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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第1章ー始動編ー
2/52

これは失った彼女の物語

 彼女は理不尽の中で微睡(まどろ)む。

 ――あの人はどこに行ってしまったのだろう――

 彼女は視界広がる喪失感の中で、ある筈のない幻影を追い求めていた。




 13番目の世界『ザィデタ』が魔女を幽閉してから百年程の時が流れたが、未だにその世界の主人は動かない。

 一日の行動は食事を摂る事だけ。

 それも自発的に動かない為に、こうして一口ずつ口に運ばなければならない。

 カタカタと、食器の音だけが部屋に響き渡るのがストレスで堪らなかった。


「よう噛んでたべぇや」


 沈黙した空気を揺らすのはヤミだった。

 物言わぬ主人に尽くして五百年程。

 過去に無いほど無気力な彼女を、心底心配していた。

 事の発端は今に始まった事ではない。

 東の魔女と呼ばれるまで、彼女は裏切りに塗れた人生を歩んできた。

 ある時には家族を失い、また、ある時には国家転覆の罪を全て背負わされた。

 その長い年月の中、心から信用できる相手を作れないで現在に至る。

 ヤミは彼女の正面に立ち、その目をじっと覗き込む。

 盲目であるかの様に、彼女の眼球はピクリともしなかった。

 ヤミは主人さえいてくれれば、他の何も要らない。

 大切な彼女が幸せであることを心から願っていた。


「出掛けるから何処にも行かんといてな」


 このお願いが反故にされれば、気持ちが晴れるだろうか。

 ヤミは上着を手に取り、その部屋を後にした。

 残された魔女は、ゆっくりと窓の外を眺める。

 感情が無いと思われた彼女は、存外人間味を失っていなかった。

 グレンは立ち上がり伸びをする。

 凝り固まった背骨がボキボキと鳴るのにも構わず、思いっきり体を酷使した。


「いい加減、動かないとな」


 後数年もすれば『憤怒の悪魔』が暴れ出すと何時ぞや女神が予見していた。

 「その前に戦力を揃えなければならない」と溜息をつく。

 お茶の入ったコップを片手に部屋を移動する。

 空室で埋め尽くされた長い廊下をヒタヒタと歩きながら、無造作に置かれた鍵束を拾い上げ、1つずつ確認していく。

 生活力のない彼女が種類分けなどするはずも無く、途方もない仕分け作業に呆れて投げ出してしまった。

 壊れた扉はヤミに修理させればいいやとドアノブを引き千切る。


「開かないな」


 そりゃあ当然だろう。

 ラッチが動かなければ、開封もままならない。

 扉の仕組みなど考えた事のないグレンは、首を捻る。

 魔法使いならば他に幾らでも解決法があるはずだが、面倒臭がりの彼女は手首から先を魔力そのもので纏い、思いっきり拳を突き出した。

 ドカンと鈍い音が家中に響き渡り、足元が幾許か揺れて瓦礫が宙を舞う。

 無理に開かれた空間には、宇宙が広がっていた。

 ここは、彼女が模擬的に創り出した世界の縮図だ。

 宇宙が始まり、現在に至る迄の動きを忠実に再現していた。

 今丁度出来上がった世界は、おやそ千年前のもの。

 現代よりも移り変わりの早い世界を眺めながら、唯一人工物と認識できるクッションに腰を下ろし、僅かに温もりの残ったお茶を啜りながら思考の中に深く入り込んでいった。



 ゆらゆらと揺れる布に肌色の装飾。これは彼女が最後に見た大切な◼︎◼︎の――


 

 彼女が発生した。

 比喩なのでは無く、今し方彼女がこの世界に生じたのだ。

 彼女の目に映った美しい女性は、陰鬱そうな瞳でこちらを見ていた。

 その線の細い指先には『不等号』が握られている。

 発生した彼女は不自然なそれよりも、その持ち主のきめ細かい肌に目移りした。


「綺麗……」


 どちらからともなく発した言葉が重なる。

 いつだって運命的な出会いは、突然訪れるものだ。

 お互いの頬が紅潮し、自然と距離を詰める。


「わっ、かっかわいいいい!綺麗だね!お人形さんみたいだね!」


「はあ?」


 2人温度差に、風邪を引きそうだ。

 一方は飛び跳ねて、もう片方は腕を組んでいる。

 長い人生を歩む中で、「美しいと言われた事はあれど、可愛いと表現されるのは稀だ」とグレンは驚く。

 その上どう見ても、容姿は彼女の方が秀でている。

 アイドルの様に魅力的な彼女に、グレンの視線は釘付けになった。


「これなんだろ!箱かなっあ、壊れた!こっちは円盤だ!投げちゃおー!ボールに当たったやったぁ!」


 彼女の触れたものは全て『世界の模型』だ。

 魔法の概念があるこの世界では、惑星は球体に収まらない。

 不自然な地盤で存在し得るのが、この世界であった。

 彼女の破壊活動は止むことを知らず、宇宙の一面を破り捨てた。

 やり過ぎたと我に帰る頃には、もう遅い。

 部屋に転がるのは『ゴミと化した魔導装置と魔法陣の一部』だった。

 グレンは座り直し、冷めた残りのお茶を飲む。

 紅潮していた頬はいつの間にか元に戻っていた。

 



「主さんがっ……生命活動をっ……!」


 感動のあまり膝から崩れ落ちたのは、彼にとって奇跡に相当する出来事だったからだ。

 「帰宅したばかりだというのに騒がしい奴だ」とグレンはそっぽを向く。


「黒い人だねー」


 一通り破壊活動を終えた彼女は、ヤミの頭をポンポンと軽く叩きながら反応を伺った。

 その数十年ぶりの来訪者に、ヤミは警戒する。


「んで、これ誰なん」


 ヤミからの質問に、主人は言い淀む。

 そういえば可愛らしい彼女の名前を聞いていなかったな。


「記号だね。この不等号から生まれたんだ」


 本人に聞けば良いものを、何を血迷ったのかグレンは彼女に真名を与えたのだ。

 途端、彼女のスカートが風に包まれて足元から呪詛が沸き上がる。

 「しまった!」と慌てたころでもう遅い。

 彼女の名前は『記号』。

 それは揺るぎ無い事実となって、世界に定着した。


「私の名前は記号!ふふっ!口触りが良いね!記号さんの爆誕だあ!」


 生まれたばかりの彼女は、その瞳に希望を浮かべて二人に向き直った。


「あちゃーこりゃやっちまったわ」


 反省の色を見せない主人をジト目で見つめるのは、苦労の多い仕人(つかまつりびつ)

 真名を与えた事で、得体の知れない彼女を簡単に手放す事が出来なくなった。

 そして、これは彼と主人の二人だけの生活の、終わりを意味しているのだ。


「お別れや俺の幸せの時間。ええんや、主さんが幸せならそれで十分や」


 空に祈りを捧げながら、自分に言い聞かせて納得を促す。

 主人が活動的になった本当の理由を知らないヤミは、記号を丁重にもてなす事が主人の望む事だと信じて疑わなかった。


「記号ちゃんごっつかわええ子やなぁ。ちゃんと部屋用意してやらな……」


 居ない。

 さっきまで自分の横に立っていたはずの記号の姿が見えない。


「ああ、記号ならヤミの茶番の最中に部屋を出て行ったよ」


 自分の一世一代の決意を茶番と呼称した主人へ、もう少し労わってくれても罰は当たらないだろうと態度で示す。

 だがそんなことに一切の興味が無い様子のグレンは、心配そうに彼女の残った気配を目で追っていた。


「心配なら付いてったらどうてすか」


「そうだね、彼女は可愛いから」


 「自身の容姿の良さを棚に上げて何を言っているんだ」とヤミは思った。

 グレンはお気に入りのマグカップをヤミに手渡し、数十年振りの外出を楽しむことにした。



 

 魔女は眼に魔力を集めて、探索魔法を発動する。

 こうすることで記号の足取りを明らかにしようと試みたのだが、返って来たのは意外な反応だった。


「分散し過ぎだな。まるで抑え方の知らない赤子だね」


 記号の見た目は、若く見積もって十代後半。

 掴まり立ちより先に覚えるはずの魔力操作を出来ないとは考えにくかった。

 しかし彼女がまともな出生では無い事を知っているため、最悪の事態を想像した。

 分散した魔力の色は彼女の髪と同じ桜色で、属性は念魔法の洗脳系統と見て間違いないだろう。

 仮にそれが人を操り、害為す存在であれば長く放置するのは得策ではない。

 効果を知るにはまず、町行く人の様子を伺おうと胸の前で拳を握った。


「大丈夫、私を知る人間はもう生きていないから」


 震える声で小さく自分を(たしな)める。

 グレンはその生い立ちに対して、精神が弱すぎる節を持っていた。

 当然ながら赤の他人に拒絶的に見られては心が痛む。

 東の魔女としての知名度が高くないことを願いつつ、記号の魔力圏内に居る1人へ立ち向かった。

 彼の歩き方に、特別おかしなところはない。

 洗脳で知能が低下すれば、千鳥足になる事も考えられたが記号の能力はそこに無い様だ。


「おい」


「何か用ですか」


 グレンが勇気を出して声を掛けると、その人は振り返る。

 そして、グレンはすぐに『記号の持つ魔力』の効果が解った。

 かつて自分が幼少期に向けられた瞳と同じ、一方的に好意を抱く者の表情だとはっきり理解したのだ。


「私より背丈の低い、桃色のスカートを履いた女性を見なかったか」


「ああ、彼女ですね。俺の想い人です。こんなこと言うのは変かもしれませんが、一目惚れなんですよ」


 うっとりと記号の行った先を眺める行動に、先刻の自分の姿を重ねた。

 彼女に会ってから自分らしくないと微かに思っていたが、これが原因だったのか。

 記号の魔法は、性別関係なしに発動するらしい。

 能力事態に害が無い事は証明できたが、危ない人物から絡まれないうちに彼女を回収する必要があると考えたグレンは独り言を呟いた。


「魔力での検知は難しいが、人の集まる場所を目指せばいいのか」


 解決策を見つけたグレンは、周りを歩く人々の視線が集まる先を目指した走り出した。

 しかしながらこの強力な魔力を受けていたにも拘らず、ヤミはいつもの様子であった事をふと思い出す。

 そして、自分を主人だと妄信する男に不信感を募らせるのであった。




 主人から警戒されている仕人は、1人町外れに居た。

 全ては主人の為、命を捧げても惜しくないと豪語するその男は、彼女の幸せの為なら意に添わぬこともやってのける人物であった。

 彼の片手に握られていたのは『不等号』。

 立体的な形状をした置物のようなそれを、世界の外側に投げ込むのが彼の目的だ。


「無くしたら困るやろうな」


 記号が出現する元凶となった不等号を、細部まで眺める。

 漆黒で塗りつぶされた線に違和感はなく、ただ(不等号)を形作る為の線が、お互いの距離を保っているだけだった。

 先述したように、この世界の惑星の形は様々だ。

 とりわけ13番目は、不格好で上下に土地が分かれた円盤形状であり、中央で重力が反転する形を成していた。

 となると気になるのは、地平線のその先だろう。

 ヤミは砂を踏みしめながら、その先のぽっかりと空いた土地を見る。

 これより先は何も存在し得ない。

 地面が無ければ空気もなく、闇が広がっているだけだ。

 砂を握りしめて外側へと投げ込むと、ジュッと焼けた音と共に一定以上離れた砂は世界から消えた。

 大体の距離を把握したヤミは、今一度手元の不等号と向き合う。


「帰れんくなったら記号ちゃんは主さんと居るしかない。悪いけど利用されて貰うで」


 自身が巻き込まれない様、大きく振り被る。

 そして不等号は永遠にその姿を消した。




「あ……れ……?」

 頬を一筋の涙が通過した。

 周りの人々が記号を心配そうに覗き込むので、大丈夫だと笑顔を向けたが違和感が拭えなかった。

 彼女が彼女らしくある為の『何か』が、たった今消失したのだ。

 記号はここに来る前の、正確には宇宙の部屋でグレンに会う以前の記憶の大部分を失っていた。

 靉靆(あいたい)する茶色い布と肌色。

 記号が覚えているのは、そのワンシーンだけであった。

 帰るべき理由を失った彼女は、腹を押さえて蹲る。

 急激なストレスが自分の身体に影響を及ぼしているのかと推察したが、記号はその腹痛に違和感を感じる。


「お腹が痛いの……」


 記号を取り囲む人々は、絞り出された微かな声を聞いた。

 そしてそれを掻き消す、空腹の音も同時に耳にした。

 ……それが良くなかったのだろう。

 彼女の正面に立つ男性が、(おもむろ)にポケットから工具を取り出す。


「今、ご飯の準備をするから」


 何を言ってるのか、彼は工具の他に何も持ち合わせてない。

 男性は道具を持った手と、反対の腕を交互に見始めた。

 記号はその様子に一抹の不安を抱いた。


「やっやめて!」


 記号の金切り声と、金属の鈍い音。

 男は自らの腕を何度も何度も工具で打ち付ける。

 肉が裂ける痛みも骨が折れる苦痛も、彼にとっては些細な問題だった。


「ああそっかその方法があったのか」


「君は賢いね」


 記号を除いた人間は、男の奇行を褒め称えた。

 そして、その行いは次々と伝播(でんぱん)していく。

 手持ちの道具がない者は、隣り合う見知らぬ誰かの首を両手でキツく絞める。

 暴力を受ける側もそれを当然の様に受け入れ、愛すべき彼女を事切れるまで視界に収めようと無理に眼球を動かす。


「ひっ……」


 記号はこんな悲劇を望んではいなかった。

 目の前の惨劇を目の当たりにして嘔吐すると、近くにいた笑顔の女性がその吐瀉物を掬い上げて記号の口元に差し出す。

 「愛する人に満腹になって欲しい」という彼女の願いは、更なる吐き気を作り出した。

 

 


「凄いな」


 グレンは静まり返った人ごみの中に、記号を見つけた。

 数としては二十人程度だろうか、中央で座り込む記号に縋りつく様に、全てが全身を強く打ち、血を流していた。


 


 玄関のドアを開けると、共有魔法(テレパス)で事情を把握したヤミが騒々しく出迎えた。

 その肩には微かに埃が乗っている。


「風呂あっためとるから先入りいな」


「うん」


 返事をしたのは主人で、その行動を実行すべき女性は口元を抑えて俯いている。

 肩を震わせて足元が覚束ないその様子に、ヤミは冷たく視線をおろす。


「違う、私の所為じゃ無い。私はそんなこと望んでいない」


 記号は「私の所為じゃない」と幾度となく繰り返しながら、グレンに導かれるまま入浴した。

 主人は服が体に吸い付く中、彼女の上着を丁寧に脱がせる。

 血と土と嘔吐物で汚れた服を投げ捨てて、彼女の頭から勢いよくお湯を被せる。


「私の……所為なの……?」


 漸く彼女の思考が現実と結びついた。

 悲劇の最中確かに愛を聞いた。

 名前も知らない彼らが、自分を愛していた事を自覚したのだ。


「記号の所為じゃない。全ては女神の気まぐれだよ」


「女神……?」


 魔女は自分の抗えない運命に、記号の惨劇を重ねる。

 グレンはどこまでも自分に似た彼女へ、親近感と庇護欲を強く抱き始めていた。

 「彼女は私が守らなければならない」と使命感が彼女を突き動かす。


「主さんやっと見つけたで!」


「女の子が風呂入ってんだよ!とっとと出て行け!」


 まずは身近な所から。

 浴室に足を踏み入れたデリカシーの無い長身の男に石鹸を投げ付けながら、彼女の将来を考えていた。


 


「グレンちゃんかー!それならグレグレだね!」


 幾らか元気を取り戻した記号にグレンが自己紹介をすると、珍妙なあだ名を付けられてしまった。

 彼女の服はダメになってしまったので、今は偶々ヤミが所持していた白いワンピースを着用している。

 淡い色の肌に白が重なり、桃色の髪がよく映えていた。


「どうしてヤミが女物の服を持っていたかは聞かないとこにして、記号の話を聞かせてくれ」


 応接間のソファーに腰掛けた主人は、足を組んだ状態で前のめりになる。

 長髪の男は主人を引き立てる為に、斜め後ろで立ち控えていた。

 対面に座った記号は足を揺らしながら事の顛末を話すが、語れることは多くない。

 時間が掛かると覚悟していたグレンは、呆気に取られた。


「記憶の消失を認識出来るのは、ここに来る前の人生が存在してた証拠だろうね。……記号の出自を知る手掛かりはあの不等号だけか」


 グレンは後ろの男を横目で見る。

 意思を汲み取り、首を横に振ったヤミは身振り手振りで話し始める。


「主さんに言われた通り壁の修理しとったんやけど、あれ以来見てへんで。てっきり主さんが持って行ったもんやと思うとったわ」


「元々不安定な物質だったし時間経過で消えてしまったのかもな」


 腕を組み頭を悩ませるグレンを、記号が上目で覗く。

 急遽用意した割には、着衣が胸元にピッタリと合っていた。


「記号さんここに居たら迷惑かな……」


 記号は不安そうに目を泳がせる。

 彼女からすれば、グレンとヤミ以外まともに話の出来る相手が居ないのだ。

 二人に見放されればあの出来事が繰り返されてしまう。


「記号さん頑張るよ!料理とかお掃除とか、えっとえっと……」


 天井を見上げて指折り数える彼女の額には、薄らと汗が滲んでいた。


「家事は全部ヤミがするよ」


「俺はお手伝いさん居た方が助かるんやけどなぁ」


 何百年と彼一人で事足りた仕事を任せる気はないし、そもそも彼女に何か仕事を任せようという気は全くなかった。

 ヤミは記号の意思を汲み取れない主人のフォローに回ったが、思考の狭い彼女はそれに気がついていない様子だ。


「記号ちゃんはここに置いて欲しいんやってさ」


「え、出て行く気だったの?」


 ヤミは当然この家に住まうと思っている主人と、見捨てられたくない記号の会話を取り持つ。

 こういった言葉の足りなさが彼女の理解されない人生を生み出しているのだろうなと、ヤミは心の奥で思う。

 共に暮らすとこが決まった途端、元気を取り戻した記号は満開の笑みを浮かべた。


「やったー!グレグレとずっと一緒だ!」


 両腕を伸ばし飛び跳ねる彼女は、やはり魅力的だ。

 埃が立つから止めろとヤミが制止しても、彼女の耳には届いていない。


「そうだ、埃と言えばあれ有ったのか」


 主人はヤミに頼んだ用事を思い出す。

 魔力操作の出来ない記号に必須のアイテムを、倉庫から探し出すよう頼んでいたのだ。

 優秀な仕人に抜け目はなく、机の上にそっと一枚の布を差し出した。


「なにこれ!」


 何にでも興味津々に目を輝かせる記号は、この布にも関心を示した。

 1m程の黒い布は、細部まで見ると小さな文字で埋め尽くされている。

 記号がそれを手に持つと、体の周りを漂っていた魔力の大部分が消え失せた。

 その現象に気づいているのは、グレンだけだ。

 グレンは「魔法が基本の世界で、人数不利を取ることになろうとは不思議な事があるもんだ」とヤミを盗み見る。

 床を箒で掃く彼の横顔は、心なしか上機嫌だ。


「それは魔力遮断用の魔導具だよ。魔力が僅かながらにあるだけで察知してくる敵が居た時に使用していたんだが、それ程の魔法使いとは滅多に遭遇しないからね。普段は記号が使ってくれて構わない」


「本当はローブもあるんやけど洗濯間に合ってないねん。後で渡すな」


「魔法……?」


 記号に常識は通用しない、と考えるべきだったか。

 グレンは生まれた時から持ち得てる感覚の説明に戸惑う。

 そして、「やはり彼女には魔力の概念が存在しないのだ」と確信を持った。


「魔法っていうのは、自身の魔力を貯めて使うもので示した術式毎に属性を付与する代物で……」


 分かりやすいように砕けた言葉を選びに選んだが、記号の心には何1つ響いていない。

 ヤミの袖を引っ張り、グレンに聞こえない様小声で「魔力ってなんぞや」と質問する。

 ヤミから「体力みたいなもんやで」と同じ声量で返ってきた。

 その間にもグレンがつらつらと説明を続けていたが、背景に紛れたその言葉を記号は一切理解できなかった。




 これは失った彼女の物語。イレギュラーは世界にどんな変化をもたらすのだろうか。

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