歪な感情
当たり前だが、アルベリヒの神殿への侵入事件は相当な問題として取り上げられた。
国王も、王妃も、国のあらゆる重鎮たちも、そして神殿の関係者、ヴァイセンベルク公爵家の関係者全てが集められたうえで、会議が執り行われた。
「陛下、これまでご子息を甘やかしてしまったツケですな」
「…っ」
大司教が言った内容に、国王の顔色は蒼白となる。
「殿下のやったことは、まず無断侵入。そして、神子様たるエーディト様に危害を加えようとした暴行未遂。あるいは拉致未遂」
「それ、は」
「あのままでいれば、エーディト様はストレスから発熱をし…いいえ、もっとそれ以上に酷く体調を崩され、寝込まれていたでしょう。そして…」
ひと呼吸おいて、大司教はぎろりと国王を睨んだ。
「殿下は、神からの神罰をも食らった可能性もある。たとえ身代わりを用意して神罰を回避しようとしたところで、神がそれを見逃すはずなどない」
それほどまでに、今の神子二人は神からの特に寵愛が深い。
エーディトの清廉なる魂、ユリエラの強き意志。
その二つが揃い、此度の神子はとてつもない力を発揮していると、きちんと報告も上がっているのだ。
国王と神殿、力関係はあってないようなものだが、今回の神子の件に関しては話が違う。
誰にも代えられない存在の神子と、言ってしまえば替えの利く王太子では存在の重みが全く違うのだから。
「どうされるおつもりですか」
大司教の問いに、国王は苦虫を噛み潰したように難しい顔になり、ぽつりと放った。
「あれには…どうにかして、エーディト様を諦めさせる。それが、できる唯一のことだ」
大司教は、『本当に信頼しても良い言葉なのか』と大いに悩んだ。とはいえ、一国の王がここまで言ってくれているのだから、きちんと対応するように、と念を押した。
加えて、更に念を押す。
「くれぐれも、エーディト様のおられる場所に侵入されませんよう」
「分かっておる!」
「では、殿下にこうお伝えください」
にこり、と大司教は笑みを浮かべた。
その笑顔は綺麗な、というよりは色々と何かを企んでいるような笑顔。純然たるそれではない。
「エーディト様、御自ら結界を再構築されました。無論、お手伝いされたのはユリエラ様にございます。そして、これには細工が施してありまして」
「細工…?」
「触れれば、容赦なくその身を焼き尽くします。通れるのはエーディト様の加護を直接得られた選ばれた方のみ。つまりは陛下、貴方も通れません。何せ、殿下の監視を怠ったのですから」
では失礼、と言い残して大司教は部屋を後にした。
報告を聞いたアルベリヒは、拒絶されるようなことかと憤ってはいたが、自分が迂闊なことをやってしまった自覚も、一応はあったらしい。
しかし拒絶、というのはやり過ぎではないのか、と従者に問う。それに対して従者から返ってきた答えは、とても簡素なもの。
「殿下が順序を間違えられなければ、欲をいつものように出さなければ、このように拒絶などされておりません」
真実が故に突き刺さる言葉。
「…間違っていたというのか…?」
「ですから、最初に申し上げたでしょう。『いけません』と」
「王太子の言うことが聞けないのか!」
「殿下、はっきり申し上げましょう」
従者は呆れてこう告げたのだった。
「殿下の代わりはご用意可能です。ですがエーディト様やユリエラ様の代わりは、用意したくともできません。ご理解なさいませ」
従者にまでも拒絶されたような雰囲気に、アルベリヒは発狂寸前のような、まるで獣の咆哮じみたものをあげる。だが、それすら気にしないように、従者はアルベリヒを置いて部屋を後にしていったのだ。
「絶対に…絶対に手に入れてやるからな!!!」
そして、目的は捻じれていく。歪んだ思いと、共に。
その思いごと丸っと諦めさせなければ神罰が下る可能性がある、そう伝えたところでここまで思いつめた以上、きっと誰にもどうすることもできないのだけれど、今のアルベリヒの周辺にいる人には、知る由もなかった。
それからしばらく経った日のこと。
「だから、開けろと言っている!」
「お引き取りください」
淡々とアルベリヒを拒否する門番。
先日のアルベリヒの侵入事件以降、神殿には異例の警護体制が取り入れられていた。己が原因であるのに、アルベリヒはやはり決して認めようとはしなかった。
手に入らない存在だからと改めて理解したからこそ、欲しい。
子供故に、と周りの大人は彼の思考回路を舐め切っていたところもあった。あまりの執着の強さに、国王と王妃は辟易としてしまっているが、どれだけ言い聞かせようともこれだけは理解しなかった。
他のことは聞き分けよく受け入れるのだが、手に入らないものを手に入れようとする執着心が、王妃はあまりに恐ろしくなったのか、医者まで呼びつけるほどだった。
呼ばれた医者にとってみれば最悪の患者である。
医者だって理解しているのだ。
神子がどれだけ大切な存在であるのかを。だから、アルベリヒを奇怪なものとしてしか見ることができず、手の施しようがないと早々に退城してしまった。
そしてこの日、アルベリヒは結局兵士に追い返され、とぼとぼと王宮へと戻っていった。だが戻ろうとして、不意に神殿を見上げた先。
微笑んでいるエーディトとユリエラ、更にヴァイセンベルク公爵がいるではないか。
「…っ!」
引き返していたのをやめて戻り、噛みつかんばかりの勢いで門番へと更に抗議を始めた。
「おい!何故公爵は良いんだ!」
「………」
気持ち悪いものをみるかのような冷たい眼差しに、アルベリヒは一瞬怯んだ。しかしここで引いてはまた前のままだと思い、アルベリヒは引かなかったし、従者もさすがに反論した。
「貴様ら、王太子殿下を何だと思っている!」
しかし、思っていた反応は返ってこないままに、冷たい目線と言葉が返ってくる。
「エーディト様と何一つ関係がなく、拒絶までされている殿下と、親である公爵閣下。何故、同等に扱わなければなりませんか?」
「それ、は」
これを言われるとアルベリヒの勢いは途端に弱まる。そして更に続けていった。
「閣下がエーディト様の元に通われているのは、エーディト様のお身体が弱いからです。こればかりは神であろうともどうにもならないもの。心穏やかでいられるよう、ただでさえご両親と離れて暮らすことがストレスになっているのだからと業務の合間を縫って閣下はこちらに足を運ぶなどしてくれておりまして、大変配慮されているのです。そして、」
追い打ちは、止まらない。
「殿下が来なければ、エーディト様は常に穏やかでいらっしゃいますよ。怯え、泣きながら目を覚まし、ユリエラ様や女性神官が傍におらねば泣き崩れるまでに、貴方の存在そのものが恐怖なのです」
「どうぞ、早急に、お引き取りを」
門に並ぶ二人の門番の目の冷たさは容赦などなかった。子供だからとて容赦などない。
アルベリヒの襲撃以降、ようやくエーディトが落ち着いてきているのだ。ここまでにかかったのは一週間という時間。
ようやく熱も下がり、心も落ち着き、夜中に飛び起きることもなかったのに。またこの人が来たと知られては、エーディトの心そのものに負担がかかりすぎてしまう。だから速やかに追い返さねばならないと、門番たちはアルベリヒを鋭く睨む。
彼らの主はアルベリヒではない、ヴァイセンベルク公爵なのだから。
神から特に寵愛を受け、清廉潔白なる魂をもつと言われているエーディト。
この門番たちはヴァイセンベルク公爵家により派遣されている魔法剣士であり、エーディトのことも良く知っているし、エーディトも彼らを知っている。信頼できるものにしか守りを任せたくないという神殿側と公爵家の判断でこうしているのだが、結果的にそれはアルベリヒの癇癪を引き起こすだけのものだった。
だが、どれだけアルベリヒが癇癪を起こしたところで現状は何も変わらないし、アルベリヒには何もできやしない。
それにエーディトの体の弱さは、ユリエラが力を半分引き受けたことと、神殿の清浄な空気のおかげで改善傾向にある。一番の要因は神の権能を使うための神力が、エーディトに負担をかけていたことだが、それをユリエラと分けていることでようやく『死にかけ』というような状態を回避できている。
ユリエラの存在とヴァイセンベルク公爵が気を遣ってくれていること、もっと色々あるけれどうっかりストレス源に会ってしまってエーディトの体調をぶち壊してしまうわけにはいかないのだから。
「殿下、もう一度言います。早急にお引き取りください」
「っ、う~……」
会いたい。話がしたい。あのとても綺麗なエーディトの微笑みを、自分にも……いいや、自分にだけ向けてもらいたい。
欲望ばかりが膨らんでいくアルベリヒには、きっと配慮というものが今時点では一切無いのでは、と囁かれる要因となった出来事なのであった。
そしてこの感情は行き場のないまま、膨れ上がっていく。
歪な思いも、同時に膨れ上がっていく。
いつか、自分が国王として即位する日と、現在の大司教が交代するであろうその瞬間は、きっと僅かながらタイムラグが発生する。
それが狙い目だ、と考えたアルベリヒは大人しく帰るという選択肢を選んだ。
王宮への帰り道、アルベリヒは思っていた。
エーディトはこの国の国母たる王妃に最もふさわしい。それは自分が彼女を選んでやることもそうだが、神に愛された存在であること。時の神子たる代わりのきかない存在だということ。何より、アルベリヒ自身が後世に残る偉大な王として歩んでいくには、エーディトのような特別すぎるほどの素晴らしい存在が必要不可欠だ。婚約者はいるが、侯爵令嬢如きが、エーディトにかなう筈もない。
周りの大人からの言い聞かせが、見事に逆方向へと突っ走り始めた。アルベリヒの中で、都合のよいものに変わっていくには、さほど時間を要しなかったのである。
ここでアルベリヒに友と呼べる存在がいたとして、このことを相談することができていれば、まだ事態は大きくならなかったのかもしれないが、最悪なことにアルベリヒの周囲にはそんな存在はどこにも居なかった。