悪いことばかり続く
また、王太子妃教育や王妃教育の場に、使用人は同席できないこともマイナス要因だったのだが、アルベリヒにとってはこの時間こそがエーディトを堪能できる時間だった。
と、いうのも王太子妃教育の終わった後のお茶会、これがお目当てだったのである。
「エーディト、不満はないか?」
「ございません」
「そ、そうだ!何か装飾品を!」
「不要にございます」
「…っ、で、では何か珍しい書物を!」
「いらないです」
何を言っても淡々と返される短い一言だけの返答。
アルベリヒはイライラしているようだが、そっと側近に耳打ちされる。
「…殿下、元は貴方様の行動が招いた結果なのですよ…!怒ったところでどうにもならないことはご理解なさいませ!」
「う、ぐ」
自分がやったこと。
それが、アルベリヒの心に大きくのしかかってくる。
自業自得ではないか!と、どこかの貴族が話していると、王宮の中でも噂になっていると聞いた。
アルベリヒがやったことは、あっという間に国民全体にも知れ渡ったのである。
神殿の公式行事に出てくる神子がユリエラのみになったのだ。分からないわけがない。
何もかも、自分のせいだと言われるが、それが、現実であり真実なのだから。
「…え、エーディト、ならば、ユリエラに、会わせ、ようか?」
「名前で何の関係もない令嬢を…神子を呼び捨てになどなさいませんよう」
「…す、すまない…。その、だが、会いたくは、ない、のか?」
「会いたいですよ」
「ではすぐ手配しよう!」
ぱっと表情を明るくして、アルベリヒは部屋を出ていく。
残されたエーディトは、そこでようやく大きく息を吐いて、椅子の背もたれにぐったりともたれかかる。
「会えるわけないじゃない。…殿下の要請ごときに、ユリエラが応じるわけないわ。あの子は公私混同なんかしない子なんですから」
呟かれた言葉は、当たり前のように真実となり、刃をむき出しにしてアルベリヒに襲い掛かった。
ユリエラは神殿からこう手紙を返した。
『エーディト様がいなくなった今、神子はわたくし一人、そのような無駄な時間などありません』
これをアルベリヒは『冷たい女だ!』と憤慨し、罵り、よりによってエーディトの前でもユリエラのことを酷くののしった。
何の感情も乗せていない目が、アルベリヒを見据えると止まった。
「…っ、そなたの身内は冷たいな!!」
自身が招いた結果であるにも関わらず、アルベリヒは次第にエーディトの周りのことを罵り、それをよりにもよってエーディトへとぶつけることになっていく。
エーディトの心を、少しずつ壊していくとも知らず。
緩やかに、崩壊を招いているとも、知らず。
「お前の親類は皆、性格が悪いな!」
「エーディトは優しいというのに、どうしてユリエラはお前に会いに来ないのだ!」
会いに来れるわけなどない。
エーディトが連れ去られて以降、ユリエラに全ての神子としての業務が降り掛かっている。
幸いにも、ユリエラは全てこなしているようだが、半分ずつに別れてしまっている権能は、今の状態では一つにできない。
「(どうにかして…ユリエラに私の力を全て渡せたら…)」
それをするためには、エーディトが純潔を失うか、或いは死ぬ必要がある。後者ならともかく、前者は何があろうとも嫌だ。
あのアルベリヒに体を委ねるなど、考えただけで吐き気がする。
とはいえ、自分が何か妙な動きをしたら、公爵家を完膚なきまでに叩き潰しにかかるだろう。
一国の軍をも率いるとはいえ、アルベリヒの頭の良さだけは天下一品なのだから。
「…どう、しよう」
王太子妃の教育はほぼ完了している。
次は、と教育係が嬉々として王妃教育をするべく教本などを揃えるのだと息巻いていた。
どうにかして、逃げ出したい。
一瞬でいい、チャンスが欲しい。
そう、思っていたエーディトの元に、思わぬ人物が来訪する。
人と会うことを禁じていたが、親を通さない訳には行かなかったのだろう。
ヴァイゼンベルク公爵が、心配そうにエーディトの元へとやってきてくれたのだ。
「お父様…!」
「エーディト!…全く…お前は無茶をする…」
「会わせてやったんだ、有難く思えよ!」
「おや、殿下」
しれっとした様子で公爵は馬鹿にしきった眼差しをアルベリヒへと向けた。
「貴方の治世に変わった瞬間、国は荒れるでしょうな」
「無礼だぞ!」
「おや、聞いておりませんか?殿下は、神に見放されたのですよ?」
「なんだ、そんなことか」
だったら問題ない!と笑うアルベリヒを訝しげに見るが、次いだ言葉に呆れ果ててしまった。
「だから、そのための人質としてエーディトを嫁にしたんだよ!」
「はぁ…」
愚かな、と心の中で呟いた。
それはエーディトも同じこと。
神は間違いなく、アルベリヒの言うことなど聞きはしない。聞いているフリをするだけだ。
神と似たような神力を操る聖女がこの国に訪れれば、きっと大丈夫なのだろうけれど、そもそも存在したという書物など存在しない。
「……無駄なことを」
「何だ、エーディト。何か言ったか?ん?」
そっと背をさする振りをして、アルベリヒは思い切り、エーディトの薄い背中の肉をつねりあげた。
「………………っ!う………」
「おや、具合が悪いのか。そうかそうか、ならば休まねばなるまいな!」
白々しくアルベリヒは言って、エーディトに無理矢理つけた侍女を呼んだ。
そして、エーディトを部屋に戻すように命じた後に、公爵へと向き直ってニタリと笑う。
「時の神子を花嫁に迎えた王族など、きっと俺くらいだ!…ははははは!!親子ゆえに救い出せないこの気持ちを悔しく思うが良い!!」
あはは!と高笑いをするアルベリヒだが、ヴァイゼンベルク公爵が何一つ動じていないことに疑問を抱いた。
「まぁ、よろしいでしょう。お好きなようになさいませ。殿下、お忘れなきよう」
「は?」
「正式に文書をお持ちいたしました。殿下がエーディトを王妃とした時に、我らは貴方を捨てます」
「……………は?お、お前ら!エーディトの命がどうなってもいいのか!」
「エーディトは、公爵令嬢ですよ。その覚悟くらいできておりましょうとも」
「な、な、なな…っ、」
「殿下も、お覚悟なされよ。…後ろ盾を失った王が、どの程度の権力を持っているのかを、な」
公爵が手を振りあげ、思い切りテーブルを叩く。
魔力が込められたその一撃は、簡単にテーブルを破壊して、真っ二つに割いた。
「…………っ」
「そして、貴方の行動がどんな悲劇を招くのかも、よく見ていると良い」
立ち上がり、公爵はエーディトの退散した扉を見つめて、自分も同じように歩いていく。
扉に手をかけてから、開く前に再びアルベリヒに向き直って、こう告げた。
「お前の行動は全てを蝕んでいく。心も、国も、何もかも」




