癇癪
神からの信託があった、と神殿から発表があったのはそれからすぐだった。
エーディトだけでなく、その従妹のユリエラまでもが時の神に選ばれた、神子となったのだ、と。これを聞いて国中が沸いた。このような奇跡の瞬間に我らは立ち会えた!そう言って皆が喜んでいた。
だがそれが終えられることになるとは、この時点では誰も気付いていない。
次期国王として王太子教育を受けているアルベリヒが、神子服を着たエーディトを見たその日。ユリエラと手を繋いで、柔らかそうな頬をほんのりと赤く染め、神殿の廊下を歩いているところに、たまたま遭遇した。そして、アルベリヒのあの我儘が始まってしまったのだ。
「だから、あの神子服を着た者は誰なのだ!」
「殿下、知っても何もできません」
従者は淡々と繰り返すのみ。
時の神に愛されているこの国に住んでいれば、きっと時の神子をこの我儘王子に差し出そうとは到底思わない。普通の思考回路を持っていれば、の話だが。
「ならば、王太子として命ずる!会わせろ!」
「神殿に聞いてみないと何とも…」
「聞けよ!役立たず!」
ヒステリックに叫ぶ王太子アルベリヒ。
彼は、幼いながらに何でも手に入れすぎた。自分の我儘がどうやっても通るのだと思い込んでしまっているがゆえに、こうして自分の従者にも怒鳴り散らしてしまうのだ。
「…もし、会うことが叶わなければどうなさるのですか」
「父上に頼む」
「…はぁ…」
大きな溜息を吐いて従者は部屋を後にした。
一方のアルベリヒは上機嫌になり、別の従者を部屋に呼びつけた。エーディトとのお茶会をするために準備をしろ、と。
だが、それを聞いた別の従者は慌てて部屋を出ていった。アルベリヒはそれを『早く準備してくれるんだ』と誤解したようだが、実際は異なっていたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「陛下!国王陛下!」
アルベリヒから申し付けられた件について、神殿に問い合わせることはせず、従者は国王へと報告した。
無論、それを知った国王は激怒することとなる。
「何を考えておるのだこのバカ息子!」
怒声が部屋に響き、アルベリヒは父に容赦なく殴り飛ばされてしまった。
「い、っ」
「神子様に懸想するなどもってのほか!貴様には既に婚約者の令嬢がいるだろうが!」
「嫌です!エーディトがいい!神子を花嫁にしたとあれば、俺は歴代語り継がれる王になるんですから!」
「何をくだらんことを…」
息子の馬鹿げた考えに、国王は真っ青な顔になる。
こんな声が神に聞かれれば、神罰が下るに違いない。それほどまでに神自身がエーディトとユリエラを大切にしているのは有名な話だから。アルベリヒにも言い聞かせながら育ててきたというのに、肝心なところはすっぽ抜けてしまったらしい。
どうしたら良いのか、そう考える前に国王はアルベリヒに対してかけたことのない程の怒りを滲ませた声で怒鳴りつけた。
「いいか、万が一にも神子様に失礼なことをしてみろ!東の塔に幽閉だからな!」
アルベリヒの願いは、この時初めて叶えてもらえなかった。
わんわん泣き、従者が心配はしていたものの、彼の今回の願いは叶えてはいけないものだから、誰も何も声をかけなかった。
思いきり泣き喚けば、大人しくなるだろう。
そう思っていたのが間違いだったのかもしれない。
その日の夕方、アルベリヒは部屋をこっそりと抜け出して、神殿へと忍び込んでしまった。
当時、まだアルベリヒは六歳。
抜け出すにはちょうどいい体の大きさであり、人目につかないくらいだったので、慎重に抜け出して神殿へと侵入した。
子供の行動力を大人が侮っていた、ということなのだが、偶々、運が悪いことにエーディトは中庭で百合の花のスケッチをしていた。そこに、アルベリヒはやってきてしまった。
「…っ」
雰囲気そのものが神秘とでも言うべきか、思わず見惚れて動けなくなったアルベリヒであったが、弾かれたようにエーディトが顔を上げた。
ぱちり、と視線が合い、アルベリヒは嬉しさからか顔を輝かせるが、みるみるうちにエーディトの顔は引きつっていく。あれ、とアルベリヒが思う暇もなくエーディトが立ち上がり、真っ青な顔で悲鳴を上げた。
「誰か!!誰か来てください!!助けて!!知らない人が侵入しています!!」
少女の高い声は良く通る。
助けを求める悲痛なエーディトの声に、駆け付ける神官たち。そしてそこに居た王太子にぎょっと目を丸くする。
「で、殿下!?」
「何をなさっておいでか!」
「うるさい!お前たちがエーディトと俺を会わせないからだ!エーディト、なぁ、話をしよう。仲良くなりたいんだ!」
「…っ」
元々体の弱いエーディトは、人見知りも激しかった。
加えて、今は神殿で暮らしており従妹であるユリエラとも一緒だから精神的にも、そして体調面では神殿の清浄なる空気のおかげか、かなり穏やかに暮らせていたのだった。
それなのに、絵姿でしか見たことのない王太子のいきなりの訪問。もとい無断侵入。
アルベリヒがどれだけ笑顔で手を伸ばしても、傍付きの女性神官に対して逃げるように、縋るように手を伸ばすエーディトが痛々しかった。
慌てて女性神官はエーディトを抱き抱え、アルベリヒから物理的に距離を取った。
「貴様!王族への不敬罪で処刑されたいのか!エーディトを離せ!」
「なりません!私の役目はエーディト様の傍にあること。主は貴方ではありません!」
「何だと…!」
更にアルベリヒが反論しようとした矢先、エーディトが泣きじゃくりながら必死に言った。
「自己紹介もしないような、人、っ、…わたしの…お世話をしてくれる大切な、人を、奪おうとするなんて…っ、…ひっ…、話なんかしたく、ない!」
「え……」
当たり前のように、アルベリヒは受け入れられると思っていた。こんなにも拒絶されるとは思ってもみなかったのだ。
王太子である自分を拒むものは、これまでいなかった。王太子だと身分を明かせば、皆が尊敬の眼差しを向け、人によっては媚び諂い、どうにかして仲良くなろうとしてきた。
同い年の令嬢たちは、どうにかしてアルベリヒに近づこうと、可愛らしく微笑んで『こんにちは、王太子殿下』とたおやかに声をかけてきてれくれたというのに、エーディトは何もかもを拒否した。
だがこれが――すべての始まりだったのだ。