覚悟を決めたら、もう覆さない
公爵家にエーディトの遺体を返すよう、王家から何度も要請があったという。だが、それを聞いてやるほどヴァイゼンベルク公爵家は素直ではなかった。
どうしてそれを聞いてやらねばならないのかと、逆に問い返した。
王家からの使者は、公爵家の屋敷のある敷地に入ることすら叶わず、とてつもない勢いで追い返された。
「ぶ、無礼な!」
使者がそう反抗するも、公爵家の執事長はただ、淡々と問い掛ける。
「おや、約束も無しに毎回こうして無作法に当家令嬢のエーディト様のご遺体を返せ!とやってくる貴方がたは無礼ではないと?」
「…っ!」
「我が主が申し上げた通りです。そちらの無理矢理な願望をわざわざ、エーディト様は叶えて差しあげたのですから…次はこちらの思いを汲んでいただかねば困るというもの。それに、当家は既に王家そのものを見限っておりますゆえ…」
にこり、と執事長は綺麗に笑みを貼り付ける。
「早々に、お引取りを」
しっしっ、と犬猫を追い払うようにして執事長は手を動かした。
相当に無礼ではある行為だが、そもそも論として約束をしておらず、いきなり押しかけたのは王家側。
どうやら、王家の支持は行わないというところをアルベリヒは未だに思い出せていないようだ。そう言っていた主の言葉を思い出して執事長は更に笑う。
「それと、国王陛下におかれましては、どうやら物忘れが大変進行されているとお見受けいたします。医者に診ていただいては?…あぁ、そんな必要はありませんねぇ…聖女様がいらっしゃるのだから」
王家が振りかざしている聖女の加護。あの現場にいたミーナはすっかり気落ちし、アルベリヒへの加護が急激に薄っぺらいものになりつつあるようだ。
王宮の中から、色々な情報が漏れ聞こえてくる。貴族の口を塞ぐなど、できはしないのだから。
「せ、聖女様を愚弄するか!」
「聖女がいるから大丈夫、そう仰ったのはそちらでは?」
「…何をしている」
「これは、公爵閣下。いえ、こちらの使者様がどうやってもお帰りにならず…」
押し問答を繰り広げていると邸内から呆れ顔のマルクがやってきた。
「公爵!王妃殿下の遺体を!」
「はて、お前は一体どこの誰ですかな?」
「は?!」
「当家は約束無きものに、わざわざ門を開いてやる義理などありはしない。親しくもない、まして我らから見限った王家の使者など、どうして当家の執事がわたしに対して取り次いでくれると思っていたのだろうか……理解に苦しむ」
蔑んだ眼差しを向けられ、使者はぐっと言葉につまる。
ああ言えばこう言う。
それで片付けたかったが、これまで王家の積み重ねてきたあれこれはとっくに公爵家の逆鱗に触れていたのだ。というか、触れないわけがない。
「それと、ユリエラにも毎度使者を送っているようだが、そろそろおやめになってはいかがかな?」
はは、と笑ってマルクは更に続けた。
「ユリエラは大司教であり、神子だ。そして、エーディトを敬愛していた代表でもある。使者を送るのはいいが、その使者……生きて戻れたら良いんだが」
使者の顔色がどんどん悪くなっていく。
そして、マルクは微笑んでトドメを刺しにかかった。
「お前たちのせいで、我が娘は自死を選ばざるを得ないほどに追い詰められたんだ。その原因をどうしても知らないと我が家はどうにもこうにもならないのでね。ユリエラも必死なんだ。…王宮からの使者ならぱ、事情も分かるだろうと思って…」
ひと呼吸、マルクがおいた。
「知りうる限りの情報を根こそぎ、聞かせてもらっているんだよ」
とても残酷に、そして美しく。かつて王家の最大の味方であった公爵家当主は微笑み、冷えきった声でそう告げた。
そういえば、最近神殿に向かった使者はどうして帰ってこないのだろう。
そう思うには、遅かった。
帰ってこない者の行方を聞いたところで、最早遅いというのに。
「相変わらず鬱陶しいですこと…」
ユリエラの前に転がっているのは王宮からの使者と、どうにかしてユリエラにいうことを聞かせようと企んでか何だか知らないが、どういう身分のものかは分からないもののアルベリヒが寄こしたらしい間者。
「要求を呑んでもらいたいなら、もうちょっと頭を使いなさい、とご伝言願ってもよろしくてぇ?」
ユリエラがあくび交じりに言うと、王宮からの使者は何度も頷いているが、もう一人は憎々し気に睨みつけてきている。
あらまぁ、とのんきな様子で呟くと、ユリエラは更に眼光を強くした。
「ご自身の立場、分かっておいでですぅ?」
睨まれても全く動じない。
そもそもけろりとしているのだ。
「貴様が陛下に加護を与える役割を…!」
「ああ、聖女様使い物にならないんですってぇ?あんなに偉そうにしてたくせに、思ったより大したことなかったんですねぇ…」
「何だと!?」
「加護、与えないって神が決めてるので無駄でぇっす」
もう一度あくびをしたユリエラは、睨みつけてくるだけのその男を見つめてにっこりと微笑んだ。
「あ。でも、貴方たちはここから帰れないと思ってくださいな」
あっはっは、とユリエラは笑いながら言う。
「いやぁ、わたくしとしたことがうっかりでしたわぁ。陛下に伝言なんかお願いしてる場合じゃございませんでしたものねぇ」
明るく笑うユリエラの真意が、まったく読めない。
だからこそ、恐怖がじわじわと膨れ上がってくる。
「な、にを」
使者の男が怯えた様子で問いかけると、にっこりとユリエラは笑みを深くした。
「ちょぉっと、教えてほしいことがございまして。ええ、簡単なことですわ」
え?と問い掛けようとしたら、不意にユリエラから一切の表情が消えた。
「…エーディト姉様のことを、教えなさい。王宮で、どんな風だったのかを。全て、包み隠さずに」
そうだ、とようやく思い出した。
ユリエラは、とてもエーディトを大切にしていた。
エーディトは、皆から愛されていたのだ。
それを奪ったのは、死を選ばせたのは、アルベリヒ自身。
淡々とユリエラの語る内容に、床に縛って転がされてた大の大人二人の顔色はどんどん悪くなってくる。
語ることは止まらない。
止まったかと思えば、次は地獄の時間が待っているのだが、彼らはまだ気付いていない。
王宮からの使者は、ハッとしたような顔になるが時既に遅しであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おじさま」
打って変わって、にこやかな笑顔でユリエラはマルクと対峙していた。
「おじさまを始めとした公爵家の皆様の願いを、わたくし聞き入れたく思います。…姉様は、やり直したいだなんて思わないかもしれない。けれど、姉様を…あの笑顔を取り戻せるならば、何でもやりとげますわ」
「ユリエラ…」
「国王陛下も何やらほざいておりますが、あんなものの言うことは聞く価値等ございませんもの」
「結果的に、お前に全て押し付けてしまった…すまない…っ」
「…いいえ」
ふる、とユリエラは首を横に振った。
「わたくしも、助けられなかったのです。大切な姉様であるのに。だから同罪ですわぁ…」
二人の間に、静かな空気がほんの少し流れる。
だが、それを破ったのは息を切らせた神官が大司教部屋へと飛び込んできたからであった。
「何ですか!今はここに誰も入るなと!」
「…だ、だいし、きょう、さま…!」
「…何…?」
ただごとではないと察したユリエラは、思わずマルクと目くばせをした。
「陛下が!ここに乗り込んできます!」
「…何ですって…?」
ひく、とユリエラの頬が引きつった。
何度も何度も送られてきた要請書は、ユリエラが全て引き裂いた。読む価値すらないと判断した。
ついでに、『どの口がやり直しとか言ってんだアホ』と、オブラートに丁寧に包んで返答していたが、何でも手に入れないと気が済まない暴君と化したアルベリヒがまともに受け取るはずはなかった。
「そう…。…喧嘩を本格的に売ってきたのね…」
もう、何もかもひっくり返す。
ユリエラが呟く言葉に、マルクは改めて決意した。
あんなものを、次は国王になどしてはならないのだ、と。




