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歯車はここに

これから社会人になる君たちへ。

作者: 民間人。

 先ずは、この過酷な時代に、無事に社会人になった皆さん、おめでとうございます。

 僕が社会人になった頃は、皆さんが社会人になった今より遥かに楽で、春の頼りに乗って内定祝いの言葉が流れてくるような時代でした。今年は本当に大変な年で、就職活動は時の運なのだと言うことを思い知らされます。

 さて、社会人になるまでに色々とあったと思います。内定が出た人、取り消されてしまった人、内定が貰えなかった人。それぞれがそれぞれの特別で「当たり前」の門出だったと思います。僕も少なくない人たちと同じように、社会に出るまでに何十社も面接を受けて、その殆ど全てを拒絶されて、なりふり構わず縋り付くように投げつけた、最後に残った「望まない場所」に、腰を据えることになりました。


 そういう駄目な僕だから、これまでにかなり惨めな社会人生活を送ってきたなりに、渡せるものがあると思います。

 皆さんのうち、私から渡せるものに意味があると感じる人は少ないと思います。それでも、ほんのひと握りの人の為に、ここに、社会人になってから必要だと感じた能力について、置いていこうと思います。


 まず、社会人と学生を比べたときに、辛いと感じることが多いのは圧倒的に社会人です。学校では、なんとなく受け入れられてきた自分というものを突然拒絶されて、場合によっては大事にしてきたものを否定されてしまいます。そうすると、自分の一番嫌な本質の部分が突然表出して、ますます自分が嫌いになることがあります。

 僕の学友にも、そうして精神疾患に罹ってしまった方が見えます。それは、社会がまるで「当たり前」と言うように押し付けてくる、数多くの特別で例外的な要求の為です。

 かつて私達が当たり前に与えられてきたものを、ごく自然に奪われてしまう。僕の場合であれば、静かに図書館で調べ物をすることや、一日中哲学に耽る時間や、死生観に関する深堀りの時間は、どれもほとんど失ってしまいました。

 しかも、僕たちに突きつけられるのは、答えのない問いであり、そのほとんどが「人格」によって正解を導き出されてしまいます。


 概ね社会が求める人材は似たようなもので、そのほとんどを持っていない僕などは、相手から毎日与えられる課題のほとんど全てを解決できずに悩むことになります。

 こうして何年も過ごすうちに、人間は静かに社会に適応し、何とか人格を取り繕って生きていくことになります。


 さて、ここで適応という言葉を使いました。僕は、成長という言葉が嫌いです。それは、かつての自分が今の自分よりも劣った存在であるかのようなニュアンスがあるからです。昔の僕は今の僕よりも劣ってなどいません。今の僕は良くて昔の僕と同じか、多分昔の僕よりも愚かです。だから、僕は社会に適応しきれていないけれどなんとか適応しようとしていて、それは成長とは程遠いところにあるものです。


 閑話休題。ここに書いたことで、社会に出ることが怖くなった方々もいるでしょう。それでも、僕たちはどうしても、どんなにレールから外れていても、大きな括りの中で同じ場所を通らざるを得ません。そして辛いことに、その場所はどんな場所よりも辛くて苦しく、しかも逃げ道がありません。

 皆さんも、そういう場所へと巣立っていくのかも知れません。そのときには、多分かなり自分を痛めつけることになるでしょう。ただ、それでも、僕達は呼吸をし続けなければならないんです。


 前置きが長くなりましたね。僕から伝えられる、社会人に必要な能力について、伝えたいと思います。

 僕が社会に出て思い知らされたものは、いずれも「自分の矮小さ」と、「社会の理不尽さ」と、「地獄という空想よりも辛い現実」に繋がっていきました。僕のような惨めな社会人にならないように、たった一つだけ、今のうちに慣れておいて欲しいことがあります。


 それは、「自分を褒めてあげること」です。

 簡単なことのようですが、周りと比べて劣っていると感じてしまう敏感な人たちには、どうしようもなく難しいことです。それでも、とても難しいことだけれど、これに慣れておいて欲しいんです。

 社会人になると、お礼も言われにくくなりますし、褒めてもらえることもめっきり少なくなります。評価基準が突然変わって、それこそ自分の価値観の大事な部分を、否定されることすらあります。そういうことで精神を病んでしまうのは、仕方ないことで、それこそ普通のことです。だから、そういうことは、皆さんが劣っているということじゃないんです。

 それでも、辛いと思います。正直しんどいことばかりです。だから、せめて気休めでもいいから、「自分が今いて許されること」を、確かめ続けて欲しいんです。

 褒めてあげると言っても、数字や実績を誇らなくてもいいんです。例えば、「小説を書いて、こんなにたくさんの評価をもらった」としても、それが満足のいかない結果だったならば、それを満足のいく結果かのように、わざわざ褒める必要はないんです。

 では、何を褒めてあげればいいんでしょう。実績はわかりやすいからこそ、伴わなかった時の苦しみが大きくなります。

 だから、僕は、「結果は全く出ていないけれど、行き場のない感情が一言の中に表現できたな」とか、「今日はなんとなくいい気分で過ごせたな」とか、「会社の上司としょうもない話で盛り上がれたな」とか、「独り言で愚痴を言い過ぎたけど、なんとか他人に言わずに(バレずにではない)押し込めたな」とか、そんな事を良く考えます。そこには実績なんて一つもありません。社会人なら「当たり前」のマナーや心構えです。ですが、社会人の当たり前ができる人は、今頃出世しています。要するに、当たり前が出来る人は、かなり「能力がある人」なんです。そういう方は、僕の言葉など必要なく実績を誇ればいいんだと思います。

 それでも、そうでない人もいますから。だから、毎日些細なことで、自分を褒めてあげて欲しいんです。


「これには興味を持てたな」


「いつもよりゆっくり過ごせたな」


「今日はため息をあまりついてないな」


「明日のことを考えて準備できたな」


「趣味のこれこれを楽しむことができたな」


「布団から起きて家事をやれたな」


「サボらずに出勤できたな」


「今日は気分がいいな」


「可愛いものを見られたな」


「底辺物書きの戯言を、最後まで読んでやれたな」


「今日も一日、死なずに生きられたな」


 社会人になる為に必要な能力なんて、本当は一つもありません。あった方がいい能力が無数にあるだけです。上司や、友人や、先輩や、憧れの人や有名人や家族にどんな事を言われても、毎日、なんとか呼吸を維持することができるように。これだけは、どうか慣れておいてほしいと思います。


 読んでくれて有難うございます。駄文長々と、失礼いたしました。

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