あの大惨事から
あの大惨事から二世紀が経とうとしていた。人類の九十八パーセントを消滅させた文明の死『全き最後の日』。一億人ほど生き残ったにもかかわらず、そのように呼ばれている理由は明白だ。西暦とイスラム暦その他民族名を冠した多くの歴史――地球上に存在する全ての時が、図らずも終焉を余儀なくされたことによる。
事件の真相は、ほとんど知られていない。世界的な核戦争が起きたとか、恐竜を滅ぼした規模の巨大な隕石が落ちたとか。より想像力が豊かなものになると、ガンマ線バーストが地球をかすめたり、局所的な空間の断絶『ビッグリップ』が起きて瞬時に直ったなどという荒唐無稽な説もあったりする。
まあ、それくらい壊滅的な打撃を受けたということ。そして健全な科学的検証をできるだけの体力が人類にはない――なくなってしまった。一部にそのような者達がいても、多数を占める大衆が信じなければ無意味。生活水準の低下は教養の喪失に直結する。またそれ以上に、新たな統治者ミレニアムが隠蔽を望んだからだ。
しかし政府の人々も、程度の差はあれ知らないことのほうが多い。国の頂点に立つ三人の王すら、全部は知らないのである。概ね知っている者。更に知りたいと願う者。これ以上知る必要はないと捨ておく者。それぞれの反応は違っていたが。
『創術王』ライオネル=クレイは、三つめの考え方をするひとりだった。軍の水に頭の先まで浸かりきった彼は、限定的な情報しか与えられないことに慣れている。警察出身のアルフレッド=サトウも同様だが、彼の場合は個人的な事情も。
分からないものだ――ライオネルが瓦礫の中から救い出した人々の集まり、それがミレニアムの前身。さりながら今は、偶然再会した旧友とその連れに付き合わされているようなもの。妻子を亡くした後の余生に、それまでの人生よりも長い時間を与えられて。
「…気にならないんですか、少佐は」
「ああ?」
かつて根城にした町の酒保で、ライオネルは懐かしい呼び名に首を巡らせた。
「何だ。藪から棒に」
「何だじゃないっすよ。大事なことです」
「立入禁止区域。邪悪な魔女が死んだのなら、続ける理由はありませんよね?」
「あいつら絶対、とんでもない秘密を隠してますぜ」
「またその話か……」
酒が不味くなる、とばかり煩そうに頭を振る。被災者キャンプの仲間からも、クリメアの適性がある者は見つかった。その一部が邪悪な魔女――ルースアと戦う条件を呑み、人外の力と寿命を得ている。
三人は、その初期メンバーだ。役職に就きたがらないエルフのクライヴ。元々身体が強かったのだろう、ドワーフとしても頑健なアリエル。二人と違って人間のライオネルを知らず、物心ついたときは親を亡くして集団の中にいたホビットのオスカー。
通信のみならず移動も旧時代より速くなったのをいいことに、普段ライオネルは合衆国とカナダの国境があったあたりにいる。生まれ故郷は南部のテキサスだが、あちらはもう暑すぎて過ごしにくい。程々に水が合うのと、こうして昔の仲間に会えるからだ。
「言葉には気をつけろよ。あいつらなんて外で言ったら、周りに示しがつかねえ」
一応ミレニアムでは、言論の自由が保障されている。少なくとも表向きは。独裁の政治風土により現地で歪められることがあったとしても。またそのような検閲や弾圧は、近年強化された巡察視の監査により厳しく取り締まられている。
ただし直接的な行動に出る者は容赦しない。武力を以て制し、主立った者達は極刑に処す。平時の自由主義的な運営とは、ちぐはぐな感もある武断政治。
ミレニアムは、権力の正統性も己の正しさも主張しない。好きなだけ批判して構わないが、秩序の破壊は禁ずる。ただ力があるから従え、一点のみ。
部下を持たない連絡員とはいえ、クライヴは一応エルフ。それなりに機密を知っているはずと世間は思う。その彼が王に疑念を呈したらどうなるか。
「口は禍の元、ってな。上手いこと言うもんだ」
他の二王、聖賢王アトと法術王アルフレッドのルーツとなる国の言葉らしい。納得ゆかないのだろう、睨みつけてくる三人の『目は口ほどにものを言い』。
「…まあ、いいじゃねえか。落ち着いて酒が飲めるんだからよ」
透明な琥珀色を一気にあおる。正直それほど美味くない。故郷テキサスの蒸留酒を味わうことは二度とないだろう。民芸、地酒、郷土料理――環境の激変により生き残ることのできなかった文化が無数にある。
「戦争はなくなった。飢餓もなくなった。疫病の蔓延も、麻薬の横行も人身売買も身代金誘拐も。つまり世界が平和になったってことだ」
経緯がどうあれ、今はよい方向へ進んでいる。悪いことであるはずがない。
「それもあいつらの思惑どおりじゃないって言いきれるんすか。クーデターが成功したら、誰だって上手くやろうとするでしょう」
聞き捨てならない台詞だ。オスカーは『建国』ではなく『クーデター』と言った。ミレニアムの支配に正統性などないが、少なくとも不法行為の結果ではない。混沌に落とされた人々が、秩序と安寧を望んだのである。
「…どういう意味だ」
「自作自演の可能性があります」
クライヴが淀みなく説明する。
「邪悪な魔女と聖賢王は、元々仲間だったそうですね。魔女の死を確認したのも、聖賢王と法術王の二人だけ。どのようにして確かめたのか、少佐は聞き及びでしょうか」
「……………」
ヴァルマ=ルースアの死骸とされる遺骨を、ライオネルは見ていない。
見つけたのは、とある研究所スタッフの墓標とされる場所だったという。死者の眠りを妨げるべきではないと、あまり詳しく訊かなかったのだが。
「…俺は、こう思います。研究所の廃墟には、今も知られたくない秘密がある。そもそも死んだはずの魔女が隠れている可能性さえ」
「黙れ」
穏やかな、しかし有無を言わさぬ声。水を打ったように静まりかえる。
ルースアの最期については訊かなかった。それでも、そこにいたはずの人々が二人にとってどのような相手だったのかは想像がつく。
この国では基本、誰が何を言おうと自由。しかし王達は法の埒外にいる――気に入らないから潰す、文句があるなら倒してみろ――万事そういうことである。
「今更、百年以上前の話を蒸し返すのは許さねえ。分かったら、この話は終いだ」




