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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
夢  ~新暦180年~
15/210

「いいか。ここで見たことは

「いいか。ここで見たことは誰にも言うなよ。絶対」


「どうして?」


「どうして、って……人間は普通、こんな力使えないだろ」


「力って、これのこと?」


 俄かにマナの気配が増した。思い思いの波頭をこさえていた海水面から、大きなものが現れようとしている。いや――これは海原自身。間抜けな洗濯機とは比較にならない、家を丸ごと一つ押し流してしまいそうな極大の水滴。咄嗟のことゆえ言葉も出ず、少女の右腕を摑んで抱き寄せ庇う。驚いた拍子に奔流は砕けて飛び、塩辛い雨となって降り注ぐ。やがて静寂が戻り、波は元の波へ。未だ状況が呑み込めていない蜂蜜色を強めに小突く。


「痛っ」


「馬鹿か!お前は!」


 白昼堂々、子供が術式を使ってみせるなど。彼女の親は何をしている?そもそもアレクセイ総督はこのことを知らないのか?


 力というものは厄介だ。持ちすぎても全くなくても不幸になる。悪巧みをする連中が寄ってきて、利用されたり食い物にされたり。そういうことが起こらないようにするには、少しだけ持っていることにするのが一番よい。


 ランディの受け売りである。拙い言葉でどうにかそれを伝えると、少女は突然笑い出した。今度は嬉しそうな大声で。初夏を迎えた目映い木洩れ日のように。


「…心配してくれたんだね。でも大丈夫、ここでは結構有名だから」


 彼女は術式が使えることを隠していない。その必要がないからだろう。地域の特性か、それともアレクセイの人柄か。いずれにせよドーアの杞憂だった。


 が、思わず怒鳴りつけた理由は他にある。同い年くらいの子に、努力の成果を容易く真似られた悔しさ。そのことを見抜かれて笑われるのではという不安。卑しい疑心暗鬼に陥ったことへの惨めな自己嫌悪。それらの感情が順番に湧きあがり、消えることなくドーアの胸にわだかまっている。


 幸い、少女は何も気づかなかったようだ。


「もう一度見せて。危ないから大きいのは禁止ね」


「お前が言うなよ。でも、そういうことなら負けないぜ」


 結果はドーアの惨敗。事細かに説明するのが気の毒なほど、少女は今日初めて見たばかりの術式を器用に使った。幾つか問題点を示してみせ、その答えも自ら解き明かしてしまう有様。技術革新の草分けたる天才が形無しである。


「…ああくそ。お前は、凄いな。俺の負けだ……」


「勝ち負けとかどうでもいいけど……考え方が素晴らしかったからだよ。覚えるのは得意でも、新しいことを思いつくのは苦手なの」


 それより、と白いワンピースの濡れた裾を絞りながら言った。


「わたしはイシュカ=ニコラエヴナ。あなたの名前は?」


「ドーア」


「…それだけ?」


「ああ。俺には親がいない」


 イシュカのロシア語圏同様、ドーアのアラブ語圏にも『〇〇〇の子〇〇〇』と名乗る文化がある。イシュカ=ニコラエヴナとは『ニコライの子イシュカ』という意味。他所では家名のほうが一般的だが、故郷を出たことがないゆえ知らなかったのである。


「……ごめん」


「どうして謝るんだよ。その代わり養護院のみんなや院長先生、ついでにランディとかファドワだっている」


「お兄さん達、ついでなんだ」


「ランディを知ってるのか?」


「巡察視様だもん。あなたこそ、ここの子じゃないでしょう?」


「ああ。俺はランディの助手……見習いみたいなことをやってる。外に出たのは初めてで、まだ十日くらいだけどさ。ここからずっと西、トリポリの出身だ」


 それから日が傾くまで、ドーアとイシュカは海を見ながらお喋りした。術式のこと、それぞれの家のこと、故郷のこと。共通の知人ランディのこと。


 将来についても話をした。イシュカは既に両親と総督から大体のことを聞かされていて、術式の才能がある者はエルフ化の適性もあると。十三歳になったらミレニアム本部へ留学することになるだろう、と。


「もしかして、俺も……?」


「たぶん。わたしと違って気軽に帰れる距離じゃないから、今のうちに旅慣れさせてるんじゃないかな」


 ドーアは歓喜した。助手ではなく巡察視になれるかもしれない可能性に。するとイシュカのほうが慌てる。まさか本当に何も聞いていないとは思わなかったのだ。


「…これって叱られるかなあ。ランディさん、理由があって言わなかったんだよね……」


「構うもんか。俺が黙ってれば誰にも分からないだろ」


 結局、簡単にバレた。ドーアが秘密を破ったわけでも、イシュカが内なる声に耐えられなくなったわけでもない。本部行きを伝えられたときの反応が不自然だったからだ。これによりドーアは『大根役者』の称号を戴いてしまう。


 実際に留学するまでの間も、いろいろなことがあった。イシュカの両親に紹介されたドーアが、特定方向からの凄まじい殺人光線を浴びたり。結果として二人を引き合わせる形となったランディも、ついでに毒電波を飛ばされたり。


 概ね平穏な日々が続いた。


 そして十三歳の誕生日。ドーアはついにミレニアム本部の土を踏む。


 生まれが四か月早いイシュカは先に来ている。彼女の留学前に顔を見たきりだが、元々年に数日しか会っていなかった。相手の環境が変わったゆえ、今までとは違うような。さりとてどこがというものはなく、別に何も変わらないような。


 この三年間、イシュカはドーアにとって特別な存在であり続けた。術式とマナを扱える、エルフ候補生という共通点を持つ仲間。だが、ここには……ミレニアム本部の『学舎』には、そういう者達が集まっている。イシュカと自分だけが特別なのではない。


 自分が特別でなくなるのが怖いのか、イシュカが自分にとって特別な存在でなくなるのが怖いのか。ドーアには分からなかった。


(大丈夫。俺は俺だ。今までどおり、やればいい)


 発着場には、案内役のエルフが来ることになっている――もっとも相手はランディ。今日付けの辞令が出たとかで、巡察視を首になったらしい。ハバロフスク行政区のいい加減な監査がバレたそうだが、どこまで本当やら。


 それとは別に、世話役の先輩がメンターにつくという。卒業後に為政者となることを思えば、先輩の側にも必要な訓練だと理解できる。どのような人物か分からないが、まずはその相手と上手くやらなければ。


 不安を嚙み殺して降り立つ。しかし、そこには誰の姿もなく。


(早々に遅刻か)


 心の中で毒づくが、これはランディに向けてのもの。気の短いところがあるドーアでも、いきなり初対面の相手に怒ったりはしない。


 とはいえ、途方に暮れる。これからどこへ行けばよいのか。言われていたとおり、ネムロはトリポリと比べて本当に暑い。


「…もしもーし。聞こえてますか~」


 あのとき見た冬の日差しは、夏の潮騒に変わっていた。


 目と耳を澄ます。聞こえるかと言ったくせに、今度は隠れてしまう底意地の悪い妖精を探して――いや悪霊か。それは、人をこんなふうに呪うから。


「ニ プーハ ニ ペラー(鳥も獣も獲れませんように)」


「ク チョルトゥ(地獄に堕ちろ)!」


 笑いながら罵り返す。少年が見つめる先は……

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