得たものと失ったもの
アルベリヒは、たいへん機嫌が良かった。
ようやく、脅しの甲斐あって念願かないエーディトを手に入れられるのだから。
公爵家が謀反したら、神にも、公爵家の人間にも見えるようにエーディト自身を人質としてしまえばいい。そうやって、権力を使って脅してしまえば、何も問題はない。
その思考回路がそもそも問題なのだが、今のアルベリヒを止めようとする人がいないことも相当な問題ではある。
そして、アルベリヒの頭の中には『自分がやり返される可能性』というものが存在しないらしい。
彼自身、全知全能でないのに、どうしてか卑怯な手を使ったにもかかわらずエーディトから愛されると信じて疑っていない。だから、エーディトに告げられた言葉に絶望しかできなかった。
公爵家との別れを済ませ、何事もなく穏便に、エーディトが自分の元に来てくれたのだな、と意気揚々と出迎えたアルベリヒに降り注いだのはエーディトを始め、彼に相対した人間からの何の感情もない視線の雨。
「…え?」
エーディト、エーディトつきの侍女、神官、公爵夫妻、ユリエラ、大司教。
彼らは揃ってアルベリヒに対して何の感情もない目だけを向けていた。
「な、なな、何なんだ!お前ら不敬だぞ!?いいか、俺は王太子で、国王に!」
「神の加護を失ったお前が国王の国など、いずれ滅びるだろうよ」
「エーディトが!」
エーディトがいるから、神は自分に対して加護を与えるはずだ。
そう続けようとした。
「何故、脅してきた者に対して我が最愛の神の加護をやらねばならないのですか」
淡々としたエーディトの問いに、アルベリヒは真っ青になる。
「は…?」
「欲しいのはどうせ体でしょう。どうぞ、お好きなように」
「なんで」
こんなはずじゃない、こんなはずじゃなかった、と必死に考えるがアルベリヒの都合の良い思考回路では何も思いつくはずもなかった。
本当に理解していなかったらしいアルベリヒは、答えが欲しくて問いかけるが、それに誰一人、答えなどくれなかった。
出迎えに付き添ってくれた国王夫妻は、どうしてこうなったといわんばかりの顔をしているが、そこにヴァイセンベルク公爵がトドメを刺しに行く。
「あんたたちの教育の賜物だよ。…こんな傲慢なクズに、我が娘で神子たるエーディトが嫁がされるだなんてな」
「我らも反対した!」
「どうせ形だけの反対だろう?」
「う、ぐ」
言葉に詰まる国王だが、本当のことなのだから何も反論できるわけなどなかった。
そして、更に公爵は続ける。
「だから、結婚だけは許可してやったんだ、こちらもな」
「公爵!父上たちに対して何という口の利き方だ!」
「…おやおや、殿下も何かを勘違いなされておられる」
「なんだと…?」
一歩、ユリエラが前に出た。
あ、と思いアルベリヒは助けを請おうとしたのだが、そもそもユリエラに助けを願ったところで彼女はアルベリヒだけは助けないだろう。
アルベリヒを助けるくらいなら、ユリエラは死を躊躇なく選ぶ。そういうヒトだ、ユリエラは。
一体何を言われるのだろうかと思っていたアルベリヒは、ユリエラの言葉に更に目を見開いた。
「公爵家、そして我が生家は殿下を支持いたしません。そして、我ら神殿も、殿下の支持を取りやめますのでどうぞお好きなように」
「……………………へ?」
とんでもなく間抜けな声が出た。
アルベリヒは呆然としてユリエラの言葉を聞き、慌ててエーディトに視線をやれば『何か?』と言いたげな目が向けられている。
「お好きになさいませ。お前たちなど謀反してやる価値すらない」
それだけ言って、ユリエラはそっとエーディトの手を握る。
アルベリヒに向けているような目ではなく、心の籠った、本当に大切しているからこそ見せる、ユリエラのエーディトを慈しむ目。
「姉様、どうか…どうか、お忘れなきよう」
「大丈夫よ、ユリエラ。この会話だけでも殿下の人となりはよぅく分かったでしょう?」
「ええ、本当に」
「何が、…何が!分かったというんだ!」
エーディトの言葉にぎょっとして、アルベリヒは慌てて問いかけた。
アルベリヒは最大限優しくしている『つもり』なのだ、これでも。
しかしそんなことは本人だけが思っているだけであって、周りから見てどう思われているのかを理解しなければどうしようもないというのに、何をどうやっても性格が直るどころか、アルベリヒの性格はひん曲がっていくのだ。
そして、エーディトがまた淡々と続ける。
「『人でなし』ということが、です」
エーディトが淡々と答えて、がくりと崩れ落ちるアルベリヒを、やはり何の感情もない目で見ていた。
「安心しましたわ。きちんと、私決心できました」
「……エーディト」
縋るような声にも、エーディトは淡々と答える。
「あなたなど、決して、愛さない。愛するくらいなら死ぬ」
「そ、それは駄目だ!死んでは駄目だ!」
アルベリヒの言うことなど一切合切無視して、す、とエーディトは己の手を胸へとあてる。
「この心は、心だけはあげない」
だって、とエーディトは続ける。
「あなたのことなんて、大嫌いだから」
くすくすとユリエラは嗤う。
その様子をアルベリヒが睨みつけるが、そんなものなど何も気にしていないようにユリエラは首を傾げた。
「姉様は大変お優しくていらっしゃるわ。嫌い、だなんて…。わたくしなら、こんなのに対して何の感情も抱かないわ」
馬鹿にされていることは分かる。こうなったのが自分のせいだということもアルベリヒは理解しなければいけないのも、彼自身ようく分かっている、つもりなのだ。
何もかも、『つもり』でしかないから、理解することも何もできはしないのだ。




