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神様の自由帳  作者: ぼたもち
第1章ー始動編ー
13/46

これは不穏な彼の物語

 娘の手を引いて逃げ惑う父親は、嘆きの声を上げる。

 ――どうして私の娘でなければならなかったのか――

 彼が振り返らないのは、直面した現実が彼にとって不必要なものだったからだ。



 

「庭を彩る若き生命よ、其方らの意志に同期し戦闘の運命を覆すことを命ず、散りゆく華は神に手向ける贄とならん聖戦の燈(ニケ・エヴロギア)

 

 彼女の詠唱に聞き慣れた頃、その魔法ようやく不揃いな魔法陣を創り出した。

 額から汗を流す少女――リアスは技の成功を祈って、マゼンタの木刀を見つめる。

 巫女の加護を受けた刀身は淡く光り、すぐにその微かな光を失う。


「また……ダメでしたか」

 

 神力を消費したリアスは、息切れながら肩を落とす。


「大丈夫だ!焦ること無いぜ」


 何の根拠があるのだろうか、マゼンタは彼女を元気付けようと、拳を握って鼓舞した。

 ストックの町から帰宅したリアスが、幼馴染へ自分の決意を話して何日経っただろうか。

 自分も戦力になりたいと願った彼女は日々、加護魔法の鍛錬に明け暮れていた。

 彼女を護るという使命を担った少年は、その言動に困惑が隠せなかったが、彼女の決意を無下にするほど、関りは浅くない。

 それに加えて、怨霊(ギフト)へ立ち向かうには、リアスの持つ女神の力が必要であったために、彼の方から頭を下げて、彼女の修行に協力することになった。

 

「もう一度挑戦します」


 マゼンタの期待に応えようと、リアスはもう一度神力を練り始める。

 魔法陣の黄緑色混ざるのは、魔力の調節を誤っているからだ。

 リアスの体に流れている力は、神力と魔力の2種類。

 神力のコントロールに慣れていない少女は、原因も分からず失敗を繰り返していた。

 リアスは気を集中させて、体の奥底に流れる魔力と神力を練り上げていく。

 

聖戦の燈(ニケ・エヴロギア)


 透明に近付きながら離散した魔法陣を観察し、原因を模索する頭を支える様に、顎へ手を当ててリアスは考える。


「あん時と何の条件が違うんだろうな……」


 彼女と同じ様に頭を悩ませた少年は、唸りながら言葉を続ける。


 「シロさんにさ、魔力量は『意志の強さ』で決まるって聞いたんだ。それなら、神力にも力を引き出す条件があるじゃねぇかな」


 少年の言う事は、的を得ていた。

 リアスは神力を操れるほど、練度が高くない。

 少女は黙りこくって、ヤミの刀に加護を与えた日を思い返し、条件の違いを模索した。


「……あの日は、魔力が殆ど無かったんです」


 あの日、ヤミはリアスから神力を引き出すために、魔力の大半を消費させていた。

 ならば、今魔法が離散する原因は『魔力量が多すぎるから』だと少女は一考した。


「魔法陣が植物魔法に満たされているから、加護が完成しないのかも」


「……それなら、先に魔力を使い切ってしまうか?だが、魔力が無くなったら……」


 魔力は命そのものである。

 魔力が枯渇すれば、人間としての『死』を意味する。

 一か八かで行うべきでない手段に、少年は尻込みした。

 それは少女も同じ様で、うーんと唸っていた。

 幼い少年少女だけでは、結論が出ないだろう。

 埒が明かないと悟ったマゼンタは、魔法のエキスパートに頼ろうと、この場へシロを呼び寄せることにした。




「シロシロなら、あるす……なんたらに出掛けちゃったよ!」

 

 グレンの肩に抱き付きながら、記号はそう言った。

 「シロが単独で出掛けるとは珍しいこともあるものだ」と少年は驚いて、ちらと魔女を見る。

 彼女はマゼンタに関心が無いのか、いや、恐らく彼女の事だ、日が高くなった今時も夢現なのだろう。

 彼女に頼れば、答えが見つかる可能性はある。

 しかしながら、少年の微かなプライドがそれを拒絶した。

 そして、彼女に頭を下げたくない少年は、もう一度リアスと相談しようと決め、踵を返して少女の待つ中庭へと移動する。




 庭へ続く装飾の無い廊下を歩いていると、暖かい風が外から吹き込んで来た。

 少年は空を見上げる。

 高く昇った太陽は、過ごしやすい気温を作り出している。


「なんだかんだ平和だよな」


 世界を裏返せば、怨霊が蠢いている。

 そんな気配を一切感じさせない表の世界は、彼の感覚を鈍らせるばかりだった。


「マゼンタ!出来ました!はっ、早く刀をこちらに!」


 暖かな時に流されていた少年は、幼馴染のはしゃいだ声に驚いて、彼女の元へと駆け寄った。

 リアスの手元は透明な光で満たされている。

 可視できないはずのそれは、日光に当てられて、マゼンタの眼でも輪郭がチラチラと見えた。

 少女に急かされた通りに木刀を差し出す少年。

 魔法陣は刀に吸収されて、少年に悪と戦う力を授けた。


「えっと、成功で良いんだよな」


 呆気なく完成した技の前で、少年は声音を上げながら少女に問う。

 彼女は口元を隠すが、嬉しそうに上がった口角を隠しきれない。


「成功です!私、やりました!」


 彼女にしては珍しく、語彙力を失っている。

 (さなが)ら記号の様にはしゃいだ態度を見せるのは、それほどまでにこの成功が嬉しいのだろう。

 完全に構築された魔法は刀身を包み込み、少年の背丈に合っていた木刀をひと回り大きく見立てる。

 そして、それを見た少年は自身の力を過信し「神力を試したい」と願ってしまった。

 

「悪い、ちょっと行って来る」


「待ってください。何処に」


 彼女が言い終わる前に、マゼンタは近場にある固定された転送魔法へ身を投げ出した。

 すぐに彼の体は光に吸収されて、世界から姿を消す。

 その実、彼は裏側へ向かったのだ。

 少年は刀身が光り続けている事を確認して、シロの作り出した結界の外へと走る。


溶解の炎(フュージョンフレイム)!」


 結界へと体を押し付けている変わりない様子の怨霊に、魔力を乗せた攻撃を仕掛けた。

 マゼンタが繰り出した斬撃は、シロの結界を引き裂き、そのまま怨霊の中心部を切り倒す。

 「ぐああ」と人の様な悲鳴を上げながら、怨霊の霧は離散した。


 ――刹那、マゼンタは停止した――



 

 夕飯時になり、リビングへと皆が揃う。

 台所に立つヤミの背中は見慣れてたもので、食事時にも関わらす走り回るのは愛らしい記号。

 そして、最後に部屋へと到着したのは、物言わぬシロであった。


「機嫌が悪そうだね」


 シロはいつも通りの物静かな態度であったが、グレンが目敏く反応する。


「結界が壊れててさ。怨霊が破ったとは到底思えないんだけど」


 そのあともぶつくさと呟くシロ。

 不貞腐れた彼を宥める為に、グレンは明るく務めた。


「怨霊の力は底知れないからね。そんなこともあるだろう」


 優秀な魔法使いが失敗をするとは思えなかったが、相手は不規則な生き物に変わりなく、イレギュラーも起こり得るだろう。


「マゼンタは裏に行った?」


「いえ、今日は行ってないです」


 尚も納得の出来ない白猫は少年に問うたが、キョトンとした表情で返答をする彼は、この騒動に関り無い様子だった。

 そんな彼の態度を目の当たりにしたリアスは、横を見上げて彼の様子を伺う。

 日中彼と共に行動をしていた少女は、マゼンタの嘘に気付き得た。

 しかし、マゼンタがそれを選択したのなら彼女から言うべきことはない。

 不審な幼馴染の態度に困惑しつつも、少女は口を噤む事しかできなかった。

 白猫は「気に食わない」と苛立った様子で腕組をする。


「飯マズなるから、その態度やめぇや」


 料理を運ぶヤミは、シロに喧嘩を吹っ掛けた。


「君の顔を見る方が、不味くなるよ」


 「いつもの喧嘩が始まった」と記号が箸を振り上げて応援する。

 流石の行儀の悪さに、グレンが記号を制止していた。

 マゼンタは「誰を止めるべきか」と普段通りに慌てていた。

 そして、幼馴染の見慣れた行動に、胸を撫で下ろしながら少女はクスリと笑う。

 この場に居合わせた誰もが気付き得なかった変化。

 マゼンタの真っ赤に燃える瞳の奥は、その火を消してしまうほど真っ黒に染まっていた。



 

 書物を捲る音だけが、部屋を満たしている。

 午前を夢の中で過ごした彼女にとって、夜は活動の時間であった。

 グレンの手元にあるのは、ありふれた恋愛小説。

 主人公が人並みに恋をして、人並みな生活を手に入れる。

 グレンは魔女として生きた自分の人生ではあり得ない展開に、心躍らされていた。

 難しい古書を読むことも多々あったが、空想上に幸せを見出すのも彼女の日常だった。

 そうして、叶わぬ夢の中へと没頭していた彼女は「ピシッ」と鳴った木の音に、顔を上げた。

 暫く物音へ耳を立てた後に「気温の変化で本棚が軋んだのだろう」と再び目を小説に落とす。

 

 突如、影が彼女に重なり、その切っ先を振り下ろした。


「いっ……!」


 不意の攻撃に体制を崩したグレンは、前のめりに倒れ込む。

 敵の気配を察知できなかったことに対して、彼女は舌打ちした。

 視界一杯に広がった朱色の絨毯に短剣を刺して、刃先を上に向けると、来訪者へ向けて絨毯ごと振り切った。

 追撃に移っていた敵は、赤く染まった視界に翻弄され、あらぬ方へと剣を叩きつける。

 グレンはその間に短剣をもう1つ構えて、無法者へ刃先が届く距離へと立ち位置を調節した。


「誰?訪問者に心当たりが……無いわけでも無いな」

 

 「人から恨みを買うのは専売特許だ」と呑気に短剣で遊ぶグレン。

 重みのある絨毯はハラリと地面に落ちて、敵の輪郭をハッキリと見せた。

 背の低い、燃えるような瞳と頭髪を携えた少年。

 見覚えのあるその敵は、焦点が合っていないのか、グレンを見つめることもなく、ただ下を眺めながらブツブツと呟く。


『ああ、私の愛おしい娘よ。どうして私を置いて逝ってしまったのだろうか……』


 両手で顔を覆って悲壮する少年――マゼンタは以前の彼ではない。

 彼の目から、涙が零れた。

 黒い涙。

 血液ではないそれは、彼の顔を覆って全身を黒い靄で包む。


「悪魔付きか?……どうやって怨霊を倒したんだ」


 グレンが独り言のように呟く。

 黒色の魔力が生み出す『闇魔法』は悪魔特有の物であり、マゼンタが持っているとは到底考えられない。

 「ガハッ」とマゼンタが唾液を吐き出して、膝から崩れ落ちる。

 いつの間にか顔に当てられていた両手はだらしなく地面に投げ出され、神へ乞う様に悲痛の表情で何もない天井を見上げている。


『私が彼女を抱きしめていれば一緒に死ねただろうに……許さない、許さない』


 黒い魔力を口から吐き出しながら、少年は忌み続ける。

 そして、彼から絶えず流れる黒色は、書物部屋を包み込み、上下が分からない程の暗闇を作り出した。

 木製の机が飲み込まれ、読みかけの本も闇へと溶け込んでいく。

 窮地に立たされたグレンは、何をするでもなく、ただ少年を見つめている。

 彼女のつま先が、闇に触れた。

 彼女の太腿が、黒へ染まっていく。

 そうしている内に、彼女の全身は(うつつ)から姿を消した。




「おかえりなさい、お父さん!」

 

 マゼンタは、今年九歳を迎えた少女へ「ただいま」と答えた。

 彼女の名前はアリア。

 流行り病で妻を亡くしたマゼンタにとって、唯一の宝物だった。

 炭鉱での務めは厳しいものであったが、一日の終わりに娘の笑顔を見られるなら、それも辛くはない。


「今日はお父さんの大好きなシチューだよ!」


 娘は自慢げに、作りたての手料理をテーブルへと並べた。


「おお、今日も御馳走だな」


 マゼンタは娘の頭を撫でる。

 帰宅時間が疎らな自分を、彼女はいつも温かい食事で出迎えてくれる。

 マゼンタはそんな彼女を、愛して止まなかった。

 一緒に過ごせる時間を宝だと感じている親子は、食事をしながら今日の出来事をお互いに話した。

 アリア曰く、初めて先生に裁縫を褒められたのだと。

 器量の良い娘は、学童に通う友人等と沢山遊んだそうだ。

 身振り手振りで語られる彼女の話を聞きながら、マゼンタは相槌を打っていた。


 ――ドゴン!――


 突如として地面が揺れた。

 座っていた椅子から投げ出された親子は、おのおの床へと倒れ込む。


「大丈夫か!アリア!」


 マゼンタは反射的に、愛する我が子の名前を呼ぶ。

 どうやら、アリアは無事な様子だった。

 彼女は丁度、米俵の付近に飛ばされていたらしく、その上に後頭部を乗せていた。

 柔らかいクッションではないが、机の角に衝突していた可能性を考えると、運がよかったと言わざるを得ない。

 マゼンタは娘の手を引くと、揺れの原因を探すべく、扉を開いた。

 長年の勘から彼は揺れの正体を、炭鉱が爆発したものだと推察する。

 「噂には聞いていたが、山の下まで強く揺れるのか」と驚きつつ、彼は行路の先を見た。

 しかし、残念なことに彼の予想は大きく外れることになる。

 彼が見上げた先、その道の奥には()()()()()()()()()が山を背に、立ちはだかっていた。

 何物かと目を凝らして立ち竦んでいると、暗闇から年端も行かぬ子供の笑い声が響いた。


「きゃあああああっ」


 子供の声を耳にしたのが原因か、アリアはその異形へ異常な恐怖を示し、耳を塞いで腰を抜かす。

 不揃いに蠢いていた黒いそれは、少女を見つけると一斉に彼女へと襲い掛かった。

 娘の危険を察知したマゼンタは、震える体を鼓舞して、アリアの手を強く引く。

 

 ――ブチッブチッブチッ――


 男は背後から『木の実が潰れるような音』を聞いた。

 怯える娘の手を引いて、振り返ることなく化け物とは逆の方向へと彼は走り続ける。

 全速力で走っているにも関わらず、娘の手が軽い。

 その現象に対して「アリアも恐怖で足並みを揃えているのだと」マゼンタは言い聞かせる。


「アリア!少し走れば都市に付くぞ!きっと衛兵達が助けてくれるはずだ!」


 彼は娘の不安を掻き消すために、後ろも振り返らずに大声で叫んだ。

 しかし、彼女からの返事はない。

 聞こえてくるのは自分の心臓の音と、荒い呼吸だけだった。


「……ア、アリアァ、そこに居るんだよな」


 心を保てなかった彼はついに、核心に迫る問いを娘に投げる。

 尚も、彼女からの返答はない。

 娘と繋いだ手のひらが汗で濡れて、手にしたものが滑り落ちる。

 マゼンタは足を止めた。

 もう一度、娘の手を取らなければ。

 そう考えても、彼は振り返らない。

 娘を見なければ、彼の『最も正しい最悪の答え』を知らずに済むのだから。

 自分の意志とは関係なくマゼンタの頭が、ゆっくりと娘の方へと動く。


 「嫌だ、見たくない。知りたくない。アリアはそこに居るはずだ。早く逃げなければ。彼女の笑顔が見たい。見てはダメだ。嫌だ。彼女は私の最愛の」



 

 そこに落ちていたのは『見覚えのある服を身に付けた前腕』だった。


 アリアが、

 アリアの腕だ。


「うっあああああああああ!」


 絶望が全身を駆け巡った。

 彼女は振り返る直前まで、そこに居たはずだ。

 自分が振り返らなければ、彼女はそこに居たはずだ。


 「私の所為だ。私が振り返ったから、彼女は死んでしまった。どうして娘がこんな目に合うんだ。私だ。()()()()()()()()()


 遠くで、小さな影が彼を見ている。

 木々の燃える音と、粉塵の舞う景色がマゼンタに現実の残酷さを知らしめていた。



 

「おかえりなさい、お父さん!」

 

 愛らしい娘が、マゼンタを出迎えた。


「……?」


「どうしたの?お父さん。ごはん冷めちゃうよ」


 アリアは首を傾けて、最愛の父を覗き込んだ。

 マゼンタは茫然としながら、今し方体験した不可解な出来事を、娘に説明する。


「そんな怖い夢を見たんだ……。でも私は生きてるから心配いらないよ!」


 目を細めて笑う娘は、次の瞬間には腕だけとなった。


「うあああっ……」


「どうしたの?お父さん」


 再び、娘がマゼンタの前に訪れた。

 そしてまた小さな腕だけを残して、地面に突っ伏す。

 娘はマゼンタに、笑顔を向けた。

 小さな前腕だけ残して、この世を去った。


「わ私の所為で、娘が殺されている。私が娘を殺している」


 何度目かの娘の死を前に、マゼンタは自分の首を握り絞める。

 自分が死ねば、この地獄から解放される。

 そう確信した。


「かはっ」


 空気を失った脳が、腕に力を緩めろと信号を出す。

 だがそんなことで止めるほど、彼の意志は緩くない。

 喉を強く締め付けて、地獄から逃げ出そうとしていたマゼンタの前に、ぬらりと魔女が現れた。

 マゼンタは突如何もない空間から現れた彼女を、瞬時に『悪魔』だと理解する。

 彼女の前へ物乞いの如く手を差し出して、震える声で助けを求める彼に、魔女は舌打ちで答えた。


「自分の名前、言える?」


 悪魔からの言葉に、マゼンタは茫然とした。

 「悪魔に命を差し出すのには、名前が必要なのだ」と都合よく解釈した彼は、名乗ろうとした。

 しかし、名前を口にしようと構えても、音は出ない。


「私の名前は■■」


 必至に絞り出した言葉は、ノイズで掻き消される。

 マゼンタは尚も文字を吐き出そうと、必死に喉を動かした。

 嗚咽を繰り返す男の態度に腹を立てた魔女は、頭を抱えて大袈裟な態度で眉を顰める。


「帰るよ、クソガキ」


 「彼女はどう見繕っても自分より年下だ」と思ったマゼンタは、ようやく矛盾に気付いた。

 私に――俺に娘が居ただろうか。

 崩れた歯車は、悲鳴を上げてバラバラに崩れ落ちる。

 世界が結晶に代わり、割れた先に本来の世界が広がった。

 



「動くな、殺すぞクソガキ」

 

 悪態をつく魔女は、マゼンタの天敵だ。

 彼女はマゼンタの頭を抱えて、頭部に魔力を集中させている。

 グレンの膝の上に頭が乗っている状況に「逃げ出したい」と願うマゼンタであったが、彼女は彼を離さなかった。

 マゼンタは埃っぽい部屋に見覚えが無かった。


「俺、いつからここに……」


 独り言に近いその疑問を、魔女は拾い上げた。


「君が襲ってきたんだろう。……全く、許可なく怨霊に手を出すからだ」


 グレンがマゼンタの額に当てた手からは、黒い靄が漂っている。

 「頭が異様に痛いのは彼女の仕業か?」とマゼンタは警戒するが、身動きが取れない状況では是非もない。


「馬鹿なガキの為に、怨霊講座でもしてやろう」


 彼女は目を瞑り、子守唄を歌う様に語り始める。


「怨霊は『強欲の悪魔』が生み出した魔力を閉じ込める箱。欲は人の意志の根源にある代物だ。それの扱いに長けた悪魔は器を創り出し、魔力が逃げない様に塞いだんだ。そして、器を破壊された魔力……人の意志は何処に消えるか」


 グレンは少年の額に乗せていた手を、彼の面前に掲げる。

 そこに在ったはずの黒い靄は、気配を消していた。

 重く圧し掛かっていた頭痛が消えた事に気付いたマゼンタは、自分の頭を触って変化を確かめる。


「怨霊の魔力は、自分を屠った相手に移動する。……君も見た事があるだろう?殺し合った怨霊が融合する様を」


 シインフットでリアスを襲った怨霊が、その体を肥大させていたことを思い出し「よく知っている」と少年は起き上がりながら答えた。


「それは怨霊同士に限った話じゃない。怨霊を倒した人間にも、その魔力が移るんだ。そして、その力は普通の魔力ではない、欲の塊だ」


「怨霊の欲……確かにあれは俺の記憶だった」


 子供であるマゼンタに娘など居るはずもないが、自分に娘が居た感覚は拭えない。


「アリアの父は、既にこの世に存在しないのか?」


 怨霊の見せた記憶が、その男の死を鮮明にする。

 過去の記憶に囚われ続けた男は、未だ満たされぬ欲の為に、地獄を彷徨い続けているのだろう。

 そして、それは彼に限った話ではない。

 グレンの話が正しいのであれば、怨霊と成った魔力の持ち主が苦しみの中で生き続けている――死に続けているのだ。


「人が死ねば肉体は現世に、魂は天上へと還って行く。それを無理矢理に押し留めるのが、怨霊と言う生き物だろうね」


「そんなの辛すぎるだろ!いつまでも悲しみの中にあり続けるなんて……!」


 マゼンタからの熱の入った叫びに、思わず耳を塞ぐグレン。

 彼からの熱を拒絶する様に、目を伏せた彼女は淡々と諭す。


「見ず知らずの男の死など興味もない。怨霊を倒してやっと認識できる相手の事情なんて、どうだっていいじゃないか」


 さも当然の様に卑屈めいた笑顔を振りまくグレンに、マゼンタは掴みかかった。

 彼の頬から伝った涙が、彼を見上げる魔女の瞳を濡らす。


「知らないなんて言わせねえ!お前だって怨霊を倒してただろうが!……そいつ等にっ、そいつ等の苦しみが分かるのはお前しか居ないだろう!」


 マゼンタはアリアの父を想う。

 窮屈な暮らしの中で、必死に生きていた彼を想って、少年は涙を流し続けた。

 窓から差し込む月明りが、さめざめと泣く少年を照らしている。

 その足元の闇で、魔女は静かに時が流れるのを待っていた。



 

 これは不穏な彼の物語。不遇な魂に手を差し伸べるのは誰だろうか。

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