アレクセイの昔話は、
アレクセイの昔話は、目の前に並ぶ料理のことから始まった。
ピッツァ、クラッカー、餃子、沢庵漬け――知っているものもあれば、知らないものもある。たとえば餃子などは、皮こそ薄いが元は中原発祥のはず。北方に住む民族の伝統料理とは思えない。
「そうです。これらは全て、ミレニアム本部の国でローカライズされたもの。今は『禁断の地』と呼ばれていますが……あの頃までは『ニホン』と」
神聖独裁により栄えたミレニアム。その支配者たる三人の王を倒し、捕えた神々のマナを礎として空前の魔導文明を築きあげたドーア帝国。
後者もまた三百五十五年前に滅んだが、原因は未だ不明瞭な点がある。
天才的な法創術師ドーアが発明した術式代行システム。マナ許容量ゼロの普通人でも術式を扱える、それこそ奇蹟的な代物だ。ミレニアムの高度な技術に慣れた人々にとっても革新的であり、今後も更なる進歩発展が進むだろうと考えていた。
ところがドーアは、社会基盤としてのマナ供給体制を調えると研究をやめてしまった。それでいて六百七十年後の帝国末期、囚人となっていた彼は突如研究を再開する。
それから九十九年後、実験中に事故死したと言われている。彼は術式代行システムの微調整も行っていたが、八百年近く経っても後継者が育たなかった。高度な専門知識とマナ許容量を必要とし、両方を兼ね備えた人物が見つからなかったのである。
結果、徐々に暴走。増える一方で減らないマナが、帝都たる空中都市の直下に溢れた。著しい時間加速により、長寿のハーフエルフでさえ命を絶たれてしまうほど。
他の空中都市に、そこまでの被害は出ていない。膨大な技術遺産の宝庫として、文字どおり垂涎の的になっている。
だが帝都だけは事情が違った。術式代行システムに組み込まれた神が、高位のエルフたる王達だからに他ならない。
「…ドーア君が死んだと聞かされたとき、私は耳を疑いました。彼なら不老不死にも手が届くと、そう思っておりましたので」
エルフなどへの人工進化を違法と定め、それに反したゆえ自ら囚人となった皇帝。
禁を犯した理由は、妻の魂の再現に関する研究だったという。その完成を待つには、寿命が足りなかったからとか。
自己紹介の他は一言も発しない魔女に視線を向けてみたが、黙ったまま俯いて首を横に振るのみ。先程の妖艶さとは似ても似つかず……何というか、どことなく幼い。
「隔世遺伝のハーフエルフゆえ、マナ適合力には恵まれましたが……その子は見た目どおりの年齢ですよ。当年二十二歳になります」
さすがに何代目かは忘れたが、可愛い大切な孫娘だとも。
それで納得する。あの仕草は知らない人に会うための『鎧』だったのだろう。
「…もう一つ、提案があります。法創術は残念でしたが、真言法を使う方法です」
リゼの病気は、ほとんど過去の辛い記憶が原因。ならば、その記憶を消してしまおうというのだ。
創世神セレスティアの尊称は、現在のセレスティア教団がつけたもの。ミレニアム時代より昔は――アレクセイが知ったのは暗黒時代だが――統制者セレスティアと呼ばれていた。帝国滅亡後、聖賢王アトの遺産を調べるうちに分かったことだ。
ミレニアムから帝国への移行は、半ば法術王アルフレッドの目論見だったこと。
いつその時が来てもよいよう、聖賢王アトは引継ぎの準備を進めていたこと。
創術王ライオネルの腹心が暴走し、後継者にするつもりだった女を殺されたこと。
聖賢王アトから皇帝ドーアへの引継ぎ情報の中に、術式代行システムと統制者セレスティアの正体に関する記述があった。
それによると、創世神セレスティアは世界を創ってなどいないという。破壊神セラも破壊者ではなく、邪神アウラも邪悪な存在ではない。
セラとアウラは同じく被害者であり、セラの救出を優先する魔女ルースアとアウラの救出を優先するセレスティアの利害が対立した。
ちなみに二人とも、両方助けられるならそれに越したことはないと考えていた。神話の登場人物は皆、元を質せば仲間同士だったのだと。
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「前置きが長くなりましたが、この世界には真言法と原理を同じくする系統が二つ。忘我の統制者セラの記憶と、消えた統制者アウラの記憶……それぞれが統制者となった後に生まれた人類の歴史は、残らず刻み込まれています」
「つまり、お師様の記録も……?」
「セレスの記憶から任意の時期を選び、今のリゼ殿にアップデートします。それでまた動けるようになるでしょう」
西方で事件が起こる前のリゼを再現できる――要約すれば、そういうことだ。
ただし、これには大きな問題が二つある。
『治療』の効果かつ副作用として、肉体のみならず記憶と精神も巻き戻されること。心の傷をなかったことにする一方、それ以後の出来事を全部忘れてしまう。
「この三十年にあったことを、伝えねばなりません。体験は主観と選択があってのもの……また傷つくでしょうが、今ほど深刻にはならないはずです」
「…おじいさま。その仰りようは」
リゼの想像力を侮っている、と言いたいのだろう。
だが事実である。現状より悪くなるとは思えなかった。
己の三十年が無為に失われるとしても。
もう一つの問題は、アレクセイの希望と関係している。
ミレニアムの首座にしてアレクセイの師、聖賢王アトが今も生きているのではないかということだ。
もちろん生きている。だが一般に伝えられているのは、彼を含む三人の王が帝都イシュカ直下の術式代行システムに囚われているというもの。
アレクセイの考えは、そうではない。今この瞬間も深山幽谷に引きこもり、あるいは人混みに紛れながら暮らしているのではないか、と。
ドーア帝国の滅亡時、マナが溢れることを予測して島からの脱出を説いてまわった人物がいたという。一部の人々は大陸の南にある別の島へ向かって難を逃れたが、信じなかった人々は時間加速の領域に呑み込まれて瞬時に命を落とした。
この警告を発した人物こそが、聖賢王アトではないかと思うのだ。
術式代行システムを熟知していなければ、このような真似はできない。
帝国の魔導研究者にとって、術式代行システムとは生まれたときからそこにあるもの。言わば太陽と同じだったのである。
またリゼの巻き戻しには、膨大なマナを必要とする。過去を変えないとはいえ、人間ひとりの情報を丸ごと書き換える、況してや国ひとつに大きな影響を及ぼした人物だ。彼女が再び動くことで、どれほど激しく未来が変わるか。
もしも聖賢王が生きていて、それを容認できないと考えたなら。そのときは必ず、アレクセイやリゼ達の前に現れる。アレクセイはリゼを善き存在と看做す一方、彼女を蘇らせることの副作用にも期待しているのだ。
「…アト様のお考えは、正直分かりません。喜ばれるかもしれないし、逆かもしれません。いずれ私には、もう時間がないのです」
これまで感じたことのなかった、肉体の衰えを感じるという。
エルフとしてのアレクセイは、アトのような個別調整型やドーアのような完全適合者ではない。プレゼンターの強化式をそのまま導入した、いわゆる簡易量産型。人工進化から千三百年、そろそろ不具合が出てもおかしくない。
だが何のために?
アレクセイら総督は、聖賢王と法術王に見捨てられたのだ。
偶然助かったものの、騙し討ちにも等しい。
そこまでされておきながら、まだ師の考えをなぞろうとする理由は。
「…答え合わせ、でしょうか」
しばし考え、呟いた総督は気恥ずかしそうに微笑む。
遠い過去を見つめる瞳が映すもの。余人には知りようもない。
「エルフだから何でもできるのですが、私は何をやっても平凡で。今度こそ後れを取るまい、師に褒められたいと。それだけなのかもしれません……」
翌朝、リゼは若き日の姿に戻った。
そして老いた一番弟子と共に、人々の前から姿を消したのである。




