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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第1章ー始動編ー
17/46

これは訪れる彼の物語

 棺桶から生まれた悪魔は、口角を上げた。

 しかし、優しい表情を浮かべる彼を誰が悪魔だと証明できようか。

 それを知るのは、きっと――。



 

「もう嫌です!記号さんはボイコットを宣言します!」


 手にした裁縫道具を宙に放り投げた彼女は、正座を崩して膝を立てる。

 地面を蹴る勢いだけで、自身の体重を支え、瞬時に立ち上がった記号は、両腕を伸ばして凝った体を解した。

 彼女の投げた針を逃さず捕えたヤミは、それを丁寧に針刺しへと戻して数を数える。


「我が儘言わんと手伝いや」


 ヤミは彼女の為――もとい主を想って彼女へ難易度の優しい仕事を任せている。

 家事の一通りを記号へ叩き込むのは、主との約束だ。

 「彼女に役割を与えるべきだ」と言ったグレンの意志に従う仕人は、嫌がる記号へ次から次へと課題を与えた。

 だが、自由奔放、気ままが取り柄な記号は、その窮屈な生活に嫌気が差して、遂に爆発の時を迎える。

 

「こんなもの!こうしてやるもんね!」


 渡された課題を縦結びで連結させた記号は、その束をヤミへ向かって放り投げた。


「こら!皴になるやろが!」


 数百年家事を担ってきた彼の潜在意識は、そのコブを解く事へ意識を割く。

 そして、彼女から目を離したら撒かれるのが相場と決まっていた。

 記号と関わる上で、理解しておくべき現象。

 それを改めて体験したヤミは一瞬眉を顰めたが、すぐに平常運転へ移行した。


「まあええか。俺の落ち度やないし」


 作業効率の良い自分が成せばすぐに終わると考えるのは、あまりにも共生に向いていない。

 たった1人で全てを消化して来た彼は、誰も頼ることなく作業を再開する。

 ヤミは依存すべき主を想像しながら、裁縫を楽しんだ。




「あら、良く似合ってるわよ」


 記号は折り目がハッキリ付いたスカートの裾を揺らす。

 全身を覆う黒色を脇役たらしめるのは、真っ白に染め上げられた襟元だ。

 胸元に(あしら)われた紺色のリボンは、本来の彼女の元気さを控えさせ、大人っぽい印象を与えた。


「ねぇ、こっちも似合うんじゃないかしら」


 彼女等に着飾られた記号は、次々と変身を繰り返す。

 真っ赤な布地に金色の装飾が施された旗袍(チーパオ)は、彼女の控えめな胸元を強調する。

 その姿が艶美に見えないのは、クマ耳の様に団子状に結ばれた髪型が可愛すぎる所為だろう。

 次に、迷彩色に彩られた彼女は、それでも尚頼りない印象を与えた。

 お道化た顔で笑う記号に、この服は似合わない様だ。

 お飾りの為に渡した手榴弾の模造品で遊び始めてしまった彼女を、ドレス姿の人達が取り押さえて、次の衣装へと誘導する。

 そして、彼女の心を表現したような、真っ白なドレスを身に纏った記号。

 それは、見る者の目を奪うほど美しかった。


「ふふっ、目隠しが邪魔だから取ってしまいましょう」

 

 目隠しへと伸びた指先は、何もない空間で制止した。

 目に見えない障害物を不思議そうに眺める人の背後から「ねぇ」と声が掛かる。

 記号に伸び掛けた手を制したのは、ソファで踏ん反り返るシロだった。

 「彼女の目隠しを取るのは危険だ」と周りに説明する彼をジッと見つめていた記号はふと我に返って、ようやく口を開いた。


「はい!記号さんどうしてお人形さんしてるの!?目が回りそうだよ!」


 散々弄ばれた記号は、ビシッと指の先を天井へと向けた。

 木造建築の骨組みが天井を高く印象付けるその場所に、蠟燭の火だけでは心許ないのか、鬱蒼とした雰囲気が漂う。

 そんな薄暗い建物では、数十名ほどの見目麗しい人々が、シロを取り囲んでいた。

 シルクのドレスに包まれたシロは足を組み替えて、尚もふてぶてしく座っているのだが、彼はどうして女子(おなご)の恰好をしているのだろうか。

 キツイ外見の瞳を強調して塗られたアイシャドウは、彼の個性を更に目立たせた。


「嫌ならそう言いなよ」


 赤い口紅を指で拭いながら、シロは服に合った色の薄い紅を探す。


「……まっさかシロシロにこんな秘密が在ったとは……!あっ!こっちの色が似合うかも!」


 ノリノリでシロに口紅を差し出した記号は、流れる様に彼の隣へと座る。

 取り囲む人々は、そんな彼女が可愛らしいと騒ぎ立て、記号の肩を抱いた。

 満更でもない記号は「えへへ」と笑いながら、抵抗もなく揺らされる。


「僕の趣味じゃないよ。彼女等に合わせてるだけ」


 片目を閉じて、務めて冷静に紅を塗るシロ。

 鏡越しに彼を覗き込む記号は、率直な感想を述べた。


「……シロシロ似合わないねぇ」


「知ってる」


 きゃあきゃあと騒ぐ人々の声に埋もれてコソコソと話す2人は、互いに目を合わせてクスリと笑った。




「それでね!ヤミヤミったらまーた怒ってるの!」

 

 アルスエンの空気に慣れた記号は、当たり前の様に店主の膝元で寛ぎながら愚痴を漏らす。

 うつ伏せで唸る彼女の頭を優しく撫でる店主は「あらあら」と頬に手を当てた。


「記号ちゃんは慣れない仕事で疲れちゃったのね。そういう時はちゃんと上司に相談しないとダメよ」


 記号の話す「ヤミヤミ」が自分の知る人物像と嚙み合わないのか、どこか他人事の様にふわふわとした言葉を選ぶ店主。

 記号は仕事として動いている意識が欠けていたため、その人が言う「上司」に心当たりが無かった。

 マカロンを口に運ぶシロは、リラックスした様子でテーブルに土人形を創り出す。

 つぶらな瞳にへの字口の二頭身の女の子は、彼等が仕える主であった。


「グレンに相談しろって事だね。……まあ、記号に裁縫やらせろって言ったのが彼女だけど。君が困ってるなら考えを改めるんじゃない?」

 

 新たに創ったヤミの土人形へ思いっ切り飛び蹴りをするグレンの人形は、実に彼女らしい。

 自慢の長髪をなびかせながら、ヤミの人形は砂となって、建物の出口へとサラサラと流れて行った。

 残されたグレンの人形は、勝ち誇った状態でその動きを止めた。

 そんな土細工を割れ物の様にそっと拾い上げた記号は、人差し指でそれの頭を撫でる。


「んーでもねぇ……最近グレグレの元気無いから、心配かけたくないんだー」


 記号の発言に首を傾げたシロは、彼女にその理由を問うた。


「なんかねー、いつもはボーッとしてるのに、今はンボーッとしてる感じなの!」

 

 記号の読解不能な説明では納得し辛いが、グレンを慕っている彼女がそう言うのであれば何かしら異変があるのだろう。

 記号の発言が信頼に値するのか、直近のグレンを思い返すシロは、真面目に彼女を見つめ返す。


「僕への態度は変わって見えなかったけどね。……でも今朝、彼女の姿を見たな」


 記号の発言を裏付ける様に、シロの発言が重なった。

 グレンの生活リズムの変化は、顕著に不信感を募らせる。

 しかしながら、それが何だと言うのだ。

 真面目に思案を始めていたシロは、ふとそう思い、前傾姿勢を元の猫背へと戻した。

 

「まあ、興味ないかな。彼女もいい大人だし、困ったことがあれば言うだろうから」


 そんな淡白なシロのセリフに、記号は頬を膨らませて対抗する。


「グレグレはグレグレだから!記号さんが可愛くて、何も言ってくれないよ!」


 再度投げられた読解不能に、居合わせた人々はハテナの表情を浮かべる。

 記号は苛立ちを重ねて、毛を逆立てた。

 逃避した場所で更にストレスを抱えた彼女は、跳び上がって軽快に走り出した。

 そうして入り口で立ち止まると、舌を出して目をキツク瞑り、全身に力を入れる。


「シロシロのおバカさん!グレグレに嫌われても知らないもんね!」


 捨て台詞を残した彼女はプンスカと足音を鳴らしながら、新たなる逃避の場所を探して旅立ってしまった。


 


 森の奥深くで、自然とはかけ離れた「布を擦る音」が微かに響く。

 枝に触れた肌がチリチリと熱を帯びる感覚を連れ歩きながら、記号はどんどん先へと進んでいく。

 家から飛び出し、町を飛び出した彼女は、次の目的地を天然の立地へと決めたようだ。

 しかし、最初こそ勇み足で前進していた彼女も、時折聞こえる鳥の鳴き声で冷静さを取り戻し、今では早く森から脱出しようと息を乱している。

 人の侵入を容易に許す事の無い森は、日中にも関わらず夕方の様な暗さだった。


「……ううっ。シロシロ助けて……」


 シロが敵意を剝き出しにして去っていった彼女を追いかけるとは考え辛く、助けを求めるのはお門違いと言えるだろう。

 記号の視界は緑で覆い尽くされ、踵を返した足取りも、次第に重くなった。

 そこまで長い時間歩いていた訳でもないのに、引き返した先は木で覆い尽くされている。

 道なき道を選んだ彼女は、その先が正しい方角なのかも分からず、ただ進む事しか出来なかった。

 単に森と一言で片そうにも、木々の種類はマチマチだ。

 知識が無くとも、背の高い低いで見分けがつくものだ。

 だからこそ、背の高くなる周りの景色に、記号は不安を覚えた。

 夕方の様に感じていた空も、いつしか漆黒に包まれている。

 時間の感覚を失った記号は、べそをかきながら手先の痛みを他所に、葉っぱを掻き分けた。

 

 ――ふと、記号は広い空間に身を投げ出した。


 いつまでも続くと思っていた木の葉が、彼女へと道を譲る様に、一斉にその身を引いたのだ。

 記号が巨木を見上げると、その勢いのままひっくり返った。

 頭の先が見えない程の巨大さに、感嘆の声を漏らした彼女は、仰向けのまま両手両足を投げ出す。

 

「はわぁ……おっきいなぁ……」


 家や町からそう遠く離れていない森の中。

 ここに、巨大な樹木があると知らなかった記号は目を丸くして、その全体像を見回した。

 巨木はその体躯に恥じぬほどの太い根を、方々に散らしていた。

 そのうちの1つが記号の傍にあり、興味をそそられた彼女は、力任せにその上へと登ろうとした。

 だが、その試みは呆気なく打ち砕かれる。

 木の根は人の背と比べ物にならない高さで、魔法を操れない彼女には過ぎた挑戦であった。

 コテンと背中を地面にぶつけた記号は、反転した視線の先に興味深いものを発見した。

 自然に合わない鉄製の黒色。

 テカテカと光を反射させるそれは、2m程の大きさだった。


「わお!お宝入ってるかな!?」

 

 態勢を立て直した記号は、危険を顧みず、その物質へと歩み寄る。

 どうやら彼女はそれを宝箱だと勘違いしているようだ。

 しかし、そう見間違うのも無理ないだろう。

 四角い形状をしたそれは、上の蓋が外れて下の器からズレ落ちる寸前で止まっていた。

 それは、人を簡単に収納できる箱――『棺桶』に他ならなかった。

 闇に覆われた箱の中に警戒する様子もなく、手を差し出した記号。

 

 ――その華奢な腕を黒い靄が掴み取った。

 

 突如現れた生き物に驚いた記号は身を反るが、腕を掴まれて思う様に動けない。


「あわわわっ!放してっ!放してええ……ってうわっ!」

 

 放してと言われて、本当に放す奴は少数派だろう。

 記号は今回、偶々それに居合わせてしまったようだ。

 本日何度目かの尻餅を付いた記号は、意図せぬ勢いで強打した臀部を摩る。

 そして、涙目で見上げた先には、棺桶から立ち上がる靄の姿があった。

 巨木の隙間から僅かに差し込む月夜は、靄をピンポイントで照らして輪郭をハッキリと映した。

 黒煙から覗く脚は燃え尽きた様に真っ黒に染まり、ハラハラと崩れながら棺桶から一歩踏み出す。

 頭部に見える赤い2つの光はその輝きを抑えて、次第に黒へと溶け込む。

 その異様な光景を目の当たりにした記号は、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。


『……オ”……オ”マエハ』


 腹の底から湧き出した低い唸り声は、記号を狂気の中へと押し進める。

 涙を流して歯をガチガチと鳴らす彼女の元へと、その異質な人は近づいた。


「……へ?」


 緊迫した空気の中で、気の抜けた声を出したのは記号以外に考えられない。

 黒に覆い尽くされていたはずの視界は、真っ新な茶色に包まれる。

 その色が異質の背後に鎮座していた巨木の幹だと理解した時には、次の変化が訪れていた。

 白い布がフワッと横に落下したので、記号は自然とそちらに目を移す。

 すると、そこには笑顔で隣に座り込んだ青年の姿が在った。

 顎に手を当てて記号を吟味する彼は、どことなく誰かに似ている気がした。

 親密感と不信感が記号の心で揺らいでる最中に、彼は口を開く。


「……型の試作品だね。……()に断りなく僕が作ったのかな。いや、違うか、これは……」


 楽しそうにクスクス笑う青年は、何かを悟った態度で更に笑いの声を強めた。

 その笑いは決して不穏なものでなく、寧ろ呆気に取られる様な陽気な笑い声だった。

 記号はその笑いに釣られるように笑顔を作ったが、イマイチ乗り切れない。

 そうしている内に、ひと段落付いた青年は立ち上がり、体を伸ばす。

 彼は白衣の襟を正して、尻に付いた土を振り落とした。

 裾やネクタイを直した青年は、直らない寝癖を気にして触り続ける。

 そして、人懐っこい優しい表情を浮かべた彼は、座り込んだ記号へと手を差し伸べた。


「やあ!僕は■■!名前は失ってしまったから『兄さん』と呼んでおくれ」


 名前に靄が掛かる。

 その発言を聞いた記号の意識は一瞬混濁した。

 それと同時に、存在しない言葉を得た世界は、瞬時に名前を世界から消し去る。

 握手を交わした彼は『兄さん』と名乗った。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 世界の理を崩してはならない。

 

「あははっ!ダメだったぁ!世界は油断してくれないねぇ」


 ケタケタと笑う兄さんの前で呆けていた記号は、何事も無かった様子で彼へと向き直った。


「私、記号さん!グレグレがねー名前付けてくれたの!お兄さんもグレグレに付けて貰おう!」


 名案だと言わんばかりに、掴み取った兄さんの手をブンブンと振り回す記号。

 踵を返して、帰路を目指そうとして迷子であると思い出す。


「うーむ、お兄さん!グレグレのところに連れてって!」


 キラキラとした笑顔で見上げられては、断れないだろう。

 しかしながら、今し方サィデタ(13番目の世界)に発生した彼には無理難題だ。


「分かった!僕が案内しよう!」


 無理難題……のはずだが、彼は乗り気らしい。

 記号以上の明るい態度で満面の笑みを浮かべる彼に、頼もしさすら感じる。

 が、その行く先には、本当にグレンが居るのだろうか。

 一抹の不安を抱える組み合わせは、足早に森の外へと歩みを進める。

 ……その背後で、記号を取り込もうと画策していた森は、2人の背後へと神力を伸ばしていた。


「……は僕のおもちゃだよ」


 誰にも聞こえない程の小声で、兄さんは森を一蹴した。

 魔力に当てられた森は委縮して、彼等を出口へと案内する。


「んー?お兄さん忘れ物ー?」


「アハハッもう大丈夫だよ!」

 

 立ち止まった彼を気にした記号は、同じように止まりかけたが、彼に背を押されて後ろの様子を伺えなかった。

 

 


「えーっと、正直悪かったって……違うだろ、俺は悪くない!」

 

 扉の前で右へ左へと往復する少年は、腕を組んで自分にツッコんだ。

 彼が寒い廊下の隅で何をしているかというと、先日の件でグレンに非を詫びようとしている。

 だが、犬猿の仲である彼女に真っ向から謝れるほど、マゼンタは大人では無かった。

 あーでもないこーでもないと、言葉を探している内にどれだけ時間を浪費したのだろうか。

 暖かい日の光で温度を保っていた廊下は、今や冬の訪れを感じるほど冷え込んでいる。

 言葉に悩んだ挙句、髪をぐしゃぐしゃに掻き分けた少年は、座り込んで地面へと吐露した。


「……大体あいつが悪いんだろうが……元気ねぇ振りしやがって……」

 

 グレンの異変は、マゼンタも気が付いていたらしい。

 そして、その原因は自分であると確信していた。

 中途半端に終わった口喧嘩に、リアスの手料理を騙して食わせた罪が、マゼンタの背中に重く圧し掛かる。

 あの日からグレンは、マゼンタに関心を寄せなくなった。

 明確には、周りの環境全てに無頓着になっていた。

 日常会話に変わりはなかったが、明らかに彼女からの接触が減っているし、何よりグレンが規則正しい生活をしている。

 朝にきちんと目を覚まし、朝食に参加した時は、誰もが彼女を偽物だと思ったものだ。

 その異変をヤミに相談もしたが、彼女の命令以外の行動をしない仕人は、首を横に振って「気にし過ぎだ」と一蹴した。

 ヤミなら何かを知っているのかもしれないが、それ以上深くは踏み込めなかった。

 となるとやはり戻ってくるのは、自身の罪の問題だ。

 マゼンタは意を決して、ドアノブに手を掛けた。

 が、一向にその手を捻らない。


「……いや、まずは言葉を決めてからだ」

 

 こうしてまた、彼は立ち往生に逆戻りだ。

 ドアノブに手を掛けたままあーでもないこーでもないと繰り返す。


「……んで!だから俺は悪く無いんだって!」


 と、その言葉の勢いあまって、扉を開いてしまった。

 そして、後悔しても「ギィ」と鳴った扉の音を、掻き消せはしない。

 心臓の高鳴りで眩暈を感じたマゼンタは、頭を抱えながら彼女へ目線を合わせずに、ごにょごにょと言葉を紡ぐ。


「えーあー、っと寒くなったし、そろそろ衣替えした方が……」


 謝罪から話を遠ざけるべく出てきた言葉は、この場所に似つかわしくない。

 そもそも、挨拶をせずに入室して声を掛けるほど、彼等の仲は宜しくない。

 そんな、ないない尽くしの不可解な行動に、グレンからの蔑みがあるかといえばそんなこともない。

 新たな会話を模索していたマゼンタの鼻孔に、鉄の匂いが広がった。

 寒い場所で鼻を啜り過ぎたのかと、指で押さえたが、どうやらこの匂いの元は鼻先では無い様だ。

 返答の無い室内を覗くと、足元に大量の物が散乱し、いずれも破損し、血液に塗れている。


「……っおい!ババア!」


 慌てたマゼンタはその血液の続く先、本棚に隠れた彼女の姿を探す。

 曲がり角の奥には、(はさみ)を虚ろな目で眺めるグレンがポツンと立っていた。

 何をしているのかと目を奪われていると、あろうことか彼女は自分の口元にそれを運んだのだ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっあっ……何やってんだよ!ババア!」


 マゼンタの悲鳴を気に掛けることもなく、頬から突き出した刃先をへし折り、口の中へと再び放り込んだ。

 ガリガリと音を立てているのは、鋏だろうか。

 喉元を過ぎ去った鋏は血液へと変化して、彼女の口から大量に吐き出された。

 マゼンタは、足元に広がるガラクタに目を落とした。

 破られたシーツや、ページの足りない書物、削れた木片は元の形を成していない。

 それらにこびり付いた血液から、容易に想像がつく。

 彼女が全て食べたのだ。

 グレンの腕が机の上にある金属片へと延びる。

 元の製品を想像できないその欠片を、彼女は再び喰らおうと口元へと運ぶ。


「ふざけんな!てめぇ!何でこんなこと……!」


 今度は確実に阻止しようと、グレンに飛び掛かったマゼンタ。

 グレンは少年の出現に気が付いていないのか、目と鼻の先で止まる金属片をジッと見つめていた。

 そうして小一時間ほど経過しただろうか。

 攻防を繰り広げていた力比べは、マゼンタの勝利で幕を閉じた。


「……何か用?」


 虚ろな瞳でマゼンタに問いかけるグレンは、ようやく彼の存在を認知したらしい。

 マゼンタはグレンの腕にしがみ付きながら、咽び泣いていた。


「止めろよこんなの……!お前が痛いだろ!」


 握りしめたガラクタで血を流したマゼンタは、彼女へと潤んだ瞳を向けた。

 グレンはその瞳を見て、悲しい様な、辛い様な表情をしてそっぽを向く。

 窓へ反射した室内に、もう1人の子供が映った。

 否、それはグレンにだけ見える幻影だった。

 2人を遠巻きに見る幼女は、硬直した笑みを浮かべる。


『よかったね、勇者様に救われて。……でも、貴女の所為で勇者様は死んじゃうの』


 そう言い残して、彼女は消え去った。

 後に残る黒い靄がマゼンタへと近づいて、彼の首元へと差し迫る。

 グレンは咄嗟にそれを振り払おうとして、マゼンタごと地面へと叩きつけた。

 棚に頭を打ち付けた少年は呻き声を上げて、グレンを睨み付ける。


「……そうかよ。そんなに俺が気に食わねぇかよ」


 先程までの様子とは打って変わって、目つきの鋭さを強調したマゼンタは、血をペッと吐き出して口を拭った。


「医者に行けよ。お前正気じゃねぇよ、クソが」


 それでも彼女を見捨てないのは、彼の優しさ故だ。

 腕を組んだマゼンタは、生意気に顎で扉を示す。

 診療を受けるまで、彼はグレンの元を去るつもりは無いらしい。

 バツの悪いグレンはその指示に従うしかなく、彼の監視を受けながら退室した。

 ハウサトレスに病院はあっただろうかと考えつつ、彼女はリビングを目指した。

 マゼンタはその行動に納得して、彼女の後を歩く。

 主一筋のヤミにグレンの現状を知らせたら、良い方向に進むと確信しての事だ。

 そして、リビングからは、いつもの様に記号の明るい笑い声が響いていた。

 

「顔洗ってからでいい?」


「ダメだ」


 打診を即座に断ったマゼンタへ逆らう気力が起きないグレン。

 面倒事の回避を諦めた彼女は、ヤミに着替えを貰おうと、声を掛けながら入室した。

 記号の甲高い笑い声、ヤミの呆れた様な叱責、白服が背を向けてそこに座っている。


「あ、主さん!どないしたんその怪我!」


 目敏く反応したヤミよりも、気になる存在がそこにいた。

 初めはシロかと思った。

 彼は白色の服を好んでいたし、それ以外を着用する印象も無かったから。

 しかし、椅子に胡坐を掻いて座りながら、リアスから差し出されたお茶を警戒しているシロの姿が見受けられたが為に、白服はシロではない。

 ならば記号の正面に鎮座する、背の高い彼は誰だろうか。

 それは、少なくともグレンの魔力検知に引っかからない程の使い手だ。

 グレンが考えている間に、その男がゆっくりと彼女へと振り返った。


「ただいま!僕の愛する妹よ!」


 グレンの思考が停止する。

 整った正座に、胸に手を添えて挨拶をする完璧な仕草。

 紳士のような丁寧な態度で、今一度ネクタイを締め直した彼を前にグレンは絶句した。

 「誰だ?」とマゼンタがグレンの影から覗き込む。


「命令だシロ!私とこいつを裏に飛ばせ!」


 グレンの裏返った声に驚いたシロは、湯呑を取り逃して膝へと盛大に零す。

 いや、驚いたのではない。

 彼女の命令に首輪が反応し、強制的にシロの行動権を奪ったのだ。

 彼が意図せず発動した魔法陣は部屋全体へと繋がって、彼等を裏の世界へと転移させた。



 

 グレンは土煙の中で、周りを見渡す。

 失策だった。

 彼女は自分と兄さんだけを裏に送るつもりだったが、シロの魔法が強力すぎる故に、世界の裏へと全員を移動させてしまった。

 日頃から首輪の力を制御していない付けが回って来た事を悔いても、既に時遅し。


「えーもう、びっくりするなぁ」

 

 ケホケホと咳き込みながら、土煙で染まった白衣をパタパタと払う兄さん。

 突然の展開に付いていけるのは優秀な仕人のみで、彼は既に仲間をグレンの後方へと移動させていた。


「兄さんとそない仲悪かったんか」


 だが、そんな彼でも、ここまでグレンが警戒する理由は、分かっていないらしい。

 兄さんと個人的な接点がある彼は、こうして兄妹が揃う場面に遭遇したことはない。

 しかし、記号の身に付けているローブは兄さんからの贈り物であり、それは元々彼がグレンの身を案じての授けたものだ。

 

「兄?……あの悪魔がどうして兄に見えるんだ」


 抜刀したヤミの武器に氷魔法を纏わせながらも、グレンは兄さんから目を離さない。

 一通り服の汚れを落とした兄さんは、直らない寝癖に再び勝負を仕掛けていた。

 そして、それは兄さんを悪魔たらしめる行動だと、グレンはよく理解している。


 「兄は血の繋がった兄弟だぞ。私ならあんなに身だしなみに気を配らないね」


 何の自慢にもならないが、彼女は胸を張ってそう言った。

 兄さんは張り詰めた笑顔で「クスクス」と笑う。


『残念。僕にはちゃんと()()()()あるように言い聞かせてるんだけどね』


 悪魔が本性を現した。

 声帯を歪ませて二重の声を創り出す彼は、もう取り繕う気がない。

 黒色が指先から浸透して、兄さんの全身を包み込む。

 狐目から薄らと覗いた赤色の瞳は、悪魔の象徴であった。



 これは訪れる彼の物語。

 最凶の悪魔――サタンはその欲を満たすべく彼等と対峙していた。

短編小説の投稿も始めたのでお暇な時に是非ご覧ください

※この物語とは関係ないストーリーの短編です


次回更新は2025/04/23を予定しています

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