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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第1章ー始動編ー
15/46

これは奔放な彼の物語 1/2

 数年来連れ添った親友の叫び声を久々に聞いた兄さんは、笑みを浮かべる。

 ――この悪魔め!――

 聞き馴染みのある文言にすら懐かしさを感じながら、彼は静かに目を閉じた。




「あー、うーん。……おっ、こっちかな!」


 そう言って虚空に向けてピースサインをするのは、黒髪の男だ。

 その男の艶やかな髪は、バランスを知らないのか、好き放題外側にハネている。

 各所に汚れが目立ち、本来の白さを失っている白衣は、彼がガサツであると物語っていた。

 その中央で乱雑に緩められたネクタイは、存在意義を完全に喪失していた。


「なぁんか凄い失礼な事言われてない?僕」


 誰も居ないはずの部屋で独り言を呟く彼は、土が蹴られる小刻みな物音に振り返る。

 

「お兄さん!絵が完成しました!」


 布が掛けられたキャンバスを大事そうに抱えた少年が、大声で彼に駆け寄った。


「わーい。仕上がりを見て良い?」


 そう言って兄さんは、彼の手から絵を受け取ろうとした。

 が、その重さに押しつぶされて下敷きとなった。

 「ガシャン」と低音で鳴ったキャンバスは、かなりの重量があるのか、一度バランスを崩してしまえば少年の手へ戻りはしない。


「す、すみません!すぐに持ち上げます!」

 

 大切なパトロンに怪我をさせてしまったとあっては、師匠のメンツが潰れてしまう。

 蒼褪めた少年が絵画を持ち上げようと試みるが、その度に男の体は(すべから)く軋んだ。

 押しても引いても、ビクともしないキャンバス。

 取り付く島もないと少年が嘆きの声を上げた時、彼の背後から伸びた腕が軽々とそれを持ち上げる。


「アハハッありがとうブル。もう少しで死んじゃうところだったよー」


 下敷きになった張本人は、ヒラヒラと手を振った。

 次の瞬間、肘の辺りから「ダラン」と力を失った腕が、重力に押されて下へと向く。

 

「あああっ!お兄さんっ腕がっ……!」


 どうやら、落下の衝撃で、彼は腕を破損してしまった様だ。

 少年が慌てて彼の腕を支えるが、効果は何もない。

 緊張で汗だらけになった少年の背後では、優男が落ち着き払った穏やかな声で詠唱する。


「どうか僕に力を貸して、聖の柩(ホーリーコフィン)


 いや、詠唱とは言い難いだろうか。

 彼の魔法は本来、言葉を必要としない。

 魔法使いとして幸運に恵まれた男は、手に現れた瓶の蓋を取って兄さんへ差し出した。

 瓶の中から現れた精霊の形をした魔力溜まりは、飛び回る様に浮遊して、彼の動かない肘にそっと口づけをする。

 金属を爪で弾いた時の様な高音を響かせたその魔法は、役目を終えて粒子となり、消失した。

 兄さんは元通り動くようになった腕を何度か回して、その回復力を実感する。

 少年は目の前で起こった奇跡に違いない出来事へ、感嘆の声を漏らした。


「……凄い。流石勇者様です」


 優男を見上げる少年は、頬を赤らめて恋する乙女の様に目をうっとりとさせた。

 晴天の様な明るい青髪を携えた『勇者』と呼ばれた男――ブルは、その頭髪とよく似た、青い澄んだ瞳を少年へと向ける。


「ありがとう。セルンは怪我をしてない?」


 勇者に名前を呼ばれた少年は、嬉しさで更に真っ赤になって、ブンブンと左右に首を振った。

 言葉を発せない程に緊張した少年。

 彼の頭を優しく撫たブルは、暖かい微笑みで兄さんを嗜める。


「僕の居ない時に迂闊な行動はしないでね。ケイはすぐに怪我をするんだから。ほらパンが焼けたから食事にするよ」


 名前を持たない存在概念だけになった兄さんを『ケイ』と呼べるのは彼だけだった。

 ここはサィデタ(13番目の世界)から遠く離れた世界――エタ・アルテミ。

 中世風な街並みはその時代を再現するかのように、人々は協力し合って生活をしている。

 朝食1つとっても、苦労は多い。

 町にあるかまどの数は限定的で、ブルは毎朝材料を持って職人にパンを焼いて貰っている。

 ブルは兄さんにパンを分け与えた後に、地面へと乱雑に放置してしまった絵画を手近な机の上へ立て掛けた。

 几帳面なその男が方々に付いた埃を丁寧に払っていると、白衣の男が肩をぶつけてブルに寄り添った。


「待ってよー最初に見るのは僕だって」


 パンを(くわ)えてモゴモゴと話しながら、兄さんは汚れた手で布を引っ張った。

 そのキャンバスはセルンの背丈と同じ150㎝程のサイズで、中央には力強く一点を見つめる麗しい女性の姿が描かれていた。

 キリッとした眉は厳しい印象を与えたが、緩んだ口元が優しさを表現している。

 そして、見た者の心を見透かす瞳は、嘗てない程美しかった。


「わーやっぱり君に頼んで正解だったよ」


 「アハハ」と笑いながら、兄さんは少年を褒め称えた。

 拍手をする彼の横に立つブルは、キャンバスに映る彼女に見惚れて口元が緩む。

 頬を赤らめてしまった彼は、思わず絵画から顔を背けた。

 逸らした視線の先、絵画を満足そうに褒める男の黒目は、いつも以上に淀んでいる。

 異変を感じ取ったブルは、勢いよく彼の腕を掴んだ。


「うん?ああ、ブルもこれ欲しいんでしょー。僕のだからあげないよー」

 

 狐目に戻った彼は、首を傾けて幸せそうに笑う。

 その様子に、先程の不穏めいた空気は感じられない。

 腕を掴んでしまったことの言い訳を探す様に、ブルは目線を泳がせて再び絵画を見た。


「美しい女性だね。白髪だけど……どこか…………あっ、君の妹に少し似てるんだ」


 決して弱々しくない凛とした表情は、兄さんの()()()であるグレンによく似通っていた。

 途端、ブルは悪寒に包まれる。


「ケイ。もしかしてあの子の肖像画を作ってるんじゃないよね」


 「そうであれば彼女が不憫だ」とブルはジト目で彼を見た。

 だがそんな否定めいた態度に気が付かないのか、兄さんは何の気なしに首を傾げる。


「愛しい妹はもっと残酷でしょ?まあ、彼女に似てることは否定しないけど」


「彼女の絵画も作って貰おうか」と浮足立つ彼の本気交じりの発言に、迂闊だったとブルは後悔した。

 そんな彼等の内輪な会話についていけない絵画の作者は、キョトンと会話の行く先を見守っている。


「あっそうだ!報酬を支払わないと!って痛っ!」


 セルンの視線に気付いた兄さんはくるりと振り返り、机の角に腰を強打して俯く。


「いえっ報酬は既に十分貰っていますから!それより大丈夫ですか?」


 両手を振った少年は、ぼさぼさの髪でカーテンを作った兄さんの顔を覗き込んだ。

 痛みに眉を顰める彼であったが、いつもの貼り付いた笑顔は忘れていない。


「良い仕事には、相応の対価を与えないとね」


 未だ絵画に目を奪われているブルが、少年へ向けてウインクをした。

 修行の身でありながら過大な評価を貰ったセルンは、後頭部を掻きながら照れ隠しをする。


「凄く嬉しいです。俺は兄弟子みたいに線のしっかりした絵が描けないんで。褒められたのはいつ振りかって感じで……」


 セルンはこの町の、はみ出し者だった。

 貧乏な家系で生まれた長子の彼は、他の同年代よりも背が低く、力仕事が苦手だった。

 力が無いのならば技術力を磨こうと決意し、画家の道を選んだが、それも上手くはいかなかった。

 画家は建築と同等の体力が必要であったし、その上、集中力も不可欠な仕事だ。

 しかしながら、彼には後者の才能がある。

 大規模な壁画作業からあぶれた彼は、今回のような個人向けの仕事で生計を立てていた。

 日の目を浴びない依頼でも手を抜かず、客の満足いくまで力を尽くすのが、唯一残された彼のプライドだろう。

 それを手放しで褒められたとあっては、少年がこの上なく浮かれるのも無理もない。

 

「君は人を描くのが上手だからねー。これからも応援しているよ」


 「チャリン」と音を立てて、セルンの手元に報酬が渡る。

 兄さんから手渡された硬貨を凝視しながら、少年は喪失感に満たされた。

 今回の依頼は1年以上掛けた大作であり、完成をいち早く知らせることに頭が一杯だったが、彼等と会うのは今日で最後だ。

 試作を重ねて、彼女の性格を理解して、何度も失敗する中でようやく完成した作品。

 少年は自分の作品を最後に一目見ようと、描かれた彼女と目を合わせた。

 凛とした表情は、誰にも左右されない確固たる意志を持っている。

 本当に実在する人物であったなら、世界を変え得る大物だろう。


「……最後に1つ聞いても良いでしょうか」


 笑顔のまま少年を見る白衣の男は、彼の言葉を止めずに、その続きを待つ。


「彼女は実在する人なんですか?」

 

 画家からの不躾な質問に、お道化た様子で首を傾げて両腕を開いた兄さんは「さあ」と笑う。


「少なくとも僕が想像した麗しい人だよ」

 

 『想像した』のなら、はぐらかす必要は無いだろう。

 どっちつかずの答えは、少年に秘密を教えたくないのか。

 それとも、彼自身本当に知らないのかもしれない。

 曖昧な答えを示した彼は、描かれた彼女の唇を人差し指でそっと撫でた。

 化粧の無い素肌に触れた彼は、何を思うのだろうか。

 凝り固まった笑顔の裏側を覗き見る能力は、セルンに備わっていない。


「勇者様!」


 周りが静かであるにもかかわらず、その者が影を写すまで誰も存在に気が付かなかった。

 息を切らしてブルを指名する男は、道の先を指さして助けを求める。


「昨日の雨で出来た泥に馬車の足が取られてさ、助けてくれ」


 町人は当然の様に、目の前の優男に縋った。

 『勇者』とは人々を救う者。

 小さな案件であっても、ブルはその名に恥じぬ為、勢いよくで外へと駆け出した。

 部屋に残された少年は、後ろ髪を引かれる思いを振り払う様に、不自然な視線の上げ方をする。

 石造の建物の岩のヒビを眺めながら、揺らぐ視界を誤魔化した。

 「いつまでもここには居られない」とセルンは鼻を啜る。

 少年は袖口に付いた鼻水に不快感を覚えながら、視線の先の動きに意外性を持った。

 雑に捲った袖を丁寧に折り返し、役目を放棄していたネクタイを綺麗に正す彼は、いつもより大人びて少年の目に映る。

 セルンが彼に目を奪われている中、兄さんの手は自分の髪へと伸びた。

 手櫛である程度寝癖を整えたが、頭の頂点にある目立ったアホ毛は直らないらしい。

 「はぁ」と諦めの息を吐いた兄さんは、狐目を薄く開いた。

 真っ赤に染まった眼球は、左右に痙攣した後「ギロッ」と少年を見る。


『ここに、足りないものがあるんだ』


 そう言って兄さんの指は、彼女の瞳と唇を交互に指定した。

 パトロンからの指摘に驚いた少年は、喜びと不安を混ぜた上擦った声を漏らす。


「すっすぐに訂正します!色のイメージなどはありますか?」


 セルンは依頼を続行出来る嬉しさを噛み締めながらも、客の満足をさせれなかった恥を隠そうと、彼を押しのけて絵画を隠す。


「彼女は貴族の様に美しい方ですから、もう少し化粧を足しましょうか。でも、素顔に見える様に描くのはお兄さんの指示でしたね。……それでは口元に健康的な差し色を」


 早口で捲し立てる少年の言葉が止まった。

 突如絵画へ飛び散った黒色に驚いた少年だったが、それはただの黒色ではなく朱を混ぜた色だと気付いた。

 美しい彼女へ飛び散った飛沫は、その瞳や口、頬を染めてインクが混ざる。

 乾ききっていないインクと共に、ペインティングナイフで『血』を混ぜるのは少年の手だった。

 絵画を前に、セルンの想像力が過去に無い程、掻き立てられる。

 白衣の彼が言う通り、この絵は完成していなかったのだ。

 持ち前の集中力を発揮して作業を続ける少年の頭が、次第にボーッとぼやけてくる。

 虚ろな思考で集中を切らした彼は、ようやく事態の重大さを認識して体を震わせた。

 このインクは何処から来たのか。

 自分の手がどうして動き続けるのか。

 口から絶えず漏れる液体は何だ。

 突如、怯えた少年は「ゴホッ」と体液を吐き出した。

 真っ赤に流れた鮮血は、再び絵画を黒く染め上げる。


『フフッ、まだ赤が足りなかったのかな。いいよ、これは君の()()()()()なんだから、最高の仕上げにしよう』


 少年の耳元で優しく囁く彼は、セルンの頬に付いた血液を舌で絡め取る。

 異質な感覚を覚えた少年の注意が、キャンバスから離れて足元に移動した。

 垂れる血液は口だけに留まらず、尿を漏らした時の様にズボンの前を濡らしていた。

 いや、興味を示すべきはそこではない。

 セルンの全身から流れる血液。

 その主たる場所は体の中央部――胸を貫いた指先が、セルンの心臓を握り締めていた。


『うん!良い出来だね!僕に頼るのは心許なかったけど、期待通りの画家で安心したよ』


 白衣の男は左手で心臓を優しく撫でながら、少年に添えた右の手で絵を描く。

 電流を流す要領で、セルンの生命――心臓からの微弱な信号が兄さんの腕を伝って絵画を輝かせた。

 そして、少年の鼓動は筆を重ねる度に弱々しくなって、ついには活動を停止した……。


 ――カラン――


 筆が地面へと落下して、力を失ったセルンの体が地面に誘われる。

 彼の体を支えていたはずの兄さんは、心ここにあらずといった様子で彼の屍を眺めていた。

 セルンの魔力で完成した絵は、当初よりも幻想的で暴虐的な彼女を再現している。

 不敵に笑う彼女が口を開いた。


『あら、またお友達を失ったのね』


 少なくとも、彼にはそう聞こえたらしい。

 兄さんは悲痛な叫びをあげて、セルンの体を力一杯抱き締める。

 激しい嗚咽と流れる涙で目が眩んだ彼は、少年の仇を討とうと決意して、赤い瞳を更に輝かせる。


『誰が悪い?……そうだ、兄弟子が悪いんだ。そいつ等を止めなかった師匠が悪いんだ。彼を壁画から遠ざけた奴等が悪いんだ』


 兄さんは恨めしそうに、世界へと悪意を向ける。

 見開いた瞳は充血し、少年の胸元に埋めた顔は真っ赤に染まっていた。

 そして、病人の様にフラフラと立ち上がった彼は、今し方付いた血液を汚いと言わんばかりに扱い、布で拭う。

 鼻歌交じりで新しい白衣に着替える彼は、狂気そのものと言って差し支えないだろう。

 汚れの少ない上着に袖を通して、直らないアホ毛を再び気にしている。


『よぉーし!全員殺せばセルンも幸せだよね』


 彼はいつも通りの笑顔で、家の扉を開く。

 が、そこで彼は足を止めた。


『いっけなーい!忘れるところだったよ。持って行かないと僕が怒っちゃうからね』


 「コテン」と拳で自分の頭を小突いた兄さんは、忘れ物を取る為に踵を返した。

 道中、部屋の真ん中にある遺体を踏み荒らしたが、彼は認知していない。

 部屋の奥は板で張っただけの簡素な階段があり、彼はそこを上るのかと思われた。

 しかし、彼は階段に気を止めることもせず、その先の壁へと歩みを進めた。

 石壁は彼が衝突すると輪郭を歪ませ、表面張力で彼を押し返そうとする。

 そんな壁からの抵抗に構うことなく進むと「トプン」と全身がその中へと飲み込まれた。

 中の景色は圧巻と言わざるを得まい。

 外界と交わらないその空間は鉄製のパイプが入り乱れ、その管の先には両脚を両腕で抱える女性が、ホルマリンに漬けられて漂っていた。

 黄色の液体で死人の様な肌色をした女性は、絵画に描かれていた人物そのものだ。

 

『何が必要か僕には判らないし、部屋全体を持って行こーっと』


 兄さんが指で空を切ると、空間がグニャリと歪んだ。

 コップの水を攪拌させる動きで指をクルクルと回すと、彼の手元向けて空間が吸い込まれていく。

 そして、手のひらサイズに収まった部屋を握りしめて球体にすると、彼はそれを口に放り投げた。

 失われた空間は、最初から存在しなかったかのように、彼は階段の手前に立っている。


『味がしないなぁー』


 コロコロと口の中で回る球体を舐めまわしながら、彼は通り際に絵画を撫でる。

 すると、それはくるりと彼の手に収まり、先と同じ現象でその姿を消した。

次回更新は2025/04/18を予定しています

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