「・・・ここにいたのか」
「…ここにいたのか」
頭上から声がする。アトがアトであることを分かっている口ぶり。そのうえで対等の口をきくのは、この世に二人しかいない。
「アルフ。仕事はいいの?」
「これも仕事だ。お前とて、そのつもりで来たのだろう」
本の仮想視覚を押しやり、アトは怪訝そうに見返した。
やや間があって、アルフが溜息を洩らす。
「……ただのサボりか」
「気分転換だよ。脳の疲れは発想を固くするだろ?」
「お前は年中、転換してばかりだがな」
話を元に戻す。アルフとアトが二人で当たらなければならないほど、重要な案件を見落としていたということか。
ライブラリから今週の出生者リストを検索する。マナ許容量やクリメア適性が極端に高い人材をスカウトするのもアトの重要な仕事だ。ここ百年は飛びぬけた人材がおらず、人手も足りていたため、多少優れた子供がいても本人や家族のしたいようにさせていた。
ひとりだけクリメアになることは、誰かとの間に時間の壁を作ること。友人、兄弟姉妹、夫や妻、子供……特に最後のひとつが顕著である。子が自分より先に死ぬところなど、見たいと思うはずがない。況してや血が途絶えるなど。
「また出たの?」
「二人だ。ここ半年くらい、まともに調べていないだろう」
四か月前に女児、一昨日男児が生まれている。女児はオホーツク海沿岸の漁村、男児は北アフリカ地中海に面した都市だ。
「遠いなあ……今日は片方だけで」
「地続きでよかったではないか。これから毎年、交互に訪問するのだぞ」
「え」
それはどういう意味か。よもや言葉どおりの意味ではあるまい。
「今のうちに手懐けるのだ。セレスのライブラリによれば、女児はクリメア適性・マナ許容量共に最高。お前と同じように実質寿命がなくなるかもしれん。男児のほうはクリメア適性はそこそこだが、やはりマナ許容量が飛びぬけている」
言葉どおりの意味だった。頻繁に通い詰めて、よく来る近所の小父さんみたいな立ち位置を確保しろとのお達しだろう。
特に女児のほうは、将来を約束されたようなもの。アトやアルフレッド、ライオネルに何かあれば後継指名されるのは間違いない。男児のほうも才能は十分、数多の先人を差し置いて選ばれるだけの資格がある。
「十二歳までは親元に置け。情操教育も大切だからな」
「どうせ僕は、八歳で親から引き離されたよ。で、どっちから行くの」
「順番どおりだ。イシュカのほうが生まれが早い」
イシュカというのが女児の名前らしい。愕然とするライオネルに仕事を全部押しつけ、適当に飛び立つ。昔のように立派な飛行機ではない、プログラムどおりに往復する軽くて丈夫なだけの球体。そんなものでも日本と極東ロシアの漁村は目と鼻の先だ。
「…これ応用すれば造れるかな?重力遮断して、関節は繋いだふり……とにかく重すぎるんだよ。材料工学はほとんど進歩してないし……」
創術のお蔭で無反動ゆえ、考えごとの邪魔にもならない。移動は二十分ほどで終わり、別の球体から先に降りたアルフが着いたぞ、と促す。彼の端末はとうに折り畳まれ、不可視化して平時の外部補助タスクに戻っている。
一応安全のため、『球体』を発着できるのは定められた『空港』だけとなっている。翼のある飛行機とは異なり、滑走路は不要ゆえ大した面積ではない。広場の一角を立入禁止にし、発進と着陸を別々にすれば危険はない仕組みだ。
付近の住民達が集まってくる。物資だけを運ぶことも情報から複製を作ることも可能な昨今、生身の来訪者は珍しい。
「エルフだ……」
「神様だ……」
「何かあったのか?」
堂々と降り立ったのは失敗だったかもしれない。もっともこれからアトが通うことを思えば、果たしていつまで隠し続けられるか。
「とりあえず総督のところ行こうよ」
この土地を直接治めるのは総督。決めたのはアルフだが、頭越しに何かやって面目を潰すのはよくない。今後の統治に差し支える。
人事は地元出身者を優先した。そのほうが反発も少なく、かつ愛着があるため仕事にも身が入ろうというもの。ここの総督は真面目と誠実が取り柄の男で、報われることの少ない損な役回りを恙なく勤めあげている。名をアレクセイ=レオーノフという。
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「こんにち……わぁっ!?」
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
総督府庁舎の入口に立つアトを襲ったのは、狼のような四つ足の獣――ただし淡く半透明な翠色。あわや喉笛と覚悟するも、呑気な謝罪をした男が戻るよう命じるとあっさり離れていった。見た目も妙だが、もしや人の言葉が分かるのか。
「…君は?エルフではないようだが」
すなわち総督ではない。かといってハーフエルフでもなさそうだ。生得的に纏ってしまうマナの気配が感じられない。
「はい、エルフ様。俺はクリメアじゃありません。普通の人間です」
「では、ここの職員か」
「いえ。そういうわけでもなくて……」
ならば何故、建物の中から出てきた――総督府は旧時代の市役所などと違う。向けられた疑惑の視線が二対、さてどう答えたものか?正直に答えられない理由があるのかもしれない。たとえば……先程アトに襲いかかった半透明な獣、とか。
「質問を変えよう。それを作ったのは君か?」
後ろ手のサインで警戒を促す。二人の会話に紛れて『身体強化』を詠唱する。
「ええ。凄いでしょう?これは犬型ですけど、どんな形も作れるんです。人型にしたら労働力が増えますし……でも俺が考えてるのは、全く次元が違うもので」
全く違う次元。不穏な響きに話の先を促す。
「鳥です。本物のように羽ばたく翼で空を飛べたら、楽しいでしょうねえ。いつかきっと、いえ絶対成し遂げてみせますよ」
「完成したのは一つか?造りかけはあるのかな」
「これだけです。特に大事な材料が、なかなか手に入らなくて」
「そうか……」
大体分かった。そして即座に判決を下す――この研究は、危険すぎる。
「アト。頼む」
「了解」
何かが奔った。半透明の獣が反応もできないまま砕け散る。
男は一瞬凍りつき、慌てて翠色の欠片を拾い集めようとする。その腕をアルフが摑み、何事か唱えた。すると淡い輝きを放つ宝石達は、跡形もなく消え去ってしまう。
「今後、この研究を行うことは禁ずる。理由は次のとおりだ。一つ、兵器転用が容易なこと。二つ、実験に少なくないマナを用いるであろうこと。三つ、労働力不足の不自然な解消により人口増加圧が下がること。高次元からのマナ汲み出しと浄化がヒトの『魂』によっても為されることは知っていよう……四つ、人口が増えなければマナも増えない。地球の時間速度は遅れたままとなり、いたずらに外部の侵略を招く恐れがあること。以上」
黄金樹の汲み出し効率が優れているとはいえ、文明崩壊前にいた八十億の人口に比べれば微々たるものだ。文化的な視点からも、人口増による多様性の回復は欠かせない。
「もう一つ訊く」
何故?どうして?その問いをアルフは黙殺する。兵器転用できることは何ら禁ずる理由にならない。エルフという存在は、それほど圧倒的な戦力だから。実験に使うマナの量も、見込める利益と比較して検討すればよいことである。地球外からの侵略など、考えるだけ無駄に等しい。苦労性のセレスあたりは真剣に悩むだろうが、これだけの技術があれば、やる気のある異星人なら既にやっている。
本当の理由は、③と一部④だ。マナ密度を核攻撃前の七万倍にしなければ、今なお眠りに就く統制者達を起こせない。要するにアルフとアトの都合である。
「『手に入りにくい特別な材料』とは何だ。どうやって手に入れた」
統制者とライブラリの関係は、ライオネルにも詳しくは説明していない。説明すれば、ライブラリを惜しむエルフ達の造反がないとは言えない。
「このことをアレクセイは知っているのか」
「……………」
「もう一度訊く。特別な材料とは?その入手経路は?」
「……して」
固めた拳は、一握の砂さえ摑めない。
「どうしてですか!何がいけないんですか!普通の人間だって力が欲しいんです!どうして俺達が力を持ったらいけないんですか……!」
アルフ ⇒ 仕事人間。働かないと死んでしまう。
アト ⇒ 働くのは負けだと思っている。
でも他所の星に飛ばされたらアルフみたいになるかも。
まともな大人をほとんど知らない。