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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
忘れること  ~第二暦970年~
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第二暦951年、ニケイア国キュシュ島。

 第二暦951年、ニケイア国キュシュ島。


 戦後の武装解除で職を失った傭兵ルーナは、民間の環境保護団体に新たな食い扶持を見つけていた。キュシュ島のマナ浄化と、タイヤン島の時間遅滞解消に取り組む研究機関である。中世から生き続けている本物の魔法使いは貴重であり、普通の人間では立ち入れない汚染地帯の調査に新しい装備器具の開発に重宝する。


 無論、借り物の力は諸刃の剣だ。便利な反面、危険でもある。ゆえに今なお公安当局の監視がついていた――同盟国となったイーリカ政府の差し金で。


 ひらひらと手首を振りながら、わざと軽めに嘯く。


「私にできるのは、これくらいだものね」


「…そう」


 責任を感じているのだろう。ただ、その配分が少しばかり歪。


 それを言うなら、マナを扱えないリゼは全く何もできないわけで。


(これほどの被害でも現れない。本当にもういないのかしら)


 爆心地がどうなったのか。実のところ、あまり詳しく分かっていない。


 あのとき首都タンクオにいたリゼは、北の空に動かない土煙を見つけた。しかしそれは見間違いであり、土煙はほんの少しずつ晴れていた。地上から街を見通せるようになるまで十数年。赤方偏移する反射した陽光の彼方、今にも崩れそうな形で止まった建物と驚いて空を見上げる人々の群れがようやく見えた。


 理論物理学者達は、時間が遅れているのではないかとの仮説を立てる。古代の知識によれば、光の速さは不変だ。その特殊性ゆえに、速さを変動させるような力が働いたときは他の物理量に影響を及ぼす。今回の例は、光の波長である。時間の遅滞によって光の到達が引き延ばされ、そのせいで波長が長くなって見えるというのだ。


 ここまで知りながら、分かっていないと言ったのは理由がある。


 爆心地が文字どおり《見えない》ためだ。そこから発する光も、そこに入って反射するはずの光も出てこない。真球のそれは『ダークスフィア』と名づけられ、内部の時間は完全に止まっているだろうと推察される。あくまで仮説だ。


 同盟国かつ加害国でありながら、イーリカはほとんど情報を出さない――この場合、どちらかと言えば出せないのだろう。マナ工学の基礎研究に関しては、スオミやニケイアに二歩も三歩も後れを取っているのだから。


「ま、そこに私の食い扶持があるわけよ。感謝しないとね……おっと」


 リゼに軽く睨まれ、失言だったと首を竦める。数十万の人々が時間の彼方に閉じ込められているのだ。前向きに捉える要素などない。あるはずがない。


 とはいえ、軽口を叩かなければ続けられない気持ちは分かる。この遣り取りも、終戦以来繰り返してきたものだ。ここに来れば必ず会える――そんなルーナらしからぬ安堵を貰って、リゼはキュシュ島を離れた。


 次はタイヤン。今もパン屋を開いているアマンダとコタロウのところだ。


 前はコタロウの店だったが、名実ともにアマンダとコタロウの店になった。子供ができたことで、アマンダも腰を据えて居座るようになったのだ。頼んでもいない情報を勝手に集める無理をやめてくれたこと、リゼとしては嬉しく思っている。


 一度強制移住させられたが、戻ってこられるようになって戻ってきた。いつもコタロウに有無を言わせないアマンダが、このときは大人しく従ったらしい。


 会う機会が増え、アマンダについて新しく知ったことが幾つかある。


 まずクォーターエルフとしての出自。色の薄い容姿ゆえ誤解していたが、先祖のエルフは黄金樹由来ではないそうだ。子だくさんで有名だった、ミレニアム時代のとある総督の末裔。治めていた土地は生まれ故郷のスオミではないという。


 年齢は思ったより若く、出会った時点で三十を越していなかったとのこと。あのときコタロウは二十歳だったから、まあ歳上なのは確かだったわけだ。本当は親子ほど違うのではないかと今でも疑っているが、クォーターエルフの寿命は獣人の倍。バレて大喧嘩になることはないだろう――先立たれたら文句も言えない。


 興味本位と濁しつつ、こちらの目的も話した。晩年の元総督アレクセイから、聖賢王アトが生きているかもしれないと聞かされたくだりには渋い顔のアマンダ。命が惜しくて国と民を投げ出した臆病者とでも考えているのだろうか。


「神様に会えたら、伝えてほしいの」


 彼女と会う度、頼まれていることがあった。


 先祖代々の遺言らしい。遠い過去の話にしては、妙な実感が込められている。


「…『裏切り者』って」

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