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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
始まりの仙人  ~第二暦291年~
34/210

リゼは十二歳になった。

 リゼは十二歳になった。


 だが、そのことを理解できる彼女ではない。


 数えかたを知らないのだ。


 あれから二年。野山でひとり木の実や魚を獲って暮らす。


 数など両手で足りるくらい分かればよい。


 火の熾しかたも知らないゆえ、食中毒に悩まされることはしばしば。


 とはいえ、しばらく休んでいれば治る。それが異常なことだと気づかなかった。


「…ふむ。目覚めかけておるな」


 間近に人の声を聞いて、リゼは大樹の根元から飛び起きた。


 息苦しさと手足の痺れ、腹の痛みも一時忘れる。


 人間は危険だ。寝ている間に攫われたり、知らない土地へ運ばれたり。


 食べるために狩りをする獣とは違う。


「だが、言葉を忘れつつもある」


 老人は穏やかに笑った。


 リゼは警戒する。縄張りを侵された獣のように。


「また来るよ」


 その言葉どおり、老人は辛抱強く通った。


 遠くから声をかけ、または単に居座り。少しずつ存在を認めさせてゆく。


 どうにか話ができるようになると、老人は訊ねた。


「思い出してみなさい。突然身体が軽くなったり、力が強くなったりしたことはなかったかね。そのとき何かを強く願ったか……命の危険に曝されたはずだ」


「……そう、です。両方とも」


 二年ぶりに人の言葉を話した。


 今の今まで、自分が何者か忘れていたというのに。


「…リゼ……」


「リゼというのか。家の名前は?」


 思い出せなかった。左右に頭を振る。


「そうか……」


「ない。いません。同じの、つかうひと」


「そうか」


 汚れた金髪を優しく撫でると、碧い瞳を覗き込む。


「君は、まだ若い。このような山奥に籠るなど、五十年早い」


 穏やかながら、叱るような口調だった。


 老人は自らを『ダオシイ』と呼んだが、名前ではないらしい。


 『道』を修める者、すなわち『道士』。


 無為自然の力は、生きとし生けるもの全てに宿る。リゼの怪我がすぐ治り、食中毒になっても死なないのは、そのお蔭ではないかと。


 道士の力は、それぞれ異なる。各人の個性を反映したものになるという。


 すなわち往生際が悪く、食い意地が張っていると言われたに等しい。


「世界を見るのだ。君には可能性がある。大きな、大きな」


「……………」


 それからリゼは、老人と三年の時を過ごした。


 ある日、訊ねたことがある。あなたが師ではいけないのですか、と。


 翌朝、いつもの塒から老人の姿は消えていた。


 とうとう山を下り、人里に出る決意をしたのである。

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