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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
理想の国  ~新暦193年~
19/210

「相変わらず暑いね・・・・・・」

「相変わらず暑いね……」


 炎天の昼下がり。最後の巡察を終えて戻ったランディは、アルフの執務室へ直行した。一番涼しいからだが、それとは別に他の目的もあったのである。


「後任への引き継ぎ完了。明日から、ここの仕事に取りかかれるよ」


「そうか。正式な辞令は来月になるが……それまで精々扱き使うとしよう」


「…前言撤回。まだ課題は山積みかな。二週間くらいかかると思う」


「了解した。では引き続き、ドーアの転出まで見守りを頼む」


 いつになく物分かりのよい反応に、ランディのほうが拍子抜けする。


「……いいの?」


「意味もなくガヴァニで昼寝したりしなければな」


「あっちはアレクセイに任せとけば大丈夫だから、行かないけど……」


 漁師の娘イシュカは、エルフ候補生となって本部の学び舎に留学している。


 それが三か月前のことだ。保護対象がいなくなったガヴァニへは、普通の巡察視ランディはともかく王のひとりであるアト自らが出向くべき理由はない。


「挨拶回りがあるだろう。義理を欠かすな」


 この十三年間、多くの人々と関わってきた。王としてではなく、いつまでも大人になれない落ちこぼれエルフのランディとして。外見の幼さは年齢制限前の古株である証――だがそれを知らない者達は、彼より百五十歳も若い大人達は。無知ゆえにランディを普通の少年として扱い、叱り、甘えさせてくれた。


 喪われたものを取り戻すことはできない。しかし別のもので埋め合わせることはできる。それを認めるか否かは、全て本人次第。


「…やっぱり、ひと月かかるかな」


「辞令はドーアの誕生日付けにしておく……それから、ひとつ問題が発生している」


 三か月前に引き継いだイシュカのこと。期待どおり元気にやっていると聞いた。人見知りせず気遣いもできる彼女なら、さもありなんと思ったのだが。


「…メンターの人選だ。気兼ねなく話せるよう、エルフ候補生同士を選んだのは分かる。だが……どうしても別の意図があるように感じられてならん」


 悪意があるというのではない。学び舎の学長は、人格者で知られたハバロフスク総督と同じくらい信用できる。ただ彼の場合……意識が高い聖職者にありがちな、人の善性を前提としない議論に眉を顰めるようなところがある。この采配がイシュカではなく、メンター役の生徒のために為されたのではないかと疑うのだ。


 そういうことは、往々にしてある。後輩のメンターになること自体、将来指導的な地位に就くための練習だ。それにしても今回の件は、配慮を欠くと言わざるを得ない。エルフ候補生が少ないとはいえ相手は異性、何より入学時から二週間も顔を合わせなかったと。ようやく会ったかと思えば、飾らない性格で人気者となったイシュカに嫉妬する。恐らく意図的に隠れていながら、自業自得であり始末に負えない。


 ハーフエルフの進路は、同期のエルフに少なからず左右される。睨まれては堪らないという平凡な心理が、唯一のエルフ候補生を小皇帝にしたのだろう。


 今のところ実害はない。メンターの役割は、ネムロに来てすぐできた歳上の友人達が果たしてくれている。現状を維持すべきか、それとも何らかの手を打つべきか。


 アトの意見は、このまま何もしないことだった。


「…大丈夫だと思う。今月さえ乗り切れば」


「面子を潰されたと感じるかどうか。行動に出てからでは遅いぞ」


「遅かれ早かれだよ。表沙汰にしたら、もっと酷くなるんじゃないかな」


 だから何もしない。そして一か月後、イシュカをドーアのメンターに指名する。その候補生が反省すればよし、せめて大人しくなってくれたら。


 結果は、二人の思惑どおりにゆかなかった。


 同性のドーアを敵視するところまでは予想の範疇。しかしイシュカ共々聖賢王アトの直弟子――もちろん正体は伏せたまま『ランディ』が指導する――に取り立てられると、スミンは思わぬ行動に出た。ハーフエルフの生徒達を裏切り者と称し、陰湿な嫌がらせをしたのである。その卑劣さにドーアが激昂、目いっぱい強化した拳で殴りつけた。あえなく昏倒したため、その場は何も起きなかったが……苦労性のアルフは、さすがに頭を抱える。


「……大丈夫なのか?本当に……」


「防御は間にあってた。死なないよ」


「違う。ドーアのことだ」


 彼の善良さや誠実さに疑いはない。だが、周りの悪意に敏感すぎる。


 優しくて真面目なのだ。


 それ自体は、よいことである。しかし統治者としては、時に濁った水を呑み込むことも必要になる。澄みきった泉に魚は棲めない。


 だが、ここでもアトの考えはアルフと違う。


「…僕みたいな捻くれた子より、ずっといいよ。みんながみんな、イシュカのようにはできない。あの率直さは美徳だと、僕は思う」


 鷹揚なイシュカと一緒にいれば、短気なドーアもきっと変わる。二人の相性がよいことは、巡察視勤めの十三年間で確認済みだ。やや暢気すぎるきらいのあるイシュカも、勤勉なドーアから好ましい刺激を受けるだろう。


 そもそも子供の喧嘩だ。自力で対処できるうちは、大人の出る幕ではない。


「…分かった。だが一応ライオネルには……」


「それも要らないと思う。少佐はたぶん『ほっとけ』って笑うよ」


 若いうちに馴れさせておけば、大惨事には至らないという理屈から。根拠は違えど、辿り着く結論は恐らくアトと同じ。それにはアルフも首肯する。


 喧嘩両成敗。スミンとドーアは、一週間の海岸掃除を命ぜられた。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「ありがとね。エレナ達のこと、庇ってくれて」


「別に。俺も殴ったのは本当だし、一発も二発も変わらないよ」


 実のところ、スミンに最初の一撃をお見舞いしたのはフユミである。姉マリコのロッカーを汚物まみれにされ、スミンの靴からは香水と入り混じった強烈な臭いがした。問い詰めるとくだらない理由を口にし、野蛮な日本人は出ていけと罵ったのである。


 ドーアとイシュカが遭遇したのは、そのような場面だった。半分しかエルフの血を持たない分際でエルフ候補生の俺様に手を上げるなど言語道断、況してや『あらゆる終わりの日』を引き起こした日本人のくせに――またしても差別意識丸出しでフユミとマリコに迫る横っ面を、止める間もなく凹ませたというわけだ……文字どおり、物理的に。


 くす、とイシュカが思い出し笑いをする。


「…あれも大概、卑怯だったよね」


「仕方ないだろ。敵のほうが上手なんだ」


 次は勝つ、とゴミ袋を固く握りしめる姿に吹き出してしまう。


「……何だよ」


「そうだね、うん。そうだけど……ぷっ。あははははは!」


 知り合って三年、毎日顔を合わせるようになって一月。相変わらずイシュカは何を考えているのか分からない。今も目の端を指先で拭いながら、憮然とするドーアのほうへ嬉しそうに右手を差し伸べてくる。


「貸して。わたしも手伝おっか」


「いい」


「なんで~?そのほうが早く終わるのに」


「一人でやらないと罰にならないだろ」


 一応納得したが、つまらなそうに腕を下ろすのだ。


「真面目だねえ」


「悪いか」


 黙々と作業を続ける。『あらゆる終わりの日』から二世紀。心無い者達が捨てた人工物は、今なお海を漂っている――簡単には片づかない人類全体の負の遺産に、ドーアはひとりで立ち向かう。まるで自分が立ちあがれば、どうにかなると思っているように。


「次は、きっと手伝うから」


 少年の耳には届かなかったが、別に聞かせようとしたのではない。


 その後もスミンによる嫌がらせが続き、イシュカは自らの誓いを守った。出遅れず、なるべく穏便に、それでいてドーアよりも冷たく。相手の特性を見極め、世間では無害とされながら彼個人には堪える方法を選んだのである。


 具体的には、公衆の面前で助けること。それの何が問題と思うだろうが、スミンのようなプライドの塊にはこれが一番効く。とはいえ実行するには極度の図太さと底意地の悪さが求められるゆえ、ドーアはやる前から失格。そもそもの被害者マリコを差し置いて、面白そうな臭いを嗅ぎつけたフユミが諸手を挙げる。


 傍からは親切を働いているようにしか見えず、誰もおかしいとは思わなかった。しかしどれだけ罵倒されても笑顔で助力し、それでいて全く媚びず毅然としている――そんなに出来た妹ではないと姉が不自然さに気づく。その間も成績面では、イシュカとドーアが容赦なく実力差を見せつける。次第に旗色と顔色が悪くなるのを見て、単純な性格のエレナもようやく察した。これは罠、底のない落とし穴だと。


「…やめてあげて。これ以上やるとマジで彼、立ち直れなくなるから」


「姉ちゃんは甘いなあ。これから面白くなるのにさ」


「何が。イシュカさんやドーア君まで絡まれたら、申し訳ないでしょ」


 成績で敗れ、随所で助けられ、罵倒も相手にされず。何ひとつ敵わないうえ、一方的に面倒をみられる。傅いてくるならよいのだが、まるで空気のような扱い。機先を制することで、短気なドーアや気弱なマリコを隠しているのだ。反撃の兆しはどこにもない。


「イっちょんもそう思わない?次は寮の部屋に健康サプリ届けるとかどうかな」


「あはは……どうだろ?わたしの国では『ヴォートカ飲んで忘れろ!』って言葉があるくらいなんだよね……」


「ナニソレ面白い!エレナ、本当なの?」


「ええ、まあ……でも、そろそろやめませんか?おかしな勘違いをされる前に」


 三人の首が同じ方向にことん、と傾く。


「……勘違い?」


「イシュカさんとフユミさんが……本当は、あの方を……お慕いしている、とか」


 静寂。そして。


「ないないない!絶っっっ対、ない!」


「あはははははははっ!…エレナさんったら、そんなに笑わせないでよ……くふふ……あはははははっ」


「いえ、その。冗談ではなく……!」


「…本当?そういうこと考える奴、本当にいるの?」


「前に曾祖父が申しておりました……今より担当地域が広かったとき、話しあって決めたことを確認しても必ず噛みあわない人達がいた、って」


「……………」


「……………」


「……………」


 どこの国かは聞いていないが。彼がそうだとは限らないが。


 ありそうなことである。これまでの独りよがりな態度を見ていれば。


「……その辺、ドーア君はしっかりしてそうだよね」


「えっ?」


「だよねえ。ウチも聞きたいですな。そのあたり詳しく」


「ええっ?」


 いきなりの話題転換。エレナに助けを求めるが、無言で首を縦に振られてしまって。


「えええっ!?」


「ほらほらぁ。お姉さま方に全部喋っちまいな~。あんな優良物件、どこで見つけてきたんだよ?察するに入学前からと存じますが……その辺、いかがでしょか」


 何故か卑屈になる。ちなみに三人とも、付き合っている男性はいない。


「……知りません」


 ぼふ、と。枕に顔をうずめて、そのまま布団を被ってしまう。


「あ……」


 習ったばかりの防音結界まで使っている。こうなったイシュカは、梃子でも起きない。


 思わぬ正直な反応に、照れくさくなるお姉さん達だった。

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