これは奔放な彼の物語 2/2
「勇者様、どうぞこれも持って行ってください」
「こんなに沢山……!ありがとう!」
ブルの両腕は、町の人々から分け与えられた食物で埋まっていた。
馬車の移動に始まり、屋根の施工に終わった彼の慈善活動は、ひと段落した様子だ。
大量の荷物を抱えた優男の袖が、荷物の重みで捲れ、虹色の肌を露出する。
町の子供達は袖を捲って腕を差し出すと、彼の腕と見比べて自慢げに鼻を鳴らした。
「へへっ!俺も勇者様だぜ!」
「俺も!俺も!」と集る子供は、皆揃ってカラフルな腕をしている。
だが、多色で表された彼等の落書きは、ブルの腕と比較すると劣って見えた。
波打つ水面の様に色が移ろう本物の腕と比べると、違いは一目瞭然だったが、彼等は勇者とお揃いであることが嬉しいのだろう。
そんな無邪気な子達を、ブルは暖かな笑みで歓迎した。
「僕も皆と同じで嬉しいよ」
優しい彼からの言葉に一同は目を輝かせて、更なる要求をする。
遊ぼうと誘う純粋さを前に、その気になった勇者。
彼は、手持ちの荷物を魔法陣の中へと収納すると、居合わせた子供全員と遊び始める。
ブルは氷魔法で坂を作り上げ、風魔法で彼等をその上へと運んだ。
「さあ!勇者諸君!どんな方法でここを下りたいかな」
クルーズの船長の様に、彼はお道化た態度で子供達に選択を委ねる。
1人が「飛んでみたい」と言うので、彼はそっと子供の体を風で包み込んだ。
1人が「坂を貫いて降りる」と言うので、彼はその勇敢なる子に炎の剣を捧げた。
「流石は勇者様だな」
「ああ、俺も詠唱無しで魔法を使ってみたもんだな」
遠巻きに子供を見守る大人達は、ブルの偉大さに感嘆の声を漏らした。
精霊に囲まれて朗笑する彼には、類稀なる才能――固有魔法があった。
ブルが魔法を放つたびに発色する腕の入れ墨。
植物の蔦に似通った形状のそれは、使う魔法の種類で色が変化した。
『集約』は、他人の力を授かることのできる特別な魔法だ。
そして、もう1つ。
彼とは切って離せない特別が存在する。
それが発揮されたのは、子供達が遊び疲れた頃だった。
別れの挨拶として、子供達がブルとハイタッチをしている時、彼は危険を察知する。
ブルは、目にも止まらぬ速さで背後に回っていた子供等を1人残らず前側に抱えると、土の防壁を作り出した。
空から飛来した数多の槍は、防壁を壊しきる既の所で停止する。
粉塵に視界を奪われた保護者達は、子供の安否を心配して大声を上げた。
「安心してくれ、皆無事だ。僕の魔法で守られているから大丈夫」
塵を風で飛ばしながら、勇ましく片腕を広げるブル。
彼の言葉を聞いた彼等は揃って安堵し、逃げることを忘れて彼を称えた。
「こらこら、状況が分からないから避難して」
焦ることなく淡々と避難を促したブルは、周囲の安全を確保した上で、大規模な魔法を放つ。
彼が片目を閉じて耳を澄ますと、無属性魔法が町全体の音を拾った。
反響した音が地形を点々と映し出す。
音波の跳ね返りの多い城付近は、その情報量の多さから白飛びした様な印象を受けた。
漠然としたイメージを受け取ったブルは、城を目視すべく、跳び上がって屋根を駆け足で伝った。
走る最中、彼は上空に数え切れないほどの紫の矢を生成して放つ。
「ヒュン」と軽々しい音を立てた矢は、人を圧し潰そうと目論んでいた瓦礫を宙で止めた。
その一方で、人体へと直接向かった矢は、彼等の傷口を包み込んで血流を押し留める。
「……うっ」
拒絶の声を漏らし、広場で足を止めたブルは蒼褪めて、魔力を練り直した。
彼が見た光景。
広場へ大きく引かれた血液は、1人が道を通れる程度の広さだ。
その血は喉を斬られた者や、胴体から腸をはみ出させた者から流れている。
そして、彼等は共通して、抉る様な傷口を持っている。
刃物ではない痕跡を目にした彼は、親友の顔を思い浮かべて唇を噛んだ。
「……さっきまでご機嫌じゃなかったか」
いつ、彼の機嫌が損なわれたのか。
絵画の出来を喜んで笑っていた白衣の男は、この道の先に居る。
そう確信して、眉に皴を寄せるブルは、勇者らしくもない舌打ちで兄さんの行動を非難した。
そんな勇者が見つめる先に、彼は当然の如く町を闊歩していた。
今日はどんな買い物をしようかと考える様な軽やかな足取りで、手の届く範囲の人々を手刀で引き裂いた。
兄さんは汚れた手の先を舌で舐めて、高く聳え立つ城を見上げる。
『あーあ、もう気付いちゃったのかー』
彼は後ろを振り返ることなく、勇者の魔力を感知する。
兄さんの後頭部を狙った矢は、全身を包み込む様に霧散して、念の力を増幅させた。
『はぁー。なんだよ、鬱陶しいな』
足や腰に付いた紫の鎖を恨めしく眺める彼は、両腕をダランと下げてため息をつき、ミシミシと音を立てる下半身に構うことなく、進もうとした。
――ポキッ――
そんな軽い音を立てながら、簡単に折れたのは彼の背骨。
兄さんはわしゃわしゃと髪を搔き乱すと、怒りに満ちた瞳で、通りにあるガラス細工を見つめた。
『あー!もう!交代!着いたら起こして!』
歪曲した自身へと会話を試みる彼の行動は、取り巻く人々の好奇の目に映った。
兄さんがフッと目を瞑ると、そこに立ち込めていたはずの淀んだ気配が鳴りを潜める。
静かに姿勢を持ち直した彼は、普段の狐目を取り戻ていた。
「わーん!痛ーい!全く僕は無茶ばかりするんだからー」
彼のふざけた態度は変わらない。
それ故、性格が一致したそれを見分けるのは、至難の業だろう。
表裏をスイッチした男は、取り出した工具で、腰に巻き付いた拘束具を無理矢理引き剝がした。
だが、その動きの何とも不器用な事か。
貼り付いた紫を取り除こうとしたであろうその動きは、自身を引き裂いてドロドロとした血を流させた。
しかし、彼はそんな些細な状態を気にも留めない。
勇者に追われる現状は、彼の不幸さなら当然あり得る事だった。
そして、世界から嫌われた男は、目的を果たすべく、のろまな体を鼓舞して城の入り口まで迫る。
「悪魔め!許可なく城内へ立ち入ることは許さん!」
兄さんは、月並みな言葉を述べる門番の手持ちの剣を奪う。
反転した切先は、持ち主の腹部を貫いた。
倒れ行く男の対面では、呆気に取られたもう1人の門番の姿があった。
状況を掴めない兵士。
その男は、門番の矜持で反射的に兄さんへと剣を振った。
悪魔と呼ばれた男に、体重の乗っていない咄嗟の攻撃が効くとは思えなかった。
が、不恰好に体重の掛かった斬撃は、その意に反した重さを発揮する。
これを好機と捉えた兵士は、1撃目が決する前に次の攻撃に踏み入った。
そして、2度割かれた兄さんの体から、大量の血が噴出した。
それは地面へと広がり、石畳の溝に沿って流れる。
「何故……避けないんだ……?」
彼が悪魔であることは、周知の事実だった。
いつだって世界を崩壊させ得る彼は、御伽噺の様な存在だが、それを語った勇者の言葉を疑う者は居ない。
にこやかで不健康的な彼は、悪魔に違いなかった。
だが、そんな最強とも呼べる過去の遺物が、一介の兵士の攻撃でダメージを負うとは思えない。
驚きで動きの鈍った門番に、彼はお得意の狐目で笑いかけた。
「だって、避けても意味が無いでしょー」
そう言いながら、兄さんは門番の横を素通りする。
不審者の侵入を許せない兵士は、再び白衣の男へ剣を振るった。
背中に深い傷を負った彼は、痛みなど感じないのか、そのまま一直線に、国王陛下の御前までひた歩く。
しかし、道中の兵士がそれを止めない訳もなく、裂傷が次々と彼を覆った。
何度傷付いても歩みを止めない男。
言い寄れぬ恐怖を覚えた兵士たちの士気は次第に下がってゆき、遂に兄さんは陛下の目前まで迫った。
国王は玉座に鎮座したまま、人の形を保つのがやっとな彼を見下ろして嘲笑する。
「最も恐れられた悪魔の何たる姿か。これ程までに簡単に殺せるなら、今すぐにでも息の根を止めてやろう」
「フフフッ、ダメだよー。君を殺すのは僕なんだから、君に殺されてからじゃあ遅いでしょ?」
血液の中で笑う彼は、王を見上げてクスクスと笑う。
不気味な雰囲気を纏う兄さんを取り押さえる様、王は片手を上げて兵士に指示した。
居合わせた兵達は、数人で彼を拘束すべく手を伸ばす。
「ピシッ」とラップ音が鳴った瞬間、兄さんに近付いた彼等は手先から凍り付き、雪となってサラサラと落下した。
不可解な出来事を前に、眉を顰めた国王は、自身の危うさに気付く。
が、時すでに遅し。
兄さんが作り出した魔法陣は、王と兵士を遮断する様に展開されていた。
「彼の国の様に王座を狙う……か。貴様の望みは何だ?金か、地位か。交渉次第では譲歩せんでもない」
最高位の男からの怪しげな質問に、兄さんは真剣に考え込んだ。
「うーん」と顎に手を当てながら空を見上げる彼は、本気で望みを叶えられると勘違いしているのか、楽しそうに口角を上げた。
時間稼ぎのつもりで投げかけた質問が、こうも熟考されるとは想定していなかった国王。
彼は兄さんの目を盗み、背後のタペストリーに掛けられた魔法障壁を解いた。
鎧を身に纏った近衛兵がそこからゾロゾロと這い出し、兄さんを取り囲む。
彼等は目配せをしながら、悪魔を倒すべく陣形を作り出す。
「あ、そうだ。どうせ君を殺すなら自決して貰おうか。……て、あれれ?」
何処からともなく現れたナイフの柄を国王に差し出す兄さんは、そこでようやく形勢が逆転している事を知った。
王の周りで護衛を務める兵士たちは、兄さんの攻撃範囲を測るべく、火球を辺りに漂わせる。
兄さんから半径1メートルほどに寄った魔法は、その場で温度を反転させて姿を変えた。
「いてっ」
雪玉を顔面に受けた兄さんは、鼻を真っ赤にさせながら、肩を竦めた。
「んなー、バレちったかぁ」
特段、残念がる様子もなく、兄さんはケタケタ笑う。
能天気な来訪者の手の内を明かした兵士達は、複数人で作り出した強大な魔法を、彼の体に叩き込んだ。
威力の強い魔法は雪へと変化する間も無く、兄さんの体を貫通して、その役割を終えた。
衝撃を受けた中心部は、煙が立ちこめて様子が分からない。
「次手に備えろ!国王をお守りするのだ!」
一際装飾の多い着衣の兵は、周りの士気を保つべく緊張した声で命令を下す。
暫くして、視界が晴れる。
彼等に守られた国王は、古の遺産を吟味するべく、褐色に染まった白衣を見下ろした。
どれだけ負傷しても、笑顔のまま表情を崩さない彼。
兄さんは反撃もせずに膝をついている。
「お待ちくださいブブラス陛下!」
晴れやかに響いた声の主は、誰もが知る『勇者』その人だった。
日差しを背中に乗せた彼は、少年に肩を貸した状態で、対立する2人の間に割って入る。
勇者に連れ添われた少年を目にした兄さんは、親しげに、それでいて他人へ向けるような関心を示した。
「アハッ!生きてたっ……ハハハッ、マジかよ、さっすがブルだねぇ……アッハハハハ!」
らしくない笑いが込み上げて来た兄さんは、片手で顔面を覆って胴体を横へと傾げる。
露になった奥歯は、彼が大きく口を開いて笑っているから見えるのだろう。
悪魔のような笑い声は部屋全体に響き渡り、地震と錯覚するほど他の者の膝を震わせた。
ひとしきり笑い終えた兄さんは、一転して普段見せない真顔でじっとセルンを見つめる。
「心臓を潰しても治せるんだね。良いことを知ったよ。それなら……を殺さなくて済むね」
そう言って国王へ向き直る兄さん。
淀んだ瞳を捉えた男達が彼に脅威を感じるのは、致し方の無い事だった。
王の傍へと仕えていた兵士は、反射的に魔力を練る。
命の危機を前にした王は「悪魔め」と無意識に発した自分の言葉で聴覚を満たした。
「っ待て!止めろ!それを殺すな!」
緊迫した状況下で、誰よりも声を荒げたのはブルだった。
兄さんは、親友の声を耳に残そうと静かに目を閉じる。
「……少し遊びに行くね」
――ドゴオオン――
城を倒壊する威力を持った魔法が、兄さんに命中した。
柱は崩落し、膨張した空気が決して狭くない通路から外へと勢いよく噴出する。
土埃が舞う中で、防御魔法に包まれた兵士等は、国王を気遣う様に辺りを警戒した。
一方、ブルの周りには土埃どころか、空気の淀みすらない。
「陛下!僕の声がする方へと移動してください!」
咳き込む少年を抱き上げたブルは、最も高貴な彼を危険な場所から遠ざけるべく、言葉を投げた。
どこを目指しても行手を阻む城。
下手に動けば、建物の下敷きになるだろう。
しかし、ブルにはそうならない絶対的な自信があった。
最も世界に愛された男――『幸運』の固有魔法を所持するブルは、此度の騒動においての死者を最低限に抑えた。
迅速な人命救助、危険な場所から人々を遠ざけた結果、死者は1人のみ。
最凶の悪魔と呼ばれた男だけを失った世界は、甚大な損害を抱えて、この先の政権争いを加速させることだろう。
そして、争いを起こさせないために勇者が為すべきは、責任を全て被る事だった。
使命を帯びた勇者は、エタ・アルテミを離れる事が出来ない。
それこそが兄さんの策略であったと気付く頃には、彼の目的は果たされているだろう。
「すまない……」
誰に伝えた言葉なのか。
空を見上げたブルは、遠い世界に行ってしまった彼を悼んで拳を強く握った。
これは奔放な彼の物語。
死んだ男の行き先は――。
次回更新は2025/04/20を予定しています