『聖女』
「ねぇ、のどが渇いたわ!」
「ねぇ、どうしてアルベリヒは私の所に来てくれないの?」
「外に行きたい!護衛をつけて!」
『どうしようもない我儘娘』、それが聖女への評価。
だが、彼女がご機嫌でいる間はアルベリヒに対して確かに加護が与えられている。それも、とんでもなく質の良い加護が。
敵対するものへは罰を、味方でいてくれるものには限りなく高い幸運を。
エーディトはこの現状に対してうんざりするしかなかった。
そもそも、聖女を召喚することの意味をアルベリヒははき違えている。
神子が生まれずとも、きちんと国を治めさえしていればある程度の加護はきちんと与えられるのだ。
神がこの世界を守っている限りは。
だが、そこに聖女を投入すればどうなるのか。
聖女の役割としては、実はたった一つ。
『次代の神の交代要員』なのだ。
だから、彼女の機嫌の良しあしで何もかもがひっくり返る程の力を持っているのだが、神とはある意味相反する存在でしかない。
現状、神子として過ごしているエーディトやユリエラは、ひどい嫌悪感に毎日襲われることになってしまっているのだ。
「気持ち悪いですねぇ…」
う、と口元をおさえてユリエラは溜息を吐く。
「大丈夫ですか、ユリエラ様」
「あの聖女、とてつもない力の持ち主ですわぁ…。時が時なら、あれは恐らく次代の神となりえた存在なんでしょうけどぉ…」
「…ユリエラ様」
「そうでないタイミングで召喚したことで、わたくしと姉様には副作用とでもいいましょうか…っ…、ぅ…」
「ユリエラ様!?」
「…っ、大丈夫、ですよぉ…」
弱弱しく微笑むユリエラの顔色は酷く悪い。
聖女が嬉しがるほど、喜ぶほどアルベリヒへの加護が膨れ上がっていく。それが、今の神の力と反発を起こしすぎており、ユリエラは相当な絶不調であった。
「理を捻じ曲げた馬鹿に対して…、思い知らせてやる必要がありそうですわねぇ…」
「ですが、今は…」
「ええ…何かこちらが動けば、エーディト姉様に害が及びます。ならば…もっともらしい理由をつけて聖女を娶らせましょうか…。そして、姉様とは離縁させましょう…」
「それが一番です。大司教様にも、そうお伝えしましょう」
「…そうしてくれますかぁ…?少し…休みます…」
ふらふらと歩くユリエラは、どうにも嫌な予感しかなかった。
好き放題させて、機嫌を取って、今は絶好調の聖女だが、要求が大きくなりすぎているというのだ。
「姉様を…助け、なきゃ」
一旦自室に戻り、気持ちを落ち着けながら神力を少しづつ解放して、色々なものを併せて落ち着かせていった。
ゆっくりと深呼吸をし、力が落ち着いたときに部屋の扉がノックされる。
「…はぁい」
「ユリエラ様」
「大司教様?」
聞きなれた声に、慌てて部屋の扉を開けると、何やら顔色を悪くして大司教がそこに立っていたのだ。
「何か…ありましたか?」
「先日、国王陛下が代替わりされましたが…」
「ええ…」
「アルベリヒ様から、ユリエラ様へ、招待状が届いております」
「…は?」
名前を聞いただけで嫌悪感が走る。
どうして自分を招待するのか、しかも何のためにどういった理由で招待するのか意味がわからなかった。
「…拒否は…できますぅ?」
「一応、まぁその…国王陛下なので…」
「ですよねぇ…」
はー、やだやだと呟くユリエラだったが、その招待状を見てひくりと頬が引き攣った。
「ユリエラ様?」
「…聖女のお披露目、だそうですよぉ…。しかも、エーディト姉様に、聖女に対してお言葉をどうとか、こうとか…っ。そんなことさせてたまるか…!わたくしが出ますわぁ…」
ギリギリと招待状を握り締め、ユリエラは憤怒の顔になる。
聖女の召喚に成功してからというもの、アルベリヒと聖女の行動は目に余るものだった。
だが、まだこれは序章に過ぎなかったことを、ユリエラは後に知ることとなったのである。
ミーナ、もとい橘 美奈は日本から召喚された『聖女』である。学校から帰ってきて玄関を開けたはずのその先、それがこの国に繋がっており召喚されてしまったのだが、まず美奈は目の前にいたアルベリヒに一目惚れをした。
これが今流行りの異世界召喚!と内心密やかに喜んだのだが、異世界から召喚されたことで美奈にはとてつもない力が備わっていた。
前代の国王夫妻を犠牲として。
だが、それは本人は知らないまま『アルベリヒに対して加護を与える存在』として召喚されたのだ、と聞かされたものだから美奈はとても喜んだ。
喜んだ瞬間、ふわりと光が溢れてきたのだが、それがアルベリヒを包み込んだ。
「…凄まじいな」
ぽつりと呟いたアルベリヒは満足そうに微笑んだ。
内心で、『これならば、エーディトの加護がなくとも問題ない』と付け加えたことは、美奈は知らない。
自己紹介をした際、『美奈』という名前が『ミーナ』と勘違いされたのだが、訂正なんかしなかった。
加えて、神秘的な黒髪の聖女様、そう言われて悪い気はするわけもなかった。
「うっふふ…♪」
純白のドレス。
レースの手袋。
首元の豪奢なネックレスと、それに合わせたイヤリングにティアラ。
どれもこれも、元の世界で普通に暮らしていたら縁のないものばかり。
「素敵…!」
「ミーナ、気に入ったか?」
「アルベリヒ様!ええ、勿論!」
「そうか、それは何よりだな」
アルベリヒは柔らかく微笑んだ。
ミーナはそれを勘違いしていく。その微笑みこそ、自分に対して向けられた『愛』そのものである、と。
実際のところ、召喚してみれば『エーディトと同じ顔立ちだったから』大切さが溢れているというだけの話。
だが、わざわざそれを伝えて機嫌を悪くさせる必要もないと感じ、アルベリヒはただ、ミーナを大切にしていこうと決めたのだ。
それもまた、歯車を破壊しているだけとは気付かない。
「ミーナ、今日は神子から言葉を賜る日だ。だが、力は同等なのだから、そなたは自信を持ち我が隣に立っていてくれるか?」
「勿論です!あ…でも…」
「どうした?」
「王妃様は遠慮してほしいかなー…」
「…は?」
「だってぇ、私に対しての言葉なんですよー?ね、アルベリヒ様ぁ」
「…エーディトの体調が良くなければ、…仕方ない、が」
「んじゃ私、伝えてきまーす!」
にこにこと笑ってエーディトの部屋へと向かうミーナ。その微笑みは次第に醜悪なものへと変わっていく。
「王妃様、失礼しまーす!」
ノックもなしに開かれ、中にいた使用人たちは顔を顰めるがエーディトがそれを制した。
無理矢理つけられているとはいえ、王妃付きの侍女とあれば待遇はかなりいい。そしてこの聖女はすこぶる評判が悪い。どちらにつけば良いのか、子供でも分かる道理なのだ。
「…聖女様、何か」
「えーっと、王妃様はこの後の行事は参加不要です!それだけ!じゃーねー!」
「……は?」
言うだけ言って、ばたん!と大きな音を立ててドアは閉められた。
一体なんだったのかと悩んでしまうが、エーディトは念の為にと用意を再開させてそのまま彼女の言葉は無視して、会場へと向かう。
何せ、エーディトはまだ『神子』なのだから。
神子から言葉を賜る場所は王宮の大広間だ。
慣れた足取りで歩き、到着すると聖女が嫌そうに顔を顰めたのが見えた。
「何で来たのよ…!」
「エーディトの具合は、今日は良いらしいな」
「アルベリヒ様!」
「王妃が参加しないなどということはありえんからな。ミーナ、いくらそなたが聖女とはいえ守らねばならぬ領分があることは理解せよ」
「………………はーい」
不満です、と分かりやすすぎる雰囲気を察し、アルベリヒは優しくミーナの頬を撫でてやる。
そうすれば、あっという間に機嫌が直るのだから安いものだ。
「…何ですかねぇ、あの茶番」
それを見ていたユリエラは、うげ、と思わず呟いてしまった。だがユリエラは悪くないと思っている。
何が悲しゅうて人の大切な従姉妹を蔑ろにする、クソ男の浮気にも等しい現場を見続けなければならないのか。
はー、と大きなため息を吐くと、ユリエラは促されるまま歩みを進めていったのだ。




