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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
理想の国  ~新暦193年~
22/210

新暦〇一九五年六月、

 新暦〇一九五年六月、行政区都ハバロフスク。


 郊外の小さな正教会で、結婚式を挙げる夫婦があった。イシュカとドーアの親しい友人エレナ=エレメエヴナと、彼女が将来を誓いあった地元の原種男性である。


「おめでとう!」


「おめでとうございますエレナ様ぁ!」


「ひゅーひゅーエレナっちぃ!ところで元気なお子様はまだデスカ?」


「ちょっとぉ!こういうときくらい、ふざけるのはやめなって」


 フユミとマリコも、招待されて田舎から来ている。五人で揃うのは久しぶりだが、ドーアだけは男子ということで早々にお払い箱。式前夜は急遽の女子会に突入し、新郎と廊下や談話室で顔を合わせては微妙な挨拶を交わすことになる。


「…大変ですね。何というか、すみません」


 別にドーアが謝ることでもないのだが、つい頭を下げてしまう。さすがに三度目ゆえ馴れたようだが、エレナから話を聞いていた彼も最初はひどく驚いた――世界に百人といないエルフ候補生が、普通の人間男性を侮らないことに。


「いえ。僕のほうこそすみません。五年ぶりの再会なのに」


 それぞれ長い相手と短い相手がいるが、エレナにとってはそのとおりだ。一番最初に卒業し、単身故郷へ戻った彼女にとっては。マリコとフユミら姉妹のような、一緒に留学した家族もいない。


 ドーアとイシュカは、この三年も互いに一緒だった。仲間から引き離されたという疎外感を覚える可能性があったのはエレナひとりだけ。その意味では、新郎が彼女の寂しさにつけ込んだとも言えるが。人生の転機など、そういうものだ。


 この式に呼ばれたときから、どうしてもドーアの頭を離れない事柄がある。


「…気にならないんですか。寿命のこと」


 はっきり言い過ぎた。それも唐突に。しかし、既に通った道なのだろう。新郎は笑みを絶やさぬまま、穏やかに頭を振る。


「僕が順当に年老いても、エレナは今と変わらない。彼女の人生を何分の一か貰って、旅立つことになるでしょう」


「…何分の、一……」


「全部いただいてしまうと、かえって心配になります。僕が死んだ後どうなるのか」


 ドーアは息を呑む。それは思いやりだ。新郎は自分のことより、本当にエレナのことを考えている。寂しさのあまり、妻が不幸にならないように。


「僕個人なら思い上がりでしょうが……できれば残りの多くは、僕達の子孫が埋めてくれると嬉しいですね」


 照れくさそうに言われて、初めて納得がいった。自分の死後に再婚されるのは、やはり複雑らしい。妻が生きているうちに愛人を作る、トリポリのアーキル総督みたいのは論外だが。巡察視時代のランディにくっついて時々養護院にも来ていたファドワは、六人めとの間に生まれた子供である。


「…そう、ですね」


「もちろん、違う答えもあると思います。これは先に逝ってしまう側の僕の、一方的なものの見方ですから」


 そうかもしれない。だが参考にはなった。


 ドーアは残される側だ。皆が同じように考えるのだとしたら……少し寂しい。


「エレナさんのこと、よろしくお願いします……俺が言うことでもありませんが」


「いいえ。何分の一かを占める友人の皆さんには、それを言う資格があります。あなた方の未来に、大いなる幸福があらんことを」


 翌日。結婚式は恙なく終わった。恒例のブーケトスは、フユミがマリコに取らせようと画策するも運悪くコケてしまい、近くにいたフユミが反射的に摑む。尻尾を踏まれた猫のように鳴くマリコ、それを見て大笑いするイシュカ。


 宴のあと。ネムロへ戻り、学び舎へ行く途中の海辺。


「なあ。イシュカは、どう思う?」


「ん」


「エルフは寿命が長い。普通の人間と結婚したら、相手だけ先に死んでしまう。つまり……」


 立ち止まって振り返る。それは何か面白そうなものを見つけた目で。


「ほうほう。ふむふむ」


 この調子で八年になる。軽く睨みつけるが、話はやめない。


「子供もハーフエルフだから長生きだろ。ただ先に逝くのとは違う。自分だけ取り残されたような気持ちにならないのか」


 家族や友人がパーティを開いているのに、自分だけ呼ばれなかったような。そんなことをする相手は家族でも友人でもないと思うが、まあ寝込んでいたからとしよう。この場合、原因は『永遠に目覚めなくなる病気』。残念なことに治る見込みは全くない。


「そうねえ……」


 左手を口元に当てて押し黙る。視線が空と海、ドーアの間を行ったり来たり。意外と真面目に考えているらしい。やがて、その動きが止まった。


「むしろ逆じゃないかな。家族みんなに囲まれて逝けるって、幸せじゃない?」


「……そういうものか?」


 いざ答えを聞いてみると落ち着かない。イシュカがどのような想像をして結論に至ったか。そちらのほうが何となく気になる。


「少なくとも、わたしはそう。でも、どうしてそんなこと……あぁ、分かった」


 ここ数年で一番、とっておきの悪い顔をする。


「ドーアは寂しいんだ?そっかそっか」


「勝手に分かるな。俺は別に」


 エレナが結婚したことで、また少し仲間が離れていったと感じたように思われたのかもしれない。なくはないが考えすぎ、相手の男が立派で安心したくらいである。


 こういうときのイシュカはウザい。たった四か月早く生まれただけのくせに「よしよし。お姉さんが慰めてあげるからねー」攻撃をどうやってかわすか。我ながら進歩しないなと思いつつ、それだけを悩んでいたのに。


「じゃあドーアは、わたしと結婚しよう。エルフ同士なら、ずっと一緒にいられるよね」


「は!?」


「約束。わたしが二十歳になったら結婚ね。大事なことだから、忘れないように」


 一方的に決められてしまった。しかし、そんないきなりの話を受け容れている自分がいる。驚くほど違和感がない。とはいえイシュカ以外の相手に言われたら、たとえマリコやフユミであってもこうはならないだろう。


「…こういうのは普通、誕生日が遅い俺のほうに合わせるんじゃないのか?」


「わたしだけエルフ化しといて逃げられたら嫌でしょ?」


 随分酷いことを考えるものだ。そこまでやったら殺されても文句は言えない。


「…まったく。信用がないんだな……」


「男の子は目移りしますから」


 女はしないのか。大体寂しがっているから結婚してあげるなんて、気紛れ以外の何物でもない。イシュカの上から目線は、別に今始まったことではないが。


「早死にして逃げるかもしれないぞ。寂しいだけなら、それでも解決だ」


「約束、もう一個追加。二十歳の誕生日が来たら、必ず速やかにエルフ化すること。ただし相手がしなかった場合は、その限りではない」


 言葉の意味を咀嚼する。先に誕生日を迎えるイシュカが、四か月後のドーアの誕生日になってもエルフ化を済ませていない場合は、ドーアもエルフ化しなくてよい。あるいは、しないほうがよい――ということになる。


「……迷ってるのか」


「うん。お父さんとお母さん、ランディさんにも昔から言われてるの。長く生きることが幸せとは限らない、って」


 月並みな話だが、真実である。エルフの長寿は、医療が進歩して健康寿命が延びるとかそういう次元の話ではない。いつ死ねるのかも定かではないのだ。


 最悪、本当に死ねない可能性もある。


 自殺すれば死ぬだろうが、それは極端すぎる話だ。永劫の孤独の果てに心を病んで――などと、親でなくともそのような最期を想像したくない。


「…でも、ドーアが一緒なら大丈夫。結婚するならエルフ化もする、結婚しないならエルフ化もしない……なんて。ごめんね、選択を押しつけるような真似をして」


「いや。構わないさ」


 自分も同じだから。先に誕生日が来るイシュカを見て決めようなどと、狡いことを考えていた。何もしないで流れに乗れる分、より性質が悪いと言えるかもしれない。


 イシュカは自分から踏み出してきた。その覚悟に応える。


「分かった。どちらを選んでも一緒に生きよう……約束だ」

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