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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
夢  ~新暦180年~
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半透明な獣の件は、

 半透明の獣の件は、総督に始末を一任した。アレクセイ=レオーノフは、数いる総督の中でも公平かつ篤実な人柄で知られている。


 偶然見つけたゆえ対処したが、今回の主な仕事は将来有望な人材の確認。この小さな町において、イシュカという赤子の両親に会うことである。


「…御案内しましょう。いずれお越しになると思い、私からも話していました」


 総督府のあるハバロフスクから東、ここガヴァニは多彩な歴史を持つ港だ。そもそもガヴァニという名前自体、現地の言葉で『港』を意味する。『皇帝ニコライの港』『皇帝の港』『ソヴィエトの港』など政治の波に洗われて何度も名前が変わり。国どころか人類が滅亡の危機に瀕して初めて、ようやく本質に立ち返れたのは皮肉と言うより他ない。


 かつては流氷が訪れない季節のみ港湾設備を使えたが、大破壊の影響で地軸が傾いた――正確には地殻がマントルの上を滑った地図上のものだが――今ではかなり黄道に近く、日によっては冬でも汗ばむほどの陽気だ。


 軍事拠点としての意味は失われ、現在のガヴァニは純然たる漁港。海を愛する者達が周辺から集まり、養殖や漁に精を出している。


 アレクセイについてゆくと、二十歳前の夫婦が自宅の前で待っていた。


 産後の経過はよさそうだが、二人とも揃って顔色が悪い。これから話すことの概要を既に聞かされているからだろう。


「ニコライ=ヴァレリエヴィチとアクサナ=ユリアノヴナ、イシュカ=ニコラエヴナの両親です……こちらはアト様とアルフレッド様。前に説明しましたね」


「はい。二ホンのミレニアムから……遠いところを」


「立ち話もなんです。どうぞお入りになってください」


 この時代の住宅は、広く余裕がある。突然人口密度が百分の一になったため、世界中で土地が余っているからだ。それでも習慣的なものは変えられず、どこぞの島国のように小ぢんまりとした家を構えてしまう人々はいるが。理由は異なるものの、ここ極東ロシアでも同じようだ。管理の手間がないに越したことはない。


 エルフ達を客間に通すと、アクサナは茶を淹れるため台所へ。その間ニコライは心細そうにしていたが、家の中のものや時にはアレクセイに視線を向けてやり過ごす。情けないところは見せまいと虚勢を張るも、人数分の器とポットを携えて戻った妻の姿に安堵の吐息を洩らしてしまう。


 暫し茶の香りを楽しんだ。今なお人類には、昔ながらの潤いを嗜む余裕がある。


 一億人に減った人口は百八十年で二億人まで回復したが、それでも規模としては中世程度。かつての繁栄を維持するには足りない。多少なりとも賄えるのは、プレゼンターの高度な輸送技術により生産の分業ができているお蔭。


 しかし、それとてマナを消費する。早く経済を立て直し、化石燃料に代表される科学的なエネルギーに戻さなければ。


(科学的な……か。ユルハが聞けば笑うだろうな)


 アトの母親に聞かされたことがある。物事は全て科学的であり、非科学的なものなど存在しない。間違った解釈をしているか、説明し得る方法論を持たないから奇妙に映るのだ、と。ヴァチカンの科学研究に従事する聖職者と似通った思想である。


「あ、あの」


 ニコライが意を決したように口を開く。


 緊張に耐えかねたのもあるが、やはり気になったのだ。あらかじめ伝えられていたことと、今の状況が異なる点について。


「…聖賢王様も来られるとは思いませんでした。お……私達の娘は、そんなに特別なんでしょうか」


 聞きようによっては不遜な言葉だ。しかし彼に、そのようなつもりはない。むしろ授かったばかりの宝物が不幸に見舞われるのではと恐れている。


「私の説明が拙かったのでしょう。過度の不安を与えてしまいました」


「いや。よいことも悪いことも、包み隠さず話してくれた結果だろう」


 謝罪するアレクセイをアルフが窘める。アトもアルフの考えに賛成だ。断ってくれて構わないとすら思っているし、それゆえ子供達には事実を伝える必要がないとも。


「新暦生まれの皆には、分かりにくいかもしれない。だが俺達エルフも、元は普通の人間だった。個人差はあるが適性診断に合格し、自ら進んでクリメアとなった」


「頭では、理解できます。この港にもハーフエルフの人がいますから……何の取柄もない俺達から生まれた子が、どうしても繋がらなくて」


 話の続きをアトが引き取る。


「個人差、ってところが重要なんだ。僕は『地上の代理人』なんて言われてるけど、仲間が性能を引き出してくれただけ。アルフは元が優れてたし……アレクセイはギリギリだった。そのあたり君の娘さんは、調整を必要としないほど完全な適合性がある」


 総督は己の酷評に苦笑する。単純にエルフとして見た場合、事実アレクセイの性能は低い。それでも他のクリメアや原種の人間より優秀だし、出身地がアト達のいるミレニアム本部と近かった。何よりの理由は、温和で誠実な人柄を信頼できたから。


「イシュカは、あなたがた以上になれると……?」


「可能性はね。どんな子に育つか分からないから、アレクセイの逆も考えられる」


 優れた能力に歪な人格。一番よくない可能性だ。そうなってしまったら、両親には悪いがミレニアムの全力を以て粛正するしかないだろう。


「二人に頼みたいのは、娘さんを普通の子に育てること。他人を平気で傷つける人間にならなければ、それでいい」


 ニコライとアクサナは神妙に頷いた。責任の重さを噛み締めているのだろう。


「十三歳になったら、迎えに来る。それまでこいつが出没しても、あまり気にしないでくれ。この件とは関わりない、純粋な視察だ」


 最近サボっているからな、と睨みつけるアルフ。半分本当で半分嘘だ。各地の運営とアトに緩みが見られるのは事実であり、イシュカの件が関係ないというのは嘘。勝手に仕事を増やされたが、今ここで文句を言うわけにもゆかない。


「当然、断る権利もある。我が子に普通の幸せを望むなら、そうしたほうがいいだろう」


 今後この件については、巡察視という体で出入りするアトに直接相談することとなった。イシュカがエルフになれば、恐らく地方の総督では終わらない。最終的に三王の補佐、あるいは四人目の王として名を連ねることになろう。


「イシュカは今、どこに……?」


「奥で寝かせています。やっと泣き止んでくれまして」


 せっかくだから見せてもらうことにした。エルフ達の中で子育ての経験があるのは、曾孫までいるアレクセイひとり。子のないアトとアルフには分からなかったが、順調に育っているらしい。そのことさえ確認できれば充分である。


「夜泣きしなくなれば、少しは楽になるのですけれどね」


「はい。でも元気な証ですから……」


 最後にもう一杯紅茶をいただいて、三人はイシュカの家を退出した。

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