彼女がやったこと
「あー……」
思ったよりでっかいことをやらかしちゃいましたかねぇ、とユリエラは誰もいない部屋で呟いた。
勿論、巻き戻ってきたので姿は子供。
だがしかし、決定的に異なっていることが複数あるのだ。
「クロノス神……いいえ、クロノは姉様に会えたのかしら…」
神をも巻き込んだ今回。それは、幸せになってもらわなければならない、エーディトの人生。
エーディトの魂が綺麗すぎたが故の、そしてアルベリヒがエーディトに執着してしまったことにより引き起こされた、前回の悲恋。
アルベリヒが割って入る隙など、どこにもなかったのだ。最初から。
エーディトが生まれ落ちたその時、彼女の魂のあまりの清廉さに神すら驚愕していたという。
神子の修行をする中で、神自身から聞いた。そんなことをユリエラに話すだなんてうっかりしている神だなぁ、と当時は思っただけだったが…。
「人間くさくなっていた、だなんてね…」
ばーか。
そう呟いてユリエラは重たい己の腕をのそのそと持ち上げ、寝間着をそっと捲り上げる。
「いつになったら、終わるかな。…わたしは」
全身に広がっていく、薄いひび割れ。今は気力でギリギリ持ちこたえている。
というか、持ちこたえさせなければならないのだ。
「大丈夫…大丈夫よ。わたくしなら、できるんだからぁ…」
何もかも、思いつく限りの力を手に入れて、死にものぐるいで自分はどうでもいいからあの優しい姉様と、彼女の想い人が結ばれますようにと。
その上で、全てをひっくり返す準備をした。
「…ユリエラ」
部屋のドアが、遠慮がちにノックされた。
物思いにふけっていたユリエラは、はっと我に返る。ノックをしたのは父、オースティンだ。
「…はぁい、どうぞぉ」
おっとりした声で、ユリエラは応える。
「……ユリエラ」
「ごめんね、父様」
「お前は……っ、……おま、えは…ほんとう、に…、エーディト馬鹿、だなぁ……」
部屋に入り、ユリエラのベッドの近くに歩いてくるなり、オースティンはぼろぼろと涙を流して座り込んでしまった。
「他、に…っ、やり方が、あった、だろう…?」
「ダメですよぉ。…だって、生半可なことじゃ理解しませんものぉ……あのどうしようもないクズはぁ…」
「だが、っ…!」
「父様…。大丈夫、父様。会えなくなるわけじゃないの…話したでしょう…?」
我が子にあやされるような優しい声音で語りかけられ、オースティンは更に泣き崩れる。
途方もない覚悟と、それをやりきってしまった娘を褒めなくてはならないはずなのだ。
だが、そうまでして叶えてやる必要があったのか、と問うとあまりにあっさりとした答えが返ってきた。
「当たり前じゃないですかぁ。そうしなかったから、姉様は一度、死んじゃったでしょう…?」
「それは、そう、…っ……だが!」
「だから、方法として最大にして最強なのが、これだったんですよぉ…?」
だとしても。
我が娘だけにこのような思いをさせたい親がどこにいるものか、とオースティンは拳をギリギリと握る。
「ねえ…父様。本当に大丈夫なんですよぉ…だって…」
あやすように、優しく。
父に続いて入ってきた母も、ユリエラの現状を見て同じように泣き崩れてしまった。
まだ幼い我が子。
エーディトのことが大好きで、いつも彼女について回り、遊び、仲良くしてきた。
前回、神子に選ばれてしまったが故に同年代の友人はいなかったのだが、周りの人にはとても恵まれていた。
そんな彼女が、許せない人たち。
アルベリヒや聖女。そして、彼らを結果的にかばい続けた王家の人間たち。アルベリヒを支持した貴族共。
許さない。許さない。許さない。
でも、それをするには――。
「神を引きずり下ろして、私が成り代わる。クロノスには姉様を幸せにしてもらうんですからぁ…」
巻き戻った先で、クロノスを養子としてユリエラの家で引き取っていた。
そう、書き換えたのがまず一つ目のこと。
元々、クロノスは神ではないということにしてしまったのだ。そして『神』たる存在として君臨するのが、ユリエラとなる。
「…名を変え、今は姉様を神子で無くす代わりに、彼にまず先に神子になってもらいます。ただし、役割は全くこれまでとは違うのぉ…」
楽しそうに、無邪気に、ユリエラは言う。
「前回とは、一部、まったく異なるように変えました。えぇ、全てをもって……ね」
「ユリエラ…っ!あぁ、わたくしの可愛いユリエラ…」
「母様まで…。泣かないでくださいよぉ…」
父と同じタイミングで入って来ていた母も、泣いている。
困ったように笑うユリエラは、母の泣き顔にとても弱いのだ。それだけ、母を愛しているから。
でも、その母ですら、ユリエラの行動を止められなかった。
「ねぇ、大丈夫よ母様。私も…姉様も、そして、神であった人すら、幸せになるの。…あいつら、以外は」
ユリエラが言う『あいつら』とは、紛れもなく王家とアルベリヒ。そして、そんな奴らに媚びを売り従い続けた貴族たち。
「いいですか…母様。母様は、クロノス…いいえ、クロノを引き取ったんです…当家に、子供が…いなかった、から…」
「…っ、えぇ…えぇ、そうね…」
「そして、クロノに…人としての血の繋がりは、ありません…。姉様の婚約者として、最も最適なんです…。だって、神子なのですからね…。それから…っ、」
「ユリエラ!」
げほ、と。話すだけで咳き込んでしまったユリエラだったが、心配そうな母の声には大丈夫だと首を横に振った。
「ずっと引き継がれていた、純潔でなくなれば力を失う。これも、もうありません」
つまり、子も作れる可能性があるということ。
色々とこれまでをひっくり返し続けたユリエラだったのだが、次の言葉を続けるべく、ぎこちなく父と母に顔を向けた。
まだ、顔にまでひび割れはきていない。
だがその姿はあまりに痛々しかった。
げっそりと痩せこけた頬、クマが出来てしまっている目の下。手首から上を見られると、これから進行していく体の崩壊を示すような薄らとしたひび割れがあるのだから。
「そして、…私が神へと成り代わります。早々に、これらを気付かれる前に姉様とクロノの婚約式を執り行って、くださいまし…」
そこまで言って、ユリエラはふっと意識を失った。
慌てたオースティンが主治医を呼んだが、どうしようもないことだ、と緩く首を横に振られる。
これだけのことを一気にやったのだ。体への負担は相当なものであるし、もう既にどれだけ魔力を補充させようとしても、補充したそばから消費されていってしまう。
ユリエラの、人としての『終わり』が近付いているのだ。
一度人としての終わりを迎え、次は悠久を生きる神となる。
あの時手を掴んで、クロノスから無理やりに引き剥がした権能は、もう既にユリエラの中にある。
あとは、それが開花すれば問題ない。
数年単位の時間をかけて行われるが、適性があればあるほど、それは早くなる。
そして、歪すぎる願いが故に、それがあまりに純粋すぎて、開花は相当に早く行われそうだった。
「…今世で、エーディトは、体は弱くないな」
「えぇ、あなた。『普通の』女の子でしたわ」
巻き戻った後で、侯爵夫妻はエーディトの様子を見に行った。病弱だった彼女は、もうすっかり普通の女の子になっていたのだ。眠っていたエーディトの顔色は、見たことがないほどに綺麗で、頬は血色が大変良く、バラ色。
それでも、はしゃぎすぎると熱は出す。とはいえ子供には良くあることなのだから、さほど気にすることでは無い。
そんなことよりも、途方のないことをやってくれた我が娘を褒めていいのか、叱っていいのか。
迷ってはいたのだが、これまでなし得なかったことをやってくれたことに関しては存分に褒めよう。
ただし、一人の従姉の存在が力の源になっている。何もかも、エーディトが存在するから、こういったことがなし得たのだろう。
「用意周到すぎるんだ…我が娘は」
「頑固で一直線、ですものね…」
くす、とようやく微笑みあった夫妻は行動するべく動き始めた。
ユリエラの行動と想いを、無駄にしないために。




