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1・宝石の果樹園で、ジャム作り。②

 

「やめなさい。この子には手を出さないで」


 マーフィンを食い(あさ)る手の前に、ベルルカが現れた。冷静ながらも叱りつけるような声色。直立の姿勢から右手を突き出し、大きく払う動作をすると、黒い手は吹き飛ばされるようにして二人から遠ざかり、形作っていた粒子は一瞬のうちに散り散りになって消えていった。


「ベルルカさん、ベルルカさん……!」


 よたよた歩くマーフィンを、彼女は優しく抱き上げた。首のリボンについたベルにそっと指先で触れた後、震える頭を撫でてあげる。


「酷い目に遭ってしまったわね。でも、あなたを怖がらせるものは私が追い払ったわ。安心して」


 悪夢にうなされた子供をあやすように、背中を(さす)ってあげる。しかし安心させるような言葉をかけても、マーフィンはベルルカの服にしがみついていくばかりだった。


「……」


「どうしたのかしら? もう本当にあれはいなくなってしまったのだけれど」


「……」


 ひっく。しゃっくりを上げたマーフィンは、目元を潤ませてベルルカを見上げ、またしがみついた。


「ひっく……ひっく……」


「何か、悲しむような事を思い出してしまったのかしら」


「……分かんない。何も分かんないよ。けど……うええええ……」


「分かったわ。苦しくて仕方ないのね。張り裂けそうなのね」


 ベルルカは目を閉じて、


「大丈夫よ。私がそばにいるから」


 耳元で囁いて、マーフィンを抱いたまま果樹園の外へ向かって歩き出した。温かな抱擁(ほうよう)と一定のリズムで背中を打つ手指によって安心したマーフィンは、今度こそ心地よい眠りについた。





「お腹の破れは直せないけど、後はひとまず修復出来たわ」


 チョキン。糸切りばさみで糸を切って、ボロボロになったマーフィンの体を直し終えたベルルカ。詰め物の綿が減ってぺしゃんこになっていた箇所や、一連の騒ぎとは関係ない果汁の汚れもあったが、彼女は手間をかけて「ひとまず」どころではなく、すっかり綺麗にしてみせた。使った道具を裁縫箱に戻して、丸太テーブルの下に置く。

 マーフィンはもじもじしながらありがとうと礼を言った。顔を突き合わせたり、指先が体のどこかしらに触れている状態だったので気恥ずかしかったらしい。


「いいのよ。でも大分時間が掛かってしまったわ。早くジャム作りに取りかからないと、新鮮さが失われてしまうわね」


「僕にも手伝える事はない?」マーフィンは手を挙げる。


「それじゃあ、果物を種類別に分けてもらえるかしら。イチゴはヘタを取っておいてほしいわ」


 ベルルカは丸太テーブルの上にカゴを横倒しにして置いた。いくつかの果物がごろんごろんとテーブルへ転がり出す。マーフィンは分かった、と言って椅子からテーブルへと上がり込むと、(あめ)のような光沢をしたローズクォーツのモモを拾い、その上にコーラルカラーのラズベリーを乗っけて、事前に用意してあったミニカゴに入れた。テーブルの上で一生懸命動き回るマーフィンに、ベルルカは腕まくりをしながら微笑む。


 枝や葉などを取り除いて、水を入れたボウルの中で果物を洗い、果物を皮ごと切る、すり鉢に入れて砕く、叩いて潰す。果物によって扱いを変えるのは一般のジャム作りでもやる事だが、鉱山で鳴り響くのが相応しいような、ジャム作りとはかけ離れた音が度々(たびたび)聞こえてくるのが一般的な果物とは違うところだ。


 陶器の鍋は、マーフィンに合わせた小さいサイズが三つと、本格的な調理に用いられそうなサイズのものが用意されていた。マーフィンの分はきちんと別々に作ると言っているが、ベルルカ自身の分は、採ってきた果物を全部投入したミックスジャムを作るつもりのようだ。調味料や彩りを保たせる為の葉っぱを入れ、シナモンだかのスパイスでも入れるような感覚で枝木を入れ、モモやスイカなどの種、リンゴの芯なんかもフィルター袋に詰めて鍋に入れ……一体どのような味になるのだろうか? 甘い香りは漂って来るが、マーフィン用のジャム以上に謎めいていた。


 ぐつぐつぐつ……


「煮詰まってきたわ。そろそろ頃合いね。マーフィン、(びん)を私の元に持って来てくれるかしら」


 ベルルカは鍋の縁でジャムの付いた木べらをトンッと軽快に叩くと、木株の椅子に座って大人しくしていたマーフィンに話しかけた。マーフィンは従って、(ふた)を開けた瓶を一つずつベルルカに渡す。宝石の木から採れた果物は原形をなくしてドロドロになってしまったはずなのに、ベルルカから帰ってきた瓶の中身は、果物時の美しさをそのまま残していた。ルビー、トパーズ、オパールの色に輝いている。


「わあ……凄い。綺麗」マーフィンはうっとりと瓶を持ち上げる。


「出来立て、食べたい?」


「食べたい!」


「そう。私と同じ考えで良かったわ」


 前掛(まえか)けを付けてもらったマーフィンとベルルカは席について、箱入りのビスケットを皿に並べた。木のスプーンですくって、ビスケットの表面にたっぷり乗せ、マーフィンは両手で持って頬張る。ベルルカが味の感想を尋ねると、すぐに「美味しいっ!」と反応が返ってきた。ジャムを作る最中の香りで腹ぺこ状態になっていたマーフィンは、細かな食べカスを散らしながら夢中で食べた。ルビーのイチゴジャムは甘みがギュッと濃縮していて美味しいし、トパーズのオレンジは皮のアクセントがいい感じだ。楽しみにしていたオパールのジャムは、マンゴーのまったりとした味が口いっぱいに広がった。


「うまく出来たわね。美味しいわ」マーフィンのジャムをビスケットの端っこに乗せて、上品に賞味(しょうみ)するベルルカ。


「ベルルカさんのジャムも食べてみていい? 気になるよ」


「好きなだけどうぞ」


 ベルルカは金の星が瞬く夜空を思わせる、スピリチュアルな瑠璃(るり)のジャム瓶を差し出す。神秘的だがジャムとは乖離(かいり)したどえらい色だ。マーフィンのジャムとはまた違って、まだ形を保っている果肉がゴロゴロ入っている。柔らかくなった(なし)らしき塊をスプーンですくって、ビスケットに乗せてかじり付く。


 ……こう言っては何だが、シンプルに一つの果物から作られた自分のジャムの方が美味しいと思う。味がごちゃごちゃしていた。


 マーフィンは感想に困った様子でもごもご口を動かす。チラリと横目でベルルカを見やると、ちょうど彼女も自分のジャムの味を確かめているところだった。今にも満点星だと口にしそうな穏やかな表情で、小刻みな頷きを繰り返している。


「イマイチね?」





 出来立てのジャムを味わい、満足した二人。マーフィンの瓶は三つとも空になってしまったので、ベルルカは新たに瓶を一つ用意してジャムを入れた。見越してなのか、ジャムをまだ残していたらしい。一番下の三段目にはオパールのを、二段目にトパーズのを、一段目にルビーのジャムを入れる。蓋をして、三色の層になったジャム瓶をマーフィンに見せた。これはこれでとても綺麗だ。


「ジャムが出来たから、あなたとはこれでお別れね」


「え?」


 瓶を渡されていたら落としていたかもしれない。マーフィンは突然の宣告に耳を疑った。


 首を振りながら、「また……会えるよね。そうだよね?」という言葉が出て来る。しかし、ベルルカはそれまでの、マーフィンに向けていた笑みをすうっと消し去った。


「会えないわ」


「どうして!」


「会えないからよ」


「それだけじゃ納得出来ないよ! さっきまでちゃんと会話出来てたのに……理由を教えてよ!」


 マーフィンは(まく)し立てた。そして口を閉ざしたベルルカを問い詰めるように、真摯(しんし)(まなこ)で見つめる。


「――あなたには、元の世界というのがあるの」


 沈黙の果てに、ベルルカは涼しい顔でそう答えた。しゃべってくれた、とハッとした瞬間、マーフィンのお腹がズキッと痛みを感じた。


「元の……? もしかして、襲われた時によぎった嫌な記憶と関係があるの?」


「あなたの身にどんな事が起こってここへ来たのかは知らないわ。ただ、今はその世界から離れたところにいるだけなの。そこへ戻ってしまったら、もう会えない」


「そんな! 今僕はここにいるんだから、また来る方法だって――」


「同じ人と再会した試しは一度もないの。私という存在は、一度きりのチャンス……かもしれないものだから」


 淡々とした口振りに、ついさっきまで一緒にジャムを味わっていた人とは思えない程の、冷たい流し目。空に日なんて昇っていないのに、雲隠れした時のような肌寒さがマーフィンを襲った。


 ベルルカは背を向け、両手で瓶を持ったまま近場の椅子に座る。その行動を物理的な距離だけでなく、心の距離まで開けられたというふうに受け取ったマーフィンは、見えない壁を打ち破るように突っ込んで行った。


「僕、戻りたくないよ!」 スカートにしがみついて、声を張り上げる。「よく分からない、怖い記憶の場所になんか戻りたくない! ベルルカさんと一緒にいたい!」


「……」


「ここにいさせてよ! お願いだから……っ!」


 ぐすん、ぐすんと鼻をすすって、引っ張った衣服の中に顔を(うず)める。その様子を見たベルルカは、コトンとテーブルに瓶をおいて、腰を浮かせた。


「……やっぱり、混乱しかねない事はお喋りしちゃダメね」


 地面に正座して、涙で濡れたマーフィンの目元や頬を指で拭ってあげた。そうして気持ちを込めて頭を優しく撫でる。


 自分の心の叫びが届いたのだろうか。涙を溜めた目でベルルカの顔色を(うかが)うマーフィン。彼女は穏やかな表情に戻っていた。が、視線が合うと、彼女は静かに首を振った。


 覚悟を、決めなければならなかった。ベルルカが撫でていた手を降ろすと、マーフィンは両手でゴシゴシ(まぶた)(こす)って自ら離れる素振りを見せた。ベルルカはニコリとして、再び三色ジャムの瓶を手に取る。


「これはね、マーフィン、あなたをあなたの世界に繋ぎ止めてくれる、大切な役目をするもの」


 ベルルカが蓋に手をかざすと、瓶は光り輝いて形を変えていった。

 それは小さく、うんと小さくなって、(わず)かばかりの厚みしかない半透明な長円の形をとる。絆創膏(ばんそうこう)みたいだ。ベルルカはそれを剥がして、マーフィンの破れたお腹を塞ぐように貼付けた。


「戻る気になれたかしら」


「……うん。大丈夫……な気がしてきた」


 お腹に貼られた絆創膏を見つめるマーフィン。不思議なもので、貼られた箇所を中心に力が湧いてくるのだ。そしてマーフィンの体が温かな光を(まと)って、爪先から粒子と化していく。


「最後にもう一度、僕に『大丈夫』って言ってくれる?」


 この世界を去る者の、せめてもの願い。


「あなたはもう、大丈夫」


 光の粒になっていく彼に笑いかける。

 マーフィンは心から安らいだ表情を浮かべて、ベルルカの世界から旅立って行った。



 ——1・宝石の果樹園で、ジャム作り。 終——


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