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CLANNADについて

作者: シューハ

 CLANNADは私が最も好意を寄せているアニメである。吉本隆明は幾つものサブカルチャー作品に熱意を寄せて論じていたが、やはりアニメや漫画もただの娯楽であると侮ることはできない。これは音楽バンドやゲームに対する姿勢の在り方にも言えることだろう。


CLANNADには幾つもの不思議がある。例えば幻想世界と言う現実世界とは異なる別世界が登場し、その世界と登場人物との関係性などが多くの人に考察されている。ことみの両親が研究していた隠された時空や智也が何度か目にした光の玉、渚と街の関係性など不可解なものが多い。そして物語のクライマックスに朋也が奇跡を体験して渚と再開する。不思議なことが山ほど起こるが、別に現実にもこれくらいの不思議は幾つもあるだろう。私はCLANNADが自分の住んでいる世界と掛け離れているとは思わない。私は全て本当のことと思ってCLANNADを見た。するとやはり本当のことであるように思われた。人の心には人智では測りきれない奇跡を起こす力があるだろう。念力岩をも通すということわざもあるのだから。


 私は物語に対する数式のような考察に余り価値を認めない。CLANNADもそうだ。不思議なことに対する姿勢が不器用なために、奇跡をありのままに受け止められない人が大勢いる。だがそもそも人生には言葉で答えられない不可解な現象が幾つもあるのではないだろうか。別に言葉で数式を解くように証明する必要なんて全くないのだ。ただ良い物語には感動をすれば良い。素直に心を動かせば良い。感動の理由は目の前に良い物語があるからだ。体を動かすと汗が出る。心もそのような自然の具合に反応を示すだろう。人生には不思議がある。言葉にはできない不可解なことがある。だがそれに心を預けると、不思議で不可解な出来事がどれほど私に人生の魅力を語ってくれることだろう。私はCLANNADの世界が現実で起こり得たとしても全く驚かない。なんせあの物語は人間の心を非常に敬っている。心というものに無限の可能性を見出している。そんな物語を私はただの作り話とは思えないのだ。

 確かにCLANNADには科学で説明できない出来事が幾つも起こるが、それも世の面白さの一つではないか。全てに理由を見出して納得してしまっては、きっと多くのことが詰まらなくなるだろう。物語は数学でも科学でもない。それは人生も同様であって、私達は感情を持ち合わして生きているのだから決して合理的には生きられない。感情は不合理なものだろう。私達は非合理的に笑いもするし怒りもする。きっと等式を結ぶことができない非合理さが人の生きる道なのだ。言わばそれは光のようなものだろう。目に見えても触れることはできない。それをメスでも握って解体しようと思うのは馬鹿げた話である。私は最近、人生であれ物語であれ非合理というものを、その自然な姿のままで愛することに面白みを感じるのだ。それがCLANNADを楽しむには必要でないだろうか。


 私はCLANNADの最終回で運命愛を見た。現世の人生が永遠に繰り返されるものとして、その無限的循環を望むという思想に対する希望が、CLANNADの最終回で非常に分かりやすく語られている気がしたのだ。CLANNADにはだんご大家族というものが登場するが、それら一つ一つのだんごが、CLANNADの登場人物一人一人の永遠回帰する人生の輪ではないか。こんなくだらないことを考えている自分がいる。

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