悲鳴
「エーディト、何が欲しい?ドレスか?それとも珍しい宝石か?」
魔力封じの腕輪を罪人にするかのように両腕にはめて拘束し、結界内に閉じ込めた状態で、上機嫌なアルベリヒは問う。だが、エーディトは何も返さない。
ただ、首が横に振られるだけ。
どうして、こんなはずではなかっただろうに、とアルベリヒは焦りながら、エーディトが何ならば興味を示してくれるのだろうか、と必死に考える。
そうだ、彼女はとても落ち着いているから、きっと読書が好きなはずだ!と勝手に決めつけて、また必死に声をかける。
「そ、そうか。では珍しい書物はどうだ? 王宮には大きな図書館があってな、神殿には到底置いていない貴重な書物もあるのだぞ!」
だから何だ、と言わんばかりに、エーディトは無反応のままだった。
「…」
あまりに何も反応を示してくれないエーディトに対し、アルベリヒはどうやって接したらいいか分からない。
こんなはずではないのでは、とアルベリヒを焦りが襲うが、ぽつりとエーディトが呟いた言葉を聞いて絶句した。
「…あなたには、私の気持ちも欲しいものも、何も分からない」
何もかもを諦めたような口調で呟かれたそれに、そんな、と小さく呟くが、エーディトは気にしていないようだった。
「ここから、出してください」
「だ、駄目だ駄目だ駄目だ! 出したらまた会えなくなる! また、俺たちは無残にも引き離されてしまうではないか!」
半泣きで必死にアルベリヒは離れたくないと訴える。
あの厳しすぎる警護を潜り抜けて、ようやくエーディトがここにいるのだから、簡単に離れたくなどない。
しかしあまりに淡々と返してくるエーディトの様子に、アルベリヒは氷水を頭からかけられたような感覚になってしまう。
「会えなくなることに、何か問題でもございますか?」
「……っ、え?」
「このような方法で無理に攫い、私の力を封じてまでしたいことは何なのですか」
「何、って」
「何を、どうしたいのか意図が分かりませんもの」
どうにでもしたらいい。
いざとなれば、とエーディトは既に腹を括りかけていた。オロオロとするアルベリヒだが、彼が思うのはどうにかしてエーディトの気を引かねばならないということ。
ここから帰りたくないと、どうにかして思わせなければいけない、
もうユリエラが戻っているに違いない。とすれば、神もこの地に戻ってきている。取り返しに来てしまう。そんなのは駄目だ!
だが、エーディトの口から『ここから去りたくない』と言わせたらこっちのものだと思うばかりのアルベリヒは、もう一つの存在に気付けていなかった。
「…なんだ」
ざわざわと、廊下が騒がしくなっている。
「一体、何が」
早すぎる、と思うがアルベリヒが相手にしている存在は『神』。そして神の愛し子である『神子』なのだ。
もう一人の神子が帰ってくれば、神も共にきちんとあるべき場所にさえ戻れば、王宮の騎士に勝ち目などあるわけがない。
そして更に、もう一人。
アルベリヒは彼の存在を忘れきっていたし、舐め切ってもいた。
「エーディト!!どこだ!!」
「お父様…?」
ヴァイセンベルク公爵が、黙っているわけがないのだ。
娘を何よりも大切に慈しみ、徹底的に配慮をし、いつでも何があろうとも駆け付けられるようにと。
それほどまでに大切な娘が攫われたとあっては黙っていない。
攫ってから一日も経過していないが、あっという間にアルベリヒにとっての形勢が不利な方へと転がって行ってしまっている。
「お父様!エーディトは、ここにおります!!お父様!!」
ここぞとばかりにエーディトは大きな声を張り上げた。普段ならばこのように大声なんかあげない。もしかしたらこの扉は防音仕様かもしれないけれど、でも、何かせずにはいられなかった。
「お父様ーーー!!」
念のためにと、声に魔力を乗せて、更に大きく張り上げる。
こうすれば防音結界を張っていたとしても、きっと父には声が届くと、エーディトは確信していた。
まずい、そう思ったアルベリヒは、咄嗟に一番やってはならないことをした。
「黙れ!!!!!!!」
アルベリヒが維持している結界だ。主の手は問題なく通す。
そして、容赦なく結界内のエーディトを、拳で殴りつけたのであった。
「ぁ、ぐ…」
衝撃は酷く大きく、アルベリヒを難なく通す結界だけれど、エーディトはそうではない。結界に触れた瞬間、背を激しい痛みが襲ってくる。
「きゃああああああ!!!」
「あ、」
駄目だ、と思っても行動は戻せるわけなんかない。
ぼたぼたと流れ落ちる鼻血と、背中を焼かれた痛みで蹲るエーディト。
どうしようどうしよう、と迷った刹那、ドアがけ破られ、憤怒の形相のエーディトの父マルクが立っていた。
ドアが開いた音に、エーディトは反応して、手を伸ばす。
「おと、さ、ま」
結界内から手を伸ばすが、出られずに結界にばちり、と拒絶されてしまった。だがそうなってもなお、手を伸ばす。
助けて、ここから出して。
エーディトの体全体が、そう言っている。
「助けて…!」
そしてトドメの縋るような声。とてもか細く、エーディトの状態が良くないことは一目瞭然だった。
マルクの体は弾かれたように動き、帯刀していた剣を抜き、神が剣へと授けた神力を思う存分打ち放って結界を簡単に砕いた。
そして、我が娘をさっと抱き上げる。
「エーディト…!あぁ…エディ、痛かったね…怖かったね…!」
「おとう、さま」
エーディトが嬉しそうに微笑んだのも束の間、ひゅ、と息をしたかと思えばごぶりと血を吐いた。
「…エーディト…?」
咳き込むたびにエーディトの着ていた白い神子服は赤に染まる。
ごぼごぼと溢れる血。おびただしい量のそれは、エーディトが咳き込むたびにあふれ出て、娘の浅く、そして早くなる呼吸に一瞬マルクは気を失いそうになるが堪える。
まさか、と思い、おろおろしているアルベリヒをマルクはぎろりと睨みつけた。
「貴様…」
「ち、ちがう! だって、結界の中はきちんと浄化していた! だから、エーディトは大丈夫な、はずなんだ!」
「足りる訳がないだろうが! 何も知らず、己の欲のままに動く男が王になるとはな」
反吐が出る。
吐き捨てるように言われ、情けなくも『そんな』と絞り出すような声がアルベリヒから聞こえるが知ったことではない。
今は一刻も早く帰らなければいけない。
神殿の中に連れて帰らねばならないのだ。
『おじさま!転移魔法陣を展開いたしますわ!!今すぐ姉様とこちらにお戻りくださいませ!!』
マルクにユリエラからの念話が届くと同時、足元に魔法陣が広がり、そして神殿へと転移がなされた。流れるような早さ故に、アルベリヒには手も足も出せなかった。
ここまで、マルクがアルベリヒの部屋に踏み入ってから十分も経過していない。
残されたアルベリヒは、ただただ、呆然とすることしかできなかった。
「そんな……また、引き離された…」
引き離されたのではない、ときっと誰もが言うに違いないが、それはアルベリヒの耳には届かないのだろう。
だって、彼はいつでも自分のことしか考えていないのだから。
「殿下!何があったというのですか!」
「…エーディトが…攫われた」
「神子様が!?」
「そうだ…。公爵は酷いんだ…」
駆け付けた使用人は思わず『え?』と声を出してしまった。
公爵=ヴァイセンベルク公爵であるマルク、で間違いないだろう。だから『攫われた』などということ自体がおかしいのだけれど、アルベリヒ曰く『ヴァイセンベルク公爵がエーディトを攫った』らしい。
それは、攫ったのではなく。
「神子様を…神殿にお戻しになった、だけでは…」
「違う!攫ったのだ!エーディトは俺のものなのに!」
まさかまだ執着していたとでもいうのだろうか、と使用人はゾッとしたが、アルベリヒは至って本気だ。
だから、余計に質が悪い。