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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
理想の国  ~新暦193年~
24/210

「・・・特別授業?」

「…特別授業?」


 ドーアとイシュカは、師匠の言葉を鸚鵡返しに呟いた。


「うん。といっても実態は、正式採用前の候補生をタダ働きさせる違法行為でしかないんだけど」


 いつもの皮肉めいた口調だが、ランディの表情に余裕はない。恐らく本当に困っているのだろうと読み取れる。それも人手が足りず、それでいて今すぐ解決しなければならない喫緊の問題。学び舎には少ないながら、エルフの教授達や大人のハーフエルフもいるはず。彼らには頼れない、しかし未だ人間であるドーアとイシュカが役立つ仕事とは。


「…いずれ君達には、伝えようと思っていた。これは聖賢王アトと法術王アルフレッド……それ以外は限られた数名しか知らされてないことなんだ」


「……………」


 その言い方には違和感を覚える。まるで創術王ライオネルが遠ざけられているようにも聞こえるからだ。にもかかわらず、エルフ候補生とはいえ一介の生徒に教える。機密管理の視点から言えば、明らかにバランスが取れていない。


 このまま手を拱いて、事態が好転することはないのだろう。気になることは多かったが、師に対する信頼のほうが勝った。


「…話してください。何があったんですか」


「あんたのことだ。本当に俺達の助けが要るんだろう」


 無言で頷くと、直ちに本題へ入る。


「立入禁止区域の内側へ行って、そこから出ようとする者を捕捉してほしい。確保じゃないよ、見つけて報告するだけ……特定できればいつでも追跡できる手段があるから、後のことは僕のほうで対処する」


 仕事の内容としては単純だ。さほど危険があるとも思えない。


 問題は場所のほう……立入禁止区域。創術王ライオネルが知らないというのも、それを説明されれば頷ける。立入禁止区域とは、王であれ原則立入禁止なのだ。


 ミレニアム本部ネムロを含む地域は、特別行政区と呼ばれている。三分の一以上が立入禁止区域の島国であり、同じ扱いをする行政区が他に存在しないゆえ。


 何故立入禁止なのか。その理由は明らかにされていない。知っているのは聖賢王と法術王だけと言われており、唯一同格の創術王が知ろうとしないため下々は気を揉むしかなくなっている。陰謀論まがいの妄想だけは、多種多様に独り歩きしているが……


「前々から気にはしてた。でも入ってすぐ引き返してたから、向こう見ずな生徒の誰かが悪戯してると思ったんだけど」


 じっ、とドーアのほうを見つめる。そういうことを一番やりそうなのは、確かに彼かもしれない。もっとも容疑は晴れたゆえ、今こうしているのだろう。


「今度は引き返さなかった。目的は分からないけど、進ませるわけにはいかない」


 仕事にあたり、捜索用の新しい術式を教えられる。これまでと毛色が違っていて、使う言語もフィンランド語ではなく英語でよかった。発動の仕方も指先にマナを集めながら文字を書く。声を出さずにできるのは、隠密行動を取るうえで都合がよい。


「ランディさんは、どうするの?」


「僕は行くところがある。立入禁止区域の奥のほう。もし入り込んでたら、力ずくでも追い出さないと」


 ランディの仕事が終わるまでは、ドーアとイシュカの仕事も終わらないことを意味する。これはかなりの長丁場になりそうだ。


「じゃあ、よろしく。これが済んだら、『偵察演練Ⅰ』の単位を進呈するよ」


 ミレニアムの教育は、このように軍事的な内容も含む。生まれつき身体能力に優れたハーフエルフは、精神的な向き不向きがあっても訓練強度の問題はない。一方で二十歳未満のエルフ候補生は普通の人間であり、人工進化するまで座学のみに留まる者が多かった。


 イシュカも、そのひとりである。頑健なドーアは十五歳の頃からハーフエルフ達に混じってフユミと組手をしていたが、イシュカの授業は平凡な体力作りだった。つまり万一敵と遭遇しても、今の彼女には逃げることしかできない。


 だから報告するだけでよいのだろう。隠れて探索結界を維持しつつ、引っかかった侵入者の個人情報を検索する。それをランディに送信すれば任務完了だ。


 イシュカは北、ドーアは南にそれぞれ陣取る。敵がどこの誰か分からないため、治安部隊にも作戦内容を伝えられない。警備の網を避け、海路で直接進入する。ドーアが上陸したヨコスカには合衆国軍の基地があった。目標地点のコウフまで走る――直線距離百四十キロメートルはあるが、身体強化の創術を使えばすぐだ。イシュカもハチノヘから上陸してトワダ湖へ。こちらの距離は半分強、かなり近い。


 ドーアは休まず、イシュカは休憩を挟みながら二時間ほどで到着した。


「『キティ』配置完了。これより術式の展開に移ります」


「『パピィ』配置完了。これより術式の展開に移る……」


 ドーアの声音が低い。どうしたのか訊いてみると、コードネームが面白くないのだという。


「仔猫と子犬って……今でも俺達は、そんなふうに見えてるのか?」


 愚痴を聞いたイシュカがくすりと笑う。


「ぴったりじゃない。昔養護院の子達も一緒に、追いかけっこしてたんでしょ?きっと先生には、子犬がいっぱい走ってくるように見えたんじゃないかな」


 そのランディは今、無線を封鎖している。真意を訊ねることはできない。


「可愛がってくれてるんだよ。わたし達のこと」


 彼は、あまり気持ちを表に出さない。感情的な言葉を並べるときも口調が平板で、本音かどうか測りかねるところがある。見た目の年齢は追い越してしまった。それだけに棄てられた子供のような気がするときも。


 住民記録に彼の情報はあるまい。文明の破壊前から生きている最初期のエルフ。それ以上のことを知っているのは、同じく二百年以上の時を生きたクリメアだけ。


(何者なんだろうな。本当に)

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