絶望の準備はできましたか?
何が何でもアルベリヒを筆頭としたこの国だけは許してなんかやらない。
そう決めたユリエラは、とても強かった。魔法が、とか神力が強い、ということではない。意志そのものが強いのだ。そして歪であるにも関わらず、とても純粋でシンプルな願いで彼女の全てが構成されていると言っても過言ではなかった。
そして、エーディトだけを一旦外に出したユリエラ。
そして彼女の所に残ったクロノ。
「うふ、うふふ…っ」
カーテン越しに不気味に笑うユリエラの様子に溜息を吐き、エーディトには決して開けることを許されていなかったカーテンを、クロノは無理矢理開けた。
「あらぁ…開けないで、って言いましたのにぃ」
「…そろそろ、羽化するのか。神として」
「人の話は聞いてくださいなぁ、クロノ。…まぁ、そういうことです」
「お前、一体何をどの規模でやらかした」
「えぇ…?」
薄ら微笑んでいるユリエラの手首よりも先に進んできているひび割れ。
もう、ユリエラが『人』としていられる時間は思っているよりも短いことを示唆している。
「どれくらいで、ここまで広がった」
「早かったですよぉ」
えーとね、と呟いてユリエラは指折り数える。
「六歳の頃に巻き戻ってから…ああ、そうそう。大体二週間程度でしょうか」
「……」
その期間の短さに、クロノは次こそ絶句する。
「…」
「クロノ?」
「…とんでもない親和性だ。お前と、神の力の相性が良すぎる。何ていう奴だお前は…」
はー、と大きくため息を吐いてから近くにあった椅子に座る。
クロノは人としての時間の残りが少なくなっているユリエラを、椅子に座ったままでじっと見つめる。
「あと一か月、というところか」
「思ったより早いですよねぇ。でもぉ、そんなにもかからないと思うんですけどぉ」
「…は?」
ヒトでなくなるというのに、ユリエラには恐怖心が一切なかった。
むしろ、ヒトであることを早く捨て去りたいとでも言うようなほどに、ユリエラはあっけらかんとしている。
「…本当にいいんだな」
改めて確認してくるクロノの真剣な様子に、ユリエラの様子はとても明るい。
「良いんですよぉ?選んだのは、わたくしですしぃ」
うふふ、と軽やかに笑うユリエラを、訝し気にクロノは見つめる。
「言ったでしょう?依怙贔屓、上等って」
「…言ったな」
「だからね、王家と、あいつらに従った人以外。それもエーディト姉様と貴方を、特に、わたくし依怙贔屓するつもりなんですよねぇ」
悪びれず、無邪気に言うユリエラ。
アルベリヒに復讐をしたいだけなのだろうと思っていたのだが、確かに彼女は戻す前にこう言っていた。
『貴方も巻き込まれてくださいませんことぉ?』と。即ち、それは、クロノを表舞台に引きずり下ろすため。
「姉様と貴方に幸せになってもらうには、…まず、貴方か姉様を格上げするか、貴方を『ヒト』という存在に引きずり下ろすしかなかったわけなんですよねぇ」
「…そうだな」
「だいたい、死んでから結ばれるとか遅いんでぇ…」
変わらないユリエラの笑顔と、口調。
当たり前のことのように、割ととんでもないことをやらかしてくれたものだ、とクロノは頭を抱えそうになるが、更なるユリエラの言葉に目を丸くする。
「とりあえず貴方を神の座から引きずり下ろしてぇ、わたくしが成り代わろうかな、って思っちゃったんですよぉ。んでぇ、貴方はわたくしの代わりとして神子になる。更にね…」
ぎゅ、とクロノは己の上着の裾を握った。
やめろ、と言いたかった。
こんなにも歪なのに、どこまでも純粋で一途な願いなのに、ユリエラ自身はその願いの中には含まれていない。自分を犠牲にしてユリエラは言葉通り全てを懸けてひっくり返しにかかっている。
「アルベリヒのクソ野郎を、王太子に立太子させないようにしちゃいましたぁ」
テヘっ☆と聞こえそうなほどあっけらかんとした明るい声で、ユリエラは言ったのだ。
コイツどんだけあれこれやってんだ!!と叫びそうになったクロノだが、こうした方が良いのは確かだった。
自分が出来なかったことを、ほいほいとやってのけてしまう。
民を守ろうとしてしまったが故に、エーディトを救えなかった。見殺しにしてしまったも同然だった。
しかしユリエラは、エーディトも、クロノ自身も救いにかかった、ということだ。
また、今回もエーディトは清らかな魂を持っているだろうと推測される。
だが、アルベリヒも一緒に巻き戻っているから、彼は間違いなくエーディトを付け狙う。今回は身体が弱くないから、エーディトは前回よりも激しくアルベリヒに付け狙われてしまうに違いない。
だから、ユリエラは自分ではない誰かにエーディトを守らせるようにした。
前回、娘を守れなかった公爵家。
愛しい人を守りたかったけれど、大多数を守ることを選んでしまった『神』。
出来ないなら、自分がやる。
何もかもから、大切な人を守り抜いてみせる。そのためなら、ユリエラ自身はどうなったってかまわない。そう、文字通り『どうなっても』良い。
一度目は、皆が間違えてしまった。
けれど、学んだのだから『彼ら』なら、大丈夫。
――きっと、エーディトを慈しんで、大切に守って、幸せにしてくれるのだから。
どうして、今回はアルベリヒが王太子ではないのか。
――ユリエラが、そう『なる』ように決めたから。
ユリエラが神として声を出す前に、国王夫妻自ら率先して『アルベリヒは王太子たる器ではない』と決めるように、時間の流れや思考回路も、巻き戻る際に全て、何もかもを変えたから。
いくつもの並行世界があって、可能性として『アルベリヒが王太子にならない世界の時間』を見つけ、繋げてしまった。
世界がぐちゃぐちゃにならないように、きちんと綻びは直した。
ちょっと向こうの世界ではおろおろしているかもしれないが、ひずみは割とすぐに修正される。
人間なんて、そんなものだ。意外と図々しく、図太くできている。
アルベリヒを殺し、無かったものを有るようにすることもできてしまうのだが、そうすると色々なところにひずみが出てきてしまう。
そうならないよう、ユリエラは丁寧に、慎重に調整をしてきた。
きっと今頃アルベリヒの顔は歪み切っているのだろうと想像したら、ユリエラは楽しくて仕方ない。
「どうして、とか思ってらっしゃるんでしょうねぇ」
くくく、とベッドに横たわったままで嗤う。
「前回は王太子だからこそあれだけ好き勝手できた。では、今世ではどうなさるおつもりなんでしょうねぇ。…第一王子殿下」
色々と、イレギュラーを仕込んだ。
さぁ驚いて、そして。
「――絶望しろ」
低く、ユリエラは呟いた。
殺してもらったほうが楽だと思わせるように、徹底的に。
アルベリヒに味わわされた絶望を、全てお返ししなくてはいけないのだから。




