ユリエラの決意
近寄ってきたクロノスに、優しく頭を撫でられるエーディト。
混乱はしているが、持っている力の雰囲気やエーディトを優しく大切にしてくれている様子は、紛れもなく『彼』自身のまま。
しかしかの神は、決して、ユリエラと比較してエーディトを贔屓していたというわけではない。
魔力量と魂の純粋さの違いという点からも、二人に対しての扱いの差というものはどうしても差は出てしまっていたのだ。
そして、ユリエラはエーディトのような扱いを好まなかった。
ユリエラが願っていたのは、いつも、たった一つだけ。
エーディトの幸せ。
ある種、盲目的とも思えるほどに。
種族が違ってしまっていると、こうまでも結ばれることに時間がかかってしまうのかと悩んだユリエラの出した、歪かもしれないけれど、でもこれがきっと最善なのだ。
「…ユリエラは?」
「彼女は…まだ目を覚まさない。だが、わたしがこうなる直前に、ユリエラからの言伝を預かっている」
「言伝…?」
クロノスを見て、次にマルクを。サファエラも見たのだが、全員が少し神妙な顔つきになっていた。
「ユリエラに…何が…?」
「『姉様、幸せになってください。そしてどうか、アルベリヒなんかに次は捕まらないで。そのために、ちょっとだけ頑張ったんですから』、と。…頑張りすぎなんだよ…!」
最後、語気を強めたクロノスにエーディトはぎょっと目を丸くするが、何かをユリエラが決意して、実行してしまったということだけは理解できた。
しかもそれは、とんでもないことらしい。
「まず、アルベリヒを遠ざけよう。前回、わたしは己が神であることをあれだけ呪ったことはない。だからね、まずはここからだ」
にっこりと微笑んだクロノスは、ベッドの上にいるエーディトの手を取って甲に口付けた。
「エーディト=ヴァイセンベルク公爵令嬢、どうかわたしの花嫁になってほしい。ついでに言っておこう。わたしは、今、ヒトとしてここにいる。もう、わたしは神ではない」
「え?」
きょとんとしたエーディトの口から、素っ頓狂な声が発せられた。
ちょっと待て、今目の前の彼は何と言ったのか。
というか、神だろうお前!とエーディトは内心で物凄くツッコミを入れているのだが、周囲の人たちは揃って苦笑いを浮かべているだけだ。
エーディトが目を覚ますのが遅かったことで、事情の説明が一番最後になってしまった。一足先にユリエラの父、オースティンから話を聞いた面々はとても、驚かされたのだ。
それほどまでにユリエラがエーディトを大切に想っていたということの表れだが、これらを成し遂げられてしまったのはユリエラが言葉の通り、己の全てをかけて願い、想い、実行したから。
「ユリエラは…何を、したんですか…」
エーディトは、何となく嫌な予感がしていた。どく、どく、と心臓の鼓動がとてつもなく速く、大きく聞こえてくるような感覚すらある。
まさか、と思ってマルクに視線をぎこちなく移した。
そして、エーディトは確認する。
「前にあの子がもっていたのは…私の権能と、あの子の権能。そして大司教としての力…、ですよね…?」
「もう一つ、あるだろう?」
「もうひとつ…?」
成し得るために、ユリエラが差し出したのは言葉通り『全て』。
「ユリエラちゃんの、命だ」
「…命…?」
誰しもが持っているけれど、通常ならば生を全うするために使う、それ。
言葉の通り、本当に全てをもってして、今回のやり直しに全てを懸けるために、ユリエラはひっくり返してみせたのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ユリエラは時を戻すほんの少し前、色々と考えていた。
そもそも、神の花嫁である条件の一つ目が純潔であること。これどうなのよ?と。
何となくわかる。一角獣だって、穢れのない乙女の前にしか出てこないと言われている。神に通じるものはまぁ、大体そうなのだが。
とはいえ、エーディトとクロノス。人と神の恋物語を叶えるために、悲恋にならないようにするためには、どちらかの格を上げるか下げるかしなくてはない。
なら、簡単なのはどちらだろう、というシンプルな疑問にユリエラは到達した。
そうして、時間をかけずに出た答えは一つ。
「引きずりおろしちゃいますかぁ」
しれっと言い放つユリエラだったが、神をヒトに、というのは簡単では無い。
もしも神をヒトにするのであれば、代わりも併せて用意しておかなくてはいけないのだから。
でも。
「代わりは、いますものねぇ」
それについては問題ない。
あとはタイミングの問題かもしれないが、これも特に何がどうということはないのだ。
「アルベリヒの歴史も、何もかも。前回のようにさせないためには色々と変える必要がある。だから…うーん…」
ぱん、とユリエラは手を打った。
「ひっくり返しちゃいましょう、ぜぇんぶ」
おもちゃ箱をひっくり返して中身を詰め直し、綺麗に整理整頓をするように。
アルベリヒがあんなのだと知っていれば、王太子になど立太子させない。
あんなに役に立たない親なら、せめて優秀な『次』を作るまでは引退などさせてもやらない。
それに、何より必要なことは。
「これまでの慣習ごと、まるっと変えてしまえば良いだけのお話ですものねぇ。そうそう、聖女伝説もなかったことにしちゃいましょう」
そのためならば、権能を行使する力も。大司教としての力も、…もう一つ持っている『生命力』すらも。
何もかも、惜しくはないのだから。
「わたくしがいなくなっても、我が家は困らない。だって…代わりは、いる」
というより、『作る』が正しい。
ユリエラの意志は強固なもので、それでいて、とてつもなく純粋そのもの。今、アルベリヒを憎むという邪な気持ちが基本的に存在しないし、これならばあの神も大丈夫なはず。
「わたくしの欲深さを舐めていただいては困りますもの…ふふ」
――姉様の愛した唯一の貴方、待っていてくださいな。
貴方と姉様は、きっとこの国一番の幸せな恋人同士になります。勿論、あのアルベリヒなんか、付け入る隙など与えない。
正統なるもので、王家の付け入る隙も与えないくらいに完璧に、何もかもをひっくり返しましょう。
心の中でそう呟いて、ユリエラは色々と準備を進めていく。
文字通り、血眼になって。
時戻しをするほんの僅かな時間に、彼女はそれらの準備を終えてしまったのだ。
そして、いざ。
時戻しを発動させ、神と対話したあの空間内。
ユリエラは時を巻き戻す前、己の意識を手放す前に、がっちりと神の手を掴んだ。
「ねぇ…貴方も巻き込まれてくださいませんことぉ?」
ぴくり、とクロノスの眉が上がる。
「貴方は姉様を愛した。でもねぇ、条件が厄介すぎるんですよ。何なんですかぁ?純潔好き拗らせるのもいい加減になさいませ。そして、わたくしからの贈り物…いいえ、押し付けになりますけれどぉ…」
淡々と一方的に、だが腕を掴んだ手にはじわじわ力が込められていくのが分かる。ユリエラの手が、離れない。
クロノスの力を発動させようとしても、ユリエラは器用に己の神力や魔力を活用して、神の力をも抑え込んでいる。どうしてたかが人間がここまでできるのか、いやな予感がした。
<放しなさい、ユリエラ>
「いいえ、放しません。言ったでしょう?…貴方を、巻き込むってぇ…」
にぃ、と笑うユリエラ。
悪意は確かに、ない。
あるのはただ、己が敬愛する『彼女』を救いたいという、強すぎるほどの願いと、意志。
<まさか、そなた>
「…えぇ、そのまさか、ですわぁ」
やめろ、と言ってもやめなかった。止められなかった。
だが、何処かに嬉しさがあったこともまた、事実。
「アンタは、姉様と幸せになりやがれってんですよぉ」
歪だけれど綺麗な微笑みを見たのが、クロノスが『前回』、神として記憶している最後である。
ユリエラは文字通り、ここから全てをひっくり返しにかかったのだ。
己に、何があろうとも、願いをただ、叶えるために。




