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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
3/65

③奇跡の三味線屋

(1)

 

 その日、座敷が終わった二人。

 お華とおみよは、客を笑顔で送った後、

「おみよちゃん。お腹空いたね~」

 と、お華は夜空を見上げながら、おみよに語りかける。

「今日は夜遅いから、夕飯、用意しなくて良いと言ってしまいましたからね~」

「じゃ、どっか寄っていこうか」

 おみよは笑顔で、

「そうですね。そうしましょ」

 二人は話がまとまり、荷物をかたづけ、お店に挨拶して再び表に出た。


 柳橋を出て、二人で歩いていると、お華が、

「あそこにしよう!」

 と、小道の奥に見える飲み屋を指差した。

 おみよは、特に希望があった訳ではないので、言われたまま付いて行く。

 実は、その店。お華が前から目を付けていた店だった。

 柳橋から屋敷まで、それ程距離が無いので、近すぎてつい、行きそびれていたのだ。

 二人が暖簾を上げ、お華が、

「ごめんなさいよ~」

 と入って行くと、なんと既に、お客が一杯だった。

(ほう。流行ってるね~)

 などと思っていると、女将らしき女が出て来た。

「いらっしゃいませ。あら、芸者さん? これはこれは」

 丁寧に頭を下げ、

「申し訳ございません。もう、そこの長椅子しか空いてませんけど、よろしいですか?」

 と、申し訳無さそうに言うのだが、ちょっと腹を満たすだけのお華は、笑いながら手を振り、

「ああ、どこでも良いのよ。ちょっと寄っただけだからさ」

 二人は何も拘り無く、言われた、表に近い席に座る。

 この頃の居酒屋に、テーブルなどは無い。

 長椅子、二人で座って、その二人の間の椅子の上に、つまみや酒を置く。


 すると、女将は微笑みながら、

「お姉さん達、初めてでございますよね」

「そうよ」

 お華が頷く、すると女将は、少し申し訳無さそうに、

「ごめんなさい。本日は、ちょっとお代が高くなります」

 それには、お華が不思議そうに、

「ん?」

 首を捻ると、女将は、

「はい。本日は少々、演奏が入りまして、みんな四文ずつ高くなります」

 それには、二人とも少々驚いた。

「珍しいお店ね~演奏って?」

 今度はおみよが聞くと、女将は頭を下げ、

「はい。三味の演奏でございます。その分でございます」

 現代で言うところの、ミュージックチャージと言うところだろう。

 流しの演奏なら珍しくは無いが、さすがにこの頃、こうした演奏は珍しい。

 二人は驚いたものの、たかだか四分だし、それに若干、興味も湧いたらしい。

 お華は、笑いながら、

「芸者相手に、三味なんて度胸あるわね~女将」

 すると女将も笑って、

「いやいや、芸者さんが来るなんて初めてでして……でも、お姉さん達。ちょっと驚きますよ~」

 妙に嬉しそうに言うが、まるで、喧嘩を売っている様なもんだ。

 お華は、その不敵さに喜んで、

「いいわよ。じっくり聞かせて頂きましょ」

 酒二合と煮物でも二つくれと、その余計な分も併せて、銭を払いながらニコニコしている。

「はい。只今ご用意致します」

 と、女将は行ってしまった。

 おみよは少々呆れた顔で、

「もう、姉さん。何でも喧嘩なんだから……」

 お華は笑って、

「あんただって、興味あるでしょ? あたし達は玄人。さて、どうするのかってさ」

 おみよは、溜め息交じりで、

「まあ、それはそうですけど……」

 実は、彼女もその気はあるらしい。

「いつも、人の為に三味線弾いたり、踊ったりしてる私達だけど、たまには人の演奏で、酒飲むのも良いわよ」

 そう言って、お華は軽く笑う。

「でも流しで、一曲いかがってのは聞いた事ありますけど、まるで、舞台の様に聞かせるなんて飲み屋。初めてですよ」

 お華は、お店の奥に用意されている空き樽をひっくり返した席を指差して、

「確かにね。あそこが舞台みたいだ」

 この店は、客席がコの字型。奥行きが割と長くあり、その奥正面に、その樽の椅子がある。

 おさよは、回りを見渡しながら、

「これほどお客さんが入ってるんだから、相当、期待できるんじゃないですか?」

 それには、お華が笑いながら、おみよに向かって、

「それじゃ、もう芸者が来た事より、そっちの方が大事だって認めてるようなもんじゃない。そもそも三味って言ったら芸者でしょ?」

「まあ、それはそうなんですけどね~」

 などと言い合っていると、小女がやって来て、酒などが運ばれる。

「お疲れさん!」

 などと言いながら、つまみをつつき、酒を呑み始める。

 それから、暫くすると、店の中で歓声が上がった。

 酒を呑みながら、

「おっ?」

 と、お華達は、そちらの方向に目をやると、その三味線弾きの男が現れた。

 しかし、二人は大きく目を開け、おみよが驚愕の顔で、お華の袖を引く。

「あの人。目が……」

 お華も、あまりの驚きに、

「う、うん……」

 としか言えない。

 

 その男は、店主の方袖を握り、もう一方で三味線を持って現れた。

 お華は、首を捻りながら、

「こりゃ、あたし達の負けかも知れない……」

 と呟く。

 何しろ、目が悪いとはいえ、いわゆる割り増しまで取っている店だ。

 下手な三味線、聞かせる訳が無い。

 そんな事をしたら、むしろ、客から非難を受けてしまう。

 それは、おみよにも直ぐ分かった。

 さてその男は、案の定、空き樽の上に座った。

 そして、

「今日は、芸者さんも見えてるようですので、少し緊張しますが、どうか我慢して聞いて下さい」

 と、一言。微笑みながら喋った。

 お華達は、顔を見合わせ、少し照れた顔をしている。


 さて、いよいよ準備も終わり、男は、まず一音響かせた。

 そして続けて、曲を弾き始めた。

 それを聞いた、お華達の顔をどう表現したらいいだろう。

 とにかく、仰天していた。

「こ、これ河東節でしょ! 姉様(姉小路)が一番お好きな曲よ。声も良いわ」

 お華が、小さな叫び声で言うのだが、おみよは、硬直している。

 そして、曲を聴きながらお華は、

(予想はしていたけど、これほどとは……)

 お華は踊り担当と言って良いぐらいだから、三味の演奏に、素直に感心しているが、普段、その三味担当のおみよは、嘗て無い衝撃に見舞われていた。

 お華が喋りかけても、目を大きく開け、ひたすら聞いている。

 挙げ句の果てには、席から前に進み屈んで、その三味の動きと音を正にかじりつく様に聞き出した。

(そうだろうな……)

 お華は、おみよの気持ちが理解出来るから、つい微笑んでしまう。

 続けざま三曲弾いた男は、

「ちょっと、休憩します」

 店中、大拍手と歓声だ。

 男は、また引き摺られる様に、店の奥に消えて行った。

 おみよが、彼女にしては珍しく、少々不機嫌な顔で戻って来た。

「姉さん! 聞いた!」

 言いながらおみよは、酒を注ごうとするが、もう無くなっていた。

 すると、まるで怒った声で、

「お姉さん! お酒!」

 と、怒鳴っている。

 そうとう誇りを傷つけられたのね、と思いながら笑顔でおみよの顔を見ていた。そして、

「やっぱり。私たちの負けだったね」

 と一言。

 おさよは、運んできた酒を口一杯に飲み、

「三味は特別な物じゃなかった。弾き方も私とそう違わなかったと思う。でも、なんで? 何であんなに違うの?」

 それには、お華が、

「まあ、落ち着きなさい」

 と、彼女の腿を軽く叩く。

「私は、どこかの三味の先生か何かの人が来ると思っていたんです。ところが、全然違った」

 フフっと笑ったお華は、

「亡くなった父が上には上がいるもんだって、よく言ってたけど、本当だったわね」

 それには、おみよも頷かざるを得ない。

 再びお華は、

「検校の琵琶や琴は、素晴らしいものだと聞くけど、今日は正にそれを、納得出来た日だわ」

 すると、おみよは、

「何が違うんでしょうね~」

 言いながら、煮物を口に入れる。

 お華も酒を呷りながら、大笑いして、

「本人に聞くしか無いわよ。でもね。あなたは普通の人。あの人は目が見えない分、同じ音でも何か違って聞こえるんじゃないかな~」

 暫くすると、あの男がまたやって来た。

 そして、二曲。普段、お華が踊っている様な曲を弾く。

 お華は、呆れた声で、

「こりゃ無理だ。とても敵わないよ。一度、踊らせて貰いたい位だわ」

 と、言うと、最後は「深川節」で締めた。

 これには、おみよが驚愕だ。

 まず、この曲はこの頃の新曲で、誰もが知っている曲ではない。

 それはともかく、ホンの半時程前(一時間)。おみよ自身が弾いていた曲だったからだ。

 おみよは、頭を抱える。

「姉さん……。まるで、自信を無くす為に来た様なもんですよ」

 その半時前、一緒に居たお華は、小さな笑いである。

「聞いときなさい。何が違うのか……」

 大きな拍手で、彼の演奏会は終了した。

 彼女達二人は、充分、彼の三味線を嫌と言う程、堪能し、一人は、大きな溜め息を吐きながら席を立った。

すると、ここの女将がまた寄って来て、

「お姉さん方、ありがとうございました」

 と、女将らしく丁寧に礼を言って、微笑みながら、

「如何でした? 三味線は?」

 お華は、笑って、

「おっどろいたわよ。芸者だからさ、三味の上手い人は回りに結構居るけど、ほら……」 

 と、笑いながら、おみよを指差し、

「この子もそうなんだけど、もうガックリよ」

 おみよは、その通りガックリしている。

「初めてあんなに上手い三味を聞いたわ。あの人、前からここに?」

 お華が聞くと、女将は、

「いえ、何でも一年前くらい前に江戸に出てきたそうです。河原で、稽古してるのを、たまたまうちの亭主が見つけて、ここでの演奏を頼んだんです」

「へ~。旦那も思わぬ、良い拾い物をしたって訳ね」

 などと、笑いながら話して、二人は店を出た。



(2)


 二人は、家路を歩きながら、まだ難しい顔しているおみよにお華が、

「まあ、そんなに落ち込まないの」

 と、慰める。

「はぁ~」

 頷くおみよだったが、顔を上げて、「あっ!」と小さく声を上げた。

「何、どうしたの」

 お華が聞くと、おみよは前方を指差して、

「あの人じゃないですかね~」

 と言うので、お華も少し、前の方に目をやった。

 三味線のあの男が、杖を突きながら歩いていたのだ。

「ああ、こっちの方なんだ……」

 場所は、もうすぐお華の屋敷に向かう、道筋であった。

 もう、深夜に近いこの日、都合良く、良い月が出ていて、夜道も、それ程問題はないのだが、

「あの人にゃ、月が出てても。真っ暗闇か……。よく間違いなく帰れるなぁ~」

 お華は、妙な感心をしていた。

 二人は、自宅の前に来ると、お華はおみよに、

「先に戻ってて良いわよ」

 と言ったのだが、おみよは笑って、ちょこちょこっと、隣の優斎の門裏に、持っていた三味線箱を置いて、お華に付いてきた。

「あら、良いのに」

「いえ、ここまできたらお供します。でも何でですか?」

 少々笑う、お華は、

「いや、あの三味線屋。目が見えなくて、この辺に住んでるんだったら、兄上にそれとなく、気を使ってくれるように頼もうと思ってさ」

 今のお華は、芸者というより、お手先の気分だった。

「なるほど」

 と、おさよもそれには理解出来た様だ。

 

 少々進むと、武家屋敷の地域に入っていった。

 その時だった。

 前を進む三味線屋が、ピタッと足を止めた。

 後ろの方の、お華達も眉を寄せ、おみよを手で止め、同じく足も止めた。

 すると、三味線屋の前の方から、「コラ! 待ちやがれ!」と言う、怒鳴り声が聞こえた。

「おい、そこのお目々が見えねえ奴! 痛い目に遭いたくなかったら、身ぐるみ、置いてゆけ!」

 などという言葉が、お華の耳に入った。

 お華は、「ち!」っと舌を鳴らしながら、独り言の様に、

「やっぱり、出てきやがった!」

 である。

 暗さと遠目の中だが、その連中は三人居る様に確認出来た。

 一人は既に、刀を抜いている。

 横の、おみよが、

「姉さん。ありゃ、追い剥ぎですかね~」

 目を細くして、小さな声で囁く。

 お華は、おみよに、

「あんた。この辺の親分、知ってるわよね」

おみよは頷き、

「平次親分……」

「そう。悪いけど自身番に走って、居なかったら中の人、誰でも良いから、この事知らせて、親分に伝えて貰いなさい。それと捕り手を何人か連れて来てって」

 おみよは、大きく頷き、

「分かりました!」

 と言って、両手で裾を持ち、駆けだした。

 さて、正面。

 盲人を狙って、追い剥ぎなんぞ、お華が許す筈も無い。

 頭に刺している簪一本、サッと抜いたお華は、じりじりと、間合いに寄っていく。

 その時、その追い剥ぎの一人が、大きな声で、

「ほら、怪我したくなかったら、身ぐるみ置いて行くんだよ!」

 と、再度、偉そうに言い放つ。

 すると、なんとその三味線屋は、怖がりもせず、

「やだね」

 などと、言い返す。

 これには相手の男は勿論、お華でさえ驚いた。

 当然ながら男は逆上し、持っていた刀を振り上げる。

 それに反応したお華は、素早く簪を一本投げ打った。

 月の光を反射させながら、刀を振り上げた男に向かって、真っ直ぐ飛んでいく。

 そう、飛んで行くのだが、投げた後。

 むしろお華の方が、言い様の無い恐怖を感じた。

 お華にはまるで、夜中にいきなり幽霊にでも出くわしたという様な、今まで味わった事がない恐怖である。

 あの三味線屋が、相手の男より先に、飛んできた簪手裏剣の方に反応し、お華に顔を向けたからだ。 

 勿論、三味線屋本人に打った訳ではないから、正面の男が簪で悲鳴を上げると、三味線屋は、頬を上げて笑い、顔を正面に戻した。

 だが、簪を打たれはしたものの、前の男はそれに耐え、また刀を振り上げる。

 既にお華は、二本目を手にしていたのだが、何故か動けずにいた。

 すると三味線屋は、電光の如く、杖から刀を抜き打った。

 それは、下方から八の字を描く様、振り抜いのだ。

 刀は、着物は飛散し足を切り裂き、また素早く杖の鞘に戻った。

 再び驚いたお華は、

「あれは、仕込み?!」

 と、つい叫んだ。

 何を思ったか、お華は、もう簪打つのも忘れ、大きな声で、

「殺しちゃ駄目よ~!!」

 と、大声で叫んでいた。

三味線屋を見ると、微かに頷いた様子に見えた。

 最初の男に引き摺られる様に、他の男も刀を抜き、襲いかかるのだが、再び三味線屋の抜き打ちで、あっという間に地面に突き落とされた。

 お華は、その抜き打ちを見て、

(速い!)

 と、唸っていた。

 そして同時に、その三味線屋の剣筋に、お華は、ある事を思い出していた。

「あれは、まさか……」

 そう、よく知っている、剣筋だったのだ。

 お華は、目を大きく開け、腕を組んで考え込んでしまった。

 そこに、おみよが何人か連れ戻って来た。

「姉さん、平次さん居たから連れてきたよ!」

 その言葉に、お華は夢から目が覚めた様に、背筋が伸びた。

「あ、お華様!」

 親分が、近寄ってきた。

 兄が同心で、この辺の担当だから、お華もよく知っている。

「大丈夫でございますか?」

 心配そうに聞く平次の言葉に、おみよは向こうを向いて、クスっと笑った。

お華は平次に、

「追い剥ぎは、あの人が」

 と、三味線屋を指差し、

「全部、斬っちゃったよ。私はちょっとお手伝いしただけ」

「お、お手伝いですか?」

 平次は、お華の簪を知らないので、少々、驚いた。

 そして、小者達は早速、倒れた下手人に縄を掛けに行ったが、お華が、

「まず、何でもいいから血止めをして上げて。ほっとくと死んじゃうから」

 と大声で言われ、平次も、

「おい! お前ら、縄打ったら、足の根っこに手拭いで縛ってやれ。分かるな」

 その言葉を聞きながら、お華、おみよ。そして平次は三味線屋に近づいた。

「あ、あれ、あんたは! ノブさん」

 彼は、その声で誰だか分かったのだろう。頭を掻いて頷いた。

 その平次の驚いた声に、お華が、

「親分。この人を知ってるの?」

「ええ。数日前にも同じ様な事がありまして。その時もこの人が二人斬っちまいましてね……」

「へ~、なんだい? 今、盲人を狙った追い剥ぎが流行ってるのかい?」

 お華はまるで、浩太郎の様な言い方で聞いている。

「いや、流行っているって訳じゃありやせん。この人と同じ、長屋の住民も襲われていたりいましてね」

「ほう、それじゃ、追い剥ぎっていうより、狙って襲っているって事だ」

「へい。そうなんで……」

 お華は少し横に目を向け、倒れている男に縄を掛けている、下引きの若い男に、

「悪いけど刺さっている簪。あたしのだから抜いて返してくれる?」

 などと、お願いしてるから、平次は驚く、

「あ、あれは何です?」

平次はお華が、同心桜田浩太郎の、なぜか芸者をやっている妹である事だけは知っていた。

「ああ、あれは手裏剣よ」

 平次は、それは大いに驚いた。芸者が手裏剣? そりゃ驚く。

 するとお華は、

「ねえ、親分。これは親分の手柄って事で報告してくれる?」

 平次は大きく目を開け、不思議な顔をした。

 お華は笑いながら、

「私が絡んでいるなんていうと、兄上がさ。こんな夜中に何やってるんだ! なんてゴチャゴチャ言うからさ。私は居なかった。親分の手柄ってね。後はお願いしますよ」

「は~」

 平次は困った顔だ。


 さて、続いてお華は、おみよと一緒に三味線屋に話しかける。

「ノブさんって言うんだ。しかし、あんた。三味線も凄いけど……」

 と、言うお華の横で、おみよも大きく頷く。

「まさか、仕込みまで持って歩いてるなんて、驚きよ~」

 笑いながら言うと、三味線屋ノブは笑顔で、

「あなた方は、私の三味聞いてくれた芸者さん達ですね」

 お華は笑って、

「分かった? 私は華。んでこの子が、おみよ」

 すると、ノブは、

「今、ちらっとお聞きしましたが、あれは手裏剣だったんですか?」

「そうよ。でも、あんた。あんな音も聞き分けるの?」

 ノブは笑って手を振って、

「いやいや。驚きましたよ。後ろから聞いた事も無いような物が飛んでくるから。まあ、私を狙った物じゃないとは直ぐ分かりましたんで、安心しました」

 お華とおみよは、その言葉に、何度かの驚きを持った。

 でもお華は、少し申し訳無さそうに、

「ごめんね。襲われてるってのに、殺すな。なんて言っちゃって」

 それにはノブは、

「分かってました。あの手裏剣で、安心してました」

 そしてお華は一転、

「あんた。まさか、これまで人を斬り殺したりしてないでしょうね」

 少々、キツく問い詰める。

 ノブはちょっと笑って、

「ええ。大抵は、刀抜くと皆怖がって逃げますから。そこまではしてないと思います」

「そう。一応、信じるわ。人斬りなんかしちゃうと、三味の音も曇る。いい。一人きりなら仕方無い事もあるだろうけど、弱い相手には、絶対駄目だからね」

それは、ノブも理解出来たのだろう。素直に、

「ええ。それは承知しております」

 と、頭を下げる。


 お華はおみよと一緒に、ノブを家まで送って上げる事にした。

「申し訳ありません。お華様」

「いいのよ。聞いたでしょ、私が同心の妹だって。まあ、あんたなら、送る必要は無いとは思うけどさ。目の見えない人を放っておく訳にもいかないからさ」

 三人とも大笑いで、家路を急ぐ。

 そこは意外と近い、神田鍋町にある長屋だった。

 前まで来ると、ノブは二人に、

「お礼にちょっと一杯飲んで行って下さい」

 お華は遠慮して、

「いいわよ、散々飲んだし……」

 と言った時、腰高障子が開いた。

 女が顔を出し、

「お帰り、あんた……」

 と行った途端、後ろの二人をみて瞠目した。

 そりゃそうだ。戸を開けて、芸者が二人も並んでいたら、誰でも驚く。

「あ、あの……」

 するとノブが、二人に、

「これは、女房のサキです」

 と紹介し、サキに、

「帰り道、危ない所助けて頂いたんだ。お酒の一杯、お礼にお出ししてくれるかい?」

「え! そ、そうなんですか。それは、ありがとうございます。汚いところですがどうぞ」

 帰るつもりの二人だったが、帰れなくなった。

 座って、茶碗酒を出された二人は、笑顔で礼を言う。

 するとサキが、

「助けられたって、でもこの方達、芸者さんでしょ? 何を同?」

 その疑問は当然だ。

 お華が笑って、

「あのね、丁度、あたし達が後ろを歩いていたら、襲われてたんで、所の親分を呼んで、助けて貰ったのよ」

 あまり、心配を掛けたくなかったんだろう。

 若干、変えて説明した。

 しかし、こうなったら、お華は聞きたい事があった。

「ねえ。あの剣。誰に教わったの?」

 ノブに向かって、単刀直入に聞いた。

 ノブは、酒を手に、

「あれは、昔、田舎の坊さんに教わったんです」

 それには、お華は驚き、

「お坊さん?」

 すると、ノブは、

「ええ。あたしゃ、ご覧の通り目が見えないんで、近くの坊さんが、せめて自分の身は、自分で守れる様にと、子供の頃から教えてくれたんですよ」

 お華は、「へ~」と驚いた。

「ねえねえ、田舎ってどこなの?」

 と聞いた答えが、驚愕だ。

「はい、信濃です」

「え~?」

 お華は、さらに聞く、

「そのお坊さんって、元、剣術使いか、何かなの?」

 するとノブは、

「何でも、昔は草の者……あ、これは信濃で忍びの仕事をやってた……」

 その話を聞きながら、お華は大きく目を開けた。

 おみよも大体の事は聞いていたので、こちらも驚いた顔をしている。

 ノブは続けて、

「草の者の里で修業なさっていたそうなんですが、世の中が平和になって、用済みになったんで、お坊さんになったんだそうです」

 お華は、口に手を当て、笑い出した。

「なるほど、だから、おさよ姉さんの剣筋と一緒なんだ~」

 と、おみよに顔を向け、再び笑い出す。

 今度は、ノブの方が面食らって、

「な、なんです? 何か変な事を」

 お華は、大きく手を振り、

「ああ、ごめん、ごめん。何も悪くないわよ」

 そして、笑いを納め、

「あのね。わたしの手裏剣ね。信濃流の棒手裏剣なんだって」

「え~。じゃ、草の者の?」

 今度はノブが驚いている。

 お華は、そうよと頷き、

「あれは、姉上の小太刀と一緒に、父上に教わったの。もう亡くなっちゃったけど、父は甲州の人らしくてね。最初は甲州流だと、二人とも思っていたんだけど、或る日。今日みたいに、二人でちょっと戦っている時に、たまたま、伊賀のお頭に見られてね。お前達の剣と手裏剣は信濃だ。って言われちゃったのよ」

 これには、ノブも見えぬ目を大きく開けて、

「伊賀!」

 と、再び驚いた。

 続けて、お華は、

「だから、今日。あそこでノブさんが抜き打ちをした時は、ビックリしたわよ。姉さんの剣筋と一緒なんだもん」

「なるほど、そういう事でしたか」

 二人は大笑いになる。

 すると、おみよが、

「じゃ、三味はどうやって憶えたの?」

 と聞く。

 おみよにしたら、剣筋なんかより、三味の方に興味が湧くのは当然だ。

「ああ、三味は、お袋に教えて貰ったんです」

「お母様?」

「はい。お袋は、あなたたちの様な、立派な芸者では無かったんですが、宿場で三味線弾いたりして稼いでいました。おとっつぁんは、幼い頃に亡くなってしまっていたんで、いつもお袋は、子守歌変わりに弾いてくれました。目の見えない私を育てるのは大変だったでしょうが、愚痴一つ言わず。私に教えようと弾いて、私は一生懸命憶えて、こうなったんです」

 ノブは、その時の事を少し、思い出したのだろう、うっすら目に涙が光る。

 お華も、真面目な顔で、

「よく、聞いただけで、あそこまで弾けるようになったね~。私やおみよちゃんじゃ真似できないのがよく分かるよ。お母さんも、そうとう上手な人だったんだね」

「ええ。でも今度は私が変わって……と思った時に流行病で亡くなってしまいましてね。本当に残念で仕方ありません」

 おみよは、涙を流して聞いている。

「女房は、そこの宿場で働く女だったんですけど、あるとき、私が連れて逃げて来ました。母も死んでしまった信州に居ても辛いだけですから」

 お華は微笑んで、

「ほう、駆け落ちかい。まあ、色々あるからね」

 と頷く。

 お華は何か、感づいた様だったが、それ以上は聞かなかった。

 聞いたところで、「仕方無いね」と言うしか無いと分かっていたからだ。


 それはともかく、お華は、今晩襲ってきた男達について聞いた。

「ねえ、ノブさん? あいつら、追い剥ぎかと思っていたら、もう二度も襲ってるそうじゃないか。何か思い当たる事があるのかい?」

「う~ん」

 呻くノブの代わりに、その事はサキが、

「あのですね……」

 と、思い当たる事を言い始めた

 

 どうも、この辺り周辺の長屋を買収して、岡場所を作るという噂が流れているらしい。

 二人は、越してきたばかりだし、保障でもあるならともかく、ただで立ち退きなんて、直ぐに出来る訳がない。

 九尺二間の長屋でも、それは、それなりに金が掛かる。

 しかし、回りの住民は、あの連中に脅され、ドンドン減っていってしまったが、ノブはこう見えて、意地っ張りなので、ガンと脅しを跳ね返してしまう。

 結局、実力行使に出てきたのではないか? とサキは打ち明ける。

 ノブは恥ずかしいのか、

「サキ! 余計な事を」

 と少々怒るが、お華が、

「まあまあノブさん。女将さんだって不安だろうよ」

 宥めたあと、お華は、

「全く。御改革で、岡場所なんぞ徹底的に潰されたのに……」

 と、おみよと目を合わす。そして、

「分かったわ。兄に言って、その辺調べて貰うから。第一、こんなお城に近いところで、またそんな事始めたら、元の木阿弥じゃない。絶対許せない」

 お華は、先頭立って、天保の改革を潰した張本人だが、内心、改革自体、全て間違いだとは思っていなかった。

 特に、再びの岡場所、隆盛は、不幸な女を増やすだけだと思っている。

「まあ、ともかく。今は、充分気を付けてね。女将さんも外で働いてる様だし、ノブさん、あんたも強いからって、安心してちゃいけないよ。ああいう奴らは悪賢いからね。敵わないと思ったら、網打ってでも殺しに来るよ」

 それにはノブも、

「さすが、お華さん。網を打たれますか……。そうかぁ、それは油断出来ませんね」

 などと、話し合いながら、夜が過ぎていった。



(3)


 それから三日たったお昼。

 お華の屋敷に、おさよが、おきみを連れて訪れていた。

 ちょうど、お昼を取っていた優斎も、一緒に休憩がてら座っている。

 おきみは、おゆきと例の庭の花畑で楽しそうに話している。

 それをおさよも、微笑みながら見ていたのだが、突然、

「お華ちゃん。この前、追い剥ぎ捕まえたんだって?」

 笑って、日の当たる廊下に座る、お華に問いかける。

 お華は、驚いておさよに振り向き、

「げ、もう知ってるの?」

「おととい、平次親分がうちに来て、ぜ~んぶ」

 と言って、笑う。

 お華は不機嫌な顔で、

「もう、親分。親分の手柄にしていいから、黙っててって言ったのに……」

「何言ってんの、最初からバレてるわよ。旦那様が、頬に大きな簪傷ついてやがった。彼奴は、夜中に何やってんだってさ」

 それには、優斎も一緒に大笑いしている。

「あちゃ~、兄上にゃ、傷でバレちゃうか……」

 お華は肩を落とし、残念な顔をしている。

 すると、おさよは、

「でもさ、他はみんな切り傷で。その盲人が、全部斬っちゃったってのは本当なの?」

 それには、お華も笑顔で、手を前に振り、

「そうなのよ。わたしもさ、座敷の帰りでね。たまたま妙な奴らが、盲人に追い剥ぎかけてたからさ、一本打ったんだけど、そのも……いや、ノブさんって言うんだけど、なんと仕込み杖持っててさ、あっという間に斬っちゃったのよ!」

 さすがに、それには優斎が、

「え? 盲目でですか?」

 お華は頷き、

「そうなのよ。多分、先生もビックリするよ。それにさ、姉上は腰抜かすと思う」 その言葉には、おさよも驚き、

「え? 私が?」

「そう。一度、見せて上げたいわ」

 今度はお華が、大笑いしている。


 そんな時だった。

 屋敷の門を潜って、こちらに走ってくる者が二人。

 早坂徳之介(とくぼん)と佐助だった。

「お華さん!」

 早坂が大声で叫びながら、大きな屋敷の庭を掛け寄ってくる。

 お華は目を丸くして、

「どうしたの? とくぼん」

 と言うと、早坂は、おさよが居るのを確認すると、いわゆる急ブレーキで硬直し、「お、奥様まで、いらっしゃいましたか」

 若干驚いている。

 おさよは笑って、

「どうしたの、とくぼん。気にしなくて良いわよ」

 と言われ、改めて三人に会釈をし、お華に向かって、

「お華さん。ノブという三味線屋はご存じですよね」

 お華は、何を慌てて……と可笑しげに、

「うん。知ってるよ。それがどうしたの?」

 すると、今度は佐助の方が、

「あの、ノブさんの女将さんが拐かされたらしいんですよ!」

 こちらも、大声で言い放つ。

 さすがにお華の目は、夜叉に変わる。

「拐かされただって? んで、ノブさんは?」

 佐助は、大きく頷いて、

「置き手紙がしてありまして、あの人、見えないから、近所の住人に見て貰って、本所の方に行ったようです。今、旦那様が追いかけています。今さっきの事です。とりあえずお華様に連絡しろと言われまして……」

 その置き手紙を、お華に見せる。ますます目尻が逆立つ。

「で、拐かしたのは、どういう連中なの」

「平次親分が言うところでは、神田のヤクザな連中で、この前、お華さんが捕まえたのも、その一味だった様です」

「そうか、きっと殺す気で、呼び出したって事ね……」

 そしてお華は、おさよと優斎に向かって、

「一緒に行ってくれない。あの人は強いけど、さすがに女将さんが人質じゃ……」

 するとおさよが、

「捕り手は? そちらの手配は出来ているの?」

 と、声を上げる。

 それには、とくぼんが、

「はい。平次親分が集めている所です。集まり次第すぐ向かうとの事です」

 おみよは、何故か微笑み、

「久々に、面白い展開じゃない」

 などと言うから、お華と優斎は、少々呆れ気味で、

「仕様が無いわね、姉上は。まあ、三人居れば、それほどの事はないでしょ。先生も大丈夫ね?」

 優斎は笑って、

「まあ、こうなっては、仕方ありませんよ」

 お華は、おみよを大声で呼び出し、

 羽織を持ってこさせ、後の事を託した後、とくぼんを含めた四人は、両国橋に向かって、門を出た。

 佐助はいち早く、浩太郎を目指し、鋭い走りに入っている。

 おさよは、いつもの様に、帯の後ろに小太刀をさし、優斎は木刀を刀のように帯に刺して、三人早足で歩いて行く。


 一方、浩太郎は既にノブを見つけており、歩きに合わせて後を進む。

 そこに、佐助が追いついた。

「旦那様! 連絡付きました。今、三人が向かってます!」

 と報告したのだが、

「三人?」

 すると、佐助も少々笑い、

「はい。お華様、優斎先生と奥様です」

 と言った途端、浩太郎は、渋い顔で、

「また、あいつは!」

 少々、怒ったが、

「聞いてしまったんじゃ仕方あるまい」

 と、顔を正面のノブに向け、歩きを進める。


 ノブは、両国橋を渡り、商家が続く、堅川沿いを進む。

 途中の北辻橋を左に。

 その辺りになると、お華達も追いつく。

 そして、横川沿いを真っ直ぐ進み、本法寺近くの百姓地で、ノブの足が止まった。

 

やがて、お華達も草陰に潜んでいる浩太郎に追い付き、

「兄上!」

 と、一同が到着し、ノブの後方で潜んでいる浩太郎に声を掛けた。

「あそこか~。何人居るんだろ」

 お華が小声で喋ると、浩太郎は、おさよに目をやり、

「また。お前まで。困った奴だな」

 などと、叱られている。

 笑うおさよとお華。そして優斎も笑顔だ。

 するとお華は、

「兄上。これはね、姉上には是非、見て貰いたいのよ。いや、兄上だって。きっと驚くわよ」

 浩太郎は怪訝な顔で、

「驚く? 何をだ」

 と聞くのだが、お華は、

「直ぐ分かるよ」

 などと薄笑いを浮かべる。

 一方、平次親分の捕り手連中も追いついて、後方で隠れながら準備が出来ている。

 さて、古ぼけた割と大きな百姓家に向かって、ノブは怒り心頭といった顔で、

「言われた通り、来てやったぞ。女房を帰せ!」

 と、怒鳴る。

 すると、そこからゾロゾロと、十人ばかり現れた。

 親分らしき男と、ノブの妻、サキに縄を掛け、これも癖のありそうな男が一緒に、出てきた。

 ノブは、見えないが、その気配で連中が出てきた事を悟り、

「どうしろと言うんだ!」

 と言うノブに向かって、ニタっと笑った親分らしき男は、

「やれ!」

 などと大声を上げる。

 すると、一人の男が、突然前に出てきて、自分を中心に何かを振り回す。

 後ろで見ていたお華は、その企みに素早く気づき、立ち上がって、

「ノブさん! 上から網が来るよ!」

 そう。投網である。

 その男は勢い良く、ノブの上に網を振り上げ、それは上空で網が四方に伸び、ノブの頭上に、綺麗な四角を描いて開いた。

 しかし、ノブはニッと笑顔を浮かべ、既に若干、腰を沈めている。

 そして網が、正にノブに掛けられる瞬間、抜き打ちで四方八方、斬り払った。

「おお!」

 と、浩太郎、優斎そしておさよは、驚きの声を上げる。

 すると、縄に掛かったと思い込み、手下達二人が、上段から斬り掛かったが、縄を全て切り払ったノブは、既に刀を鞘に戻しており、再び二人に低い体勢から、両人の足を素早く切り払う。

 おさよ・浩太郎はもちろん、優斎も、その剣筋と剣速に目を剥いた。

「す、凄い……」

 と、おさよはお華が言った通り、驚愕していた。

 そして浩太郎は、お華が言っていた意味が、ようやく理解出来た。

「この事か……」

 驚愕というより、何故なのか考え込んでしまう。

意外な反撃に、おののく親分だが、他の者達に一斉に斬り掛かるよう、慌てて命令を下す。

 すると、お華は大きな声で、

「お二人さん。左右からよろしくね。あたしは中央の女将さんを助ける!」

 と、言われた二人は直ぐに農地を掛け出し、

 優斎は、木刀を振るい、攻めかかろうとしていた手下連中を次々に、地上に沈める。

 おさよも、相変わらずの早さで、剣を合わす暇さえ与えず、こちらも次々、男達の足を切り刻む。

 あっという間に、残りは中央の二人になってしまった。

 これを後ろで見ていた、平次は、

「す、すげえな! この方々」

 と、それを眺めながら、腕を組んで感心する。

 そうして、お華だ。

 お華は、両手をだらんと下げている。

 無論、手の先には簪が計六本。日の光を受けてキラキラと輝く。

 そして久々に、

「あんた達! これでお仕舞いよ!」

 と、叫んだと同時に、

「ノブさん! そこから動いちゃ駄目よ!」

 鋭く言い放ち、

 その場で、華麗に舞った。

 放たれた六本は、女将に縄を掛けている男、目指して飛んでいく。

 それらはノブ、ギリギリに通り過ぎる。

 ノブはその瞬間、耳に入るその轟音に、

(これが、本気の音か……)

むしろ、生涯初めて、彼の方も、本当の恐怖を感じた様だった。

(動くなって、あれじゃ動けやしませんよ……)

 と思いながら、笑みが浮かぶ。

 そして簪は、男の頬から順に、勢い良く刺さって行く。

 なんと、簪は同時に、縄をも切り放ち、圧力が急に無くなった女将は、前へと倒れそうになってしまう。

 しかし、何とか立ち直り、そのままノブに向かって駆け出す。

 それを確認したおさよは、残った二人の足を華麗に切り裂いた。

 ついでに珍しく、その親分らしき男の髷も一緒に切り飛ばしてしまっている。


「あんた!」

 女将は泣きながら、ノブに抱きつく。

浩太郎の合図が既に出され、捕り手達は、地面に痛みで蠢いている男達を次々お縄にしていく。

 平次は、お華に手裏剣で打たれ、地面で殆ど気を失っている男を見て、

「ろ、六本? 一体何時、こんなに打ったんだ?」

 と、驚き、首を傾げながら、縄を打っている。


 お華、おさよ達は、ノブのところに集まり、

「女将さん? 身体は大丈夫?」

 と心配するお華に、サキは泣きながら頷き、

「だ、大丈夫です。皆さん。ありがとうございました」

 ノブと一緒に頭を下げる。

 お華は、おさよに笑顔を向け、

「分かった?」

 と、小悪魔の様に聞く。

 浩太郎も、不思議そうな顔だ。

 しかし、おさよは少々不機嫌な顔で、

「分かったわよ。でも、一体なんでなの?」

 それにはお華が、

「それは、後で」

 と、お華は、いたずらっ子の様に笑う。


 下手人達は、平次に任せ、お華達はとりあえず、蔵前のすみやに向かった。

 落ち着いた所で、女将に休ませる為だ。

 先着のおみよと、平吉が、皆を迎え入れた。

 お華はまず、女将を小上がりに寝かせ、優斎の簡単な診断を受けさせる。

 優斎が、目立った傷は無い事を確認し、その場にゆっくり寝かせた。

「とりあえず、出血もありませんし、心配は無いかと思います。ただ、今はここでちょっと休ませて上げて下さい」

 おみよ達も、大きく頷いた。

 さて、すみやの平吉は、一行を笑顔で迎え入れたのだが、

「若。あっしも呼んで頂ければ、参りましたのに……」

 少々、恨みがましい事言っている。

 するとお華が、

「平吉さんまで、出てくる様なもんじゃないわよ。それより皆にご馳走してあげて」

 と笑顔で言われ、

「へいへい」

 仕方無く返事して、裏に帰って行った。

 そして、そう間も置かず、大きくなったおちよと、母親のおていが、銚子が一杯の盆を持って来る。

 浩太郎を上座に、小上がりをコの字型に皆座り、向こう側の奥に、サキが布団敷で休んでいる。

 盃が、皆に行き渡ると、浩太郎が、

「今日はご苦労でした」

 乾杯の音頭で、皆、盃を傾ける。

 おさよが、お華に、

「ねえ、お華ちゃん。さっきの話よ。一体どういうことなの?」

 と、お華をつつく。

「はは、姉上。相当、驚いたみたいね~」

 おさよは、ノブの顔を見ながら、

「驚いたなんてもんじゃ、無いわよ。まるで私の剣とそっくりだったし……」

 すると、浩太郎も、

「そうだ。俺も驚いたぜ。一体どういう事なんだ?」

 お華は、含み笑いで、

「実は、ノブさんと女将さんはね。信濃出身なのよ……」

 と、お華は、ノブが剣を習った坊さんが、実は以前、草の者だった事を一気に話した。

 それには、浩太郎、おさよは、さすがに仰天した。

 勿論、優斎も驚愕し、

「へ~。私もどこかで見た、剣の筋だと思ってましたよ。まさか、目の前の人とは……」

 と、おさよと目を合わせ、大笑いしている。

 ノブは話を聞いていて、さすがに恥ずかしそうに、

「私も驚きました。草の者の教えを受けた人が、江戸にいるなんて。何より、あたしは目が見えないから、これは止めとこうと言われた、棒手裏剣。それを、しかも女の人がやってるなんて。そちらの方が本当に驚きました」

 浩太郎とお華は、笑っている。

 すると、お華は浩太郎に向かって、少しふざけて、

「お頭! 信濃衆が増えましたぜ。おめでとうございます。お・か・し・ら」

 などと笑って言うものだから、優斎もおさよも、そして皆も大笑いになった。

 浩太郎は、眉を寄せ、

「おれはお頭じゃねえって言ってんだろう!」

 少々怒った顔で行ったが、隣のおさよに、

「でも、いやこれで、伊賀の爺さんが言ってた事が、あながち、間違いじゃ無いって事がよく分かったよ」

 と語る。

 それには、おさよは大きく頷き、優斎も、

「いや。誠でございますな。あれ以上の証明はありませんよ」

 と、医者らしい言い方で、酒を呷る。

 すると、お華が、

「今までのは、このノブさんの、いわば裏芸。この人の表芸は、三味線屋よ」

 優斎が驚き、

「え? 三味線?」

 ノブは頭を掻いて、恥ずかしそうだ。

「そう。この人の三味は、凄いよ」

 お華は、おみよを指差し、

「あの子なんて、悔しくて悔しくて、涙流して悔しがってましたからね」

 さすがに、それにはおみよが、

「別に、涙なんか流していません!」

 少々憤然として言い返すと、お華は、

「ねえ。持ってきてくれた?」

 それには、おみよも頷き、

「ええ。私のですけど」

 頷いたお華は、ノブに向かって、

「ノブさん。このままじゃ、また同じ事がおこるかも知れない。あんたは良いけど、女将さんは気の毒だからね。三味の仕事増やして、女将さんは家に居て貰うってのはどう?」

 それには、ノブも嬉しそうに、

「それは願ってもない事です。それで暮らして行けるのなら……」

 お華は頷き、

「じゃ、早急に探しておきましょ。私も芸者だから、何か見つかるよ。但し、あまり贅沢言っちゃ駄目よ」

 お華は、釘を刺すが、ノブは、

「いや、もう。何でも。三味弾いて、お金になるならなんでも……」

寝ていたサキも、それには寝ながら手を合わせて、喜んでいる。

「まあ、とにかく今日は、一曲弾いてくれる? ここの無粋のお頭を筆頭に、嘘じゃ無い事を証明してくれると嬉しいな」

 その言葉に浩太郎がムッとして、おでこに皺を寄せているが、ノブは直ぐ頷き、

「承知しました」

 すると、おみよが、

「私のでも大丈夫?」

 三味を持って行くと、ノブは、それを手で確認し、

「大丈夫ですよ~」

 と、笑顔で答える。

 そして平吉に、演奏する席に誘導して貰った

「本日は皆さん。夫婦共々、大変お世話になりました。お礼に少々お聞き下さるとありがたいです」

 軽くお辞儀をしたノブは、一音を鳴らした。

 そして、早速、深川節を演奏し始めた。

 一同、息を呑み。目を丸くしている。

「お、おい。こりゃすげえな……」

 無粋と言われた浩太郎が、一番先に感嘆の声を上げた。

 優斎、おさよも、嬉しそうに頷いた。

 その夜は、こうしてノブの演奏会が、墨田のほとりの店で長く続いていた。



~つづく~ 


 今回もお読み頂き、誠にありがとうございました。

 題名で、お気づきになった方もいらっしゃったかと思いますが、

 今回の「ノブ」は、世界的ピアニストで、故バンクライバーンに奇跡のピアニストと称賛された、辻井伸行さんをモデルに書いたキャラクターです。

 ただ、江戸時代、いやそれ以前から、盲目の音楽家は数多くおりました。

 彼は、現代でようやく、日本の盲目の音楽家が、世界に通用する事を初めて証明してくれた。

 私は彼を、現代の検校であると思っております。

 何より、その演奏スタイルは、一切の無駄を省き、音だけに集中している。

 まるで、江戸時代、早朝の瓦版を作る為に、暗い部屋の中で、一心不乱に桜板に彫刻を施している職人と同じ様に見えてしまいます。

 私は、毎晩それに感心し、彼の演奏を肴に酒を呑みながら聴くたび、小説の筋を考えています(笑)

 いつもお世話になっております(笑)


 そして、もう一つ。

「座頭市」もモデルにしています。

 これは、あまり現実的に思えないかも知れませんが、

私は辻井君の、リストの「ラ・カンパネラ」の演奏を聴くたびに、もしかしたらあり得ることでは? と思ってしまいました。

 座頭市は、新撰組ファンならご存じでしょうが、明治初めの時代小説家、子母沢寛先生が書かれた小説です。

 子母沢先生は、若い頃、ある農家の囲炉裏で、そこのおじいさんに聞いた話が、元になっております。

「昔、博打が強くて、剣がもの凄く強い按摩が居てね……」

 と、いう話をお聞きになって、座頭市を書いたと言っておられる様です。

 私は当初、映画で見られる様に、空想のスーパーマンと思っていましたが、辻井さんの演奏を見て、少し考えが変わりました。

 あるいは、可能ではないか? と。

 

 今後も、度々、登場しますので、よろしくお願いします(笑)


 それでは、また次回もよろしくお願い致します。

 ありがとうございました。


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