【最終話】さぁ、「平和な世界」を始めましょう
<はー、スカッとしましたぁ>
アルベリヒを物理的に始末して、ご機嫌なユリエラは、いつものごとくふわふわと浮いている。
お前なぁ…と言いたげなクロノの視線は受け流し、ふわりふわりと宙に浮かんだままでユリエラは大好きなエーディトの元へと向かう。
<姉様、これで何の憂いもなくクロノと幸せになれますわね>
「あら、そうかしら?」
<え?>
はて、他に何があっただろうか、とユリエラは目を丸くして考える。
もう既にアルベリヒという存在は消した。王家は大人しくしていて、クロノとエーディトの邪魔は絶対にしない。
他にも何か対処しておく必要があったのだろうか、と考え続けるユリエラ。
そもそもユリエラがどうしてアルベリヒを存在ごと消しにかかったのか、どうして王妃があそこまでアルベリヒを嫌悪するようになったのか。
きちんと理由はある。
巻き戻る前の世界において、正妃と側妃の仲はまさに一触即発だった。自分の息子を王太子に、と、相当なバトルが繰り広げられていた。精神的な駆け引きもさることながら、あわよくばどちらかの王子を殺してしまえば自分の子が王太子になると考えたのだろう。
だが、悲しきかな。
女は互いに『共通の敵』を作ってやることで、そんなものは割と簡単になくなってしまう。
そしてその『共通の敵』はアルベリヒだった、というわけだ。
正妃…いいや、正妃の子にも関わらず常識外れの行動ばかりとる、成績だけが優秀な人の気持ちを一切考えられない第一王子。
片や、厚い人望を幼い頃から持ち、学業にも優れ、体は少し弱いものの周りへの気配りもできる、側妃の子である第二王子。
どちらが王太子としてふさわしいか、という判断を国政会議に上げた時に皆が口を揃えてこう言った。
『第二王子こそ、王太子としてふさわしい』
せめて、アルベリヒが傲慢でなければ。
せめて、人の気持ちを考えられる子であれば。
もう取り返しのつかない『たられば』をいくら言ったところで何も変わりはしないけれど、ここまで言われた時に正妃は思ったのだ。
ああ、もうあの息子は居なかったことにしてしまおう。
そうして、正妃自ら、第二王子の後見として立ってしまおう。これをすることで、正妃としての立場と懐の大きさを国民に知らしめることが出来る。
王族としての務めも果たせてしまうのであれば、尚の事。
自分の子だろうがなんだろうが、いらないとすれば容赦なく切り捨てる。平民であればこういった思考回路にはならないのだろうが、王族としての立場も、『王妃』としての立場もある。
そうなれば後の話はとてつもなく早かった。
まず国王に対して正妃はこう告げた。
どうか、第二王子を王太子に。我が子、アルベリヒは王太子の器などではございませんでした。
どうか、どうか、第二王子を王太子に。わたくしが後見となりましょう。そうすれば第二王子を見下していた者も、側妃を馬鹿にしていた者も、『王妃と仲が良いのか』と思わせることで、結果として側妃も第二王子も守る盾と成り得ましょう。
プライドの高い、己が息子が可愛くてたまらなかった王妃は懇願したのだ。
その結果、あまりに簡単に王太子は第二王子へと内定した。
側妃は『まさかこんなことが』と驚いたそうだが、王妃と会話し、実際にアルベリヒの様子を見てから『ああ、あの王子は駄目だ』と瞬間的に判断したのだ。
また、正妃自ら己の息子である第二王子の後見となってくれるのであればこれほど心強いことはないが、前代未聞の出来事であり、どう判断して良いものやら…と思ったそうだが、国王からも是非に、と言われれば断る理由など存在しなかった。
<……っていう感じ、でございましょう?>
「我が家に対して、国王陛下と王妃殿下が『時の女神の加護を授けてもらうために、協力してくれ』って、わたくし達に言ってきたのよ。断れば双方の家がどうなるか分かっているだろうな、だなんて脅してくるものだから、とっても驚いたわ」
エーディトの言葉に、ユリエラはすぅ、と目を細める。
あの馬鹿国王は、王妃と違って存外頭が悪かったらしい。アルベリヒの件をもう忘れているのだろうか。
<あらぁ>
「ユリエラ、物騒な殺気は仕舞え。神が殺気を放つこと、すなわち世界の滅亡につながりかねん」
<……一難去ってまた一難、っていうところでしょうかぁ>
ユリエラはまたうーん、と唸るが、エーディトやクロノは平穏であるとは言わないけれど、特に困っていないような顔をしている。
<姉様?>
「人間もそこそこ図々しいのよ。ユリエラ、あなたが加護を与えるのは?」
<えぇっとぉ、姉様とクロノを筆頭に我が家、そしてヴァイセンベルク公爵家、更に親族の皆様ですわぁ。でもそれがどうかしましてぇ?>
「わたくしたちに何かあれば、女神がお怒りになる、と国王陛下にお父様が進言したのよ」
<あらま>
「義父上も、俺も、皆を守りたい気持ちはあるんだ。無論、エーディトにも」
ああ、そうか。
ユリエラは納得する。
今のエーディトは、巻き戻す前の体が弱すぎるほどのエーディトではない。
今やすっかり健康体になっているからこそ、ヴァイセンベルク公爵家令嬢としてクロノとの結婚を叶え、将来近いうちには恐らく子を授かることになるだろう。
そして、エーディトやクロノが守りたいものの中には『時の女神ユリエラ』も含まれているのだ。
ユリエラがエーディトを守りたいと思っているように、クロノがエーディトを守りたいと思っているように。
エーディトだってユリエラやクロノを守りたいと、以前から思っているのだから。
今回、ユリエラが『神』となり、クロノが人になったことにより叶わなかった思いが叶った。
健康な体も手に入れられたこそ、エーディトにも欲が出てきた。
「わたくしだって、守られているだけなんか嫌なんだから」
<姉様……>
「ユリエラが人であることを捨てて、『神』として成った。貴女、色んな因果律を弄って自分が人であったことの記憶までわたくしたちから消そうとしていたようだけど、駄目よ。前にも言ったけれど」
<むぅ>
「忘れてなんかあげないし、わたくしたちは貴女という存在を守るためにできることをするわ。そして、国王陛下が国への加護をするように言うならば、我が家もそれなりの対応をさせていただきます…とね」
<姉様、前と比べてお強くなられましたわねぇ……>
「一度目は自分で死ぬことを選んだ。けれど、本当は死にたくなんてなかったんですからね」
それはそうだろう。
あのアルベリヒに何もかも全てを奪われたがゆえの自死を選ぶ、という結果になったのだから。
「だから今回は己の欲に対して、どこまでも貪欲に生きる、って決めたの。その筆頭が貴女よ、ユリエラ」
<わたくしですぅ?>
「そう」
<はて>
きょとん、と目を丸くするユリエラを見て、エーディトは微笑む。
この不器用すぎる女神となった可愛い子は、己のことに関してはとことんまで無頓着なのだ。神になったとしても、それは変わらないらしい。
「貴女のことを忘れない、から始まって、貴女の存在を皆に知らしめるの。そしてね、貴女の加護もわたくしたちを最優先にするってわかってるからこそ、陛下の命になんか従ってなんかやらないわ」
<姉様……>
「わたくしは、この国に一度殺されたようなものだもの。だったら、この国をもう優先したりなんかしない。わたくしがこれから優先するのは、自分の家族であり、そしてユリエラ……貴女だわ」
すい、とエーディトは手を差し出す。
迷うことなく、ユリエラに向けて。手を取ってほしい、と言わんばかりに。
「ねぇユリエラ、きっとわたくしは子を授かるわ。その時は何を差し置いても最大級の女神様の加護を授けてちょうだい?幸せに、過ごすために」
<ええ、姉様。貴女が幸せになる世界を、ここから始めましょう。くそったれが居なくなったからこそ、ようやく始められるんですもの>
――そう、『幸せ』を。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
理不尽に苦しめられた姉様を、救いたかった。
国に殺された、とても優しい人を。何よりも大切で、近くにいた、大好きなお姉様を。
『私』というヒトはいないけれど、こうして貴女を守ることが出来る存在になれただけで、良いんです。
次こそは、何があっても貴女が幸せであり続けられますように。
それだけが、わたくしの。
――唯一の願い、だったのです。




