彼女の想いの純粋さ
どうして、エーディトは自分を拒絶するのだろうとアルベリヒはじっと考えていた。
当たり前のことだが、父にも母にも怒られた。
だが、これまた偶然ではあるのだが、たった一人の王子だからと王太子の座からは落とされなかった。
いっそ、このまま神罰を落としてしまえばよかったのではないか、という者も少なからずいたけれど、国王夫妻は『きっと息子は改心するから』と必死だったという。
これだから一人息子だけなのは駄目なのだ、と言われようとも、やはり息子が可愛かったらしい。
だが、国王夫妻もアルベリヒも、双方気付いてなどいなかった。
神からの罰はひそやかに落とされているとも知らず、呑気に過ごしていたのだ。
それをアルベリヒの父である国王が知ったのは、アルベリヒのやらかしから二日後。
いつもならば出向く前に、必ず、先ぶれがあるにも関わらず、大司教が訪れた。大量の神殿の人間を引き連れて。
アルベリヒは『神殿が我らに宣戦布告にやってきた!』と叫び、慌てたのだが、来ただけではまだ何もされていない。恐らく大司教の護衛ではなかろうか、と呑気なことを国王は告げるにとどまった。
しかし謁見の場にて、大司教は淡々と、こう告げた。
「神より、お言葉です」
冷たい目。
冷たい声。
そして何より、神殿の人間全員が王家の人間を気持ち悪いものを見るような目で見ている。いくら自分達がやってないと言おうとしても、駄目だった。彼らの雰囲気は変わることはない。
「――――え?」
そして、小さな紙に乱雑に書かれた内容に、国王は息が止まりそうになるほどの絶望を覚える。
誰が書いたのか、まったく見覚えのない文字。
大司教の字はとてもなめらかだし、公爵だってこんな文字は書いたりしない。
では誰が書いたのか。
「なんだ、これは」
引きつりながら国王は問うが、大司教はうっすらと笑みを浮かべただけにとどまった。
「さぁ陛下、内容をしかとご確認ください」
〈今代の王が退きし日、神は国を去る。王太子になど加護はやらぬ〉
「こ、ここ、これ、は!」
狼狽えてどうするというのだ。
アルベリヒがやらかしたことに対して、神が怒った。ただそれだけの話なのに、この馬鹿親は何を狼狽えることがあるのだと、神殿の人間は全員が冷めた目で見ていた。
別に国王が罰を受けるわけではないのに、と。そういう思いしかない神殿サイドは、はて、と首を傾げたり、不思議そうな顔をしたりしている。
そんな中、大司教だげはあくまで冷静に続けた。
「神が、殿下をお見捨てになるということです」
「そん、な」
「おや、国王陛下は何かを勘違いなされておられるようだ」
は、は、と国王の浅い息だけが響いているような感覚。
どうしてと問えば、大司教はこう返した。
「あなた方の息子は、神子様を攫い、命の危機にまで追い込んだ。それ以外に罪状がありますか?」
冷え切った目で、大司教が言う。
その問題を理解していなかったのか、という目を向ければ、国王はわなわなと震え始める。
「た、助かったから…いいの、ではない、のか」
「ほう?」
エーディトだけでなく、大司教はユリエラのこともとても可愛がっている。
だからこそ、その安直な言葉に激しい怒りを感じ、ギリギリと手を握りしめながら、怒鳴りつけたい気持ちを必死に堪え、絞り出すように言った。
「人一人を、殺しかけたくせに、助かったから良いと、そういいますか」
「ち、ちがう、そうではなくて、だな」
慌てる国王。
大司教のみならず、ユリエラに対しての暴言ともとれる言葉に、神殿側の怒りはあっという間に高まっている。
それに気づかない国王ではないが、あまりの怒りの大きさに、若干混乱しそうになってきていた。
大司教の目の奥には、とてつもない怒りが見えている。
大きく深呼吸をしてから、大司教はまた言葉を続けた。
「ユリエラ様のおかげで、エーディト様は何とか持ちこたえましたが…どうしてこうも反省なされないのか」
「ぐ、ぅ」
そう告げると、王妃はかっと顔を真っ赤にしてから叫んだ。
「無礼な!大司教ごときが我が息子を罵るなど!」
「ご自慢の息子様は、数百年に一度の稀有な存在を殺しかけましたが」
「そ、そ、そそ、それ、は!」
反論した王妃だが、アルベリヒの罪を目の前に突き付けられれば、結果的に何も言えなくなる。
単なる王太子と神子の命の重さ。どちらが重いのかと、神自身が突き付けてくるなど前代未聞である。
それに、『たかが大司教』というが、神子が存在しない間、神の言葉を届けるという大切な役割を担っている存在だ。
国王や王妃に替えはいるかもしれないが、大司教になれる資格のある者は多くない。
大司教の替えはいないわけではない。しかし王族ほど多くないのだから、こうして罵られていい存在ではないのだが。
「…エーディト様は、神の花嫁になられる資格をお持ちのほど、それはそれは美しい魂をお持ちでいらっしゃる。…王太子殿下の代わりは、どうにかすればいるではありませんか」
大司教の言葉は尤もだ。
側妃の子の中にも王子はいるのだから、その人を王太子にしてしまえば良い。
それなのに、この国王夫妻は、それをしないのだ。
我が子可愛さとはよく言ったものだが、それが明らかに裏目に出ているというのに、修正しようとはしない。
悪意があるわけではないから、余計に質が悪く、エーディトやユリエラを苦しめるだけの存在になっている。
今、エーディトはゆっくりと眠り、力を回復させている。
完全に回復した、その日の先の未来。
短命ながらも伸びた寿命のぎりぎりの、命が尽きようとするまさにその日、エーディトは神によって娶られる。それはエーディト自身が一番わかっていることだ。
神子となり、エーディトが物心ついてから神自ら、彼女を花嫁と密やかに指名した。ごく一部の人しか知らない事実。
エーディトはその指名を受けて、当たり前のように微笑んでお礼を言ったのだ。
そして更に、こう続けて言った。
「良かった、私はちゃんと神の花嫁になれるのですね」
アルベリヒに攫われた時のことを心配しているようだったが、神は大して気にしていなかったらしい。
らしい、というのはユリエラから聞いたから、伝聞調になっている。
神からその言葉を聞いたエーディトは、とても嬉しそうだったとも聞いている。
だから、アルベリヒには、そもそも最初から入り込む隙間なんかないのだ。
エーディトが神の花嫁になることについて、無論、大司教は知っている。神殿の高位神官の一部も知っている。
そして、エーディトを敬愛するユリエラも、エーディトが神の花嫁になることは知っている。
神の花嫁になるには、その命が失われる必要がある。そして、何より純潔であること。
これが守られた状態のエーディトの死後、それは公表されることとなる。そう、アルベリヒが余計なことをしなければ。
なお、これまでの王国史において、神の加護をうけられない王族はいなかった。
そう考えると、アルベリヒに加護を与えないということは、とんでもない事態なのだが、国王は果たしてどこまで理解しているのか。
我が子可愛さに、今は目が濁っているとしか言いようがない。
神の加護を失った王族が居なかったわけではないが、アルベリヒのように『最初から加護を得られない』王族はいない。
そして、神の加護を失った王族が取れた最終手段が、一つだけある。
「ともかく、殿下にはしかと覚悟するようにお伝えなさいませ。…この事態を救えるのは、もう一つの伝説でしか無理でしょうが」
「…『聖女伝説』か」
「神子と聖女が同じ時を生きた前例は無いに等しい。…もっとも、願ってほいほいと来るものでもないでしょうがね」
条件がとんでもなく厳しく、なし得た王族はほとんど存在していない。
もしなし得たとしても、それは多大なる被害があるのだが、この国王夫妻は……果たして理解しているのだろうか。




