何度も目を擦る少年はこの場にそぐわない幼さだった。


「そんな泣くなって。あー、とりあえずルシファーはお前なんだろ?」


 手の届く範囲に置かれていたタオルで、ルシファーの顔面を雑に覆って拭いたマゼンタは、矛盾した彼の発言を咎めた。

 目を真っ赤にした子供は「違うんです」と横に首を振る。


「ボクの中に居る悪魔とボクは別の人格みたいな感じで、ルシファー様はボクじゃないんです」


「でー今ん内に殺して欲しいんか」


 面倒くさそうに髪を掻き上げたヤミは、傍に掛けてあった刀を手に取って、切っ先をルシファーの喉元へ運んだ。

 咄嗟に木刀で少年をガードしたマゼンタは、喧嘩っ早いヤミに苦言を(てい)す。


「敵だからってすぐに攻撃しちゃダメですよ。ルシファーは知らないけど、こいつは子供じゃないですか」


 彼とそう歳も変わらないだろうが、同年代より大人びた考えを持つマゼンタは、師匠を(いさ)める立場にあった。

 「チッ」と舌打ちしたヤミは、更に見下した態度を取りながらも、刀を収めた。


「子供でもどうでもええわ。そいつの味方ん付きたいんなら、外行って死にゃええねん」


 「責任は自分で取れ」と捨て台詞を残して、ヤミはこの場を後にしようと動いた。

 だが、それを止めたのは羽衣(まと)う幼い少女だった。


「なりません、ヤミ様。そう言ってしまえば、マゼンタが本当に死んでしまいます。どうか……」


 いつになく必死な表情で出口を塞ぐリアスの髪色が、僅かに変化して見えたのは、光の加減によるものだろうか。

 しかし、奥歯を噛み締めた懸命な少女の態度を、気にも留めないのがヤミだ。

 主に関係しない事柄に一切の興味を示さない男は、リアスの小さな体を持ち上げて道を広げた。

 「主さん大丈夫やったろか」と、独り言を呟きながら去るヤミは鰾膠(にべ)も無い。

 残された子供達。

 マゼンタがルシファーに目を遣ると同時に、(すが)る彼の体重がマゼンタに圧し掛かって来た。


「お願いです!ちゃんと使命を果たさないと、ヨレイン姉さんが殺されちゃうんです!お願いします!」


「っああ、勿論――」


 震える声で助けを求める人を見捨てて置けないのは、マゼンタの勇敢で優しい性格故だろう。

 迷わずその願いを聞き入れようとした少年。

 そこに、リアスの細い腕が待ったを掛けた。


「ダメ!本当にダメなんです!ニケが私に見せたのです!……あ、貴方が死んでしまう未来を……貴方が雪の使者に殺される未来を……」


 リアスの怯えた大袈裟な身振りが、その言葉に信憑性を持たせた。

 マゼンタは幼馴染が嘘を付くとは思っていない。

 だが、予言を受けた少年は彼女の意見を振り払う様に、ルシファーへ笑いかけた。


「俺が行って来るよ。これでも最近は勝ち星上げてんだぜ!」


 リアスが不安にならない為の根拠を付け加えた彼は、腕捲(うでまく)りをして自分の成長を誇示(こじ)した。

 3魔の戦火(ドライ・クリーク)以降、グレンを狙う刺客達を牽制し続けているマゼンタは、彼が示す通り確実に力を付けている。

 女神の予言は確実な未来であったが、その女神が真実を語るとは限らない。

 自信有り気に笑うマゼンタを信じたいリアスは、制していた腕を静かに下げた。


「危険を感じたら、すぐに逃げてください。……必ず、帰って来てください」


 幼馴染を真っ直ぐ見つめる少女は、自分の無力さをいつも以上に噛み締める。

 「良かった!」と安堵して再び泣き始めたルシファーの幼い行動は、マゼンタを危険な世界へと(いざな)った。


 ――――――――――――――――――――


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 ――――――――――――――――――――

 

 空を見上げると、太陽は遠く西の方角を指していた。

 日が落ちるまであと数分。

 僕は「彼女に会えるだろうか」と思考を巡らせながら、道の整備のされていない山を駆け上る。

 自分の呼吸と生い茂る木々のざわめきが、この山に人がいないことを示しているようだった。

 走った先に黄色い花を見つけた僕は、口角を上げた。

 菜の花が不自然に固まって咲き誇っている景色は、目的の地へと続いている道へ誘うものだった。

 この道は僕だけのものだ。

 僕の背丈に合わせて乱雑に切り揃えられた枝は、長い期間を掛けて自分自身で切り開いた道。

 地面の凹凸は、僕の歩幅に合わせて単調に続いていた。

 しばらくすると、針葉樹の隙間に瓦が見え、僕は目的の場所へたどり着いた事に気付く。

 一度立ち止まり呼吸を整え、乱れた服を正す。

 木の陰から顔を出し、雑草に囲まれた古い神社の跡地に足を踏み入れた――。


 ――――――――――――――――――――

 

 

「こんにちは。遅かったじゃあ無いか、待ちくたびれたよ」


 神社の正面に居座る老人が、マゼンタへと言葉を投げた。

 声を掛けられた少年は、何が起こったのか分からずに唖然としていた。


「俺は、確か、王都に行って、その後……」


 マゼンタは今の状況に至るまでの経緯を思い出そうとするが、混濁した記憶がそれを許さない。

 彼が覚えているのは、リアスと別れた時の景色だ。

 初めて訪れる王都の絢爛豪華(けんらんごうか)な建造物に目を奪われたのも束の間、彼の記憶はそこで不自然に途切れる。

 呆然と周りを見渡すマゼンタ。

 彼は針葉樹に囲まれた森の中に立っていた。

 マゼンタの正面では、小さな賽銭箱だけが置かれた神社の成れの果てと、刀を杖の代わりに扱う老人がポツンと(たたず)むだけ。

 皴だらけの両手を(つか)に預けるこの老人は、声の低さを(かんが)みるに男性なのだろう。

 白髪に白装束の彼は、浮世離れた印象をマゼンタに植え付けた。


「なあ、ご老人。俺は9番目の世界(アープ・エゲニス)を目指していたんだが、ここで合ってるのか?」


「うん、合っているよ。だから僕がここに居るんだ」


 (しわが)れた声の老人は、その見た目に反した若々しい言葉遣いで、マゼンタに応答した。

 

「君が来ることは分かっていた。いや、正確には異世界の使者を、僕は待っていたんだ」


 老人は立ち上がった拍子に、刀を「カラン」と地面へ落とす。

 手探りで落し物を探す老人の目は、明後日の方を向いる事から盲目が伺えた。

 老人に対する警戒心で一定の距離を取っていたマゼンタは、手助けする為に彼へと駆け寄る。


「……あの子はもう幸せになったんだ。終わった世界に来訪は要らない」


「?何言ってんだご老人。あの子って……」


 老人の手に刀を返したマゼンタは、彼の手の冷たさが背筋まで伝わる事で鳥肌を立てる。

 否、それは手から伝播(でんぱ)した体温ではなく、刀から発せられる冷気だった。

 腕に這う霜で思わず体を退いたマゼンタは、ここでようやく自分が吹雪の中に立っていると気付いた。

 白い息を吐きながら、積もる雪の景色を見渡す。


「僕にはもう力が残っていないから……。招待しよう。僕が最も強かったあの頃へ。。『凍結雪見(とうけつゆきみ)』」


「うあっ!」


 突如、吹雪に渦中へ包まれたマゼンタ。

 彼が手で雪を掻き分けるも、視界はドンドンと白い世界へと埋もれていく。

 肌へ触れる雪に過度な冷たさは無く、それが逆に不気味さを演出していた。

 真っ白な世界。

 前後不覚で前のめりになったマゼンタは、無防備に前方へ転げ出た。


 ――――――――――――――――――――


 開けた視界の先で、真っ先にマゼンタの目に映ったのは『静止した小柄な赤髪の男性』だった。

 体躯に合わない巨大な金槌(ハンマー)を持ち上げて、驚いた顔で硬直した彼は、マゼンタと面識のない人物だ。

 

「……()()僕の邪魔をするの?」


「えっ?」


 後ろから発せられた悲し気な声音に釣られた少年は、反射的に振り返った。

 5m程の距離を開けて立っている青年は、絶望に満ちた黒く濁った瞳でマゼンタを見ている。


「シロ、さ……」


 青年を視界に捉えたマゼンタは、途中でその言葉を止めた。

 雪へ包まれた彼は、シロと容姿が似通っていた。

 白いショートヘアに透き通った肌。

 彼との違いは歳と猫耳の有無だろう。

 20代前半の青年は、シロの数年後の未来を描いた様な姿だった。


「そこを退いてよ。()()が僕を待ってるんだ。僕が彼女を守らないと駄目なんだ。僕じゃなきゃ僕じゃなきゃ――」


 乱心した男は言葉を繰り返すが、何故だかそれが異質なものだとは感じられない。

 彼は自然体の延長で、狂気へと身を落としている。

 「ブツブツ」と呟きながら、彼の手は鞘を外した刀をマゼンタへと振り下ろした。


「なっ!あっぶねぇ!溶解の炎(フュージョンフレイム)!」


 咄嗟に木刀を構えたマゼンタは、広がる霜を払うために炎を纏う。

 が、火力の少ない炎魔法は、雪へと触れた途端に消え去った。

 少年の手の平は真っ赤に腫れ上がり、木刀を青年の足元に落とした。

 被害を抑えようと後ろへと跳ぶマゼンタ。

 男の傍に武器を置き去りにした少年は、近場に在った瓦礫の木片を手に取った。


「火事か?どうしてここだけ雪が降ってんだ?」


 マゼンタが手にした角材は、建物が火事によって崩落した名残だった。

 青年を囲う様に降り続ける雪の範囲は数10m程度。

 遠くを見れば燃え続ける森が、木造家屋を次々と飲み込んでいた。


「……邪魔しないで。僕は全てを捨てるって決めたんだ」


 動いた雪の範囲で、青年がマゼンタへと近付いていると分かった。

 相手の領域内で戦闘を行うのは愚行だ。

 逃げ出した少年は、足で「ズリズリ」と地面を削る。


「何だ、足が重てぇ」

 

 雪から逃れようと駆け出したマゼンタの呼吸は浅く、積雪が体の制御を奪った。

 焦る素振りを見せない青年の小さな歩幅は、着々とマゼンタへと迫る。

 肺に冷気を満たしたマゼンタは「ケホケホ」と咳き込みながら詠唱を始めた。


「地を巡りし不屈の炎、嗔恚(しんい)を重ねて御身を(もた)げよ。藍鉄火(フレイム・レルム)!」


 少年が新たに習得した領域展開技。

 地面から現れた炎纏う双蛇が、青年とマゼンタを分断する。

 お互いの視線が火の粉に遮られた瞬間、体の制御を取り戻したマゼンタは、雪の外側へと再び走り出した。

 だが――


 「……何で、目の前に……!?」


 青年と双蛇から背を向けていたはずのマゼンタは、青年と対峙していた。

 なで肩の青年は不敵に笑う。


「僕からは逃げられない」


 先程とは違う子供の様な表情で、彼は刀を構え直していた。


 ――――――――――――――――――――


 これは降り積もる彼の物語。

 正体不明の青年は、マゼンタに何を望み、何を与えるのだろうか――。

次回更新は2025/07/02を予定しています

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