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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
4/65

④帰って来た男

(1)

 時は、弘化四年十月の或る日。

 その日お華は、神田鍋町(現在の神田鍛冶町)にある、一件の長屋前にいた。

「こんにちは!」

 と、元気な声で声を掛けると、中から腰高障子を開け、女が顔を出した。

「これはお華様。いらっしゃいませ。どうなされました?」

 ここの女将サキが、深々と頭を下げながら、笑顔で迎えた。

 すると、中の方からノブが、

「おお、お華様でしたか。いらっしゃい」

 と、こちらは座りながら頭を下げる。

「さ、汚い所ですけど、どうぞどうぞ」

 お華は中に通される。

 ただ。通されるとは言っても、九尺二間の裏長屋。

 通されても、一歩足を入れる、と言った程度ではある。

 それはともかく、お華は、

「悪いね、朝っぱらから。ちょっと話があってさ」

 と言いながら、(かまち)に腰掛ける。

「いえいえ、構いません。一体、何でござりましょ」

 お華は頷き、

「話の前に、一つ確かめたい事があるんだけど、良い?」

 ノブも頷いて、

「はい。何でしょ?」

 するとお華は、真面目な顔で、

「あなた。金貸しやってる?」

 それには、ノブは笑って、隣に座るサキに顔を向けながら、

「お華さん。あたしゃ、まだ江戸に出てきて、一年ばかり。とてもとても、そんな真似、出来やしませんよ」

 サキも一緒に頷く。

 お華は申し訳無さそうな声で、

「ごめんね。これでも、あたし同心の妹だからさ。聞く事はちゃんと聞いとかなきゃいけないのよ。それにそうであってくれないと、これから言う事も頼めなくなっちゃうの。それじゃ、ノブさん。当道座の位は持ってるの?」

 当道座とはこの頃、男性盲人に対する、いわゆる互助組合の様な団体。

 なんと起源は、室町時代である。

 元々、それ以前に任明天皇の子である、(さね)(やす)親王が盲目で、琵琶などに才のある者を集めていた故事により、それにちなむと言う事もあったのだろう。

 現代の専門家達から、政治的なセンスには? を付けられる初代将軍、足利尊氏が庇護を命じた。

 彼にしては、そして時代を考えると、非常に人権的、そして先進的な組合である。

 もっとも、足利一門の中に、盲目の、明石覚一という琵琶の名手がいたからとも言われるが、あの時代の社会的弱者の為に、唯一優れた決断だと言って良い。

 一方、女性の場合は、瞽女座(ごぜざ)という組織がある。

 男女別れて、組合が成立していた。

 さて、当道座の位というのは、大きく分けて、四つ。

 検校・別当・勾当(こうとう)・座頭。その他、これが更に、七十程別れているそうな。

 ただ、江戸末期にもなると、鍼灸、按摩や琴、琵琶、三味線などを生業としている盲人は総じて、座頭と言われていたそうだ。

 ちなみに、時代劇の座頭市は、按摩屋の市さん。と言う意味である。


「残念ながら、それは持っていません」

 というノブに、お華は笑顔混じりに、

「まあ、金かかるからね~。そんな事もあって、お上も金貸しを許しているんだろうけど、検校なるのに七百両って言うんでしょ? それじゃぁね~」

 最高ランクの検校が七百両(現代なら大きく見積もって、七千万円)が必要。

 ならば、他も知れたもの。

「とても、とても」

 ノブは、手を振って、笑顔で答える。

「それは無くても良いのよ。私はどうせなら、三味の腕でなって欲しいと思ってるからね。そもそも、そう言うもんだと思ってるし」

「ありがとうございます。お華様」

 二人とも頭を下げる。

 すると、お華は、

「そういう事なら、安心ね。あんまり、お上にも揚げ足取られたくないしさ」

 と、少し微笑み、続けて、

「あのね。ほら、この前。三味の仕事があったらって言ってたでしょ?」

「へい」

 ノブは頷く。

「それでね。今日はお願いがあって来たのよ」

「お願いですか?」

 お華は笑顔で、サキにも顔を向けながら、

「うん。あのね、柳橋芸者の三味線。この先生になってくれないかなって」

それには、ノブは勿論、サキも驚きの顔だ。

「げ、芸者さんの? でもお華様、お華様に言うのも何ですが、皆さん既にお上手でしょうし、今更私がですか?」

 ノブが慌てた様子で、お華に言うのだが、お華は手を振り、

「ううん。ちょっと違うの。下地っ子って、要するに、まだこれから芸者になろうかっていう子供達に教えて欲しいのよ」

 そう言われて、ノブは、多少安心した顔で頷き、

「ああ、そう言う芸者さんの事ですか……」

 と、少し安心はしたものの、

「つまり、三味のイロハを教えろって事ですか。さて、それは分かりますが、私に勤まりますかね~」

 ノブは自分の事ではありながら、少々、不安だ。

 やはり、目が不自由と言う事があるのだろう。

 それは、お華にも分かっていた。

「まあ、さすがに戸惑う事もあるだろうけど、最初のうちは、うちのおみよも一緒に付いてくれるって言うし、慣れれば、何とかなると思うよ」

「ほう、おみよ様も……」

 でも、まだ不安の色は隠せない。

 すると、今まで黙って聞いていたサキが、

「こんな良いお話。お断りする気ですか? これでやっと、お昼も働けるじゃないの」

 サキは、本当に嬉しそうに、ノブの背中を叩く様に、言った。

 お華は、頷いて、

「私はねノブさん。芸者は、どうしても三味が必要。最初のうちに、せめて三味の良い音を憶えさせたいのよ。教えても人それぞれだから、思ったように上手くならないかも知れない。でもそれなら、踊りって道もある。つまり私みたいなもんよ。それでも音の善し悪しは分かる。どこまでも、上には上があるって事を分かって貰いたいなって思ってるのよ」

 それには、ノブもサキも大きく頷いた。

 お華は続けて、

「おみよ見たいな、柳橋でも上手いと言われる子でも、あんたの弟子にして欲しいって言ってたよ。そういう音なのよ、あんたの三味は」

 これにはさすがに、ノブも恥ずかしげに、

「で、弟子って。こりゃ参りましたな~」

 と頭を掻いて、頷いてしまう。

「じゃ、いいね。受けるって事で」

 それにはノブよりサキが、

「そこまで言って頂いて、本当にこの人は果報者です。これ以上グズグズ言うなら私が蹴り飛ばしてやります」

 内容とは違った和やかな顔で、お華に頭路を下げながら言った。

 お華とノブは、大笑いだ。

「まあ、この件は、おみよが詳しい事を相談して、どうかよろしくね。で、あんたの先生代なんだけど、集まった芸者の月謝はあんたに渡す。教える場所は私の家」

 それには、ノブがビックリして、

「いいんですかい? そんな夢みたいな事」

 すると、お華は少し笑って、

「その代わり、私の妹芸者。て言ってもまだ八歳だけどね。この子は月謝無しで教えて、手伝うおみよに、月十文ぐらいあげてくれる?」

 ノブは、笑って、

「そりゃ、構いませんとも。それでも全然……」

 とサキに顔を向ける。

 お華は、

「まあ、人気次第だけどね」

 と笑いながら、

「まあ、十人以上集まれば、ひと月一両近くには、なると思うよ。それなら女将さんも文句無いだろ?」

 サキは、首を大きく振って、

「そんなに? 文句なんてそんな。本当にありがとうございます」

 平伏して、お華にお礼を言う。

 するとお華は、

「それから、もう一つ。これは女将さんに聞きたい事なんだけど……」

 サキは驚いた顔で、

「あたし? え、一体なんでしょ」

「女将さんは、私の屋敷見たことあるわよね?」

「ええ。ちょっと。外からですけど」

 お華は頷き、

「もし、よかったら、あそこに住まない?」

 それには、夫婦とも飛び上がる様に驚いた。

 サキが慌てて、

「あ、あそこにですか?」

 お華は頷き、

「そう。あそこは元、大名の屋敷で、家来達が住んでた長屋があるんだけど、今だれも住んでないの。ただ、そういう長屋だから、水やら釜なんか大工さん入れないといけないんだけど、もし承諾してくれるんなら、月、百文でいいわ」

 今の九尺二間の長屋でも、大抵、四百文はかかる。

 サキは声が出ない。そしてお華は、

「この前みたいな、騒ぎはもう嫌でしょ? まあ、あそこにいれば、そういった事は無いと思うしね。それからあそこは、ここよりもちょっと狭いから、壁壊して、二件分使って良いから。そんな大工さんの手間も、ノブさんにある程度収入が出来てからで言い様に頼んでおく。この条件で考えといてくれる?」

 ノブが、感極まった顔で、

「そんなに私共にご親切を……ありがとうございます」

 深々と頭を下げる。

 ところが、お華は笑って、

「そう言ってくれるなら、ノブさん、暇な昼間は門番だからね」

 と言うから、サキが大笑いする。

 そしてお華は、

「でも、三味弾きながらは駄目よ。却って人が集まってきて、何の役にも立たないから」

 と、こちらも大笑いする。



(2)

 

 神田鍋町から、屋敷に帰ってきたお華。

 居間の廊下に、腰を下ろしていた優斎を見つけ、

「どうしたの先生。こんなところで。仕事は?」

 と笑顔で聞くと、優斎も和やかに、

「今日は、お休みです。それより、お華さんを待っていたんですよ」

「あら! 私を?」

 妙に嬉しそうに、胸に手を当てる。

「済まないんだけど、八丁堀に、一緒に行って欲しいんだけど……」

 それには、お華もちょっとの落胆と同時に、少々驚き、

「八丁堀?」

 と言って、

「いや、それは何でも無いけど、私が行くと、兄上が嫌な顔するからな~」

「嫌な顔? 浩太郎さんが?」

 お華は頷き、

「また、何か厄介事だろうってさ」

 それには優斎も大笑いして、

「だって、お華さん。そう言う時にしか、八丁堀行かないからでしょ?」

「ま、まぁそうだけど……」

 と声が小さくなる。

すると、庭の花畑の方から、おゆきがバタバタと走ってきた。

 そのまま、お華にぶつかっていく。

「相変わらず元気ね~おゆき」

 お姉ちゃん! と嬉しそうにお華に顔を埋める。

 後ろから、おみよが来たので、お華は、

「おみよちゃん。ノブさんに三味の件、話してきたよ」

 と言うのだが、おみよは少々難しい顔で、

「あのね、姉さん。私も朝のうちに柳橋の女将の家に行ったのよ。どうせ、ノブさん断らないだろうと思ってさ……」

 少し、声が低い。

「どうしたの?」

 お華が聞くと、

「あのね。先生頼むのは良いけど、まず最初に女将さん達が、その人の腕を見たい。とか言い出しているのよ」

 お華は、眉を寄せ、

「何だと! 下地っ子の為に先生探せって言ったのは、あいつらじゃない!」

 肩を怒らせ、怒鳴った。

 おゆきが少々怯えながら、下からチラッと見上げている。

 おみよは呆れた顔で、

「もう! 姉さんはすぐ、けんか腰になるんだから」

 と言うと、座っている優斎が大笑いし、

「お華さんにそんなこと言ったって無駄ですよ」

 おゆきの頭を撫でてやる。

 この時の女将というのは、いわゆる芸者屋の女将さんの事。

「だって! 先生。せっかく私が聞きに行ってやったのに……」

 すると優斎は、

「そりゃ、お華さん。あの人達も、親から預かったんですから、それぐらい確認したいでしょうよ」

 さすがに、そう言われると、お華もトーンが下がってしまう。

「そ、そりゃそうだけど……」

 そして、お華はおみよに、

「じゃ、おみよちゃん。悪いけどもう一回鍋町に行って、その事話してくれる? ほら、長屋の件もあるから、明日昼、夫婦で来るように言ってあるのよ。だから、ちょっと早めに、ついでに三味も持って来るようにってさ」

 ようやく話が進んだか。と笑うおみよは、

「わかった、伝えておきます」

 と言うと、突然、おゆきが、

「ねえ、ねえ、お姉ちゃん。あたしも一緒に行っていい?」

 と、お華にせがむ。

 お華は笑って、

「いいけど、途中で飴とか、おみよにねだっては駄目よ。おゆきの三味の先生に会うんだから、ちゃんとご挨拶してね」

「うん!」

 こういう事は、一転、微笑んで諭す。

 おみよは、笑いを隠せない。


 さて、それはともかく、優斎、お華は八丁堀に向かった。

 玄関で、

「こんにちは! お華よ~」

 と、戸を開けると、おきみが框ギリギリに滑るように飛び込んできて、

「お華姉さん。あ、これは先生。いらっしゃいませ」

 などと言いながら、頭を下げる。

「元気いいねぇ、おきみちゃん」

 と笑い。そして、

「兄上は、いる?」

「はい。今日はお休みで、いらっしゃいます」

 と言って、おきみは直ぐ立ち上がり、居間に走って、

「お華さまが、先生と一緒にいらっしゃいました」

 と言うと、浩太郎は妙に嬉しげに、

「何、先生と一緒? まさか婚礼の挨拶か?」

 などと言うので、聞きながら入って来たお華は、

「んな訳ないでしょ!」

 と、少々怒りながら、前に座る。

 座っていた、おさよは、口を押さえて大笑いしている。

 そこに、優斎も入って来て、

「これは、浩太郎さん。お休みのところ申し訳ありません」

 座りながら、深く挨拶をする。

 するとお華が、

「全く、恥ずかしい。先生が兄上にお話したい事があるそうよ! 私も一緒にって仰るから付いて来ただけよ!」

 と、まだお華は怒っている。

 浩太郎は笑って、

「なんだ。珍しく、良い話だと思ったのに」

 優斎は、何の話か分からないが、それは放っておいて、

「実は浩太郎さん。本日お伺いしたのは、私の弟の事なんです」

 と、軽く頭を下げた。

「弟さん?」

 内容を聞いていないお華も、

「弟って、サブちゃんの事?」

 と、被せて聞く。

 そう、優斎の弟、優三郎の事である。お華はもう、サブちゃん呼ばわりになっている。

 優斎は、少々笑って頷き、

「そう。だからここの娘でもあるお華さんも呼んだんですよ」

 頷くお華。

 優斎は続けて、

「以前、お邪魔した時に、いずれ江戸のどこか塾に。と申しておったのですけど」

 それには浩太郎が、

「おお、あれから、先生と俺が、二、三探して、文で送ってくれたんだったよな。でも、あれって、五年後位とか言ってなかったかい?」

 優斎も、それには大きく頷いて、

「そうなんです。あの折は、本当にお世話になりました。ありがとうございました」

 と、頭を下げたが、

「ところが、今年末、参勤交代の折に、こちらに来たいと言い出してまして……」

 それには、おさよも驚き、

「こ、今年ですか? 先生」

 優斎は頷く。それには浩太郎が、些か笑って、

「すると何か? 仙台の勘定方。もう嫌になったのか?」

 と聞いたが、優斎は首を振る。

 それにはお華が、目を大きくして、

「そうじゃないの? じゃ一体?」

 優斎も、少々笑って、

「実は、これは本人の希望と言う事ではないのです」

「本人じゃない?」

 浩太郎が聞くと、優斎は、

「はい。これは主君、伊達少将様(伊達義邦)のご命令だそうで……」

「なんと!」

 それには、三人とも仰天し、居住まいを正す。

 浩太郎は慌てて、

「伊達様のご命令って……。本当かい?」

「そうなんですよ。私も文だけなんで、あまり詳しい事はわからないんですけど、そうらしいです」

 お華は何やら嬉しそうに、

「やるじゃないサブちゃん。ご主君に認められたの?」

 と、聞くのだが、優斎は難しい顔になって、

「いや。そういう事でも無いらしいんだ」

 その言葉には、浩太郎も不思議な顔で、

「殿様の命令でも、嬉しくないってのは、何かあるのかい?」

 優斎は大きく頷き、

「そうなんです。殿様のご命令では、大砲について調べる様にと言われたんです」

「た、大砲?」

 それには、三人が再び、仰天した。

 お華が慌てて、

「大砲って、あの、大きな、あの……」

 と上手く言えない。

 優斎は、言葉半分で、

「そうです。その大砲です。私もそれしか聞いて無いんで、何故なのかサッパリわからないんですけど……」

 しかし、言っている優斎を見ながら、浩太郎は腕を組んで、首を傾げて考えていたが、ある事が浮かんだ様だ。そして、

「まさか!」

 と言うので、おさよが、

「旦那様? 何か分かるの?」

 浩太郎は、大きく頷き。

「それは、恐らく、海岸警備の為じゃないか?」

「海岸警備?」

 それには、優斎がすぐ反応する。

 浩太郎は、少々声を下げ、

「これはまだ秘密で、町の者は誰も知らない。まあ、こう言う事は、いずれ分かるとは思うがな。でも、今は一応。ここだけの話だ。お華。いいな」

 さすがにお華も真面目な顔で、頷く。

 そして浩太郎は、

「実はな、先生。先日。江戸の海、浦賀に外国船が来たんだ」

 それには、優斎が驚いた。

「浦賀って、三浦半島のあの浦賀ですか?」

 浩太郎は頷く。

 この異国船は、後年のペリー艦隊ではない。

 実はその前に、二隻の外国船が、既に江戸にやって来ていたのだ。

 米国、軽艦隊の提督、ジェイムス・ビットルである。

 この男は、戦列艦・コロンバスに乗り込み。

 そしてビンセンス号を率いて、二隻で浦賀に現れたのだ。

 もちろん、浦賀奉行が数隻の小舟で、それらを囲い、それ以上の侵入は許さなかった。

 想定通り通商が目的だったが、幕府は、これもいつもの事だが、全ての外交交渉は、長崎で行っている事を説明し、そちらに回るよう要請し、上陸は拒否した。

 結局この時は、薪、水、食料の補給のみに止まって、追い返している。


「そうなんだよ先生。皆も知らないのは当然だ。奉行所でも口止めされてるからな」

「外国って、どこから?」

 優斎は、西洋医学者を自認しているから、余計に興味がある。

「なんでも、ナメリカ? とか言うところだ」

 浩太郎が言うと、優斎は大きな声で、

「そ、それは、恐らく、アメリカでしょう! 確か、以前にありましたよね」

 浩太郎は大きく頷き、

「そう。先生もよく知っている、尚歯会。つまり蛮社の獄に関わる一件な」

 優斎は、うんうんと頷く。

 後世、「モリソン号事件」と知られるもので、アメリカ合衆国の商船を、浦賀の日本砲台が打ち払った事件だ。

 その時は、異国船打払令が出ていて、それに基づいて砲撃を行い、それに反対した者を次々逮捕したというのが、蛮社の獄の始まりだ。

 ただ、砲撃とは言っても、その頃の日本の砲弾は炸裂しないから、全く被害は無かった。


 しかし、お華には全然分からない。

「先生。アメリカってどこにある国なの?」

 すると優斎は、

「お華さんならわかるでしょう。八丈島とか」

 八丈島は、遠島で流される島。

 八丁堀のお華なら、当然、名前は知っている。

 お華は大きく頷く。

「アメリカは、その八丈島なんかより、もっと先の、もっと遠くにある国だそうです」

「へ~」

 と、お華とおさよは驚く。

 すると、浩太郎が、

「今まで、楽翁様(松平定信)の頃に、ロシアという国が来た事があったが、あれも、お上は大混乱だったらしい。ただ、その時は佐渡の方だし、断固拒否で済んだらしいが、今回のアメリカ船はいきなり江戸湾だ。水と食料を分けてほしいというのと、やはり貿易だったらしい」

「やはり。それでどうなったんです?」

 浩太郎は頷き、渋い顔で、

「さすがに、浦賀奉行所も必死に、それ以上の航行は阻んだ様だが、言葉もロクに分からないから、一触即発の騒ぎになったらしい。奉行所も行き違いを懸命に誤り、大砲を撃たれずに済んだ様だ」

  それには、優斎が、

「なんと! いきなり戦争になるところでしたか。謝るという事を選択してくれて、本当に良かった」

 浩太郎もそこは、大きく頷き、

「まあな。まあ、その軍備を見て、限界を悟ったんだろう」

 すると、優斎は、

「ようやく分かりました。そういった事があったのなら、全てに辻褄が合う」

 しかし、浩太郎は眉を寄せ、困った顔で、

「でもな~先生。大砲やってる塾なんざ、江戸でも聞いた事ねえぞ~」

 それには、優斎も同じく、困った顔で、

「そうですよね~」

「まあ、とりあえず、探してはみるよ。後は、本人が来た時に相談だ」

 優斎は、頭を下げ、

「誠にありがとうございます」

 浩太郎は、おさよに、

「あそこは、もう準備できているんだろう?」

 と、離れを指差す。

 おさよは、笑って頷き、

「はい。いつでも大丈夫ですよ。ねえ、おきみちゃん」

 後ろのおきみは、話が何が何だか分からない状態だったが、何とか立ち直り、笑顔で頷いた。

「はい。また、掃除しておきます」

「すまないね~おきみちゃん」

 と優斎は、おきみに笑って、軽く頭を下げる。



(3)

 

 さて、翌日。

 全く話は変わって、ノブ先生、お披露目の日。

 朝から、お華と、おみよそして何故か優斎まで駆り出されて、朝の光を受けながら何かを運んでいる。

 なんと、予想より多くの女将が、聞きに来るというので、座布団が間に合わなくなったのだ。

 お華達は慌てて、損料屋を叩き起こし、三人で運んでいた。

 おみよは、多少、辛そうだが、

「先生。先生までお手伝い頂いて、本当に申し訳ありません」

 というと、楽々と、十枚背負っている優斎は笑顔で、

「良いんですよ、これぐらい。しかし、こんなにいらっしゃるとは、驚きです」

 それには、おみよは、少し怒り気味で、

「あ、あの人が悪いんですよ。何でもかんでも喧嘩腰だから。事前になってこの有様なんですから!」

 文句を言ってるおみよを見て、優斎は吹き出している。

「ええい! おみよ! う、煩いわよ!」

 と、先で十枚背負って、こちらも完全にフラフラのお華が言い返す。

 そんな馬鹿話を繰り返し、三人は、屋敷に戻る。

 そこに、ノブ夫妻がやって来た。

「この度はどうも……」

 などと挨拶をして、フラフラの二人は、殆ど声も出ず、笑顔で手を振る。

 代わりに? 優斎が、

「あなたたちも大変ですね~。お華さんに振り回されて」

 と大笑いする。

 しかし、その言葉に、お華の眉が寄る。

「いえいえ、こんな有りがたいお話。本当に感謝しております」

 ノブとサキは、揃って頭を下げる。

 何とか、通常に復帰したお華は、

「じゃ、おみよさん。とりあえずノブさんをお母さんにご紹介して。あたしは女将さんを、部屋を案内するから」

「はい。先生ありがとうございました」

 と、優斎に言葉を残し、ノブを補助しながら、広間に案内した。

お華も優斎が戻っていくのを、頭を下げながら見送ると、お華はサキを連れ、長屋に向かった。

「あら! 意外と新しいのですねぇ」

 と、長屋を外から見ながら、笑顔のサキ。

「そうなのよ。まだ、殆ど使ってないみたいよ」

 と言いながら、腰高障子を開けて、

「水は、もう離れの先生までは通ってるから、それ程間も置かず引けると思うわ。雪隠は、長屋の端。あとは、煮炊きの釜を入れるだけ。んで、狭いから、壁壊すだけよ」

 サキは、部屋に上がって座り、お華は框に腰を下ろして話している。

 そして、

「まあ、二部屋あれば、子供が出来ても、普通に暮らせるでしょ」

 サキはアハっと笑いながら、お華に頭を下げ、

「本当にありがとうございます。これなら、喜んで越して参ります」

 更に深く頭を下げる。

 すると、お華は笑って、

「そうそう、あなたは暇になったら、屋敷の方で昼寝でもしてればいいし。何も気にしないで頂戴」

「え? 良いんですか? ありがとうございます」

 二人は笑い合う。

 そして、お華は、

「さて、今度は、ノブさんか?」


 暫くすると、芸者屋の女将さん連中が、習いに来る娘も伴って、集まり始めた。 彼女達は、試しに演奏を聞くというのが、一番の目的ではあったものの、実は、話に聞く、「お華御殿」を見学。というのもあった様で、皆、あまりの大きさと広さに仰天している様だった。

 お華達は、来る客をそれぞれ案内し、席に座らせる。

 おみよはともかく、お華は、キッと目を飛ばし威嚇している。

 呆れたおみよは、それを放っておいて、お吉とおゆきを席に座らせ、集まった所でノブを紹介した。

 結局、座布団は間に合わず、優斎の診療所からも追加するぐらい人が集まった。 仕方無いので、優斎とお華、サキは廊下に腰を掛けていた。

 仕事どころではない、優斎は苦笑しながら、やって来て、お華達と話している。


 さて、ノブが出てきて、皆に挨拶したあと、準備に入った。

 お華は事前に、

「いつものお店で弾く様にしてくれれば充分よ。あまり気合いを入れすぎないでいいわよ」

 と笑って言った。緊張を解くためなのだろう。それが分かるノブは、笑顔で頷く。 そして、一曲目、いつもの様に一音鳴らす。

 続けて、演奏に入ると、曲中にも拘わらず、響めきが起こる。

 お華は、フンと、如何にも分かったかと言う様な笑顔で、彼の曲を聴いている。 お吉やおゆきも初めて聞く、この演奏は、おゆきはともかく、お吉は本当に驚いたようだ。

 おゆきを握る手に少々力が入る。

 三曲、演奏が終わると、ノブは、深々と頭を下げる。

 大きい拍手喝采だった。

 目出度く、ノブも仕事にこぎ着けた様だった。



(4)

 

 ノブ達も引っ越して来て、その年の年末近くなった。

 サキは、お華達が、下男下女部屋に寝起きしている事に驚き、

「なんで、広いところにいかないんです?」

 と、お華に聞いた事がある。

 その時お華は、眉を顰めて、

「落ち着かなくてさ~。私たちも、元は長屋に住んでたから、いきなり広くなってもねぇ。夜、広間に一人で寝てたら気味悪いよ~。あんまり静かで風がピュウピュウするしさ」

 それにはサキも大笑いとなった。


 さて、この日は外の庭で、おみよが三味を弾いて、おゆきに踊りを教えていた。 もちろんお華が、手の位置や足の位置など、細かく指導している。

 おゆきはいやな顔一つせず、素直にお華の言葉を聞きながら、幼いながら上達が著しい。

 そんな時、おみよの三味が途中で止まった。

 お華は、おみよに顔を向け、

「どうしたの?」

 と聞くが、おみよは大門の方を見詰めている。

 なんと、見知らぬ男が、笑顔を日に輝かせながら、歩いて寄ってくるのだ。

 お華もその視線を追って、大門の方を見ると、若そうな侍が大きく手を振ってやって来た。

「お華さん~」

 である。

 お華も最初は、怪訝な顔をしていたが、誰だか気付き、途端に笑顔となった。

 そして、

「おお、サブちゃんかい!」

 近づいた、裕三郞はお華に、頭を深く下げ、

「お久しぶりにございます」

 と言うと、お華は、裕三郞を上から下まで見て、彼の肩をポンと叩き、

「いや~大きくなったね~」

 笑顔で迎えた。

 裕三郞とお華が初めて会ったのが、裕三郞十二歳の時。

 永代橋で迷子になっていた彼が掏摸の被害にあいそうになったのを、救ったのが、お華だ。

 その頃は、まだ体格も何も、ただの子供だったが、今、目の前にいる彼を見ると、さすがにお華でも、年月の移り変わりを感じてしまう。

「今回は迷子にならなかったね~」

 などとお華にからかわれ、裕三郞もそれには、恥ずかしそうに笑ってしまう。

 そして、おさよも笑顔で立ち上がって近くにより、

「これは、裕三郞様。久方振りにございます」

 と、頭を下げる。

 しかし、おゆきは、当然ながら、一体誰なのかわからない。

 裕三郞は、おゆきを見て、

「お華さん、この子はあの時赤子だった?」

 お華は、笑顔で頷き、おゆきに、

「おゆき。こちらは、優斎先生の弟様よ。キチっとご挨拶して」

 と言われ、彼女にも分かったらしく、笑顔で「初めまして、ゆきです」と頭を下げる。 

 そして、お華は離れに向かって、

「先生! 優斎先生!」

 と大声で呼ぶ。

 なんだ? と顔を出した優斎もすぐ、分かった様だ。

 慌てた様に、外に出て走ってくる。

「兄上。お久しぶりです」

 と、裕三郞は頭を下げる。

「おお。大きくなったな~」

 と言うから、裕三郞とお華は、大笑いした。

 ほぼ、優斎と背丈がか変わらなくなった。

 そしてお華は、

「どうする?」

 と聞くと、優斎は裕三郞に、

「兄上は?」

「はい。私に遅れて、上屋敷を出たと思いますので、暫くしたら八丁堀に……」

「そうか。じゃ、お華さん。一緒に行こうか」

 お華は嬉しそうに、

「はい」

 と頷く。


 そして、三人が八丁堀に着くと、少し遅れて、父であり、又、兄でもある裕一郎も八丁堀にやって来た。

 浩太郎を初め、お互いの挨拶が終わった後、まず浩太郎が、

「優斎さんから、文の件。お伺い致しましたが、大砲というのは、誠にございますか?」

 すると裕一郎は、頭を掻き、

「そうなのじゃ。これには儂も驚いてしまったわ」

「なんでも、伊達のお殿様。ご自身のお申し付けとか?」

「うむ。まあ、そうなのじゃが、結局はご家老連中の話し合いで決まったらしい」 浩太郎は大きく頷いた。そして、

「あの、お兄様。もう一つお伺い致しますが、大砲製造というのは、お上の方から命ぜられたのでしょうか?」

 と聞くと、裕一郎は、

「いやいや。ご公儀からは、沿岸警備をとの事だけなのだが、我が殿がな……」

すると浩太郎は、笑顔になり、

「ようやく分かり申した。確かに大変な事態なのですが、とは言え、いきなり大砲を伊達様に命じるなど、信じられぬと思ってましたから」

「ほう。何故じゃ?」

「確かに、先日の異国船騒ぎに、海岸警備は必要とは思いますが、だからといって大砲作れは、ご公儀にしては余りに焦りすぎにございます。他の小藩に、大砲作りを手伝えというなら分かりますが……ここだけの話ですが、伊達様のような大藩に、異国のような大砲など申してしまったら、自分の首を絞める様な物です。ご無礼な事、申し上げて申し訳ありません」

 それには優斎も、大きく頷く。

 しかし、お華とおさよ。そして裕三郞も意味が分からない。

 そして、裕一郎は、

「いやいや。その様に言って頂いては……。まあ確かに、仰る通りかも知れません」

 すると浩太郎は、

「とはいえ、お殿様のご要望と言う事でしたので、私共、奉行所の同心などに協力して貰って、大砲を教えてくれる先生を探したのですが、江戸には全くおりませんでした。誠に、申し訳無いことです」

 と、浩太郎は、深く頭を下げた。

 さすがに、裕一郎は恐縮して、

「皆様に、それ程ご協力頂いたとは……これは、私共の方こそ、感謝致します。どうか、これ以上はお気遣いなく」

 と、裕一郎と裕三郞は頭を下げた。

 すると、優斎が、

「しばらくは、上屋敷勤めなのか?」

 と、裕三郞に聞くと、

「はい。兄上」

 裕三郞は、頷く。

「しばらくは、江戸で、様子を窺うしかあるまい。ねえ、兄上」

 裕一郎も、

「そうだな~」

 と腕を組み、頷く。

 すると、浩太郎が、

「まあ、しばらくあそこで……」

 と離れを指差し、

「ごゆっくりして下さい。待てば海路……って事もありますでしょう」

「ありがとうございます」

 と父親でもある裕一郎は、深く感謝して、頭を下げる。


 酒やつまみも出て、色々話していると、浩太郎は、裕一郎に、

「ご無礼ながら、一つお伺い致します。そのお殿様の大砲の話、もしかしたら、水戸様辺りに、感化されたのでは?」

 それには、盃を持つ裕一郎が、それを直ぐ下に置き、

「よくお分かりですな~。まさしくそうなのです。何やら、ご意見をお耳にされたと、仰っておられました」

 浩太郎は頷いて、

「やはり……。何かと、大砲、鉄砲と次々に、上様に建白するとの事で、我が北町のお奉行も、余りのうるささに、困ったもんだと仰っておられてまして……」

 裕一郎は大きく頷いて、

「なるほど、左様にございますか。それが回り回って、我が殿のお耳に……」

「そういう事でしょうな」

 二人は、また盃を持って、沈思する。

 すると、何故かお華が突然、

「んな。水戸様の話なんぞ、話半分に聞いて置いたら良いのです!」

 などと、言い出す物だから、浩太郎、おさよ以外は、仰天した。

 とは言え、浩太郎は、

「これ! お華。御三家の水戸様にご無礼では無いか!」

 と叱りつけるのだが、お華はそのような事は聞きもせず、

「お兄様。お殿様に仰ったら良いのです。水戸様の言う事を信じると、碌な事はございませんと」

 さすがに、裕一郎は、少々興味が湧いたのか、笑顔で頷き、

「それはどういった事です? お華殿」

 するとお華は、

「あの水戸様。いや、斉昭公は、大奥でも一番に嫌われております」

 そんな方向の言葉には、優斎も少々驚き、

「何ですお華さん。何で嫌われているのです?」

 と聞くと、お華は、少し機嫌悪そうに、

「あの方は、女癖が最悪なのです」

「お、女癖?」

 三兄弟は、意外な、そして初めての話に驚愕している。

 しかし、浩太郎とおさよは、「あの話か……」と二人で含み笑いをしている。

 お華は、少々、興奮気味で訴えるように、

「あの方は、大奥、中臈だった唐橋様をかすめ取り、ご自分の側室にしてしまったのです!」

「お中﨟を? しかし、お中臈様と言えば、上様が……」

 と、優斎が言うと、お華は、

「そうなのです。そんな事やっておいて、お家の方で、色々あったらしく、子供も産んだのに、京へ追い返してしまったのです」

「京へ?」

「そうなんですよ、その唐橋様と仰るお中臈は、それは美しいお方だったそうなんですが、実は、その唐橋様は、あの姉小路様のお妹様なのです」

 そんな話初めて聞く、裕一郎、優斎は目が点になって聞いている。

 そして、お華は、

「それは、お家のご都合もございましょうから、色々あるんでしょうが、許せないのは、それから、また取り戻したくなったらしく、姉小路様に、水戸に帰るよう口添えを頼むとか、仲介の書状なんか出しているんですよ~」

 裕一郎は、全く想像つかない話で、

「お華殿。あなた、その水戸様の書状をご覧になったので?」

 お華は大きく頷き、

「以前、私と姉上で、姉小路様護衛で、大奥に入った事がございます。私は姉小路様の後ろで、眠たいのを我慢していると、突然、姉小路様が困った表情で、これを読め! と書状を渡された事があるのです。中身はえらく難しい書き方でしたが、姉小路様の説得で、水戸に戻ってくるように口添えしてくれ。なんて、とても御三家の方、いや、大の男とは思えない様な事を言ってくるものですから、それが大奥に広がり。全体が水戸は許せぬ。となった様で……」

「ひえ~! お華さん凄いな。大奥宛ての手紙まで見ちゃったんだ。しかも御三家の……」

 裕一郎と優斎は顔を合わせて、再び驚く。

「全く!」

 浩太郎は、お華に言い過ぎだと怒りながらも。

「ただ、私もそれには驚きました。道理で、あれだけお上に、大きな船だ、大砲だと言っても、全く聞き入れてくれない訳です。まあ、お華の言う事に同意したくはないんですが……」

 と、少し笑い、

「やはり、伊達のお殿様には、今は、ご参考程度にとお話していた方が良いかとも知れません」

 ちなみにこの事は、後年の災いを導く、切っ掛けにもなったのである。

 

 すると、裕一郎は大笑いして、

「こりゃ、凄い話を聞いたわ。まさかそんな事とは…… お華殿。当家の留守居より、よく分かってらっしゃる」

 と、優斎と裕三郞と顔を合わせて、呆れるように笑っている。

 そして浩太郎は、

「大砲の教えは、暫くご猶予を。何しろ、先の御改革で、そういった事に詳しい者は、妖怪に殆ど処分されまして、行くとしたら、お上の勘定方で代官の江川様という方なんですが、伊豆の韮山で、大砲製造をやっているそうです。ただ、こちらはお上の勘定方。さすがに、伊達様の勘定方に、簡単にお教えしてくれるがどうか」

 すると優斎が、

「ああ、その方、お聞きした事ありますよ」

 と頷く、

「ですから、許可を頂くのも、それなりに時が掛かるかと思います」

 裕一郎は、大きく頷き、

「なるほど。それでは仕方ありませんな。しばらくは江戸で、勘定方の仕事をするしかないぞ。裕三郞」

 それには、裕三郞も頭を下げる。


 酒を呑みながら、ふと、裕一郎が、

「いや、私の母も、出来ることなら是非、お華殿にお会いして裕三郞の事、お願いしたいと申しておりましてな」

 その言葉には、お華、おさよも驚く。

「あらま、お母様が、このお華にですか?」

 と、おさよが聞くと、裕一郎は苦笑いで、

「ええ。裕三郞が江戸に行きますと、遊び回るんではと心配しておりまして……」

 それには優斎は大笑いする。

 しかし、当人。裕三郞が、目を三角にして、

「父上! そんな事を。私は遊び回ったりしませんよ~」

 と言うのだが、浩太郎が、

「お華。お母上様が、御心配だそうな。どうする?」

 少々笑って、お華に聞く。

 すると、お華は途端に厳しい顔で、

「お兄様は、私が芸者もやっていると、ご存じですよね」

「おう。それは……」

「明日にでも、江戸すべてのお座敷、そして、芸者連中。そして最近では、吉原にさえ、知り合いが出来ましたので、伊達の勘定方、秋月裕三郞様が来たら、直ぐに私に知らせるよう、全てに連絡しておきます! そして岡場所には、北町に頼んで人相書きを入り口に貼って貰います」

 と頭を下げながら、力強く言うのだが、裕一郎はそれには大笑い、そして、北町まで出したのには、浩太郎も下を向いて吹き出してしまう。

 同時に裕三郞は、

「ええ~!」

 などと、悲しい悲鳴を上げる。

 そして、お華は、

「これは、例えば北の若い同心などのお母上などからも、依頼を受けている事でして、裕三郞様一人加わったとしても、大した事ではございません」

 これには、おさよが大笑いして、

「そうそう、とくぼんなんか、遊ぶどころか、柳橋に近づきさえしないもんね」

「そう。あそこも母上様が、えらい御心配で、変な事してたら、簪投げてもいいから、引っ張って来いってと仰ってます」

 浩太郎は、頭を掻きながら、小さな声で、

「気の毒にな~」

 と笑っている。

「お兄様。裕三郞様は、そこに足を入れた途端、直ぐに私が行って、首根っこ掴んで、優斎さんの所に、引き摺って参ります。そして優斎さんは、一刀流で、お尻を晴れ上がるほど、引っ叩いてくれるでしょう。ね、優斎さん」

 優斎は、後ろにひっくり返って、喜んでいる。

 そして笑いながら、

「と、当然です」

 と叫び、裕三郞は、

「ひえ~」

 と驚愕の顔で、再度の哀れげな悲鳴を上げる。

 そしてお華は、

「多少、お気の毒ですが……」

 笑いながら、

「これも、お母上の仰せであれば、致し方ありません。御覚悟を!」

 もう、それには裕一郎も、満足げな顔で、

「いや~、そこまでして頂けるのならば、私共夫婦も勿論、さぞ母上も安心の事でしょう、よろしくお願い申し上げます」

 笑いながら、頭を下げる。

「父上~!」

 裕三郞は、もう半分泣いている。

 浩太郎は、同情を禁じ得ない顔で、

「まあ、お華にそんな事言われたら、どうしようもないな。三郎さんは、上屋敷行く以外は、閉門蟄居だと思った方がいいぞ」

 これに皆、大笑いする。

 裕三郞は、ガックリと全ての力を失った。


~つづく~



 今回も、お読み頂き、ありがとうございます。

 さて、「招かざる客」と時を同じくして、あの男が帰ってきました。

 サブちゃん(笑)はともかく、ピッドルの来航は、初めての江戸来航と言う事もあって、後のペリー来航より、幕府はかなりな衝撃を受けた様です。

 何しろ、いきなり将軍の本陣に、大砲持って、突っ込まれたのと同じですからね。

 

 その時、浦賀奉行所は、必死にそれ以上の侵入を防ぎましたが、ピッドルは、上陸させろと迫ったとか。

 しかし、言葉も通じないから、終いには殴り合いになってしまい。怒ったピッドルは、砲撃準備を命令したと言われています。

 危うく、第一次、江戸湾(東京湾?)合戦になるところでした。

 対応に当たった者が、言葉も分からず必死に謝罪し、この時はこれで納まり、沿岸から離れた様ですが、どうやって、謝罪したんでしょ? 

 今だから言えますが、その辺は本当に可笑しい。


 これが明治維新への第一歩なんでしょうね。

 ただ、この時、西郷は、薩摩の郡方助勤、桂と言えば、もうそろそろ、剣術留学をしようか? 龍馬に至っては、まだ14歳ぐらいですから、国内的には、維新のいの字も始まってはいませんが、もうすぐ、それらの人々に衝撃的な事件が起こる事になるでしょう。

 

 さて、もう一つ。お華が水戸を怒っていた件ですが、話としては、本当の様ですよ。

 とにかく、大奥における水戸の不人気は相当のものだったみたいです。

 本文でも書きましたが、この事も後に始まる、大獄の遠因とも言えるので、意外にお華も正しい事を言ってます(笑)


 今回もお読み頂き、ありがとうございました。

 次回も、お時間が許せば是非。

 よろしくお願い致します。

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