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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
7/65

⑦千人斬り

(1)


「あら~姉上! 大きくなったね~」

 弘化五年十一月の事、八丁堀に呼ばれたお華は、おさよのお腹を見て、撫ぜながら歓喜の声を上げる。

 おさよは、笑いながら、

「優斎先生の言う通り。もう刀どころじゃ無いわよ。動くのが大変」

 お華も笑いながら、

「そりゃそうよね~これじゃ。もう産み月でしょ? 様子はどうなの?」

「うん。順調よ。先生もよく育ってるって仰ってくれて、母上も大喜びよ」

「そうだろうね。お母様もいよいよ孫と会えるのだから、そりゃそうでしょ」

 などと、二人で楽しく話しているのだが、横に座っていた浩太郎が、

「おい!」

 と水を差す。

「あら~兄上、居たんですか。奉行所にも行かず良いんですか? 遊んでて」

 浩太郎は少々、強ばった顔で、

「夜勤だったんだよ」

「ふ~ん。で? 今日は何の御用ですか?」

 相変わらずのやり取りだ。

 浩太郎は、一枚の紙を取り出し、お華の前に置いた。

 開いてみると、最近、尾張屋で売り出された、江戸の地図だった。

 今でも復刻版が売られているが、いわゆる切り絵図である。

「なんです?」

「あのな。最近、市中で辻斬りが、多数発生しているんだ」

 それにはお華も少し驚いて、

「辻斬り?」

「そうだ。もう、十二人やられているんだ」

お華は眉を寄せ、

「何か、今時珍しい話ですねぇ。それをどうしろと?」

 すると浩太郎は不機嫌そうな顔で、

「おれは、その辻斬りの為に、三日三晩、夜中に見廻りしていたんだ」

「あら、そうだったんだ」

「だから、今度はお前に代わって欲しくてな」

「え! 私に?」

 お華は、それにはさすがに、おさよの顔を見ながら驚いている。

 そして、

「でもさ、夜中に突然、刀抜いて来るんでしょ? まあ、相手次第だと思うけど、狙って打てるかどうか、わかんないよ~」

 間合いの事を言っている。加えて、そうなると生きて捕まえられるかどうか分からないと言う事だ。

 すると、浩太郎は手を振り、

「いや、刀じゃないんだ。この辻斬りは槍を使ってるんだ」

「や、槍? そりゃまた珍しい辻斬りねぇ。それじゃ、余計にどうなるかわからないじゃない」

 浩太郎は頷きながらも、

「まあでも、お前なら何とかなるだろう。槍だと言っても、腕はそれ程では無いって、斬られた者達を調べると、どうもそういうことらしい」

「そういうことって……。なら、奉行所の他の人じゃ駄目なの?」

「俺もそうだが、奉行所の者だと引っかからないんだ。だから、お前って訳だ」

 浩太郎は薄く笑う。

 お華は、些か納得いかない顔だ。

 しかし、突然、意地悪そうな顔に替わり、

「んなこと言って、本当は屋敷に居たいんでしょ?」

 すると浩太郎は、少し頷いて、

「俺も、辻斬りより、おさよの事の方が心配だからな。ここは一番、叔母上に変わってもらおうって事さ」

それには、おさよも一緒に大笑いだ。

 浩太郎は続けて、

「もう十二人と言ったが、半分以上は、盲目の男ばかりでな。後は商家の町人。上手く逃げた奴も居るが、暗闇でもあるから、相手は武士なのかどうか分からん」

 浩太郎は何とも言えない笑みで、おさよのお腹を撫でながら、

「そう言う奴は、この子が生まれる前に掃除しとかなきゃならん。よろしく頼むぞ。叔母上」

 お華は呆れた顔で天井を見上げ、

「へいへい。仰る通り致します」

 と、溜め息を吐く。

 そして、浩太郎は、

「それから。いくら盲目の被害者が多いからって、お前んとこの、ノブさんに頼んではならんぞ!」

 お華に釘を刺す。

「え? ノブさん?」

「そう、あの人の腕は、俺も知ってるけど、今回はさすがに闇討ちで、いくらあの人でも危険だ。おさよが手伝えないからって、頼むんじゃないぞ! お前と平吉だけだ。事前に話し合っとけ」

 と言われたお華は、

「へいへい」

 などと返事をして、屋敷を出て行った。


 お華を見送ると、浩太郎は佐助を呼び出した。

「おい。悪いがな~お華を見張っといてくれ。ノブさんなんか連れ出さない様に」

 先程から、次の間で話を聞いていた佐助は驚き、

「しかし、先程、旦那様が……」

 と聞くが、浩太郎は笑い、

「あいつが言う事聞く訳ないだろ。お前も影ながら見てやってくれないか?」

「はぁ~」

 頭を捻りながら、早速、お華の後を追う様に、屋敷を出て行った。

 残って、まだ笑っている浩太郎に、

「さすがにお華ちゃん一人じゃ、大変なんじゃ?」

 と、その場を想像できるおさよが聞くと、

「ああ、俺もノブでも連れて行った方が良いとは思うんだが、ああでも言っとかないと、あいつ油断するからな」

 それを聞いて、おさよはまた、大笑いだ。


 さて、自分の屋敷に帰ったお華は、案の定。

 駄目だと言われたにも拘わらず、早速、ノブの小屋に行った。

 お華は框に腰掛けて、

「ノブさんさ~」

 ノブとサキが部屋に並んで座って聞いている。

「なんです? お華さん」

「あのさ、ノブさん。夜中に突然、影から槍突き出されたら、避けられる?」

 と、いきなり本題に入る。

 ノブは、お華相手だと三味線より、そう言った話が多いので、意外と嬉しそうに聞く。

 しかし、さすがにサキは、眉を顰める

「お華さん。あたしゃ、目が見えませんから、夜でも何でも一緒ですよ」

 それには、お華とノブは大笑いする。

「そうだったわね。実はね、兄から辻斬り捕まえろって言われたのよ」

「へ~。それが今の話で?」

「そうなのよ、何でも、もう十二人やられてるんだって。しかも、その半分以上が盲人らしいのよ」

 ノブは、驚き、

「半分以上ですって?」

 お華は頷いて、

「そう。だから兄は、あなたには頼むなって言うんだけど、知らせないのもどうかなって思ってね」

「なるほど」

 ノブは大きく頷く。

 するとお華は、サキに、

「サキさん。心配だろうけど、そういう相手だから、いつかノブさんも狙われる。ノブさんの事だから、それでも何とかなるかも知れないけど、でもね。影から突然だから。商売道具の腕なんかやられちゃうと、今後、大変な事になるでしょ。今回は、私も後ろに着くから、心配はいらない。安心して」

 笑顔で、説得する。

 サキも頷きながら、

「まあ、お華さんが一緒なら心配ないとは思いますけど、それにしても詰まらない人が出てきましたねぇ」

 と、呆れた様子だ。

「そうなのよ。まあ、三日ばかり我慢して頂戴」

 お華が、手を合わせて頼むので、サキは目を大きく開けて、手を振り、

「何を仰います。こちらの事も考えての事。こちらこそ、よろしくお願いします」 と頭を下げる。

 その頃、優斎の離れでは、既に佐助が窓の障子を少し開け、お華の様子を窺っていた。

 優斎は笑いながら、

「何やってんです? 佐助さん」

 佐助は頭を掻きながら、優斎にこれまでの事を説明した。

 それには優斎は、更に大きく笑い、

「それで、お華さんの偵察ですか?」

 外の様子を見ながら、佐助は、

「旦那様はそう言うんですけど、お華さんが言われた通りにするとは思えないんですがね~」

 些か困った顔で答える。

 優斎も一緒に外の様子を見ながら、

「お華さんは、もうノブさんに頼んでるんじゃないですかね~」

 佐助は、優斎に顔を向け、

「そうですか? もう?」

 優斎は、

「浩太郎さんも分かっているでしょ。多分」

「へぇ~そうなんですか~」

 佐助が返事すると、突然、優斎が指差し、

「ほら!」

 お華が、ノブの小屋から姿を現した。

「あ~本当だ!」

 佐助は、少々驚愕したが、優斎は、

「まあ、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。お華さんだって、サキさんを悲しませるような事、出来ないと思いますし……」

 佐助は頷いて、

「まあ、あのお華様ですからね……」

 二人は笑い合う。



(2)

 

 日が沈んだ、暮れ五つ(20時)頃。三日月であったが、全くの暗闇では無い。

 平吉が下っ引き二人を連れ、お華の屋敷にやって来た。

「お嬢さん。今回はお嬢さんですか」

 平吉はと連れ二人は、お華に軽く頭を下げ、屋敷の外廊下に、腰を下ろす。

 お華と、ノブは準備万端で、座敷に座っている。

「そうなのよ。そんでさ、今日はどういう道順考えてんの?」

 と、浩太郎から預かった地図を、平吉に出して聞いた。

「へい。柳橋から、三味線堀を通り、ぐうっと廻って、柳橋に戻るを考えています」

 平吉は地図を指さしながら答えた。

「なるほど」

 と、横のノブに、道順と、だいたいの道の様子を伝えた。

「承知しました」

 ノブは笑って答える。

 すると平吉は、

「八丁堀の奥様も、もうそろそろでございましょう? お華様も御心配ですねぇ」

 と言うと、お華は口を尖らせて、

「そうなのよ。こんな時にねぇ。だから、こんな縁起の悪いもんは早く片づけなきゃね」

 平吉も頭を下げ、

「そうでございます。若も御心配でしょうから」

 それにはお華が、軽く笑って、

「あの人が、サッサとやっちまえば良かったのよ。お陰で、おばさんがやらなきゃ行けないんだから、困ったもんよ」

 それには平吉も笑い、

「お華様、もう、おば様に慣れたんですね」

 と聞くと、お華は手を振り、

「もうね、おみよと、おゆきが二人して、喜んで言いまくるもんだから、嫌でも慣れちゃったわよ~」

 そんな事を言いながら、お華達は早速、柳橋に向かった。


 柳橋近辺は、お華はいつも通う場所。

 町並みも多く、お座敷も多いから慣れたものである。

 だが、今日の目的は特殊。

 いつもと違った感覚で、町中を進む。

 柳橋周辺を過ぎると、道を曲がり、浅草方面の道を、三味線堀を目指して進む。

 三味線堀は、鳥越川を掘り広げて作られた堀である。

 今の台東区小島という所にあり、最寄り駅は、新御徒町駅。

 三味線を横にした形に似ている事から名付けられた。

 

 ノブを先頭に、少し離れてお華、そしてその跡に平吉が続く。

 ところが、その平吉と一緒に、佐助も隠れながら着いて行った。

 そんな佐助を見て、平吉は苦笑している。


 さて、暫く歩いて、もうすぐ三味線堀と言うところで、杖を突きながら、ノブの歩き方が、若干変わった。

 少しだけだが、道中央の方に位置を変えた。

 それは、後ろのお華にも気が付いた。

 お華は既に、二本の簪を手にしている。

 すると、突然、横の家並みの影から、妙な気合いの声と共に、槍が飛び出してきたのだ。

 しかし、それは既にノブの予想通りだった。

 ノブは槍が飛び出すのと同時に、横へ一間近く飛んだ。

 その男は、驚愕しただろう、何かの間違いと、更に二歩進んで槍を引き寄せる。

 しかし、それはお華に姿を全て見せる事になる。

 当然、お華は素早く、二本をその男に向かって打ち放った。

 その日は生憎三日月で、光は弱く反射するに止まったが、強烈に、その男の頬と膝上に突き刺さる。

 それと同時に、ノブは出された槍に回りながら伝って、その男の足を電光の如く、切り放った。

 哀れ、その男は、天に向かって悲鳴を上げる。

 ノブは槍を掴み、その男を引き摺る様に奪い取った。

 男は、道端に倒れていった。

 

 お華は、素早く一本を手にしながら、そこに走り寄った。

 そして、後ろの平吉を呼ぶ、

「お嬢さん!」

 と言いながら、平吉も走ってきた。

 お華は、倒れている男を見て、舌打ちをする。

 その男は、やはり侍だった。

 そして思わず、

「ったく! 侍のくせに!」

 と、その男に罵声を浴びせた。

 そして提灯を呼んで、その男の着物などを観察すると、どうも旗本のような気がしてならない。

 そうなると、これからが、少々面倒な事になる。

 お華は、その男に、

「あんた! どこの侍?」

 と荒々しく聞くが、痛みを耐えながら、その男は口を開かない。

 仕方無く、下っ引きの若い男に、簡単な手当をさせ、改めて、名前を聞くのだが、その男は、また顔を背け、黙り込んでいる。

「まったく、往生際が悪いねぇ~」

 と嘲笑しながら、後ろに、

「ねえ、そこの密偵さん! こちらに来なさい」

 などと、手招きし、笑いながら声を掛ける。

 頭を掻きながら、佐助が近づいてくる。

「あら? バレてました?」

 と苦笑いだ。

「当たり前でしょ! 全く、どいつもこいつも!」

 と、佐助を叱り付けながら、そして、

「佐助さん。こいつ、自分の身分、名前。黙り込んでるのよ。この事至急、兄上に。そして扱いをどうするのか、相談してくれって言ってくれる?」

 そして、佐助の耳元に小さな声で、

「どうもね。お旗本みたいなのよ」

 佐助もそれには驚く。

 そしてお華は、

「仕方無いから、このまま北町迄は連れて行く。あなたは兄上に、神田橋辺りに、誰か同心を迎えに寄越す様、言ってくれる?」

 旗本が、こうやって現行犯で捕まった場合。町人とは違い、手順が変わる。

 縄を掛ける訳にはいかないし、取り扱いは、奉行自身の判断に左右される。

 全てを承知した佐助は、すかさず走り去った。

 お華は、

「ノブさん悪いけど、要心の為、奉行所まで一緒に行ってくれる?」

 お華とノブには、何人かの走っていく足音を聞きつけていた。

 ノブは微笑み、

「ええ、もちろん」

 そうして、お華とノブ。そして下手人を囲んで、平吉達が歩き出した。


 さて、俊足の佐助は、素晴らしい早さで、八丁堀の屋敷に飛び込んだ。

「な、何だと、旗本だと?」

 佐助は、浩太郎の前に座り、息を整えながら、お華の言葉を伝えた。

 浩太郎も、意外な結末に驚いていた。

 そして、

「あいつは、やっぱりノブさん使ったのか?」

 それには、佐助も笑いながら、

「ここから屋敷に帰ったら、直接、ノブさんの小屋に入って行きましたから……」

 それには、おさよが大笑いする。

「全く、あいつは!」

 と怒るのだが、自分の腹をさすりながら、おさよが、

「想像通りでしたね。でも、もう捕まえるとはね」

 そして、自分のお腹に向かって、

「あなたのおばちゃんはすごいわね~」

 などと笑顔で囁いている。

 それには、浩太郎も多少笑いながら、

「これは、直ぐに佐久間様のお屋敷に行かねば。あ、佐助、お前さんは早坂の所に行って、事情を話し、神田橋までお華達を迎えに行ってくれと頼んで欲しい」

 佐助は、はいと大きく頷いて、直ぐさま、屋敷を出て行った。

 浩太郎は直ぐ、仕度を調え始めた。

「おきみ。悪いが後を頼む。何かあったら、隣に頼んでくれ」

 後ろに座っていた、おきみも頭を下げる。

 

浩太郎が、佐久間の屋敷に行くと、彼は既に、寝仕度だった。

事情を聞いた彼も驚きの表情だ。

「分かった。浩太郎。済まんが、先に北町へ行って、お奉行様に判断を」

 しかし、浩太郎は、

「私が、お奉行様に直接判断を仰いでよろしいので?」

「かまわん。遅れれば遅れるほど、こちらの立場が悪くなる。これは緊急の事じゃ」

 そして、

「早くしないと、お華が怒るだろう?」

 と、ケラケラ笑う。

 浩太郎もさすがに笑って、

「承知致しました」

 浩太郎は再び、夜中の江戸を走り、北町奉行所に向かった。

 そして、浩太郎が奉行鍋島の前に出た頃。神田橋では、早坂(とくぼん)が首を長くして一行を待っていた。

 彼も既に寝ていたが、叩き起こされ、彼にしては敏速に、神田橋に到着していた。 何しろ、相手がお華だ、遅れたりすると後が怖い。

 すると、橋向こうの方で、手を振る女と数人の男達の姿が見えた。

「とくぼん。遅れずに結構結構!」

 などと言われたものだから、早坂は苦笑いで下を向き、

「お華さん。もう捕まえたんですか。私も三日は歩いたのに簡単だな~」

 と、感心している。

 一行の男達は、見習いではあるが、同心の早坂に頭を下げる。

「で、下手人は……」

 と、早坂は囲まれている男の所に行った。

 横を向いたままの男の様子を見て、来ている着物の袖を手に取り、

「これは絹……なるほどね」

 と、大きく頷き、お華の所に戻って、

「おっしゃる事。分かりましたよ。で、あの者一人だったんですか?」

 お華に聞くと、お華は首を振り、

「お付きの者が居たみたいだけど、サッサと逃げちまってさ」

 と笑い。

「まあ、本人捕らえれば良いだろうって事よ」

 早坂も頷いて、

「まあ、そうですね。では、参りましょう」

 と、皆、歩き出した。


 一方、奉行所では、鍋島が呆れていた。

「結局、捕まえたのは、お華か」

 と、大笑いだ。

 こちらも、もう寝ようとしていた所だったので、奥方と一緒に話を聞いている。 奥方は、眉を寄せ、

「お華ちゃんに、あんまり危ないことは……」

 と、心配そうにいうのだが、鍋島は、

「はは。言う相手を間違えてるよ。お華じゃ、旗本相手でも簡単だろう」

 平伏している浩太郎も、顔を伏せながら、笑いを堪えている。

 そして、

「お奉行。申し上げました通り、本人が黙っているので、今のところは何もわかりませぬ。このまま奉行所でよろしいのでしょうか?」

 それには鍋島も、

「そうだな。芸者に捕まったとあれば、黙っていたいと言う気持ちもわかるがの」 と笑い、

「もう、今の時刻、評定所は誰もおるまい。とりあえず座敷牢に入れとけ」

 奉行所でも、狭く、申し訳程度の座敷牢が一つある。

「夜勤の者に、厳重に警戒するよう、伝えよ」

 浩太郎は、頭を更に下げ、

「はい。委細、承知致しました」

 こうしてその夜は、ようやく終わった。



(3)


 二日後、岩本町の屋敷で、お華、おみよ達とそしてノブ夫妻と優斎が、一緒に朝食を取っていた。

 昨晩の事やら、色々話していると、庭の方に、浩太郎と佐助がやって来た。

「あら、兄上。こんな朝早くからどうしました?」

 のお華の言葉に苦笑いしながら、浩太郎は、上がって上座、優斎の隣に座り、佐助は廊下に腰掛けた。

 皆、一斉に挨拶すると、女将のお吉が、

「食事、ご用意致しますか?」

 それを聞いて、おみよが立ち上がるのだが、浩太郎は手を振り、

「いやいや、済まん食事中。おみよ、茶で良い」

 と和やかに声を掛ける。

 優斎が、浩太郎に、

「昨夜は、どうなりましたので?」

 浩太郎は、おみよが入れたお茶を受け取りながら、

「全く、手間の掛かる事だよ」

 苦笑いだ。

するとお華が、

「あれ、やっぱり旗本でしょ?」

 浩太郎は大きく頷いて、

「お華はともかく、ノブさん昨日はご苦労だった。サキさん、済まない事だった。俺は危ないからノブさんに頼むなって言ったんだが……」

 と、お華に顎を振り、

「あいつが言う事聞かないから。本当に申し訳なかった」

 夫婦は、笑って深くお辞儀すると、お華は、

「何言ってんの、佐助さんに見張りまで頼んで置いて、最初から分かっていたくせに」

 とズバリ言われ、浩太郎は苦笑い、優斎が声を上げて笑った。

 そして、浩太郎は、

「あの辻斬りはな、奉行所で、お奉行が自ら尋問したところ、やはり、旗本千五百石、真柄様の次男と判明した」

 すると優斎が目を大きく開けて、

「お旗本でしたか……。しかし何故、槍など持って辻斬りなど」

 それには、浩太郎も呆れた顔で、

「本当に馬鹿馬鹿しいよ。何でもな、愛宕神社のお告げで、千人斬りを思い立ったんだと」

 と、言葉を投げる様に言う。

 一同は、皆驚いた。

「千人斬り? 何ですそれ?」

 お華の言葉に、浩太郎は頷き、

「どうもな、養子の話は上手く行かないし、これでは先行き心配と、愛宕に祈願したところ、そういうお告げがあったんだとよ」

 優斎も、この事にはさすがに驚き、

「しかし、千人斬りで、槍ですか」

 些か呆れた様に言う。

「刀はからっきしなんで、槍にしたらしい。しかし、刀が駄目なら槍だって駄目だろうよ」

 優斎は頷き、

「それはその通りです。そんなんじゃ、ノブさんだって簡単に躱しますよ」

 するとノブが、

「殺気だけが凄かったんで、直ぐ分かりました」

 と、言いながら頷く。

 浩太郎も頷いて、

「全く、馬鹿馬鹿しい、お話さ」

 すると、浩太郎はお華とノブに目をやり、

「お前達済まないが、本日、評定所にてお取り調べがある。今日はその事、伝えに来たんじゃ」

 それには、お華が驚愕する。

 お華は慌てて、

「ち、ちょっと、兄上。なんで評定所? 私もノブさんも、そんな所でお取り調べなんて受ける身分じゃないよ~」

 抗議をするお華。

 評定所は、主に旗本、大名の事件・揉め事や、幕政に関わる重大事件を取り扱う。

 通常は、老中そして、町と寺社の三奉行で裁くが、重大な事件は、これに大目付、目付も加わる。

 言ってみれば、現代の最高裁判所である。


 浩太郎は、大笑いして、

「お取り調べって言っても、捕まえる為じゃない。ただ、今回は大身旗本の事件だ。次男と言えど、辻斬りじゃ罪は免れん。今日は上の方々が、昨日の詳細をお聞きになりたいんだと」

 お華とノブは、大きく溜息を吐く。安心した様だ。

 そして、浩太郎は、

「それに、評定所と言っても、いらっしゃるのはご老中の阿部様、そして鍋島様と遠山様、そして寺社奉行様じゃ。お前にとっては普段と変わり無いだろ?」

 それには、お華はともかく、ノブ夫妻は、色々な意味で驚いている。

 何しろ、筆頭老中・阿部伊勢守に呼ばれ、さらにお華には、いつもと変わりないなどと言っているのだ。

 お吉やおみよは既に承知しているから、それ程ではないが、サキなどには初耳だ。 当然ながら、それは大層驚く。

 お華は、

「ふ~ん。ま、ご老中様はお久しぶりなんで、挨拶代わりに丁度良いか?」

 などと言っているから、余計だ。


 ところが、廊下で笑いながら腰掛けていた佐助の顔が、一瞬で変わり、

「旦那様!」

 と、強ばった声が飛んだ。

 それには、お華兄妹、優斎、ノブには、声より違う、殺気を既に感じていた。

 浩太郎は、すかさず自分の長刀を優斎に渡し、ノブは、杖を自分の横に寄せる。

 そして、浩太郎は、

「みんな、後ろに下がっていなさい!」

 と、叫ぶ。

 おみよは、お吉とおゆきの手を取って、後ろの襖まで一気に下がる。

 浩太郎が、外側の襖の陰に隠れると、

 庭に、五人ぐらいの男達が走って、横に並ぶ。

 既に、お華を真ん中に、ノブ、優斎はその横に立って居た。

 庭の男達の一人が、

「そなたらの無礼により、若君は囚われの身となった! これは家臣として許す訳にはいかん! 覚悟せよ!」

 と、一斉に刀を抜き払った。

 お華は、あははと笑い。

 いきなり、五本ほど簪を手に取った。

 すると、後ろで見ている、幼いおゆきが、

「お姉ちゃん、回った!」

 と叫んだ。

 その通り、お華の描く円から、朝日を受けて男達に飛んだ。

 それは全て、男達の頭に飛び、元結いを切り飛ばした。

 もちろん、それぞれの髪は爆発した。

 そして、今回は頭の皮も一枚斬ったのか、血が顔中に流れ始める。

 男達は、思わぬ先制攻撃に驚愕した。

 お華は、声を飛ばす。

「あんたら、ここは、上様から大奥上﨟年寄り姉小路様を通じてお預かりしているお屋敷! こんな所に、抜き身で一歩でも入れば、打ち首は免れないよ!」

 これには、むしろ、後ろで聞いていたサキの方が驚いていた。

 思わず、横の方に居るおみよに顔を向けると、おみよも分かったのだろう、笑って頷く。サキは思わず口に手を当てる。

 そして、お華は、

「あんたらのお殿様は、確実に切腹だねぇ~。ほら、ここには、もう奉行所の役人もいる」

 しかし、その者達は、髪を振り乱し、

「か、構わん! みんな消してしまえ、斬れ!」

 男達が居間に向かって動こうとした時、既にノブと優斎は、空中にあった。

 襲いかかる者達は、刀を夢中で繰り回すのだが、次々、ノブと優斎に足を断ち切られる。

 珍しく、浩太郎も小柄を走らせ、頭目らしい男の頬を突き破る。

 決着は、一瞬だった。

 浩太郎は、佐助を平次親分に使いにやり、やって来た平次は、それら全てをお縄にして連れて行く。

 こうした場合は、侍にお縄も許される。


 これで皆、一気に緊張がほぐれた。

「全く、もう!」

 と言いながら、お華は自分の所に戻り、早速ご飯を口に放り込む。

 優斎は、刀を浩太郎に返しながら、

「お華さん。相変わらず、大した簪です~」

 笑いながら座る。

 おゆきは、もう、お華のそういった所になれたらしく、ニコニコしながら席に戻る。

 浩太郎に至っては、

「なんと情けない。あんなんだったら、攻めてきた意味がねえじゃねえか!」

 と、茶を呷る。

 サキは、信じられない出来事で回りをキョロキョロしている。

 


(4)


 さて、浩太郎は佐助が戻って、お華に一言言うと、八丁堀に帰っていった。

 そしてしばらくすると、評定所からの迎えの駕籠が来た。

「ひゃ~、駕籠付きなんだ~」

 と喜びながら、お華と荷物を持ったノブはそれに載った。

 

 幕府評定所は、今の千代田区丸の内にあった。

 今となっては、僅かに案内があるだけだが……。

 さて、二人は評定所の大座敷に案内され、指定された次の間に座った。

 お華は、座布団を外し、上座に並んで座る、老中以下、奉行所一座に、

「これはこれは、本日はお招き下さいましてありがとう存じます。私は柳橋のお華太夫ことお華。隣の者はノブにございます」

 と、微笑みながら、深く頭を下げた。

 この日は、老中阿部伊勢守と南北両奉行、そして寺社奉行が並んでいた。


 挨拶を聞いた、南町奉行の遠山は、

「おい、お華。ここはお座敷じゃねえんだぞ」

 と、苦笑する。

 お華は頭に手を当て、

「いや~つい。慣れてしまっているものですから~。どうかお許しください」

 すると、遠山は目を見開き、

「おい! お華。その着物は、まさか一位様の着物じゃねえだろうな!」

 と、江戸弁で問う。

 この日は、妙に派手な、着物を着て、おまけに打掛も羽織っている。

 お華は笑って、手を振り、

「いえいえ。妖怪に呼ばれたのなら、それも考えますが、本日はそんな事は全く考えておりません。まあ、折角ですから、本日は姉小路様の着物でございます」

 その言葉には、遠山はもちろん、他も驚いている。

「あっぶねえな~!」

 そして遠山は、お華達の後ろにいる、評定所の留役という係の勘定所の役人に、

「ほれみろ。こいつはいきなり仕掛けてきやがった。庭なんぞに座らせたら、おめえら、御役御免だぞ!」

 その彼らは、青い顔で平伏する。

 すると、阿部が苦笑して、

「お前達(芸者と盲人)だから、最初は庭で良いんじゃ無いかとか、言っておったのじゃ。わしでさえ後が怖いわ」

 お華は再度、手を振り、

「本日は、そんなつもりではございませんよ。あの時、一位様のお着物とは言っておりましたが、一位様に頂いたのは実は反物。今では母が、厳重に保管し、毎日、手を合わせている様で、あの時も、これと同じ姉様の着物でございます」

 それには遠山は、驚愕して、

「ありゃ、引っかけか? 驚いたな~」

 すると、北町の鍋島が笑って、

「どっちにしても、鬼門じゃ。さすがだなお華」

 お華は、微笑みながら、

「これは、思わぬお褒めのお言葉。ありがとうございます」

 と、頭を下げる。

 隣のノブは、詳しい事は何も分からないのだが、微笑んで聞いている。

 そしてお華は、右に手を回し、

「そちら様は、寺社奉行、脇坂様でございますね。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。初めてお目にかかりますお華、そしてノブにございます」

 と、改めて二人が頭を下げると、お華が続いて阿部に向かって、

「あの、昨日の件でのお呼び出しとお聞きしておりますが、どういうことでしょう?」

 やっと、本題に入った。

 しかし、阿部は、

「奥は何故かお華の贔屓での、お華を評定所に呼ぶ何て言ったものだから、わしは奥に叱られてな。いや、罪があって呼ぶのでは無いと言い訳じゃ。困ったものよ」

 などと苦笑いだ。

 すると、奉行二人が、

「内でもございます!」

 と声を合わせて言い。

 鍋島は、

「うちなどは、なんでお華を辻斬りに使ったんだと怒られる始末にございます。別に私が命じた訳では無いのに」

 それには、一同大笑いだ。

 笑顔で聞いていたお華は、

「いつもいつも、奥様方にはお世話になっております。お伺いすると皆様喜んで下さいまして」

 と、頭を下げるとお華は、遠山に、

「そうそう遠山様。お尻は大丈夫ですか? 奥様がえらく御心配でしたけど……」

 これには遠山も頭を抱え、

「信じられない。なんでその様な事、お前が知っておるのじゃ。もうお上に届けを出したわ!」

 遠山は痔持ち。そうなると馬では、登城が厳しい。

 馬での登城が決まりとなっているのだが、彼は届けを出し、駕籠での登城が許されている。

 さすがに鍋島は、

「これは、お華に一本取られましたな、遠山殿」

 遠山は、眉を寄せ、

「油断も隙ありゃしねえ!」

 と腕を組んで、少々怒っている。

 そして阿部は、

「済まんがお華。当日の状況、もう一度説明してくれんか。さすがに旗本の事じゃ。しっかり聞いておきたいのでな」

 お華は、深く頭を下げ、

「はい。申し上げます」

 と、柳橋から、三味線堀までの様子を説明した。

 そして、現場の様子を話し出す。

「このノブさんを先に歩かせ、私は三間程、後ろを歩いておりました。そうしましたら、武家屋敷の間の暗い道から槍が突き出されたのです。しかし、この人。盲目ですが、そうは見えても腕は一流」

 と言って、後ろに控える留役の者に、蝋燭を一本持って来るように言って、

「そうはいっても、直ぐにはお信じには慣れないでしょうから。一太刀お見せ致します」

 持ってきた蝋燭を、ノブに小声で、

「抜き打ちで縦に」

 と言って渡し、端に引いた。

 するとノブは、自らその蝋燭を上に飛ばし、膝を立て、驚きの早さで仕込み杖から抜き打ち、見事、蝋燭のてっぺんから断ち切った。

 これには、武芸に秀でた遠山はもちろん、他の者達も驚きを隠せなかった。

「なるほど……」

 と言う阿倍の言葉に、お華は、

「こういう人ですから、殺気や僅かな音も聞き分けます。私はこの人に、槍を感じたら、横に飛べと申したのです。当然、見事に外します。すると下手人は慌てたんでしょう。更に踏み込んで、再び槍を突き込もうとします。でもそれが私の狙い目」

「そこで簪か?」

 との遠山の言葉に頷き、

「顔、肩、腕、膝と打ち込みました。それで、この人は足を斬って終わりです」

 阿部を初め、上座の者達は唸り声だ。

「以上でございますが、何か問題ございましたでしょうか?」

 阿部は首を振り、

「問題など全く無い。殺しもしていないのだから、重畳じゃ」

 お華は加えて、

「痛がる中ですけど、本人は、身元を明かしません。ただ、私はこれでも奉行所の者。着物などから直ぐ想像はつきましたけど、念の為、奉行所に連れて行き……もちろん縄は掛けていませんよ」

 と笑い、

「後は、お奉行様に全てをお任せ致しました」

 遠山は、笑顔になって、

「うむ。完璧じゃ。一点の無礼も無い」

 阿部は、

「それじゃ。本日、そなた達を呼んだのは、単なる無礼打ちと、家の方から訴えがあったからなのじゃ。それには、お前達に話を聞かねば、判断出来ぬからな」

 お華はその言葉に、

「何が無礼なものですか」

 と薄く笑う。

 そして、

「ご老中様。実は本日の朝。その下手人の家来と申す者達五人が、我が屋敷に討ち入って参りましたよ」

 それには、皆目を見開き、驚いた。

「なんと。攻めて来たと申すのか!」

 阿倍の言葉にお華は頷き、落ち着いた声で、

「はい。鍋島様は、ご登城でまだご存じではないでしょうが、兄によって、一応、北町の牢屋にぶち込まれていると存じます」

 鍋島は、慌てて自分の従者を呼び、様子を聞きに走らせた。

 遠山は、腕を組み、

「あ~あ、そんな事してしまったら、庇う事なんぞ出来ませんな」

 と、吐き捨てるように呟く。阿部も同じく、

「本当じゃ!」

 額に手を当て、困った顔だ。そして、

「奉行所の者も居るのに斬り掛かるのでは、どうしようも無い。しかも相手はお華じゃ。相手が悪すぎるよ」

 遠山は、大笑いする。

 阿部は、姿勢を正し、

「お華。言い分はよく分かった。今日はご苦労だった。下がって良いぞ」

 終いを告げる言葉を言ったのだが、お華は首を傾げ、

「もう宜しいのですか? まだ、お確かめになる事が残っておりますのに」

 などと言うものだから、阿部が驚いて、

「な、何? 残っていると?」

「はい。私が芸者であるのは、既に皆さんご存じでしょうが……」

 お華は、横のノブを指し、

「この者が、三味線引きだというのは、まだお確かめではございません」

 ここまで言うと、遠山と鍋島は、同じ様に俯いて口を手で押さえる。

 阿部は、眼を大きく開け、

「どうすると言うのじゃ」

 お華は、満面の笑顔で、

「もちろん、一曲、聞いて頂きます。ご確認頂きましたら、ただの芸者と三味線引きが襲われたと言う事がハッキリ致します」

 と、笑う。

「お~、なるほどな」

 阿部もようやく分かった様で、こちらもさすがに笑みとなる。

 お華は、ノブに用意させ、後ろの評定所留役達も前に行かせ、準備が出来ると二人は、正面に深く頭を下げ、

「お待たせ致しました。確認とは申し上げましたが、一方でお心休めになれば幸いにございます」

 遠山は、嬉しそうに手を叩き、

「殊勝な事じゃ、嬉しいぞ!」

 と、声を掛ける。

「本日は、お酒もございませんが、どうぞご容赦下さいませ。それでは、一曲、深川節。踊りと三味線、お楽しみくださいませ」

 お華は、スクッと立ち上がった。

 そして例の如く、後ろのノブが、まず一音を響かせる。

 お華の身体が、評定所に舞った。



(5)


 二日後、お華は八丁堀の屋敷に呼ばれた。

 到着したお華は、浩太郎より、おさよの側に行って、

「どう? 姉上。身体の調子は?」

 と、心配そうに聞く。

「うん。順調よ」

 おさよは和やかに、お腹に手を当てながら笑う。

 正面には、裕三郞も座っていた。

「あら、サブちゃん、上(屋敷)はお休みなの?」

 裕三郞は笑顔で頷き、

「何か有ったら、産科の先生や、兄上に知らせねばなりませんから。一応待機してます」

 それには、お華も、

「うん。うん。感心感心」

 と笑う。

 そしてようやく、浩太郎に、

「何かありました?」

 と、また素っ気なく聞く。

「おいお前。評定所で、ノブに三味線弾かせて、皆様の前で踊ったんだって?」

 それには、おさよと裕三郞が、驚いた。

「え? 評定所ですか? そんな所で……」

 裕三郞は、半ば呆れて言った。

 お華は笑って、

「仕方無いでしょ? 私らのご確認と老中様が仰るからさ」

「ろ、ご老中様?」

 裕三郞は、本当に驚いて呆れた。

 浩太郎は渋い顔で、

「全く。筆頭老中様や町奉行、寺社奉行様の前だよ。よくお手討ちにならないもんだ」

 それには、おさよが、

「それは無理よ。お華ちゃんにそんな事しようとしたら、返り討ちだもん。その前に遠山様が止めますよ」

 まあ、浩太郎も分かっていることだが、裕三郞は、違う世界の話のようだった。

 そしてお華は、

「で、兄上。どうなったの?」

 浩太郎は少し笑って、

「あの、五人。お前が飛ばしちまった髻の奴ら、お奉行が確認され、やはりと仰ってガックリしてらっしゃったよ。当然ながら、辻斬りの件、姉小路様へのご無礼も加わって、揃って切腹だ」

「あら~。だから止めなさいって言ったのに」

 と、お華は少々悲しげな顔になり、天に手を合わせる。

「五人……」

 と言って、裕三郞は仰天している。

「それで、辻斬り本人は、当然切腹。お家は、お前を消そうとしたもんだから、ご老中様がお怒りで、若年寄様から改易、御家断絶を命じられたよ」

 この浩太郎の言葉に、お華は溜め息を吐き、目を閉じる。

 そして浩太郎は、

「お奉行様は、お華に何か褒美はと仰っていたが、断っといたぞ。じゃ、また花をやろうと言って下さったが、それで良いな? ただノブには、銀三枚渡すという事になった」

「私は良いですよ。お花で充分です。あの連中、おゆきの花、踏み潰しちゃったからね。それで構いません。ノブさんはありがたく。そちらは兄上にお任せします」

「うん。分かってくれりゃそれで良い」

 するとおさよが、

「でも、千人斬りって本当だったんですか?」

 それには、浩太郎が頷いて、

「ああ。愛宕神社を調べたら、願文が出たようだ。今時、槍持って、千人斬りなんて馬鹿馬鹿しいよ」

 裕三郞が、浩太郎に、

「何だか、源平の昔みたいな話ですね」

 と言うと、お華が、

「あ、京都五条の橋の上ってやつ?」

 それには浩太郎が笑って、

「二人とも、弁慶の話だと思ってるだろう」

 それには、お華が、

「え? 違うの」

「あのな。あれは、本当は義経の話なんだ」

 裕三郞も驚いて、

「弁慶の千本刀って話じゃないんですか?」

 浩太郎は頷いて、

「そう。元々は、義経が平家の者達、千人斬って刀を集める事が目的だったんだよ」

 それには、おさよも含めて、皆、驚く。

 浩太郎は、

「弁慶は間違えて、斬り付けられたって訳だが、そこで、義経が源氏の血筋と聞いて、頼んで家臣になったらしい。義経は、母の常盤御前に人斬りを止めるように説得されて終わったと言うのが、本当の様だぞ」

「へ~そうだったんだ」

 おさよも頷きながら、

「母親の言葉で、止まったっていうのは良いですね」

 お華も、

「姉上も、そういう時がくるかしら」

 それには浩太郎が、

「まあ、おさよに逆らうのは無謀ってもんだ」

 と笑い、お華も、

「絶対、あそこの木にくくりつけられて、お尻をビシビシ斬られるわよ」

 などと言うものだから、おさよも大笑いしてしまう。

「ま、そうならないように祈るよ」

 浩太郎は、お茶を飲み、庭に目を向けた。



~つづく~



 今回もお読み頂き、ありがとうございます。


さて、千人斬り。

 まさしく、天魔の所為と言うべき諸行である。

 しかし、その起源は日本では無く、仏典「アングリマーラ教」と、明治時代、博物・植物・民俗学者であった南方熊楠が論文で指摘しています。

 つまり、マレーから伝わった、釈迦の話が起源だと言うのだから驚きです。

 今回のこの話も、捕まった真柄と言う侍は、奉行所で、

「まだ千人には足りない、是非、千人斬りを遂げさせて下さい」

と臆面も無く述べていた様です。

 狂気の事とはいえ、恐ろしい限りです。

 

 もう一つ、評定所。

 江戸時代初期は、実は、審議の終わりに宴会が開かれていた様です。

 その際には、なんと吉原の太夫クラスの遊女が、接待に呼ばれていた様ですから、なんとも、素晴らしい裁判が行われていたと言えます(笑)

 その点、お華の踊りぐらいなら可愛いもんです。


 では、次回もよろしくお願いします。

 ありがとうございました。

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