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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
幸色の季節  ~第二暦450年~
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意思統一が図れないまま

 意思統一が図れないまま日没を迎えた。


 何もしないよりはマシと、メリルの指導で村の周りに罠を張る。


 結果としてアレクの案を採用する形になったが、見守るルーナの視線は冷ややかだ。再びここに来るとは限らない、もっと遠くへ逃げられてしまうかもしれない、見失ったら報告の報酬すら貰えなくなる――などと考えているのだろうか。


 その不安は正しい。被害が広がるという意味でも、報酬を貰えなくなるという意味でも。彼らの仕事は魔獣の駆除であって、必ずしも村の防衛ではない。


 見張り兼仮眠場所として、一応男女別に家畜小屋を宛がわれた。


 村人達は知らないことだが、こういうときの冒険者は性別など気にしない。


 ただ……今この状況にあっては、有益な配慮だった。アレクとルーナを引き離し、二人の頭を冷やすためには。


「どうだ。少しは落ち着いたか」


 小屋の外を窺いつつ、背中越しにドワーフが語りかける。


「……はい」


 壁際で俯いたまま答える。半ば不貞腐れているようにしか見えない。


「その様子だと納得しておらんな?…まあ正直、お前さんの策もよかったとは思うが」


「え?」


 驚いて訊き返す。ならば何故、あのとき応援してくれなかったのか?


「私も、そう思いますよ。別にあなたの考えが、ルーナさんのものに劣っていたわけではありません」


 相変わらずの不審な笑い。だが言葉の意味は、それ以上に意味不明で。


 どういうことですか――摑みかからんばかりの勢いを察したドラッドが、掌を下へ向けて抑えるように伝える。


「まあ、待て。落ち着け……あのとき、俺達まで反対に回ったらどうなった?ますます収まりがつかなくなっとったぞ」


 ルーナのことだ。


 即席パーティの中で一対五。想像してみると、かなり堪える。


「そういうことですよ。どっちでもいい、くらいにはあなたとルーナさん両方に賛成だった。だからあの場は、彼女の華を奪いませんでした。もっとも本当に命が懸かってたら、どうするか分かりませんけどねえ」


「……………」


「さて、そろそろ代わってくれ。疲れてきたから、仮眠を取りたい」


「あ、はい」


 藁の上で横になると、すぐ寝息を立てはじめた。こういうところも、先輩冒険者として凄いと思う。学びたいと思う。


「サイラスさんは……」


「サイラスでいいですよ。敬語も要りません」


 そのくせ自分はやめない。どうしたものかと悩むが、やがて諦めた。自分より頭のよい変人の考えることなど、気にしても無駄。遠慮なくさせてもらうことにする。


「…サイラスは何かなかったのか?『学び舎』では戦のことも教えるんだろ」


「そうですねえ……」


 しばし考え、はたと手を打つ。


「毒餌を撒きます。そうすれば」


「却下だ。子供が拾ったらどうする」


 落ちがついたところで、息せき切ったメリルが家畜小屋に駆け込んでくる。


 傍目にも分かる慌てぶり、尋常ではない。


「たたた大変だよっ!」


 あまりの騒々しさに、眠っていたドラッドも目を覚ます。


 何が大変なのだろう。素早く呼吸を整えると、涙目で早口に叫ぶ。


「…狼がさらわれて、ルーナちゃんとエリザちゃんを子供が追いかけてったよぅ!?」


「「「…は?」」」


 取るものもとりあえず、月下に飛び出していった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 魔獣化した狼は歪である。


 そもそも喉がない。膨張した肉腫に塞がれ、食べても喉を通らない。


 いや口に含むことすらできない。それが向こう見ずな少年にとって幸いした。


「あ……あっ」


「退がりなさい!」


 爪と牙が空を切る。


 噛み砕けない。飲み下せない。


 なら持ち帰ろう――そう思っても、異常なほど発達した肉腫が邪魔をする。


 食欲はあるのに、満たすことはできない。その煩悶。


 ますます狂暴化する。もはや呪いと化した本能。


 それが魔狼と呼ばれるもの。


「…お、お姉ちゃあん……」


「大丈夫です。わたし達が必ず、あなたを無事に連れて帰りますからね」


 足にしがみついた少年を優しく諭す。


「…ちっ」


 エリザはそう言ったが――この状況では嘘でも正しいのだが――状況はかなり悪い。剣を握れるようには見えないし、そもそも持っていない。それはルーナも同じだ。


 素手で殴り潰す強者もいるにはいるが。二人とも平凡な乙女の細腕である。


「仕方ないか。これは、あまりやりたくないんだけど……」


 ルーナが前衛、エリザが後衛。その間に男の子。できるできないは関係ない。


 心の扉を開けてゆく。精霊を迎え入れるために。


 今この場に相応しいのは、全てを焼き尽くす炎。


 赤みが増す、というのとは違う。エルフの白い膚に薄く紅が差す。


 腰まで伸ばした砂色の髪は、燃え盛る紅蓮の焔に。


 精霊の憑依だ。依代は自らの肉体を器として、精霊の力を使うことができる。


 言葉は発しない。ただ本能の赴くまま、衝動を解き放つのみ。


「…ルーナ、さん?」


 不安げなエリザの呼びかけには答えず、跳びかかってくる一頭に片手をかざす。その指先からマナが迸る。瞬く間に炎上、狼は生焼けの不快な臭いと共に倒れ伏した。


 一撃である。火を恐れない獣はいない。それは歪な魔獣と化しても同じのはず。


 まるで別人のルーナは、ゆっくりと利き腕を下ろした。


「去り……なさい。今なら、追わない……」


 残念ながら、歪な魔獣は本能も歪だった。


 恐怖よりも食事を邪魔された敵意のほうが先立つ。


 残り七匹。カウンターで一匹ずつなら、どうにかいけるかもしれない。だが……もしも一斉に跳びかかられたら。


 焦るルーナの胸のあたりを、何やら温かいものが満たしてゆく。食後の茶でも飲んでいるような、落ち着いた気持ちになる。心なしか、手足も軽いようだ。


「…護りの術をかけました。多少は攻撃を防げるはずです」


 エリザから特別な気配は感じない。全ての人間が持つ、ごく普通のマナだけだ。『道術』と呼ばれる道士達の奇蹟か。


 道術に同じものはない。全て道士個人の性格に由来する。


 このエリザという娘は、心の底から誰かを守りたかったのだろう。自分が傷つきたくないだけなら、そのような力になったはずである。


(負けられない。この子達は、絶対私が護ってみせる)

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