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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
夢  ~新暦180年~
10/210

アレクセイは総督府に

 アレクセイは総督府に戻った。今日のうちに、もう一つ仕事片づけるという。本当に真面目な男である。誰かさんが爪の垢を煎じて飲むべきか、不穏な空気を残して。


「さて。残りのほうだが」


 もう日は傾いている。


「明日にしない?一度帰るとか」


「行けるところまで行く。こちらは遠いからな」


 アルフは昔から真面目だ。仕事に手を抜かない。


「…出張費出る?」


「実費がな。特別職公務員に時間外手当はない」


 総督の権限に規定はあるが、王に関する明文規定はない。


 王は、王だから王だ。打ち倒せる者がいなければ、その支配は永遠。


 役割分担も三人の合意による。あれでライオネルは野心がない。今の仕事にも、立場にも満足しているようだ。


「…土産くらい、買ってやるか」


「だね。あっちこそ本当のタダ働きだから」


 松ぼっくりが見当たらなかったゆえ、適当な小枝をささくれさせて熾す。徐々に太く大きな枝へ移してゆき、本格的な焚火になった。中央アジアの高原は、以前と比べて気候があまり変わっていない。


「焚火が環境にいい、とはな……」


 マナに比べれば、という話ではあるが。


 人口の九十八パーセントを失い、経済規模は一割を切った。当然、製造業も萎む。副産物の排ガスも減る。


「あの頃は温暖化一色だったね。確かに気温は上がらなくなったけど」


「前の氷期から二万年以上経っている。上げるほうの技術も用意すべきだな」


 統制者を一人か二人に絞れば、ライブラリの力で簡単にできる。しかし、これ以上得体の知れないものに頼りたくない。無事三人を起こせたら、プレゼンター由来の技術は全部破棄するつもり。


 アルフとライオネルの寿命は持つだろうか。本人と両親が同意すれば、成長したイシュカもいるだろう。人間をやめた者だけが、人類の未来へ辿り着く。


 だが、それでよいのだろうか?人類の未来を切り拓くのは、普通の人間であるべきではないのか。それとも、そのような引っかかりを覚えるほうが狭量なのか?同じデオキシリボ核酸型という共通点があるとはいえ、クリメア化の要諦は地球外の遺伝子導入に他ならない。取り返しのつかない深刻な生物汚染に当たるのではないか。


 消し去るべきプレゼンターの痕跡。それには無論、生きたクリメアも含まれる。ドワーフとホビット程度なら、まだ新しい人種で済むかもしれない。だが異様に長い寿命を持つエルフは、民主的社会の復興を確実に阻害する。


 できるだけ早く、今の体制を変えねばならない。しかし一方で、安易な民主化は秩序の崩壊を招く。南北戦争時に将軍だった合衆国大統領のひとりが、立憲帝政時代の日本政府高官に語った言葉である。しかし……


「俺達がやっていることは、昔の白豪主義と共産主義の変種だ」


 以前と違うのは、本当にエルフが優れていることと資源配分の完全平等を実現したことだけ。差別主義は論外として、誰しも窮乏状態の社会では共産主義的な政策も一定の効果を有する。しかし生活が落ち着いてくれば、人々の欲望を抑えきれない。資本主義が極まれば共産主義への扉が開くという提唱者の考え方は真逆なのだ。


「これまで、よく持った。だが今は、百八十年前とは違う。必ず反動が来るだろう」


 自分はアメリカ人。アルフも、アトも、ライオネルも。人外の化物となった今でさえ、彼らはそう信じていた。自由と民主、独立自存。国家は個人の尊厳を守るための道具であり、君臨してはならない。況してや王を戴くなど以ての外。それは十三州の植民地がアメリカ合衆国として独立に至る経緯を紐解けば明らか。


 アメリカは理念が造り上げた国。唯一無二の根っこと言ってよい。それを失くしてしまったら、アメリカ人は一体何になるのだろう……?


「…セレスなら、悩まないのかもしれないね。『神の国』を造る、とか言ってさ」


「アウグスティヌスか。そこまで古くはないだろう……」


 三人の統制者で最も高い適性を持つセレスティア=キャロルは、敬虔なプロテスタントだった。アルフとアトは、一神教そのものに対して懐疑的。


 焚火を続けながら、その晩は久しぶりに語り明かした。生物の理を超越したエルフにとって、一度や二度の徹夜など何でもない。内分泌学的な裏付けもあり、ただ人間であることをやめない心が疲れるだけである。


 移動端末の中で本当に短い仮眠を取り、地中海南岸のトリポリ総督府へ向かう。


 この国は長らく独裁体制下にあったが、旧時代の終わり頃に打倒された。強大な権力の重しが外れたため、群雄割拠となり治安が悪化したのは皮肉でしかない。そのような情勢で破滅を迎えたからか、ミレニアムの支配を簡単に受け容れたのは二重の皮肉。ここの総督は、力なき者が自分に従うのは当然と考えているきらいがある。


 極東のガヴァニと比べて、トリポリはやや寒くなった。大破壊の影響により、北極点が若干ヨーロッパ寄りに動いたせいだ。とはいえ比較的温暖な気候であることに変わりはなく、夏は暑いが乾燥して凌ぎやすく冬は雨が多いものの凍てつくことはない。


 今も雨が降っている。昨日と今日は公務ゆえ、王としての威厳を保つため軍装である。今はなき米陸軍の正装を模したものだ。ライオネルは頑なに海兵隊を守り通しているが。頭まで外套を被り、矢継ぎ早に小さな雨粒を落とす鈍色の空を見上げる。


「アーキルには俺だけ顔を出す。余計な勘繰りをされたくないからな」


「分かった。適当に隠れておく」


 法術により局所的に光の性質を変えれば容易い。旧時代風に言うなら光学迷彩。工場で造ったものを着るタイプは、プレゼンター以前にも実用化していた。


 アルフは、ここの総督を信じていない。民族的なものではなくアーキル個人をだ。ロシアもリビアもアメリカの敵だったが、アレクセイは信頼できた。それぞれの風土があるにせよ、全部を属する集団には求められない。


 縄張りを歩き回ることについて、抜き打ちの監査という理屈をつけた。今後は更に増えるだろうとの複線も張っておく。


 ドーアは三日前に生まれたばかり。母親共々まだ病院にいるはずだ。父親のことを母親に訊き、とりあえず父親と話がしたい。


 発着場から歩いて三十分の病院は、何やら慌ただしかった。急患が出たのだろうと、邪魔しないよう落ち着くのを待つ。聞くとはなしに聞こえたスタッフの会話が、アルフとアトにとっても無視できない言葉を含んでいる。


「……子供のほうは大丈夫……」


「……でも、お母さんが……」


「……家族は呼んだの?あれじゃ、もう……」


「失礼。何かあったのかな。このようなときにすまないが、巡察視の者だ。私の術式で力になれることがあれば手伝う」


 まずエルフがいることに驚き、地元の総督ではないことに重ねて驚く。だが医療に従事する者らしく早々に落ち着きを取り戻すと、看護師達は残念そうに頭を振った。


「…手遅れです。というより、元の母体が弱すぎました……」


 二十一世紀初頭の技術は取り戻しているが、それでも新生児と母親が亡くなってしまうことはある。統制者セレスの記憶を改竄する方法は、一部にしか知られていない。セレスが統制者となる前から生きている者達、ライオネルら最初期のエルフだ。


 プレゼンターの技術に頼らない医療を――理想が生んだ現実を、改めて噛み締める。


「重ねて、すまない。子供の名前と、父親のことを教えてもらえるだろうか」


 最も年配の看護師が辛そうに語った。


「…ドーア君のお父さん、亡くなったんですよ。お母さんの妊娠が分かった三週後に……身寄りも全然なくて、どうしたらいいのか」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 ひとまず病院を後にした。善後策を練るため郊外の廃墟へ。


 不幸が重なった。いろいろな言い回しをできようが、アルフもアトも無益な言葉遊びをするつもりはない。


「どうする?」


「どうする、って……」


 難しい問題だ。考えなければならないことが幾つかある。


 このまま地域に任せるか、ここから連れ出すか。後者を選ぶとしても、本当の理由を病院側に伝えるか。話せば確実に総督の知るところとなる。そして一番肝心なこと――誰がドーアを育てるのか。二人とも子育ての経験はない。


 地域に任せれば、法に従い生活の援助を受けることに。最初は病院で医療の現物給付から。公営の養護院に入り、十三歳でイシュカ共々ミレニアム本部へ引き取られる。


 自らの政策を否定しないが、本当に大丈夫か。強者が道を踏み外せば、甚大な被害を及ぼす。不公平の誹りを受けても、然るべき里親を選ぶべきでは?


 これらの問題を解決できる、だが考えることすら不愉快な選択肢は初めから除外。ドーアはイシュカに対する保険でもあるのだ。アト達が倒された場合、イシュカを止められる可能性があるのはドーアだけ。


「…アーキルの頭越しも、全部任せるのもリスクがあるね。事情の説明なんかしたら、何をするか分からない」


 彼に限ったことではないが、多かれ少なかれ総督達は自らの権力が侵されるのを恐れている。原種の人間としては凡庸だった者が、ただエルフの適性があったというだけで能力を底上げされて今の地位に就いた。努力と釣り合わない既得権益は不安を生む。


 その結果として起こるのがエルフ適性者の隠蔽。それだけなら、まだよい――本人の不利益になる直接的な迫害を加えられることもあるという。


「…関与しかないか」


 嘘から出た実。今の体制になって、そろそろ二世紀。箍の緩み、無視できないほど大きくなっているひずみを正さなければならないと思っていた。


 イシュカのことを両親とアレクセイに任せつつ、ガヴァニへは顔を売りにゆく。トリポリ総督府は特に念を入れて、他の地域も型どおりに監察する。調査内容は二つ――エルフ候補生の子供達が適切な養育環境に置かれていること。エルフ化を断った大人達が不当な扱いを受けていないこと。


 ドーアは、機をみて養護院から連れ出す。できれば彼自身が進んで街の外に興味を持つよう仕向けたい。現状、世界を自由に旅できるのは巡察視だけ。巡察視にはエルフしかなれないが、その助手には能力さえあればなれる。若いうちに経験を積ませ、特別扱いの誹りも免れる最良の手だ。不条理な人材潰しに遭う心配もなくなる。


「…忙しくなるなあ」


 今回の目的は、優秀な人材の保護。かといって他の子がよくない状態に置かれるのを、見過ごす気にもなれない。何より将来、一緒に働くのはアト自身。


 それはそうと。巡察視として動くには、新たな身元が必要になる。大半の人々にはアトのことだと気づかれず、統制者達の記憶に載らなくて済む名前。要はセラフィナ、ミカゼ、セレスティアの三人が眠りに就く前から知っているということ。


(こっちのほうこそ、問題だよ……)


 候補は、ひとつしかなかった。


 黒歴史の彼方より召喚する――忌まわしき古の真名を。

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